陰に託して影を求める

陰に託して影を求める

「倶に天を戴かず」

※反転ハララさんが間違った推理をする描写があります。





 ハララはアマテラス社の休憩室に入ると、中央のソファーに腰を下ろした。

 先ほど自動販売機で購入したミネラルウォーターのキャップを開封し、口に含む。

 カナイ区においてハララ達保安部は常に命を狙われていると言っても過言ではない。大っぴらに武装集団が戦闘を仕掛けてくる、なんてことは無いが(ハララやヴィヴィアにそのような手段を用いるなんてよほど自信があるかあるいは命知らずかのどちらかだ)、口にするものに毒を入れるぐらいのことは手段的にも容易だし心理的ハードルとしても低く実行しやすい。

 故に、ハララは常に気を張っていた。フブキやデスヒコにも注意するようそれとなく伝えたりしていた。ヴィヴィアは自分でなんとかするだろうと考え特に何も言わなかったが。

 休憩室からにわかに人の気配が消えていく。触らぬ神に祟りなし、と言う言葉をよく理解しているのだろう。だからこそ、魑魅魍魎が蠢くアマテラス社の社内政治を生き延びることができたのだろうが。

 次の予定までしばらく猶予があった。とはいえ、この休憩室に長居をする予定も無いが……と思考を続けながらペットボトルのキャップを閉めると立ちあがる。

 ——そして、背後にいる人物へと言葉を吐き捨てた。

「……僕に命令を下したいのなら部長を通してからにしろと言ったはずだが? マコト=カグツチ」

 背後に居るマコト=カグツチの方を振り返ることなく口を開く。

 休憩室の入り口から、仮面越しから発せられるくぐもった声が聞こえる。

「ヤコウくん、どこにも居なかったから。……キミなら居場所を知ってるんじゃない? 保安部の中でも一番付き合いは長いんだよね?」

 わかっていて言っているのかこいつは。

 ハララは黙ったまま動かない。

「あぁ……知らないんだ。困ったなぁ。用事があるんだけど」

「何を企んでいる?」

「……あはは、嫌われちゃってるね、ボク」

 マコトはゆるゆると首を振った。

 保安部の幹部にとってアマテラス社最高責任者マコト=カグツチとは不倶戴天の敵、カナイ区の全ての闇を生み出した元凶だ。

 マコトがふらりとカナイ区に現れ、どのような手段を用いたか不明だが最高責任者の地位を得てからというもの、雨雲はカナイ区を覆い続け、ハララ達の上司であるヤコウ=フーリオはまるで——。

「……おや? フブキくん?」

「あら、あなたは確か……そうです! マコト=ナエギさん!」

「うーん……惜しいね」

「違いましたか? では……ナギト=コマエダさんでしたか?」

「おおっと、遠くなっていっちゃったね」

 マコトがフブキに声をかけたことを察し、ハララは休憩室から飛び出すとフブキを庇うように彼女とマコトの間に割り込む。

 鋭い瞳でマコトを睨みつけるハララ。一方のフブキはのほほんと穏やかな笑みを浮かべている。

「ハララさんもいらっしゃったんですね。わたくしも一呼吸つこうと思いまして」

「それは良いが……フブキ、こいつにあまり近寄るな」

「冷たいなぁ。取り付く島がないとはこのことだね」

 しょんぼりと自分で言いながら肩を落とすマコト。

 フブキはハララの言葉に「そういえば……」と人差し指を唇に当て、小首を傾げた。

「以前、みなさんが仰っていましたものね。マコトさんが全ての元凶だと」

「ええ?」

 マコトが仮面越しに驚いた声を出す。と同時に「そうだぜお嬢」と彼女を首肯する言葉が廊下に響いた。そして、その反対側の通路からはぁ……、と重いため息が響く。

 デスヒコとヴィヴィアだ。

「オイラ達だって色々調べた……お前の言動はおかしすぎるぜ、マコト=カグツチ!」

「……キミなんだよね? 鎖国を命じたのは……。それに部長の周囲を嗅ぎ回っている……何を企んでいるのかな?」

 二人とも強い敵意をマコトに向けている。

 しかしマコトはなんてことないように肩を竦めるだけだ。

「デスヒコくんもヴィヴィアくんも随分仲が良さそうだね? ずっとその調子でいてくれたらボクも嬉しいんだけど。なにせ、カナイ区のみんなを愛しているボクだからね」

 ハララは憎悪を込めた瞳で睨みつけた。

「……ふざけているのは仮面だけにしろよ」

「ふざけてなんかないよ?」

 保安部幹部とアマテラス社最高責任者が睨み合う、まさに一触即発の様子だ。

 マコトは徐にヴィヴィアに顔を向ける。

「ヤコウくんを嗅ぎ回ってるって言ってたけど、それは誤解——というか、単に心配なんだよ。

 ボクはカナイ区の新参者だから、昔の彼のことは詳しくないけど……彼、空白の一週間以前と以降じゃ、人が変わったようなんだろう? 心配なんだ、ヤコウくんだってボクの部下なわけだし」

