闇の呼声

闇の呼声





 インクを垂れ流したような新月の夜。まだ消灯時間では無いが、コビーは早々にベッドに潜り込んでいた。

 頭から布団を被って膝を抱え、瞼を閉じて顔をうずめる。少しでもあの人────黒ひげに抱え込まれた時の闇の心地に近付きたかった。


 だがどうにもならない寒々しさがあった。喧嘩別れ、なんて言葉がコビーの脳裏に浮かぶ。黒ひげ海賊団と共に過ごした最後の日、意地を張ったのはコビーの方だった。

 最後の日には黒ひげと二人きりで過ごすという暗黙のルールがある。それなのに、黒ひげは分厚い本に夢中になって一向に構ってくれそうにないので、「他の人のところへ行っちゃいますよ」と拗ねてみた。そうしたらどうだ、黒ひげは「好きにしろ」と宣ったのだ。

 腹に据えかねたコビーは、湧き上がる怒りに任せてラフィットの部屋へと飛び込んだ。しばらくして黒ひげが尋ねてきたが、ラフィットに抱きついたままプンスコと追い払ってしまった。その怒りっぷりに他の幹部達も宥めこそすれ本番はせず、最終的にドクQによって眠り薬を打たれて穏便に海軍へと帰された。


 あれから黒ひげ海賊団の迎えは来ないまま、幾日が経つだろう。星空を眺めて月日の経過を推し量るのも、もうやめると決めた。寂しさばかりが募って、どうしようもないからだ。

 意地なんて張らないで、追いかけてきてくれた時に謝れば良かった。そうしたらきっと、彼と愛し合った思い出が一つ増えていたはずなのに。あんな子どもじみた真似をして、呆れさせてしまったに違いない。

 もうコビーのことなど、どうでも良くなってしまったのだろうか。迎えなど来ないことが当たり前だとは解りつつも、永い牢獄に入れられてしまったかのような心地がする。

 ────会いたいよ、ティーチ。会って謝りたい。

 そんなことを願う資格も、もうきっと。

 じわ、と涙が滲んで頬を伝った。一度溢れた涙は止められず、ポロポロとこぼれ落ちては染みを作っていく。ああ嫌だ、みっともないと乱暴に拭ってみても、洟を啜るばかりで次から次へと涙が溢れてくる。

「コビー、コビー?」

 不意に、焦ったような声が鼓膜を揺らした。被っていた布団をそっと捲り上げられて、真っ暗だった視界がにわかに明るくなる。その光につられて顔を上げると、ヘルメッポが心配そうにコビーを見下ろしていた。もう消灯時間になったからと喫煙所から引き上げてきたのだろう、仄かに煙草の香りが彼からしていた。

「……大丈夫か。医務室の方が眠れるか」

 いつから泣いてたんだ、俺がついてりゃ良かった、嫌なことを思い出したのかもしれねェ、今晩は特に暗いから───そんな親友の声が、コビーの頭に響いてくる。

「あっ……違うんです、これは、その……」

 罪悪感から慌てて訂正したものの、殊の外優しい言葉が心に沁みてしまってまた視界が滲んでいく。これ以上涙を流すまいとキュッと唇を引き結んで堪えるが、しゃくりあげてしまって、涙を止めることができない。

「…………」

 そんなコビーにヘルメッポは何も言わず、そのままベッドの縁に腰をかけた。黙り込んで、その横顔はどこか遠くを眺めている。

「ヘ、ルメッポ、さん?」

「寝るまでここにいる。一人にはさせねェよ」

「そんな、そこまでしなくても」

「……お前、一人でいる時よく星を見てるだろ」

 ぎくり。コビーは内心冷や汗をかいた。まさか知られていたとは。思わず視線を彷徨わせる。

「そう、かな」

「自覚無いかもしれねェが、そうなんだ。話しかけようとしたら、大体上見てんだよ」

「…………」

「きっと癖になっちまってんだって、思うとよォ……俺ァ……」

 今度はヘルメッポが顔を覆う番だった。

 彼はコビーが月日の経過を星で読んでいることを知っていた。しかしながらそれは、何日海軍に身を置けているか、攫われずにいられているかを確かめる姿に映っていたようだ。

 夜空を見上げているコビーを見て、囚われたままの心を想ってくれていたのだろう。ヒタヒタと迫りくる闇に怯えているのではないかと気にかけてくれていたのだ。……実際は焦がれていたのだが。彼がそばに居るという行動を選び取ったのも、お前は確かに海軍に帰ってきたのだとコビーを安心させたいがために違いなかった。

 ヘルメッポは項垂れたまま、うめくように言葉を続ける。

「もう二度と攫わせやしねェ。いつも守りきれなくて悪ィな、コビー……」

 何気ない行動のつもりが、こうも彼を苦しませてしまっていたとは。コビーはたまらず布団から出て、ヘルメッポの隣に腰をかけて肩に頭突きした。うお、と間抜けな声がヘルメッポからあがる。せめて親しげな仕草で、彼の嘆きを取り払いたかった。

 やはり縁の終わりをここで受け入れよう。元から許される恋ではなかったのだから、愚かなことをしたと忘れてしまうのが善い。海兵としても、相棒のためにも。

 コビーは苦しげに瞼を下す。

「ううん。僕ももっと強くなるし、もう空なんて見ないよ。見ないから……」

 話しながら、涙がほろりとまた頬を伝っていく。その雫を誤魔化すように、コビーはヘルメッポの肩に顔を埋めた。

「でも今だけは……ごめん」




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