鏡像の葬列
長く伸ばした髪というのに、まぁ拘りがあったことはあった。人が寝てると思ってそれを梳かす指も、それほど嫌いではなかった。
けれど短い髪の楽さを思えばもう別に伸ばさなくていいなと思うし、髪を長くすることに感傷やらなんやらがあるわけでもない。
あるとすれば、あの時切った髪にだろう。
「オマエの死んだ父親にくれてやったんや」
長い髪をどうして切ったのかと聞いてきた娘にそう答えたら、目を真ん丸にした後いかにも混乱していますという顔をした。
それはそうだろう。明らかに言葉足らずだし、既に血の繋がった父が誰か知っている娘からしたら混乱しかないはずだ。なにせあの男は文字通り殺しても死なないのだし。
「えっ、アタシの父親って藍染惣右介ちゃうの?」
「そうやけど」
「じゃあなんで死んどんの?ピンピンしとるやん!」
「藍染惣右介に殺された藍染惣右介にやったんや」
「は?」
シンプルに怪訝な声を出すものだから思わず笑ってしまった。文章にすると自分でも意味がわからないのだから仕方がない。
それでもそれなりに意味はあるのだ。娘が聞いて納得できるかはわからないが、個人的な感傷というか区切りというか、言語化しづらいなにかが。
「オマエを作った相手は俺の副官の藍染惣右介でな」
「うん」
「ほんでそれを殺したんも藍染惣右介や」
「それがなんもわからんねん」
「簡単な話、俺は嘘と子供作ったってことや」
そこにあったのが全部嘘かどうかは今になってみてもなにもわからないが、俺はそういうことにした。
なにもかも嘘で出来たあの男は確かにあの夜まで俺の傍らにいて、そしてあの夜に藍染の手によって粉々に砕け散ったのだ。
あの男の瞳の奥に産まれかけの情のようなものがあるのに気づいていないわけではなかった。ただそれを育ててやる気もなかったし、完膚なきまでに叩き壊してやる義理もなかった。
それでもあの男がなにもかもを投げ出して俺だけ欲しいと願うなら、応えてやってもいいと思う程度にはひどい女ではなかったつもりだ。得体のしれない野望や暗躍やらを全て投げ捨てて俺だけを選んだのなら、ごく普通の男と女のように愛してやったってよかったのだ。
まぁそんなことは思っていた通りなかったわけだし、藍染惣右介という男がそんな選択をするわけもないとは思う。なんなら言ったところで鼻で笑うまであるだろう。
俺だってあくまでそれをしてやってもいいと思っていたのは副官の惣右介であって、手酷く裏切ってズタボロにしてくれやがったクソ野郎の藍染ではない。
「名前が一緒やからわかりづらいんや。例えばアイツの本名が田中田吾作やとするやん」
「名前ダッサイなァ」
「俺が子供作ったんは田吾作が作った嘘で出来た藍染惣右介で、田吾作やないみたいな話や」
「わかる気ィするけど田吾作がノイズやわ」
アイツの斬魄刀に因むわけではないが、鏡に映った男と子供を作った女が誰にも省みられない割れた鏡に手向けてやっただけの話だ。
粉々の破片が二度とものを映さないように、ほんの少しだけ情を交わした男はあの夜に藍染惣右介の手によって殺されてしまった。その弔いと言うわけでもないが、死んだ惣右介に切った髪をやったのだ。
「墓も葬式もない可哀想な副官には、丁度ええ手向けやろ」
納得がいくようないかないような、味のよくわからない食べ物でも食べたような顔をする娘はいまいちよくわかっていないのかもしれない。
別にそれで構わない。理解できないなら理解できないで、なんかそういう儀式みたいなものかと思っておいてくれればいい。実際そんなものだ。
「……その副官はアレよりええ男やった?」
「そうやなァ……なんでもできるみたいな面しといて、そこまで女慣れしてないんはちょっと可愛らしかったな」
「ふぅん……そう言うのが好みならアレは好みちゃうな、いかにも女慣れしてますって顔しとるもん」
「せやろ?」
娘は父親の顔をほとんど見ていない。この場合の父親は副官だった惣右介の方だ。隊長をしていた時はあの顔をしていたそうだが、旅禍として突撃した時には顔をつき合わせる機会は幸いなかったらしい。
帰ってきた娘に色々聞き出したが、あの時点の娘からしたら友達を酷い目にあわせてなんか偉そうなこと言って眼鏡を叩き割ったやつだった。今思い出すと中々笑える。
「ま、嘘つき通すんも甲斐性っちゅう話や」
「そんなもんなん?」
「バレた時点で甲斐性なしのクソ男やけどな」
「つかん方がええんやない?」
「せやで、せやから正直もんのええ男選びや」
そうしないと俺のように、最初からいもしない男の名残を感じる羽目になる。まったく仕事ばかり優秀で教え上手なあの男には腹が立つというものだ。
後はそう、子供を産んでしまえばそこに父親の姿を見ることにもなる。でもそれはそこまで悪いことでもない。少なくとも今はそう思っている。
癖のある髪をくしゃりと撫でてやると、娘は不思議そうな顔をする。薄れた記憶の中にいる鏡像の男はずっと可愛げのない顔だったと、鏡の破片が笑った気がした。