陰陽ストレイド 第一話 日常に潜む影

陰陽ストレイド 第一話 日常に潜む影

陰陽ゴリラ

 ───世界は理不尽に満ちている。


 人は生きてる限り永遠の安寧を得ることは無い。戦争、疫病、天災……口に出せばキリが無いような様々な要因から安寧の日々は崩れ去る。そして日常に潜み、人々を脅かす人ならざる者もまたこの世界には存在する。


 理不尽の元凶とも言うべきものが世界にはウンザリする程満ちているのだ。


 だから俺は……。




 太陽が西の地平線に沈んでいき、紅い光が街を輝らす放課後。日之影高校の校庭からは運動部の賑わいで満ちており、学生たちが青春の一ページをまた一つ刻んでいる。 しかしその校舎の裏、西日の当たらない暗い場所では爽やかな青春に相応しくない光景が広がっていた。


「おぉ〜い? ちゃんと撮ってきたかぁ〜?」

「スマホ見せろよおい」

「山田早くしろよ〜」

「は、はい……」


 背の小さいオドオドした性格の山田と呼ばれる男子生徒が、如何にもガラの悪い男子生徒三人に囲まれている。俗に言うイジメの現場である。


「何もたついてんだよ山田」

「あぁっ!」


 山田はスマホを取り出すが、渡す事を躊躇していると痺れを切らした不良の一人に強引に奪い取られた。スマホはカメラのギャラリーが表示されており、それを三人の不良は顔を寄せてスクロールしていく。


「あ、あの……もういいですか? 写真は送るんで……」

「……ぜんっぜんダメ! ふざけてんのかお前〜? 全部ピンボケとかブレてんじゃんよ〜」

「俺ら言ったよなぁ……カースト上位の女の顔でオッサン釣って金取るからちゃんとした写真撮ってこいってよぉ〜?」

「遠巻きだし一枚も使えねぇじゃん」

「ご、ごめんなさいごめんなさい!」


 不良達は口々に悪態をついていく。下衆の企みの為に女子の写真を撮ることを強要された山田。不良達はその成果に満足出来なかったようで、山田は縮こまり弱々しく謝るしか出来ないでいる。


「こうなりゃ落とし前つけてもらわねぇとなぁ?」

「とりま顔面スマホみたいに四角にしちゃいますかぁ?」

「どういう例えだよ……でも憂さ晴らしにぶん殴るのはさんせぇ〜!」

「ひぃっ!」


 懐から取り出したメリケンサックを装着する不良達。山田の背は校舎の壁があり取り囲む不良達から逃れられず、情けない悲鳴をあげて怯える事しか出来ないでいる。


「まずは一発!」


 不良は腕を振りかぶり、山田の顔面目掛けてメリケンサックの拳を放つ。反射的に顔を背け目を瞑る山田。


バシッ! 


「あ?」

「えっ?」


 山田はいざ知らず、殴った方も困惑した声をあげる。山田が恐る恐る目を開けると、不良の拳を横から伸びた掌が受け止めている光景が目に入ってきた。

 山田や不良達が手の主に視線を向けると、明るい茶髪を短くした不良達に負けず劣らず鋭い目つきの男子生徒が居た。


「な、なんだこいつ!?」

「てめぇいつの間に!?」


 拳を引いたリーダーの取り巻き二人が睨むが、割り込んだ男子生徒───|白波《しらなみ》|響《ひびき》は微動だにしない。


「いってぇな……お前、人の手殴ってんじゃねぇよ」

「はぁ?」


 寧ろ不良に喧嘩を売るような言葉まで言ってのける。


「てめぇが割り込んだんだろ! 関係ねぇならすっこんピギュッ!?」


 抗議の声を上げながら殴りかかるリーダーの顔面に響は拳を叩き込む。リーダーは間抜けな声をあげて後方に倒れ、良いのが入ったようでそのまま動けないようであった。


「渋やん!」

「てめぇゴラァ! 渋やんの仇!」


 取り巻きはリーダーを心配する一人、仇討ちとばかりに襲いかかってくる一人に別れる。響はまた襲い来る拳を首を傾げるようにして躱し、お返しとばかりに腹に右拳を叩き込んだ。