「いけしゃあしゃあと言ってくれるじゃねーか」

「……もしかしてみんな、ボクがヤコウくんに何かしたから、彼がああなったと思っているのかな?」

 とんとん、と指先でこめかみを突きながらマコトは言葉を続ける。ハララはゆっくりと口を開いた。

「話が早いな、その通りだ」

「うーん、そっかぁ。一応、そう考えた理由を聞いても?」

「……部長の奥方があの一週間で行方不明になっている。彼女だけじゃない。他にも住人が多数、行方不明になっている」

「……まさか、ボクがヤコウくんの奥さんたちを人質にヤコウくんを脅してる……とか考えてる?」

「……」

 ハララの手札から考えれば、その結論に辿り着くのはごく自然なことだった。

 ヴィヴィアは一瞬だけ瞳を伏せたが、すぐにマコトに視線を戻す。

 マコトは驚いたように肩をすくめてみせた。

「酷いなぁ、ボクがそんなことをするように見えるかい?」

 どういう技術を使っているのか、マコトの仮面が悲しげな表情に変わる。

 デスヒコが声を張り上げた。

「言わないとわかんねーのかよ?」

「そ、そうだったのですね! 酷いです、マコトさん! 一刻も早く、みなさんを解放してください!」

 フブキもキッとマコトに鋭い視線を向けて、叫んだ。マコトは困ったなぁ、と呟きながらハララへと視線を向ける。

「ううーん……大した想像力だね、探偵さん。小説家にでもなるといいんじゃないかな」

「……僕は、保安部の人間だ」

 マコトと話していると神経が苛立つ。こちらの地雷をわざと踏みつけて反応を楽しんでいるかのように感じる。

「……仮にあなたが部長の豹変に関わっていなかったとしても、私には部長を矢面に立たせて暗躍しようとしているように見えるよ……」

 ヴィヴィアが静かに言い放った。

「何を考えてこの街に来たの? ……マコト=カグツチ」

「……ボクはカナイ区を……カナイ区に住んでいるみんなを守るためにここに来た。それだけだよ」

「そんなの、信じられ——」

「あれ? お前らこんなとこで何やってんの?」

「……部長」

 紙袋を抱えたヤコウが薄い笑みを浮かべながらこちらに歩いて来ていた。

「……ふぅん。最高責任者殿とお話し中だったか。オレはお邪魔だったかな?」

「……まさか」

 ヴィヴィアは首を振ってヤコウの元に向かう。ハララやデスヒコ、フブキもそれに続く。

 マコトは親しげにヤコウヘと手を振った。

「やぁヤコウくん、丁度良かった。探してたんだよ?」

「オレに何の用です?」

「保安部のみんなの健康診断の結果を渡さないとって思って。一応各部長からみんなに渡してもらうルールになってるみたいだから直接ハララくんたちに渡せなかったんだ」

「あらら……、最高責任者殿自らご足労をおかけしますね。こんなことも仕事に入ってるんですか?」

「担当の人がヤコウくんに渡すのを嫌がってたから、ボクが引き受けただけだけど……これを機にみんなと仲良くしてくれると嬉しいなぁ」

「……オレとしては、みなさんと仲良くさせてもらってるつもりなんですけどねぇ?」

 あはは、とお互いに笑顔を浮かべながら(マコトは仮面を被っていたが)交わされる言葉は表面上穏やかに見える。

 が、探偵でなくともさりげない仕草や言葉端にお互いを探る気配が滲んでいることがわかる。

 ハララはヤコウや皆を庇うようにマコトの前に立ち塞がる。

「もう用事は済んだだろう。さっさとどこへなりとも行け」

「ハララくんはせっかちだなぁ」

「まぁまぁ、みんな落ち着けよ。ほら、肉まんでも食うか?」

 ヤコウはハララや皆に紙袋の中身を見せる。そこにはまだ湯気を立てている肉まんが詰まっていた。ヤコウはその中の一つを取り出すと齧り、「飲み込んだ」。

「やっぱ旨いなー。オレは空白の一週間の後寝込んでたから食べられなったけど、しばらく配給は肉まんだったんだろ? こんなに旨いもん毎日食ってたなんて羨ましいよ」

 ヤコウが差し出す紙袋と上司の顔を見比べていたハララ達四人だったが、フブキが恐る恐る、というように紙袋から肉まんを取りだし、「頂きますね」とヤコウに一礼して食べ始めた。それを皮切りに、デスヒコもハララもヴィヴィアも紙袋に手を伸ばす。

 礼を言った後は無心に、本能が命じるままに肉まんを食べる、否、貪るようにしている四人。傍から見ればある種異様な光景だった。ヤコウとマコトが無言で見つめる中、ただただ、彼らは咀嚼と嚥下を繰り返している。

「……ヴィヴィアは、こういうの好んで食べるようなやつじゃなかったんですけどね。コイツはよっぽど気に入ったのかな?」

「カナイ区のみんなにとってのソウルフードだからね」

「あはは」

 ヤコウは口元に笑みを、瞳の中に嫌悪を浮かべて、もう一度肉まんを齧った。

「ああ、要ります? 余ってるんで、どうぞ?」

 マコトにも紙袋を差し出すが、マコトは笑いながら首を振った。

「遠慮するよ。どんな隠し味が入ってるかわからないしね」

「隠し味なんてありませんよ、えぇ」

 ヤコウはクツクツと笑った。

 マコトは仮面の向こうからヤコウの笑みを注意深く観察していた。


◆終◆

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