◯年後

◯年後

娘ちゃんは林子ちゃん

 平子真子。

 護廷十三隊五番隊隊長で、シンジという名前ではあるがれっきとした女である。

 部下である藍染に裏切りを受けたが百年ぶりに復隊し、尸魂界の護衛および現世における魂魄の保護、虚の退治等の任務をこなす部隊の隊長でありながら、未婚の母だった。


 数日前、平子は2人目の子どもを出産した。

 いつもは偽悪的な顔にひょうきんな笑顔を載せていた平子であるが、出産した後疲れながらも赤子を紹介する柔らかな顔は、ただの母親であった。


「はじめまして赤ちゃん……アタシがお姉ちゃんやで…お腹におった時もいっぱいお話したけど覚えとるかな」

 涙に震える林子の横で、雛森はひどく冷めた心持で親子を見つめた。


 林子とは違った意味で、泣きたい。


 そうやって、はじめて自分の気持ちを自覚した。藍染惣右介の事など、最早どうでもよかったのだと、憎むべき男の残像だけであるとそう思っていた筈なのに。平子が妊娠したとわかった時、真っ先に自分に報告してくれたその事実は嬉しかった筈なのに。どうしようもなくなって、はじめて気付いてしまったのだ。



・ ・ ・


「この数週間ほんま堪忍な桃。ゆっくり休ませてもろたわ」

「隊長。もう復帰して、本当に大丈夫なんですか?」

「今まで通りちょくちょくサボ…抜けたらいけるやろ。乳母雇ったし。アカンかったら休めばええしな」

 いつもと変わらない口調に雛森は少しだけほっとする。

 平子が第二子を出産したのはつい2週間前の事だが、今日から隊長として復帰する。身体だってまだ大変だろうに、このゴタゴタの中長期間不在だと隊に混乱を招くからと。

「育休、隊長にはないんですね」

「ンなもん尸魂界にあるかいな。女性死神協会で動いたらええんやろうけどな。ぎゃぁ、仕事がこんなにわんさか」

「これでも大分厳選したほうなんです…」

 執務室の机に山積みされた書類を見て平子が嘆息し、雛森は申し訳なさそうに伝える。


 平子の復帰後、五番隊の忙しさは想像以上だった。それでも平子は隙を見ては我が子の元を行き来して、仕事と母を両立していた。

 雛森は正直、平子がこんなにもアクティブに仕事とプライベートをこなす事ができるとは知らなかった。少し休んでくださいと何度言っても、平気や平気、と言いながらやはり赤子を優先させてばかりの平子。