「おごぉッ!?」

「ガッキー!?」


 先に倒れている渋やんの上にガッキーと呼ばれる生徒は倒れ込んむ。ガッキーの倒れる衝撃をモロに受けた渋やんは小さく呻き声をあげた。そして残り一人も例外では無く、先の二人と同じような流れで殴り倒されたのだった。



「ほれスマホ。お前のだろ?」

「あ、あ、あり、ありがとうございます!」


 響は落ちたスマホを拾い、着いた土を払って渡してやると山田は何度も頭を下げてその場を去っていった。


「さて、これに懲りたら二度と下らねぇ真似すんなよ〜」


 響は不良三人を雑草を見るように興味なさげに見下ろしそう言う。そして山田同様にその場を跡にした。



 校舎の陰から出ると西日が響の顔を照らす。その眩しさに光を手で遮ると、反対側から歩いてくる人影が見えた。


「あ、響くん! さっきいじめられてた子帰って行ったよ! ありがとう!」


 そこに温和な雰囲気の男子生徒が話しかける。この男子生徒は響と同じクラスの友人───|黒凪《くろなぎ》|遮《さえぎ》。彼が感謝を述べるのは、遮がいじめの現場を目撃したからだ。正義感はあるものの、腕っ節の無い遮の代わりに響が仲裁に入ったのだ。


「おう、いつもの事だ。礼は要らねぇよ」

「そんなそんな! でも、どうしていつも助けてくれるの?」

「別にただ……俺の目の届く場所で理不尽な目に合ってるやつが放っておけないだけだよ」


遮の疑問に響は少し照れくさいのか目を逸らして何でもない風を装ってそう答える。その芯のある答えに遮は満足気に頷く。 


「響くんらしいね! お礼に今回もオススメ映画の円盤貸すよ! SFアクション映画! んじゃお疲れ!」


 遮はそう言ってカバンから取り出した映画のBluRayを押し付けるような強引さで響に渡し、手を振りながら走り去っていく。


「また観とく〜!」


 響は走り去る背にそう声をかけ見送る。そして受け取ったBluRayをカバンへ大切に仕舞ったのだった。このようなやり取りは中学からお馴染みの流れになっていたりする。


 改めて響も校門を抜けて帰路に着く。


「響くん! 待ってよ〜!」


 そんな響を呼び止める声。それに振り返ると、腰まで伸ばした艶のある茶髪。それを靡かせながら駆け寄って来る少女の姿があった。


「もう、なんで一人で行っちゃうの? 同じクラスなんだから教室から一緒に帰ろうよぉ〜」


 息を切らしながら膝に手を着く彼女の名は|天鈴《あますず》|空《そら》。響のクラスメイトで幼なじみでもある。


 今の家は離れているが、昔は近くの家同士でよく公園で遊んだりした関係だ。数年前にお互い家の事情で引越してから家は離れたが、それでも小学校から付き合いは変わらずに高校でもこのように共に下校する事が日常になっている。


