雪を呑んだ男
仲間達を振り切って、ルフィは駆け出した。
フーシャ村の外れ、海を見渡せる切り立った丘というか崖の上。
未来の自分の墓の元まで、ルフィは言葉通り弾む勢いで駆け抜ける。
何もかもわからない。
何故グランドライン、それも新世界を航海中だった自分が、故郷のフーシャ村にいつの間にかいたのかも。
そこに何故、自分の記憶より数年ほど歳を重ねたらしき仲間がいるのかも。
ここは未来の世界で、すでに自分が死んでいるというのも訳わからない。
知らぬ間にかけられた悪魔の実の能力か、それとも自分の夢なのか、ルフィにはわからないし、正直いってどうでも良かった。
考えたからとてどうにもならないことは考えないルフィにとって今、重要なのはただ一つ。
ウソップがポロリと零した情報。
『……なぁ、こいつならトラ男をどうにかできるんじゃないか?』
自分ではなく隣のサンジに話していたが、ルフィは聴き逃さなかった。
それは、自分が恋している人の名だから。
だからルフィは、未来の仲間達に問うた。
『トラ男も来てるの?わたしのお墓参りしてくれてるの?』
その問いには誰も答えてくれなかった。皆が怒っているような、困っているような、悲しんでいるような、なんとも言えない顔をしていたことは気になったが、それよりもルフィの優先順位はこの世界のトラ男に会うこと。
単純に未来のトラ男を見てみたかっただけなのだが、仲間は誰も彼がどこにいるのかを教えてくれなかった。
チョッパーが数年経っても変わらなかった素直さを発揮して、自分の墓の前にいるであろうことは口を滑らせてくれたが、肝心なその墓がどこかは流石に全員でガードしてわからない。
だが、ここでもルフィは豪運だった。
騒ぎを聞きつけた村の住人が様子を伺いに出てきた。その中の7,8歳と思わしき男の子を連れた美人……マキノが目を見開いて驚愕していた。
『あ、マキノ!久しぶり!ねーねー、わたしのお墓ってどこ?』
ルフィは他意なく普通に挨拶し、そして幽霊にしては元気よすぎる質問をして、マキノは困惑混乱のまま、反射的に答えてしまった。
その答えを得て、ルフィはマキノに礼を告げて駆け出し、冒頭に至る。
別に彼女は、何も考えていない。ただただ持ち前の好奇心のまま動き、向かっただけ。
少しは不思議に思ったが、それは立ち止まるほどのものにはならなかった。
自分より足が速いサンジやブルックが何故、追いつけなかったのか。
自分の墓があるという丘の周囲に、家畜用とは比べものにならないほど刺々しくて物々しい鉄条網で囲われているのか。
「何で?」「何だこれ?」とは思ったが、それらを後回しにして彼女は、鉄条網を飛び越えて、その後ろ姿に無邪気な声を掛けた。
「トラ男!!」
パンクハザードで着ていたような、黒いロングコートに、モコモコとした斑模様の白い帽子。
しかしその首には、もう一つ帽子を引っ掛けている。
……おそらくは未来の自分のものであろう麦わら帽子を、首の後ろに引っ掛けて彼は、小さくて粗末な、杭一本の墓標の前に佇み、振り返る。
ルフィが知るトラ男の数年後のはずなのにむしろ幼く見えたのは、コートの襟を立てているせいで顎髭が見えないからか、顔の左側大部分を隠すガーゼの所為か、それとも「信じられない」と言わんばかりに呆けた表情の所為か。
トラファルガー・ローはポカンと口を半開きにして、持っていた花をその場に落とす。
4本の向日葵という、晩秋という今の季節には合わず、花束というには少ない数の花を落として、ローは唇を戦慄かせた。
「……む、ぎ……わら、屋?」
「トラ男!久しぶり!!」
自分の墓の前で未来の友達兼片想い相手に、ほんの一ヶ月ぶりくらいの気安さでルフィは笑いかけた。
実際、ルフィにとっては一ヶ月どころか三日ぶり程度なのだが、もちろんローからしたら同じテンションになれる訳がない。
「???俺は……夢でも見てるのか?」
「ししし!私の夢かもしれないよ!」
盛大に困惑しっぱなしのローに、ルフィは自分が元凶だというのに実におかしげに笑いながら、自分の仲間達と困惑しながら出した結論、「過去からやってきた」という説明になってない説明を始めた。
「……なるほど。何もわからんが、とにかくお前は過去の麦わら屋ということにしておこう」
そしてローも彼女の一味と同じように、理解は諦めて現状を受け入れた。さすがはあの常識など投げ捨てるものな航海と冒険をした最悪の世代の一角。
どちらかと言うと、グランドラインよりルフィの所為で出来た耐性なのだが、そんな自覚のない女にローは右手で項垂れた頭を抱えつつ、尋ねた。
「……麦わら屋。お前は今、何歳だ?」
「ん?19だけど?」