 だがしかし実際平子はうまくやり遂げていた。



・ ・ ・


「子どもって可愛い?阿散井くん」

「お、おお……大変だけど物凄く可愛い、な」

 雛森は久しぶりに会った恋次に何気なく訊いてみた。恋次はいきなりそんなことを言い出した雛森にどう対応していいか分からず固まりつつも、曖昧に返す。

「あたしは産めないからよく分からないけど、そっか…阿散井くん大変そうだけど、幸せそうだね」

「雛森、お前」

 まだ藍染の事を、と動揺する恋次に気がつかずに雛森は何かを続けようとすると、突然書類の束で頭をはたかれ、イタ!と悲鳴を上げる。

 犯人はいつの間にかそこに現れていた。平子がいつもの笑顔で立っている。

「桃ォ、自分の仕事が片付いたからってこんな所で立ち話せんでええやろ」

「す、すみません」

「すんません」

 怒られ、二人は謝るが、平子は笑顔を崩さない。

「最近考え事多いみたいやし、隊長が俺じゃ副官も息詰まるわなぁ?信用出来る同期は大切やからグチでも何でも言いや。恋次も、子どもの話なら俺にしてくれてもええぞ」

 平子はケラケラと笑った。意地悪ではなく、雛森の悩みが杞憂なことであるとわかっているからだ。

 以前ならもっと慌てふためいたかもしれないが、雛森は自分の気持ちに折り合いをつけはじめていた。


 月日は人を強くするものだ。



・ ・ ・


「 あぁ?…ハァー、桃、今日晩飯食いに来んか?」

「突然過ぎます隊長。予定はしっかり立てて下さい…あれ、今日は林子さん達が来るって、お子さんが楽しみにしてるって言ってませんでしたか?」

「そのお子さん大きぅなって、平子家お抱えシェフや。今日もキッチンで姉達の為に飯作ってたら急に来れへんようになって。母さま、どうにかして!やって」

 平子がホレ、と見せた端末には、大きなボウルの中に大量の餃子の具が入った写真。

「わ、これは結構多いですよ。何人前ですか?」

「これで四人分や。シェフは雨竜君が食べればエエと思っとる…まだアイツに会いづらいか?」

「え」

雛森が動揺するのを見て、平子は「悪いな」と端末を操作する。

 どうやら他の死神に連絡を取ろうとしているらしい。

 別に悪い事などない。平子が自分を気遣ってくれていると分かっている雛森は、しかし子どもに会って自分は平気なのか?と複雑な気持ちだった。


 正直言って第二子は、雛森にとって中々の難関である。

 でも、いつまでもこれでは駄目だ。そう自分を叱咤する。

 そして、隊長、是非お邪魔したいです、と言おうとしたその時、平子が言葉を発する方が早かった。


 平子の端末には、日番谷の名前が表示されている。

──なんで、シロちゃん?── 

 平子はそのまま画面にタッチし、スピーカーモードで繋げると、口を開いた。

《もしもぉ〜し?平子ですけどォ、日番谷さんですゥ〜?ウチのシェフが餃子パーティしたい言うてるけど、ご都合どうや?ちなみに今日》

《…いきなり過ぎるんだよ》

聞き馴染みのある幼馴染の声。変わらないその態度に雛森はホッとして、「シロちゃん、あたしも行くよ」と告げた。

《雛森……日番谷隊長だろ。ウチは松本も参加したいそうだ。俺は少し遅れるが行くから、取っといてくれ》

《おお。こんだけ頭数おれば食い切れるやろ。また夜な冬獅郎》

 日番谷の声には少しだけ笑みが含ふくまれていて、平子母子と仲が良い事を伺わせた。

「シロちゃんと仲良いんですね」

「面倒見てくれんねん。一緒にゲームしたりしとるらしい。知らんけど」


・ ・ ・


 ある大きな出来事の後、平子真子は2人目の子を出産した。

 それから十年余り。平子と雛森の間で第二子は時折話題に上る存在だったが、直接会う事はなかった。


「ところで、どうして餃子なんですか?」

「姉カップルからぶんぶんチョッパー…みじん切りに出来る料理器具貰て、それ使って料理するんが楽しいんやて…別に土産とかいらんって桃チャァン」



 人間の十歳と言えばそろそろ成長期となる時期であるが、果たしてあの日病室で会ったきりの赤子はどのくらい大きくなったのか。


「鍵、鍵……あれどこや」


 仕事終わり、2人で並んで歩いて平子の家まで来た。鍵を取り出して扉を開けようとする平子の後ろで雛森は、ふうと一息。大丈夫、あたしはもう大丈夫。


「たーだいま。桃さん連れてきたでェ。乱菊はもう来とるか?」

「お邪魔します」

 平子の声に我に返り、慌てて中に入った。明るい色の髪、すらりとした体躯、端正な顔貌――


「こんばんわ!初めまして」


 甘い声が上がった。平子そっくりな林子とは違い、目の前の子どもは母親にも父親にもよく似ている。とても可愛い子だ。

「初めまして、雛森桃です」

 雛森の心は、落ち着いていた。


 その後皆で食べた餃子は香りが良くジューシーな一品だった。


「微妙な風味に調整された餃子やな…」

「シソの香り出るくらいドレッシングかけてん。桃さんコレも食べて」

「おいしいです。凄く料理上手だね」

「っありがと!」

 得意げな様子が微笑ましい。


 話しながらも手を動かし、みるみる内に餃子は無くなったという。

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