「楽しそうに話してるとこに水差すのは悪いし……あと女子グループの中に割って入ってけってのは中々キツいぞ……」

「それでも! 一言ぐらい言ってもいいんじゃない?」

「分かった、次からそうするよ。行こうぜ」


 こんなやり取りも慣れたもの。響は向き直り歩き出そうとする。すると、


「あ、待って! ほっぺ、傷ついてるよ?」


 響の横顔を見た空が頬に付く微かな擦り傷を見つけて引き止める。それは響が不良の拳を躱した時にできたかすり傷だった。


「ほんとだ……まあその内治るだろ」

「ダメ! 放置は衛生的に良くない! ほら、絆創膏貼ってあげるから動かないの〜!」


 空はスカートのポケットから取り出した絆創膏を背伸びしながら響の顔に貼る。


「はい、できたっと。また喧嘩止めに入ったの? それともイジメられてる子助けた? 今に始まった事じゃないけど、あんまり無茶しちゃダメなんだからね?」

「ん、ありがとな……気ぃつける」

「ほんとに分かってる〜? まあ、そういう優しくて無鉄砲な所が君のいい所なんだけどね?」

「分かってるから、安心しろってば。そういう空のお節介な所も相変わらずだな? ほら行くぞ」

「は〜い♪」


 長年の付き合いらしい仲睦まじさ溢れるやり取りをしながら二人は下校するのだった。



「ねぇねぇ? 今日もお家行っていい?」


 道すがら他愛も無い話をしており、一度会話にオチが着いたのを機に空が提案する。


「今週もう三回目だろ? 飯作ってくれるのは嬉しいけど、店の方手伝うのはいいのかよ?」

「あっ……それも、そうだね……」


 空は両親が亡くなってから叔父の家にお世話になっている。昼は定食屋で夜は居酒屋をしているので、お世話になっているお礼に空はその手伝いをしているのだ。そして結構な頻度で響に晩御飯を作りに来ている。これは響の家庭事情もあったりする。


 少し残念そうな顔で俯く空。


「別に今日だけが機会って訳でもないし、何時でも空の料理は美味いから安心しろ。だから、んな顔すんな」

「……うん! ありがとう」


 見かねた響がそう言うといつもの明るい笑顔に戻る。それを見て安心し、同じように顔を綻ばせる響。そうしているといつの間にかいつも別れる十字路に来る。


「それじゃ、また明日ね?」

「あぁ」


 別れの挨拶をし、響は軽く手を振って遠のいてく空を見送った。


 やがて響も自宅に着く。一軒家でそれなりに立派な家だ。鍵を開けるといつも通り暗い家が響を迎え入れる。玄関の電気を付けながら乱雑に靴を脱ぐ。


「ただいま……つっても俺だけなんだが……」


 自嘲気味にそんな事を呟く。


「親父は……どうせ愛人のとこだろ。ラーメン食いに行くか」


 いつも通り居ない父親の姿に少しばかりの寂しさを感じる響。それを振り払うように乱雑に服を着替え今日の晩御飯を決めてまた出かける準備をする。




 夜の街を行く響。仕事終わりの人々で賑わう往来を横切って進む。そして目の前の交差点を右に曲がると行きつけのラーメン屋だ。


「は?」


 角を曲がった瞬間、空気が変わった。


 ジメッとした湿気を感じさせるのに、背筋を撫でる悪寒が極めて不快な空気である。


 そこは明らかに異質であった。


 見慣れたラーメン屋。いつもこの時間なら少し扉が開けば外まで響く店長の元気な挨拶が今はベルの音が響くだけだ。灯りは着いているのにも関わらずに。


 曲がって来た道を戻るも、こちらも街を行く人々の姿は無かった。


「ど、どうなってんだよ……! ?」


 静寂が包む街に響の動揺した声だけが木霊するのだった。



「ここも誰も居ない……」


 響は暫く周辺のゲームセンターやスーパーなどを探索した。だが建物の中も見回り、大声も出してみたが反応は無く人は一人も見当たらない。どうしたものかと途方に暮れる響。


「スマホは圏外だし拉致があかねぇ……空んとこ行ってみるか?」


 人が居そうな場所、尚且つ空を心配する気持ちから響は行先を決めた。そうして進路を変えようした瞬間、視界の端には信じられないものを目にする。


 ───影。


 そうとしか言えないような、真っ黒な人型のナニカ。風景写真のその場所だけ切り抜いたような異質な存在が居た。そしてその影が不思議とこちらをジッと見つめているのと感じる響。そこに目など存在しないというのに。


