鎖を結ぶ

鎖を結ぶ


⚠️DLC前編で主人公にゲットされたイイネイヌが、DLC番外編モモワロウ戦に繰り出されるお話

⚠️トレーナーは無自覚だが人の心がない

⚠️淡々と長々とイイネイヌを曇らせる文章が続きます。本命のVSモモワロウまで長いですがそれでもよければ…

⚠️ポケモンが喋ります

⚠️クソデカ感情がぶつかり合うバトルとか、ゴーストらしく愛が重くて闇を感じるモモワロウも書きたかったので入れました。激しかったら申し訳ない

⚠️純情イイネイヌ目線からだとハピエンではありません。ご注意を!

⚠️主観で物語を再解釈して書いたのでワンクッション



……………………………………………


俺はどう云うわけか現世に蘇った。

両隣には旅路を共にし、絆を結んだ同胞が揃っていた。

俺たちが守りきれなかった主人は、そこには居なかった。

互いに顔を見合わした俺たちは、使命を果たす為に目覚めたのだと理解した。

「主人の亡骸を探し出し、仇を討つこと」それが出来なくとも「輝く仮面を主人に捧げること」を胸に決意を固める。

悪い意味で思い出深いキタカミの地を駆け、主人を傷つけた因縁の鬼を探し出した。

いくら問い詰めても鬼は「知らない」の一点張り、三匹がかりで迫っても埒があかずに頭を抱えた。

難航とはまさにこの事。だがよく考えたら…ここまではまだ、良い波だったのかもしれない。

ここからが最悪なのだ。

そこに首を突っ込んできた人間…

こいつが俺たちの前に現れてから、何もかもが滅茶苦茶だ。


…時は流れて、俺はその人間の家来…いや、支配下に置かれていた。

「頑張れイイネイヌ!ドレインパンチだ!」

威勢のいい声に応えて拳を振るう。

もちろん本意ではない。

ちくしょう、誰が素知らぬ人間如きに従ってやるものか!と、正直ずっとそう思っている。俺の力があれば、こんな人間の骨なんざ一撃で砕けるというに。

何故反抗せずにいるのかというと…俺がこいつに捕獲された時すでに、マシマシラとキチキギスが捕まっていたからだ。

こいつが従えているポケモンは軒並み強かったと、口を揃えてそう言っていた。

俺たちは鍛え上げられたその強さに為す術もなく…薄れゆく意識の中で、主の顔をまぼろしに見ながら、片手に握られたへんちくりんな玉におさめられた。


忘れもしない、こいつの所業。

里に降りたら訳も分からぬまま歓迎を受け、里の民から餅と仮面を捧げられて… 真っ先に思い浮かんだのは、大事な大事な「坊っちゃん」の姿だった。

餅を口に入れた時、胸がざわついたのを覚えている。

ひとたび食べれば力が湧き上がる感覚、それがあの時の記憶に重なった。

坊っちゃんは…弱くて今にも野垂れ死にそうだった俺を救ってくれた。不安そうな顔は、「ぜひお礼がしたい」とか、「命の恩人なんだから何でもしてあげたい」とかなんとか、とにかく俺の善の心を余計に掻き立てた。俺に施しをくれる優しさは誰から言わせても、心からの愛情によるものだったと思う。あの餅によく似た形をしていたものだから… お面を手に入れて喜んでいた坊っちゃんの笑顔を、最期に守れなかった自分の無念が鮮明に蘇る。

無性に腹が立って、力がさらに増幅されたようだった。全員命火を絶ったというのに、坊っちゃんの大切な家族も、おそらく坊っちゃん自身も死んでいるだろうに、今更なんだというのか。そう考えるとさらに腹が立って、俺はどうしようもなく力を滾らせるばかりだった。

そんな時だった。

「あいつ仮面持ってる!しかも大きくなって…!」

最初にマシマシラを倒したやつだ。

後ろにあの鬼と、もう一人のポケモンを従えた人間まで味方につけやがって…

仮面と餅で記憶を思い出し、やり場のない苛立ちで頭がいっぱいだった俺は、憂さ晴らしをするつもりで迎え撃つ。

マシマシラよりも腕っ節の強い俺なら。今の俺なら余裕で勝てると思っていた。

しかし俺は…それはもう情けなく、あっさりと敗けた。せっかく手に入れた仮面も奪われてしまった。

お面を抱いて笑顔を浮かべる鬼が視界に入って、顬の辺りが痛くなる。

あれが坊っちゃんだったら、坊っちゃんが持ち帰った仮面を手にした老夫婦だったら。そうして愛を手に入れた坊っちゃんの笑顔だったとしたら、どんなに良かったことか。


体力が尽きても俺は、坊っちゃんの亡骸を…坊っちゃんが籠った殻を自分のものにしたくて、倒されてからもその地で坊っちゃんを探し続けていた。


「イイネイヌだ!捕まえちゃえ!」

それからしばらく経ったあと、あのにっくき人間は俺に挑みかかってきた。

俺は、無関係な人間を襲おうなどとは微塵も思っていなかった。だからこそ人里離れた場所で…俺はただ、かつて坊っちゃんと歩いた平原を見て回っていただけだったのに。心の底からうんざりしていた俺は、気乗りしない中で応戦する。

俺だって一方的に倒されるほどやわな生き方はしていないからだ、俺は坊っちゃんを見つけるまでは死ねないからだ…!