「そうか……。この様子なら最低でもパンクハザードの件は終わってるな。
おい、ドレスローザはどうなった?ゾウには行ったか?黒足屋はどうした?ワノ国は?」
ルフィの歳を確認してから、更にローは正確にこの彼女はいつの時期のルフィかを確定させるために問い、ルフィは首を盛大にかしげながらも素直に答えた。
「?ミンゴぶっ飛ばして、ゾウにも行ったし、サンジも取り戻して、カイドウはマグマに叩き落としたよ。で、トラ男とギザ男と一緒に滝から落ちた」
「あー……そこらへんか」
どうやらこの未来のローがたどった過去とルフィの過去に差異はないらしく、彼は納得したような声を上げてから歩を進めた。
ローが近寄ったことにルフィも嬉しそうに笑って駆け寄るが、彼が止まるであろうとルフィが思っていた位置でローは止まらず、そのまま歩をさらに進め、彼は黒革の手袋に包まれた両腕を伸ばす。
その腕の中に、ルフィという小さな少女をすっぽりと納めてようやく止まった。
「????」
今度はルフィが困惑し出すが、こんなのまだまだ序の口だったことをすぐ様彼女は思い知る。
「好きだ、麦わら屋」
親愛のハグにしてはあまりに情熱的な抱擁をしながら、ルフィの耳朶にローは囁くように告げる。
「???????わ、私も好き!!」
更にパニックになりながらも、元気よくいつものように好意を伝えると、ローはおかしげに喉を鳴らして、腕の力は、抱擁は更に強くなる。
「知ってる。好きだけど、結婚はしないんだろう?……残念だ。俺は、結婚したい派だ」
「ほげっ!?」
「驚くにしてももう少し他に何かないのか?」
まさかの甘い甘い万国のお菓子よりも甘く感じる言葉に、キャパオーバーの声を上げるルフィ。
それをまたおかしげに笑って突っ込みながら、ローは抱擁する腕を緩め、密着していた体を少し離して、ルフィの顔を真っ直ぐに見据えて語る。
「好きだ。妹としてではなく、友人としてでもない、もちろん患者としてでも、ライバルとしてでもない。
一人の女として、唯一の、特別な存在として俺はお前が好きだ」
ルフィも目を逸らせないように、背に回していた彼の両手は彼女の顔を包むようにして、そのまろい頬に触れている。
「……ずっと、これを言いたかった。伝えたかった。
悪いな。昔の俺はいい歳してガキすぎて、自覚できないわ、しても意地張るわなクソボケで、何も言えなかった」
頬を包んでいた手が、指先が、スルスルと下降する。
「……これでもう、悔いはない」
撫でるように、滑るように、その指は、手は、頬から降りてゆく。
身震いしたのは、その感触がくすぐったかったからか。
それとも
「……ねえ、トラ男」
ルフィは問いかける。
しかし、ローは彼女の言葉を無視して、自分の言葉を続ける。
「大丈夫だ、麦わら屋」
「何でーー」
ルフィも同じく無視して続けるが、言葉は出てこなかった。
「俺もすぐ、後を追う」
武装色の覇気を纏った両手が、彼女の細い喉を締め付けたから。
「!?……ど……ら"……な"……」
「お前はこっちの麦わら屋と違って、まだ夢の途中だから悪いな」
ギリギリとルフィの首を締め上げながら、ローはそのまま成立していない会話を続ける。
「俺を憎め、恨め。許さなくていい」
自分に愛を告げながら、意味のわからない主張を押し付け、挙句の果てに殺そうとする輩は、嫌なことにルフィにとっては珍しくなかった。
なのに、ルフィには信じられない。理解できなかった。
「俺はお前より、愛より、世界を選んだ。
兄(エース)の為に世界を敵に回す覚悟を決めて実行したお前と違って、そんな勇気がなかった臆病者だ」
何もかも訳がわからなくて、その所為で覇気のコントロールなどできない。
武装色も覇王色も出すことができず、ローの手を引き剥がすことができない。
できたことは、もがいてローの頬に貼られていたガーゼを剥がしたこと。
立てていたコートの襟が乱れ、隠していた首が見えたことくらい。
「……それでも、これだけは忘れないでくれ」
見聞色も使えてなどいないのに、それでもわかることがあるからこそ、ルフィは何もわからなくて、混乱して、困惑する。
(どうして、トラ男はずっとずっと泣きそうな、泣いてる方がずっとマシなぐらい辛そうで悲しそうな顔をしてるの?)
(何で、私がぶっ飛ばした奴らみたいなことを言ってるのに、トラ男の目はわたしが知ってるトラ男のままなの?)
(何で?どうして?どういうこと?何?なんなの?)
ルフィの疑問の声は届かない。
何も語れない最愛に、黒衣を纏った白い男は静かに告げた。
「俺は、お前の墓守。
『ニカ』じゃない。誰にも引き継がない、一代限りの、お前だけの墓守だ」
(トラ男の顔にある、白い痣は何?)