隣にいる資格

隣にいる資格




夕食後のサニー号。

まだほんの少しだけ明るさの残る空の下、クルー達は思い思いの時間を過ごしている。


海を行くサニー号の船首の上、つまり彼の特等席でルフィは一人佇んでいた。


「ふぁ〜……早く次の島見えないかなァ」


見張りも兼ねながら目の前に広がる海を見渡し、まだ見ぬ冒険への思いを馳せる。


「あ、ルフィいた」

「ん?」


そんな特等席に訪問者が1人。

ウタだ。


「よいしょ」

「お……」


胡座をかいていたルフィの足の上にウタがちょんと座った。

人形時代の定位置だった場所は、人間に戻ってからもウタのお気に入りの場所だ。


「お前そこ好きだなァ」

「うん好き。一番落ち着く」


ルフィの側も特に抵抗のそぶりは見せない。

ウタのトレードマークでもある髪を束ねた輪がぴょこぴょこと忙しなく動くが、ルフィがそれを気にかける様子もない。


「♪〜」

「ふあぁ…」


ウタの鼻歌が聞こえ始める。よほど居心地がいいらしい。

不寝番の影響かウタの能力の影響かは分からないが、ルフィは一つ欠伸をしてみせた。


「眠いの?」

「んー、大丈夫だ」

「そっか。何かあったらお願いね」

「ん、任しとけ」


いつの間にかウタの髪の輪が下に降りていた。

感情が昂っていると持ち上がって動き出すが、落ち着いていると大人しくなる。

どういうカラクリなのか何とも不思議なものだが、つまり今のウタは至極リラックスした状態ということらしい。


暫くは鼻歌混じりに、風に揺られる蒲公英の様にゆらゆらと揺れていたウタだっだが、やがてゆっくりとその動きが停止する。

かと思えば、今度は頭がこくりこくりと縦に揺れ始めた。


「……」

「ウタ?」



「…………すぅ……」

「……寝ちまったか」


だらりと脱力したウタの身体が無意識にルフィに預けられた。

海に落ちては一大事。しかし起こしてしまわない様に、ルフィは腕の中のウタをそっと抱き寄せる。


「……んむ」

「ったく……」


試しに頰を二度三度つついてみるが、起きる気配は微塵もない。

まるで小動物の様。些か無防備すぎるのではないか。

しかしそれだけ信頼されているのだと考えれば、ルフィが悪い気分を抱くこともなかった。



「……ナミ達に礼言わねェとなァ」



ポロリとそんな言葉が溢れた。


恐らくこの12年間、碌に手入れをする機会もなかったであろうウタの自慢の紅白の髪。

月明かりに照らされ風に靡くそれは、まるで毎日ケアを欠かさなかったかの様に艶やかに輝いている。


シャンクスから譲られてすぐの自らは、加減が分からず些か乱暴に扱っていた記憶がある。

祖父であるガープに拳骨を食らったのも一度や二度ではない。


加減を覚えてからはそれまでとは打って変わって大事に扱ってきた。

ウタの為に裁縫や洗濯も学んできた。おかげでそれらのスキルは他者を驚かせる程のものにまで成長している。

まあ、その驚きの中には「あのルフィが……?」と言った類の驚きも含まれてはいるのだが。


またナミやロビンといった女性陣が仲間になってからは、ウタはそれまでよりも一層丁寧に手入れされていた。



(今のところ)恋愛には興味のないルフィだが、人の美醜の判別ぐらいはできる。


今のウタは、ルフィから見ても贔屓目無しに美人の部類に入る。


元々幼少期から可愛らしい顔をしてはいたが、きっと人形だった頃の日々の「手入れ」も無関係ではない。


少し奇妙な形ではあるが、ウタが確かに愛されていたことは彼女自身が何よりも証明していた。



…………だが。



「…………」


ルフィの腕の中にすっぽりと収まるウタ。


そんなウタの頭にルフィはポンと手を乗せ、そっと優しく撫でる。


途中でウタの口から小さな笑いのような声が漏れた気がしたが、今のところ起きる気配はない。



記憶の中の幼馴染は、自らより少し背が高かった。


二人の間にあったのは、友達のような姉のような、はたまたもっと特別な何かのような不思議な関係。


勝負という名の意地の張り合いも絶えなかったが、その関係はルフィにとってとても居心地のいいものだった。


そしてそれはきっと、ウタにとっても同じだったはず。



しかし今自らの腕の中で眠るその幼馴染は、恐らくは健やかに過ごしていた場合の本来の成長水準には届いていない。


ルフィ自身もこの世界では決して背が高い方ではないが、そんなルフィよりもウタは頭1つ程小さい。


その差は麦わらの一味の女性陣と並んでも顕著だった。人間に戻ってからも二人が甲斐甲斐しく世話を焼いている理由も何となく分かる気がする。


彼女が過ごしてきた歪な人生の欠片を目にする度に、ルフィの中の後悔の念がいつも彼を責め立ててきた。



……自分は、ウタの隣にいる資格はあるのだろうか。



以前そんなことを不意に吐露してしまい、自らと同じような経験をしたレベッカに思いきり頭をはたかれたのはルフィの記憶にも新しい。


ホビホビの実の能力の性質上、その気になれば「仕方ない」の一言で全て片付けられる。


だが、その一言で片付けるには、今までにウタが失ってきたものがあまりに大き過ぎた。



人としての12年の歳月。


赤髪海賊団との家族の絆。


その類稀な歌声によって得られていたであろう名声。



挙げようと思えば幾らでも出てくる。

ウタが失ってきたものにして、自らの後悔の要因。



………………



「おい」

「んあ?」


