閑話。あるいは。
これは怪談ではない。誰かに語る話でもない。自分が抱いた疑問を解決するためだけの、ただの会話。ただの記録。
それだけのもの。
ただ深淵を覗き込みかけてしまった。それだけの。
「先生に誘導された」ユウカちゃんがアネモネ学院跡へ向かう道中、わざと私は先生と二人きりになった。
確認したいことがあったから。
一度は棚上げした疑問。違和感。
怪談、怪異譚。先生がそういう類に詳しいとは、今まで全く知らなかった。それを確かめたくて。
「とてもよくご存知なんですね?こういった事象を」
”詳しいって程じゃないけどね。昔取った杵柄だよ”
先生が、こういったことに対して知識があるというなら辻褄の合わない、と。そう感じた出来事があった。
少し前に起きた百鬼夜行灯籠祭での事件。それに端を発する、『クロカゲ』との大規模戦闘。
シャーレに所属する全ての生徒が駆り出される、シャーレの全力を挙げたそうりき......総力戦にまで至った事態。
総力戦、それが起きること自体は珍しく無い。定期的に理解が及ばない勢力が平然とポップするのがキヴォトスだから。
しかし、『クロカゲ』に関しては。
あれも『かいだん』を元に発生したものだと耳に挟んだことがある。
それならば、なぜ先生は対処出来なかったのか?
ユウカちゃんに起きた事象に、そしておそらくコユキちゃんの身に起きていた事象についても見通した程の知識があって。
いえ、対処出来ないこと自体はおかしいことではない。私が言えた義理ではないけれど、時に予測を上回る出来事が発生して対応が後手に回る、なんてことは(あまり好ましくはないけれど)どうしても頻発する。
だから肝心なのは、何故。
なぜ先生は総力戦が起こる程に後手に回ったのか。
外的要因?それもある。
事件を引き起こした者の思惑や悪意?それもある。
しかし諸々の理由を差し引いて、先生自身にも理由はあったのではないだろうか。
……理由と表現するには少し毛色が違う。
原因、もしくはやむを得ない訳。こちらの言葉であれば、多少は的を得た表現になったような。そんな気がする。
違和感があった。
先生はある時期から常に体調が悪そうであったことに。
そして、体調が悪く見え始めた時期は燈籠祭の直前であったことに。
その時期に、ミレニアムに数ある部活の中でも特にユニークな。「特異現象捜査部」がとある場所のとある神社に、ドローンを飛ばしていたことに。
普段は特異現象捜査部の活動は公にされていないし、セミナーから干渉するにも制限がかかる。
しかし、そうはいってもミレニアム自治区外へドローンを飛ばすには流石に申請が必要だった。
普通であれば何十という申請の果てに許可が降りるが、それをたった一枚の簡単な申請書で通せるのはさすがと言ったところだけど。
申請書は至ってシンプルな物。ドローンの内容物の記載だけ。そこに記されていたのは。
お札と。純銀製のハンドガン。あの時には気にも止めなかったけれど、今思えば。
・・・・・ ・・・・・
あまりにも、それっぽい。露骨過ぎる程に。
その日を境に見える、先生の様子の変化。物忘れの悪い私だからこそ気づけた違い。
今までは過労かと。生徒達に気付かれないように誤魔化そうとまでしていたので敢えて触れずにいた事柄。
しかし、不可解な現象を目の当たりにした今日、一つの可能性に思い至った。
先生はずっと。「ああいった出来事」による「何か」の影響を受け続けているのではないかと。
それは、著しく先生の身体を蝕んでい
る。
どれ程のものかは推測になってしまうが。仮にも事件の収束に際して十全に力を発揮できない程度には深く。
そして周囲に。生徒達に悟らせないように、隠している。
それが、私の抱いた確信。
「先生。ここ最近、体調を崩されてはいませんか?
”......まあ年末ってのもあって色々忙しいから──”
「──シャーレからミレニアムまで。いえ、その大半はタクシーでの移動ですから。ミレニアムの建物入り口から執務室まで。急いでいたとはいえその移動は息を切らす程でしょうか?」
「階段を使用しましたか?
いいえ、いたずらに階段で移動するよりEVを使用した方が結果的にユウカちゃんまで迅速にたどり着きます。
あの状況で、より遅い手段を選ぶ必要が有りません」
「ユウカちゃんも私も、お世辞にも体力があるとは言えないですが。
それでも流石にその程度では体力切れは起きませんから、先生なら尚更だと思います。本来であれば」
「普段から誰かと会話する機会の多い先生が、あの量の解説程度で息が上がるのでしょうか?」
「十月頃から呼吸回数が増加傾向にあります。平均して10%程ですね。
それに伴い、鼻から息を吸った後、追加で口から空気を吸う。そんな癖が増えた自覚はありませんか?」
「最近は化粧にご執心のようですが。青ざめた顔色をファンデーションとコンシーラーで隠しても、唇の血色までには気が回らなかったようですね。それか、見慣れすぎて見落としてしまっていたのでしょうか?......こちらも二ヶ月ほど前からでしょうか」
「──セミナーの暖房は、お体にあいませんでしたか?いつまでもネックウォーマーを外さずにおられましたけど」
僅かな運動による息切れ。
呼吸回数の増加。
青ざめた顔色に、むらさき色の唇。
医学知識に乏しい私でも分かる。
いわゆる酸欠、酸素欠乏による症状の代表例だと。
専門家であれば更に詳しく分析が可能だと思うけれど私の知識ではこれが限界。それでも、先生を紐解いていくには十分。
ゆっくりと、右手で先生の首元を指差し。
首元を温めるそれは、しかし単純かつ別の目的も容易に果たすためのもの。
即ち。首元を、首を、隠す。その目的。
”......私、そんなに分かりやすかった?”