「あ、アアアアアッッッ!」


 目が合った───正確には響が目が合ったと感じた瞬間、突然奇声を発しながら形を変える影。ボコボコ、グチャグチャとスライムが握った手の中で形を変えるように蠢く。やがて真っ黒な人の胴体に骨に皮が張り付いただけのような細腕を六本生やし、魚のような大きな頭が着いた異様な姿に変貌する。大きく口を開けた口からは唾液とびっしり生え揃った牙を覗かせている。


 そのギョロギョロと蠢く眼に映つるのは明確な害意だという事は響は嫌でも感じた。響の背にジワリと油汗が滲む。


 底冷えするような冷たい空気。どうしようもなくうるさい鼓動と荒い呼吸。それに耐えきれないかのように響は怪物から背を向け一目散に走り出す。


「アアアアアア!」


 怪物も同じように走り出す。響が肩越しに背後を覗くと、六本の骨の腕をブラブラと忙しなく動かし追いかける異様な姿が見える。


「はぁっ! はぁっ! なんなんだよあれは……! ?」


 吐き捨てるように息を切らしながら呟く。

幸いにも走る速度は響より遅く、どんどん距離は離れていっている。


───いける! 


 そう思ったのも束の間。


「い、イアアアアァァァァ!」


 怪物が叫ぶと同時に二本の腕が伸びる。


「嘘だろ!?」


 その腕はグングン伸び、響が離した距離をものともしない。瞬く間に魔の手は響の背に迫る。


 クソ……! 


 迫る死の予感。もうダメかと思い反射的に目を閉じる。

 その瞬間、


「グギャアアア!」


 耳にしたのは怪物の悲鳴にも似た声だった。


「え?」


 目を開けてゆっくりと足を止める響。振り返るとそこには紺色の学ランのような格好に、癖のある金髪の少年が立っていた。


 右手には片刃の直刀を握っており、それには紫の血のようなものが滴っている。足元には怪物の細腕。そして視線の先には腕を切り飛ばされた怪物が悶え苦しんでる。


「うるさい『影』だな……」

「あ、あんたは……?」


 動揺する響の口からやっと出た言葉に振り返る金髪の少年。中性的な顔立ちの翡翠の瞳が響をジロリと見つめる。


「危ないから下がっていてくれ。影伐師として、そこの『影』を倒しに来た」


 そう短く述べてまた怪物に向き直る。


えいばつし……? 


 説明と思われるが聞き馴染みのない単語が理解出来ず響は余計に混乱する。聞き返そうとするがそれは『影』と呼ばれる怪物の咆哮に遮られた。『影』は四本の腕全てを伸ばし、金髪の少年を捕らえようとする。


「ハッ」


 それを小さく嘲笑い、右手に持つ直刀を二回振り抜く金髪の少年。すると瞬く間に伸ばされた腕は切り飛ばされて地面に落ちた。


「グウゥ! ガアアアァァァ!」


 為す術の無くなった『影』は特攻とばかりに大口を開けて襲いかかる。金髪の少年はそれに物怖じすること無く低く身を落とし、怪物に向けて大きく前へ踏み込んだ。


「あ、あぶねぇ!」


 喰われる…! そう思い叫ぶヒビキ。


 ズバァッ! 


 しかしそうはならず、『影』は直刀の横薙ぎにより真っ二つになった。アスファルトにドサリと落ちる二つの肉塊。それはやがて炭の如く黒く染まり、灰が風に吹かれるように消え去った。辺りには何も残らない。血も、ちぎれた腕も、何一つ。


 その光景にただただ響は唖然としているだけだ。直刀を納める金髪の少年。振り返り、響に歩み寄って告げる。


「僕は|武見《たけみ》|秋《しゅう》。『影』から人を護る影伐師だ」


 この日、響の平凡な日常は崩れ去るのだった。

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