陰陽ストレイド 第二話 日常に潜む影-弐
陰陽ゴリラ夜の闇と静寂が支配する街を行く |響《ひびき》と影伐師を名乗る少年───|武見《たけみ》 |秋《しゅう》。
「えーと、つまりここは俺の住む世界じゃなくて『影』の居る世界……影世界で、そこに俺が引きづり込まれたと。んで『影』を倒す為の組織にいるのがあんたってこと?」
道すがら改めて怪物とこの世界の説明を受ける響。襲ってきた異形の化け物である『影』を唯一倒す力を持つ政府公認の秘密組織の人間。それが影伐師というものであると聞かされる。
「信じられねぇ……」
というのが響の素直な見解だ。
「だろうね……でも実際にその世界に迷い込んで襲われたのは確かだろ? 一先ず信じるしかないと思うよ」
秋は振り返る事もせず言う。それ以上の説明は無く、響はそれで渋々納得するしか無かった。
「んで、どこ向かってんの?」
「僕たちが影世界に出入りできる場所は決まっている。そこに向かって君を元の世界に返す」
「そりゃ助かるぜ。こんなとこ長くいたら頭おかしくなりそうだからな」
先程から言い様のない不安が襲い来るのを感じている。響。秋しか人が居ない世界、いつ『影』が襲って来るかもしれない状況に常に気を張っていて精神が磨り減るのを感じているのだ。
そうして暫く歩いていると目的地が見えてきたようだ。
「この先にある灘上神社……ここら辺ではそこを出入口としているんだ。結界も張ってあるから影も近寄れない」
「とりあえず助かる。もうヘトヘトだ……」
普段仲裁目的とはいえ喧嘩をしたりもする響はかなり運動ができる方だが、それでも気を貼りながら歩くのは想像以上に精神と体力が減ることを噛み締める。同時に、それももうすぐ終わるとすこし安心しているのも事実。
「……?」
「どうした……?」
そんな時、何かに気づいて立ち止まる響。
「いや、なんか聞こえなかった……?」
「……? 僕には何も聞こえなかった。聞き間違いじゃないか?」
肩越しに振り返りそう言う秋。どうやら秋には何も聞こえなかったようだ。響は知る由もなかったが、音どころか影伐師特有の探知法にも何も反応がなかったのだから当然の反応だろう。
「いやこう……なんかゴポゴポするというか、ズズズっていうか……兎に角嫌な感じが近づいてる、かもしれない!」
「えぇ……?」
尚も響は訴えるが、要領を得ない説明に秋は響に向き直って怪訝な顔をする。
「そんな訳……」
「っ! 後ろ!」
気のせいだと否定しようとする秋に響は叫ぶ。秋が振り返ると、そこには居るはずのない巨大な『影』が居た。家屋と肩を並べるであろう巨躯は巨人の如し。そしてその貌に付いた赤く鋭い双眼が響達を睨む。
それは『巨影』と分類される『影』の一種だ。その『影』はその剛腕の先に生えた鋭利な爪で襲いかかる。
「クソ……!」
爪を咄嗟に抜いた直刀で受けつつ秋は響を突き飛ばす。だが片手ではその一撃を受け止めるにはあまりに心許なく、秋はそのまま吹き飛ばされて石壁に激突する。
「いってて……っ! おい! 大丈夫か!?」
響は突き飛ばされたおかげで少し転がって擦りむいただけで済んだ。しかし秋は石壁を貫通して家の壁にまで飛ばされていたのだった。
「ぐっ……大丈夫だ! 君は下がってろ!」
───気配がない……! どころか陰力探知もすり抜けた……どうなってる……!?
心の中で悪態を着きつつ返事をし、自身の怪我の具合を確認する秋。背中に激痛、右の腹部に裂傷、右腕も血で濡れており、腱が断たれたのか肘から先は動かすことも出来ない。
───右手が使えなくとも……!
左手で直刀を握り直し、影を睨んで立ち上がる。そして『影』に鋒を突きつける
「雷電轟き、咲かせよ一輪!」
「『雷華』! ……急急如律令!」
秋がそう唱えると、構えた直刀の鋒から轟音と共に雷電の砲弾が放出される。弾は真っ直ぐ光の軌跡を描いて『影』の顔面に直撃し、華のような爆発を起こした。 煙が晴れる前に走り出す秋。これで倒せるとは思ってない。
「オオオオオオオオ!」
咆哮で煙が晴れる。出てきた『影』の顔は焼けたような傷が着いているが、その目にはより強い敵意……怒りが写っている。
また大きく振りかぶる爪の一撃が秋を襲う。それを小さく飛んで交わし、地面に突き立てられた腕の上を駆け上がって行く秋。その最中、刀を持った左手で器用に腰のケースから護符を取り出す。そしてそれを柄と共に握りこんだ。
『影』はそれを黙って見ている訳は無く、左手で払い除けようとする。しかし、それも読んでいた秋は大きく跳躍して躱す。
『影』の頭上、月明かりが秋を照らす。そしてそれ以上の輝きが剣を包み込む。護符よりもたらされた眩い雷電が刀身に迸っているのだ。
「うおおおおおおおお! ! !」
ズバァァンッ!