ウタが膝の上にいることで、思考とは不釣り合いなある種の心地よさを感じていたらしい。

いつの間にか少しずつ微睡んでいたルフィの意識を、頼れる右腕の一声が引き戻した。


「寝るならこっち来い。そんなとこで寝て落っこちたらどうする」

「ああ……悪ィ」


お姫様抱っこの要領でウタを起こさぬようにそっと抱え上げ、甲板へ一飛びで戻ると、メインマストに背を預けまた元の体勢に戻る。

何度も繰り返すうちにすっかり手慣れてしまったその一連の流れを見て、ゾロはいつも感心とも呆れともつかない不思議な感情を抱いていた。


「飲むか?」

「いや、いい」

「そうか」


手にしていた酒瓶を差し出しながら言うも、返ってきたのはゾロの予想通りの返事だった。

どこか心ここに在らずなルフィを見て、ゾロはフン、と1つ鼻を鳴らす。


「……前から思ってたんだがよ」

「ん?」



「お前はウタが絡むと別人みたいにしおらしくなるな」


揶揄うような笑みを浮かべながらゾロが言った。


「……そりゃあどういう意味だよ」

「どうもこうも言葉の通りだが」


ニヤニヤしたゾロの態度が何となく気に食わず、ルフィは珍しくゾロへの不満を露わにする。


「何だよ、ダメか?」

「別にダメとも言ってねェよ」


ルフィの対面の縁に背を任せ、ゾロも甲板に腰を下ろす。

まだ半分程残っていた酒瓶の中身を一気に飲み干し、そのままゾロは続ける。


「誰にだってそんな人間ぐらいいるもんだ」

「…………」


「いいじゃねェか。特別な人間の1人や2人いた方が張り合いがある」

「……ゾロにもいるのか?」


「……ああ、いた」


まだ見えている方の片目を瞑り、何かを懐かしむかの様な口ぶりで語るゾロ。

相変わらず口元は崩れており、間違いなく揶揄われてはいる。

だが別に悪い意味で言ったわけではないことが分かったルフィは、先程ゾロに対して抱いた感情をさっさと引っ込めた。


「……悪ィ」

「何に謝ってんだよ」


調子狂うな……とまた一つ笑ったかと思えば、すっとゾロは表情を引き締めた。


「……また下らねェこと考えてたんじゃねェだろうな」

「………………」


ゾロの言う「下らねェこと」とは恐らく、ルフィが今しがた抱いていたウタへ対する諸々の感情のことだろう。


レベッカやキュロスやモモの助、一味の中ではフランキーやブルックにも何度か諭された。

そして今、この向かい合った未来の大剣豪もまた、彼らと同じ様にルフィを諭そうと……


「まあ別におれが今更何か言うつもりはねェし、ああしろこうしろなんて助言が出来るほどのモンも持っちゃいねェが……」


……は別にしていなかったらしい。

だからこそ、端的な言葉がルフィに響く。


「……何をしちゃいけねェかぐらいは分かっとけよ」

「…………ああ」



今更ウタを自分達の元から引き離す等と言う選択肢は間違っても取るつもりはない。

だがルフィ本人が思っているよりも、良くも悪くも「ウタ」という存在が彼の中で大きくなり過ぎていた。


一度抱いた疑念はなかなか晴れてくれない。

ルフィからウタ本人にそのようなことを聞いたことはないし、未だに聞く気にもなれないでいる。


わざわざ聞くほどでもないと思っているのか、万が一にでもウタに否定的な反応をされることを恐れているのか……


その理由はルフィ本人にも分かっていなかった。



「ルフィ」



そんな思考の渦からルフィを引っ張り上げたのは、いつの間にか起きていたらしい自らの名を呼ぶ幼馴染の声。


そして、



「ん」



唇に触れた柔らかな感触だった。



「…………え」

「……!」


呆気に取られるルフィの腕の中でウタは続ける。


「……心音ってさ、思ってるより色んなことがわかるんだよ。

今ルフィが何を考えてたか、とかね。


だから、今のは私の返事。


……私の隣からいなくなったりしたら、絶対許さないんだから」


ルフィにしては珍しいマイナス思考も、ウタには全てお見通しだったらしい。

念入りに釘を刺され、ルフィは申し訳無さそうに口を噤んだ。


「へえ……」

「ゾロも見てたでしょ?私の返事。ちゃんと証人になってよね」

「……あァ、任せとけ」


この女、思っていたよりずっと強かった。

あまりにも鮮やかなその手口に、ゾロも思わず笑みをこぼす。


「ハッハハ、大した奴だ。ルフィもこうなっちまえば形無しだな。

珍しいモンも見られた。ルフィをそんなにしちまうのは世界広しと言えどお前ぐらいのモンだぜ」


先程よりも盛大にニヤけながらゾロが戯けて言った。

ゾロの言う「珍しいモン」が真っ赤になった自らの顔だということにルフィが気づくのには、そう時間はかからなかった。




「……おれも覚悟決めねェといけないなァ」


本人からこれ以上ない程の肯定を受けたことで、ルフィは今の今まで思い悩んでいたとは思えない程あっさりとその思考を切り替えた。

先程までどこか不安気だった瞳には燃え盛る炎の如き意志が宿り、もう決して折れることのないであろう強い決意が覗く。


(……頼りにしてるね、ルフィ)


自然と一つギアの上がった心音をBGMに、誰よりも頼もしく愛しい腕の中で安心感に包まれながら、ウタは再び意識を夢の中に落とした。






(しばらく肴には困らねェな……)


それから数日間、ゾロの機嫌が妙に良かった気がするのはまた別のお話。

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