長く会っていない人は最初に声を忘れられるらしい

長く会っていない人は最初に声を忘れられるらしい


夢を見ていた。柵もゴールもないだだっ広い草原を、誰かと2人で走る夢。現実より低い視点の僕は併走相手を「お父さん」と呼んでいて、どの角度から見ても逆光で顔の見えない『お父さん』は走り疲れた僕を抱き締めて「よく頑張ったね」「凄いぞ」と言う。その声は耳慣れない、けど確かに聞き覚えのある声で───


「う、うぅ」


体が熱い。頭がぼうっとして、浮いているような感じがする。


「おと……さん……?」

「起こしちゃった?ごめんコンちゃん、今氷枕変えたコントからそのまま寝てていいよ」


重い瞼をどうにか持ち上げると、片手に氷嚢を持って心配そうな顔をしているエピ先輩が見えた。


「……おはようございます」

「まだ夜中の2時前だけどね?」



水を飲んで多少すっきりした頭で、そういえば自分は熱を出していたなと思い出す。伝染するものではなかったようだが、診察と看病のためにエピ先輩が子供のG1観戦へ出発するのを大きく遅らせてしまっていた。


──朝になったらキズナが……見に来るけど、内線も受話……ったらあいつの部屋に繋がるようにしてあるから。何かあったらすぐ〜〜

──解……小棚に置いて……くなったらキズナに飲ませ〜〜


何か大事な話をされているのに、熱っぽい頭は勝手に思考をよそに飛ばしていく。夢の中で聞いた『お父さん』の声、あれは誰のものだっけ。

今にも叫びそうなほどの昂りをどうにか抑えているような耳慣れない声色、だけど身近に覚えのあるような声。いつかレースの後に聞いた気がするが、それなら少なくとも僕のお父さんのじゃない。あのヒトは、僕が初めてレースに出た頃にはいなくなっていたし。つまりは他の誰かの……


「じゃあ、そろそろ時間だから。ちゃんと看られなくてごめんね、行ってきま「あっ…!?」」


素っ頓狂な声が出た。エピ先輩、G1、レース後。一本に繋がった紐が記憶の奥底からあの声を引きずり出してきて、つまり。

僕は、彼に『お父さん』を求めていたのだ。


「コンちゃん?……どうかした?コンちゃん?どこか痛い?」

「あ、えと、その」 「行か、ない、で……?」


こっちは病人なんだぞとゴリ押し、さらに普段僕の方が世話をしている負い目にまでつけ込んだ押し問答の末、エピ先輩はまだベッドの横で僕の手を握っている。先ほどまではチラチラと時計に目を遣っていたが、もう間に合わない時間になってしまったようでその手は汗ばみ視線は所在なさげに宙を泳いでいた。


「ねえ、ちょっとだけ離れていいかな、今日は見に行けないって連絡するだけだから……」

「……いや」

「じゃあlane送るのにスマホだけ持ってこさせて……」

「だから嫌」


いつも散々『よく考えて誤解を招くような言動は慎むこと』『僕以外の人間関係も作っておいた方がいい』だとか言っておきながら、応援しにいく約束を破らせその謝罪すらさせずに束縛して。冷静な自分が感じる罪悪感以上にエピ先輩が、あの愛情深い父親が実の子供より僕を優先した事実で茹だった脳細胞から快楽物質が止まらない。


「……ねえ、エピさん」

こうなったら、全て熱のせいにして。

「頭、撫でて」

行けるだけ、行ってしまおうか。

「それで、エフくんにしてたみたいに、凄いぞ、僕が一番だぞって、言ってください」



「コン、ちゃん……コンちゃんは、凄いよ」

優しくも動揺を隠し切れていない声。こめられた感情こそ違っても、その声は『お父さん』のそれそのもので、夢と違って本当に体に触れられている実感も合わさって胸の奥にあった隙間が生温かくてドロドロとしたもので埋まっていく。


「もっと」 「テレスとタクトにしたみたいにぎゅってして、よく頑張ったなって褒めて」

「うん、うん……ずっと頑張ってたよね、コンちゃんは。一人にしてごめんね……」


えへ、えへへへへ。

体中が温かくて嬉しくて、笑い声と涙が勝手に溢れてきて、人には見せられない顔をしているのが自分で分かる。

ちゃんと布団被って寝なきゃと心配する声を無視して、エピさんを抱き返していた手に更に力をこめ、肩口に頭を擦り付ける。

ああ、このまま一つになれればいいのに。

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