落雷の如く雷電の刃が降り注ぎ、『影』を真っ二つに切り裂いた。『影』はそのまま指1つ動かすことなく形を崩し、やがて霧散して消えたのだった。
「すげぇ……あんなデカイのを倒した…!」
「はぁ……! はぁ……!」
何とか『影』を倒した秋。その体は大きくふらつき、刀を杖にしなければ倒れてしまう程であった。
「おい! 大丈……っ!?」
そして、満身創痍の秋の背面にもう一体別の『影』が迫っていた。響の声と視線で振り返る秋。しかしもう遅い。
ここまで、か……
眼前には鋭い爪が迫り、秋の体を───
貫くことは無かった。
なぜならそこに飛び込んできた響が秋を突き飛ばしたからだ。
「ぐあっ!」
『影』の爪は響の腹部を刺し貫く。
背中からは赤く染った爪先が伸びており、おびただしい量の血が滴り落ちる。響の体には焼けるような激痛が駆け巡る。
「なん、で……!」
「ガハッ! ゲホッ! ……あぁ? 気づいたらこうして……! ぐぅっ!」
───嘘だ。俺はただ……目の前で、手が届く所で理不尽に奪われる事が許せないんだ。命や尊厳、人の大切なものを奪ばれる事がどうしようもなく嫌なんだ。
だって、それを俺は一番知ってるんだから……。
響の内にはなんの勝算も打算も無く、ただ己の信念に従い走り出した。それ以上でもそれ以下でもない。
込み上げてくる血の味にむせ返り、『影』によって爪を引き抜かれて響は苦悶の声をあげる。アスファルトに膝を着き、そのまま崩れ落ちるように倒れ伏した。
「し、死ぬか……これは……」
意識が遠のくのを感じる響。あれだけ激しかった痛みも不思議とだんだん和らいでいく。
───あったけぇ……血ってこんなあったけぇんだ……?
思考にも霧がかかり、そんな少々間抜けな事しか出てこない。だがそれもすぐに終わる。プツリと途切れるように響の意識は闇に沈んだのだった。
「……っ!」
歯を強く食いしばる秋。内にあるのは悔恨と無力な自分自身への怒り。そしてその目にはかつての師の姿を幻視していた。
───僕は、僕はまた助けられて……のうのうと生きるのか……!?
秋はゆっくりと立ち上がる。息は荒く、腹と腕の傷で激痛に襲われ立っているのも辛い筈だ。だがそんなものは立ち上がらない理由にはならなかった。
もう二度と……あんな惨めな自分になってやるものか……!
胸の内にあるのは師の墓前に誓った想い。影伐師として命に変えても『影』を倒し、人々の安寧を護る事。それが満身創痍の秋を突き動かす。
「いくぞ……!」
構えた刀に雷電を纏わせる。身を屈め突撃体勢になったその時───。
ズバンッ!
「ガギャッ……!?」
目の前にいる影が突然縦に真っ二つになる。
「っ!?」
秋はまだ何もしていない。そして『影』を切った主は直ぐに現れた。
「無事か? 秋」
「|悠《ゆう》、さん……!」
秋と同じ紺色の衣服に身を包んだ悠と呼ばれる青年。彼が影の後ろに立っていた。右手に握られた『影』を切り裂いたであろう刀は鍔が無い所か、茎と刃だけの打ち立てのようなものだった。秋が次の言葉を口に出す前に、悠の横をすり抜けて同じく紺色の制服に金髪の毛先を桃色に染めたサイドポニーテールの少女が駆け寄ってくる。
「はいはい、動かないで。止血するから」
「|陽那《ひな》まで……っ! そうだ! 僕じゃなくてあいつを診てやってくれ……! あいつは、僕を助けて……! うぐっ!」
「落ち着け秋……こっちは俺に任せて陽那はそっちを頼む」
「はい!」
痛みに悶えながら必死に訴える秋の頼みを聞き入れ、陽那と呼ばれる少女は倒れている響の元へ飛んで行く。
「こりゃ酷い……っ! でもまだ息はあるよ!」
「本当か……!?」
陽那は慣れた手つきで傷口を診ていく。そして懐から一枚の護符を取り出す。護符が淡く白く輝くと共に響の傷口から流れ出る血が止まっていく。
そのまま処置を施していく陽那を遠巻きに見る秋。安心すると同時に苦い顔をしていた。
「……例の個体か?」
「はい、でも気配の無い『影』は一体だけじゃなかった」
「なるほどな……分かった、それは上に言っとくから今は戻るぞ。歩けるか?」
悠に応急処置を受けながら簡潔に状況を伝える秋。伸ばされた左手を掴み何とか立ち上がる。そこに 響を背負った陽那が駆け寄ってくる。肩越しに見える響の顔は酷く憔悴していて未だ危ない状況だと分かる。
「応急処置はしたけど、早くこの子先生に診せてあげないと! 悠さん、秋くん護衛よろしく!」
「あぁ、急ごう……」
響を背負った陽那を挟むように前方は悠が、後方を秋が警戒しながら神社へ駆け出す。
───っ!
その最中、秋が違和感に気づく。それは陽那に背負われた響の背中。シャツの丸く開いた穴の端が赤く染まっている事───ではなく、その穴から覗いている白い背中だった。
おかしい……陽那は応急処置がせいぜいで、ここまで治る治癒術の心得は無いのは知ってる……だからこうして先生の元に急いでいるんだから。じゃあ……これは一体なんだ……?
確かに背中で貫かれた響の体だが、その背はまるで何事も無かったかのように綺麗な状態だ。秋は疑問を抱くが答えは出ず、今は一旦呑み込み道を急ぐのだった。
こうして響は数奇な出会いを果たし、人と『影』の連綿と続く戦いへ巻き込まれて行く事になる。それを響本人はまだ知る由もないのだった。