観念したかのように、先生が首元のネックウォーマーを外し。
そこに見えるものに対して、思わず息を呑む。
みちみち。ぎちぎち。
そんな擬音が耳に届くかと錯覚するほど。
絞め付けられている。
絞め付けられ続けている。
びっしりと、うろこの跡が先生の首へ浮かび上がるぐらいに強く。
そこにあるなにかは、先生の首を締め続けている。
「......先生。それは」
何かを言おうと。けれど、明確に意味を持つ言葉を形成する前に解けてしまい。
結局は、先生の言葉を待つだけになった。
”蛇だよ。......ノアの言う通り、十月頃かな。今回みたく生徒が怪異に行き遭ってね。それをどうにかしに行ったんだけど、途中で私がトチっちゃってさ”
”色々あって、私の依代をおいていくことで事なきを得たんだ。けど代償に、次は私が蛇に絞め上げられることになってね”
ま、呑まれるよりはマシだよ。溶けないからね。
そう言って先生は微笑む。首に見える絞め跡をまるで意に返していないかのように。
「......その場にいなかった私に何かを言う権利が無いのは承知しています。その上で言わせて下さい。
「それ」は、他の人が肩代わり出来ないものなのですか?だって......あまりにも」
例えばユウカちゃんが。コユキちゃんが。もしこの有様になっていて苦しい思いをしていたなら。
他の誰かが変わってくれないだろうか。勿論知人友人でなければ良いという意味では絶対に無いが、それでも反射的にそう考えてしまう。
それほどまでに痛々しい。
だってこれは、延々と拷問を受けているようなものだ。
少し喉を抑えてみれば分かる。軽くやるだけでも息苦しい。
それを、あの強度で。
いっそ私が。
憎からず思っている人の苦しみを軽減できるなら。全ては無理かもしれないけれど。その一部分でも。
そう考えての発言は、先生の言葉に遮られて消えていく。
”ありがとう。でもそれは出来ない。これは私だからこの程度で済んでるんだ。肩代わりなんてしたら本当に死んでしまう”
「それは先生が「先生」だからですか?」
当番であるとか。シャーレであるとか。そういう事ではなく。もっと。
それとも私では、生徒では先生を助けることは出来ないのでしょうか?
そう思っての言葉は、予想外の角度から弾かれた。
”違くはない、けど。根本的な理由はそれじゃない。私が先生だからと言うより、『みんなが生徒だから』。表現としてはこちらの方が正しい”
”生徒達とは相性が良すぎる、いや、悪すぎるんだよ”
”反面、私は良くもなく悪くもなく。フラットって感じかな”
相性、とは。何と何の。
先生は多分、意図的に言及を伏せた。片方は生徒だろう。文脈から察するにそこは間違いない。ならもう片方は?
先生の話していた蛇?いや、恐らく──。
そこに気づいて良いのだろうか。気付いてしまって大丈夫なのだろうか。
不意に。先程の「うらきり太郎」の解説が脳裏にひらめく。
まずい。この考えに至るべきではなかった。そう思っても、思考が止まらない。
誇張されようと、変質しようと。
本質からは逃れられない。テクスチャを貼り替えたところで。骨子は変わらない。
それは。「うらきり太郎」に限っての話ではなかったのでは?もっと大きな括りで。
カテゴリで定義するなら。
生徒の本質とは。
───の本質とは。
”──ノア!”
先生の一声で、不意に思考から引きずり戻される。
私は今、一体何を。
ひらめきが言語化される前に、引き戻されたことに安堵する。忘れることがニガテな私は、一度形にしてしまえば考えずには居られなくなってしまうだろうから。
浅くなっていた呼吸を整えるために、深呼吸を意識して行う。肺に冷たい空気が満ちる。酸素が体中を巡っていき、思考が冴えていく。
”改めて、気遣ってくれてありがとう。でも大丈夫。これは私の担当すべき事柄だから。むしろ、ノアにはアドバイスを貰えたら助かるかな”
先程までの雰囲気を壊すため、と言わんばかりに先生が明るい口調で話しかけてくれる。
未だに絞め付け跡が残る首筋はそのまま。
けれど私には、もう肩代わりを提案することは出来ない。
覗いてはいけない。そういう物に触れてしまいそうで。
「......アドバイスですか?ええ、任せて下さい」
化粧品であったり、十月以前の先生の様子に近づけるための。
それだけなら多分、大丈夫。きっとそれは、私が適任だろうから。
”じゃあ、そろそろユウカとコユキも合流できてる頃合いだと思うから。私達も向かおうか”
ネックウォーマーを先生が付け直す。もう首の絞め跡は隠れてしまい、そこに立つのはいつも通りの先生の姿。
そうして私達は、ユウカちゃんとコユキちゃんの元へと戻る。
答えは得た。収穫はあった。
同時に手放した。
ここが、きっと。
私にとっての分水嶺。帰還不能地点。
そしては私は、引き返すことを選んだ。
閑話休題。