雨竜を斬ったのは——

雨竜を斬ったのは——


◀︎目次


空座総合病院・病室


「斬られた……!? どういうことだよ、石田!?」


 きつい消毒液の匂いに混じって、微かに血の臭いがする病室には、カワキと井上のほかに石田の父親である竜弦、そして最後に病室へとやって来た橙色の髪の少年——一護が揃っていた。

 竜弦からの連絡を受けて駆けつけた者はこれで全員だ。残る一人、茶渡には連絡がつかなかった。

 ベッドを囲むように降ろされた清潔感のある白いカーテンには、その向こうで横になった石田の影が、くっきりと黒く浮かび上がっている。

 カーテンの向こうから声が聞こえた。


「……お前には関係ない……」

「関係ないワケねえだろ!!」


 横たわった影に向かって一護が吠える。


「オメーやられてんじゃねえか! 一人でなんとかできなかったんなら、全員でなんとかするしかねえだろ!!」


 病室に激しい口論の声が……否、口論にもならない一方的な叫びが虚しく響いた。


「何とかいえよ!!」


 死神の力を失った一護を巻き込むまいと情報を出し渋る石田と、石田が斬られたと聞いて友人の危機に焦りを募らせる一護の言い争いは平行線を辿り……。

 息が詰まりそうな気まずい空気の中で、落ち着きなく膝の上で手を握っていた井上が、か細い声で石田の名を呼んだ。


「……石田くん……」

『話す気はない……という事かな』

「……すまない、井上さん……。それに、カワキさんも。今は本当に話せる事は無いんだ。……帰ってくれないかな」


 長い沈黙の後、力なく肩を落とした井上が、寂しさを感じさせる声で頷いた。


「……………………。……うん……」

『……残念だ。また来るよ』


 パタン、と静かに閉じたドアの外では、眉間に深く皺を刻んだ一護が虚空を見つめながら茫然と俯いている。

 思い詰めた表情で黙り込む一護の顔を、心配と不安を浮かべた井上が覗き込んだ。


「…………黒崎くん……」


 既に起こっている厄介事の気配にキュッと目を細めたカワキが、先んじて鋭い声で一護に釘を刺した。


『一護、妙な事は考えないでね。君の身にまで何か起こったら、私が困る』

「! お……おう」


 物思いに耽っていた一護が、二人の声に我を取り戻して振り返る。無理矢理に口の端を上げて空元気で応じた。


「妙な事ってなんだよ。何も考えてねえっての。井上もカワキも、こんな時間に大変だったな。送ってくぜ」


 夜道を帰る二人を心配した一護の申し出に、小さく肩を跳ねさせて頬を染めた井上が、思わず「え!?」と声を上げる。

 持ち上げた両手を遠慮するように左右に動かしながらも、声には隠し切れない期待が滲み出ていた。


「いや……えっと……。ほんとに!?」


 その申し出をバッサリと切り捨てたのはカワキだ。


『いい。私が君を送るよ。井上さんも』


 石田を斬った犯人は、正体も、行方も、目的も……依然として何も判らないのだ。

 ただの不審者ならいざ知らず、虚の出現や未知の敵の存在を警戒するなら、一護を一人で帰路に着かせるのは避けたい。

 カワキの申し出は一護の身を案じたものだったが「お前は戦力外だ」と言われたも同然の一護は目を見開いた。

 そして、何かを言いかけて口を噤む。


「…………」


 一護自身、自分が何を言いたいのか、何を言えばいいのかわからず、うまく言葉を紡げなかったのだ。

 心做しか青ざめた顔で黙り込んだ一護を見て、小首を傾げたカワキがずれた気遣いを口にする。


『……? 心配しなくても君の護衛に手は抜かない。役目は果たすよ』

「……俺は……っ!」


 今の自分はただ友人に護られる側なのだという事実を再度突きつけられた一護が、小さく唇を噛んで後退った。

 言い返す言葉は、見つからなかった。


『どうしたの? 体調に異常でも……』


 カワキはお構いなしによろめいた一護に近付こうとするが——半歩踏み出した時、その肩を誰かが後ろから掴んで止めた。


『……!』

「彼女達は私の車で送ろう」


 カワキは肩に置かれた手をチラリと一瞥し、僅かに顔を動かして視線だけで背後に立つ声の主を見上げる。

 肩を握る竜弦の手に込められた力は思いのほか強かった。まるで逃がさないとでも言っているかのようだ。

 竜弦は決してカワキと目を合わせない。無愛想に一護を見据えて帰宅を促した。


「君は早く帰りなさい。君を余り遅くまで連れ回すと君の所の親父さんはうるさそうだ」


 ——……一護には聞かせられない話でもあるのか?

 ——それとも……。

 頭上から落ちる声を聞きながら、カワキは冷めた眼差しで、肩をグッと押さえる手に視線を落とした。


『…………』


 自分を引き留めようとする竜弦の思惑が読み切れず、静かに警戒を強めたものの、この場で争うのは得策ではないという事は理解している。

 カワキが何も言わないでいると、一瞬の沈黙の後、一護が黙って頭を下げた。


「わかりました。ありがとうございます」


 顔を上げないまま背中を向けて、廊下の奥へと走り去っていく一護。

 咄嗟にはかける言葉が思いつかず、井上が瞳を揺らして伸ばしかけた手を止めた。


「あ……」


 どんどん小さくなっていく一護の背に、言葉を探して井上が声を張り上げる。


「黒崎くん!! また明日、学校でね!」

「こら。院内で大声を出すんじゃない」


 一護が廊下の奥に去ったのを確認して、やっとカワキの肩から手を離し、腕組みをした竜弦が院長らしく井上を嗜める。

 現在時刻と場所を思い出し、両手で口元を覆って身を縮めた井上が、声のトーンを落とした。


「あ! すいません……」


 その間、じっと感覚を研ぎ澄まし、病院と一護の自宅の間に不審な霊圧がない事を確認していたカワキが顔を上げる。

 背後でカワキの様子を窺っている竜弦を振り返ると、いきなり本題を切り出した。


『それで? わざわざ一護だけを帰らせたという事は私達に用があるんでしょう?』

「そうだ。彼は役に立ちそうに無いから、君達二人に話しておくが——……」


 勿体ぶるように一旦言葉を区切った竜弦が、続きの言葉を待つカワキを見下ろす。

 そして——

 竜弦の口から告げられた情報は、思わぬものだった。


「雨竜を斬ったのは虚じゃない」


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