必死の抵抗をしたが、結果は見ての通り無惨な結果に終わった。


ああ、思い出すのも馬鹿馬鹿しい、嘘のような本当の話だ。単に負けるだけならまだよかったと、そう思わせるほどには。


あろうことかそいつは、俺相手にマシマシラとキチキギスを出して戦わせてきやがった。


…嘘だろ、と。


何か特別な餅や食い物を食わされて増したであろう恐ろしい威力で、サイコショックとエアスラッシュが俺に降り注ぐ。

マシマシラとキチキギスは何を思うか、苦悶に顔を歪める俺には読み取れなかったが…少なくとも、信頼の深い仲間に手をあげるなど不本意なんだ、許せ、どうか許してくれと、その物悲しさに満ちた目が訴えていた。二匹の実力は俺も…坊っちゃんもすごく頼りにしていたし、あいつらならば勝ってくれると思っていたのも事実。

それ故に俺は「この非道な人間には逆らえない」と悟りつつ、意識を失いながら悪趣味な玉にねじ込められるのだった。


こいつに負けると、使い勝手のいい手駒にされる。

…と、俺たち三匹のお供は学んだ。

今でもこいつは呑気にぴくにっくだとか阿呆面しているが、俺は一時たりともこいつの手の内から逃げ出す機会を伺うのをやめた事はなかった。俺はこいつが、俺たちから奪った仮面を保管していることも知っている。鬼のやつに持たせて戦わせているのを見逃すわけがない。俺はいつかその仮面を持って仲間と逃げ出して、使命を果たせなかった坊っちゃんに献上すると誓っていた。


知らない土地に出向いては、俺を先発で出す人間。野生のポケモンやポケモンを従えた人間と力くらべを交わすのがこの人間の日常らしい。

坊っちゃんのおかげで強い力を持っていた俺は、意識をせずとも力くらべには易々と勝てるようになっていった。こいつに鍛えられたところで何一つ嬉しくはないが、俺は蘇った当時に比べて何倍にも強くなっていた。アメのような食い物をしこたま食わされてからというもの、力が滾って仕方がない。

これがあの餅で得た力であったなら、どんなに光栄だったのだろうか。この力を坊っちゃんに見せられていたなら…。

微塵も信頼も置いていない奴から食わされたアメで得た経験など、まっさらにして無かったことにしたいと思うほどに、この身はあいつに作られた空虚な体へと変わっていった。


ボール、と呼ばれる玉から繰り出されるたび、俺は視界の中に坊っちゃんを探すのが常だった。もちろん、真新しい景色の中で坊っちゃんが見つかることはなかった。それが当たり前だとわかっているのに、俺は探すのをやめられず、未練を引きずりながら戦闘に駆り出される。

生き延びてくれているのか、死んでいるのか、俺にはわからないが… この首に結ばれた鎖だけが、坊っちゃんとの繋がりを感じさせてくれる御守りだ。

生きているのならどうかもう一度会いたい。

もう一度会って話がしたい、その小さな体で受けた傷を労わってやりたい、積もりに積もった俺の胸の内を伝えたい、聞いてほしい。

戦いの際に毒の鎖に触れるたびに、坊っちゃんの存在を願う気持ちは強くなっていく。もしかしたら…毒の鎖がまだ力を持っているうちは、坊っちゃんが生きているのではないかという、強かな希望を胸に抱いて。そうでもしていなければ俺は、頑として動かない生ける屍となっているだろう。

毒の鎖で増幅された力こそが、俺が坊っちゃんから頂いた大切な宝物。

この輝きが消えぬうちは、俺の中で坊っちゃんは息をしている。願望でしかないのは承知の上だが、確信ということにしておく。未練と、屈辱と、寂しさとごっちゃになった感情に振り回され続けて、俺はいよいよどうにかなりそうだった。


それからというもの。この人間に使役され、戦わされる日々が何度も続いた。

何度も、何度も、何度も…

「ゆけっ!イイネイヌ!」

もう聞き飽きた。

耳障りで憎い、人間の声。

いつも通りの戦闘が始まる。

いいかげん坊っちゃんを探すのも無駄な事だと気づき始めて、寝ぼけたままボールから出る俺。

今回も適当に殴っておきゃ勝てるんだろ…分かってる。殴ればいいんだろ。

「イイネイヌ!メタルクロー!」


拳を振りあげた、その時だった。


並のポケモンの何倍も利く俺の耳が、

鼻が、あらゆる器官が、

その相手を捉えてしまった。


「 モ モ ワ ロ ウ ! 」


……………………………………………


俺は夢を見ている。

本気でそう思った。

死んだはずの坊っちゃんが目の前に居る…!

何度も己の手と目の前のポケモンを見返して、見間違いでないことを確かめる。

空を切った俺の拳には、まったく力が入っていなかった。

それもそのはず、あれだけ執念を持って探し続けていた本命の御方だからだ。

大切な宝物に手を出すなどできないと脊椎が判断して、俺の全身の力を散らせていた。

俺の命の恩人と、ともっこを束ねていた要と、やっと…やっとの思いで、再会を果たすことができた。

やっと会えた、坊っちゃんに!

寂しがりで臆病な坊っちゃんは、俺たちともっこに会えるのを心待ちにしていたに違いない。こうして生きているということは、俺たちが死んでからは悠久の時を眠っていたのだろうか。いったい何年の時をひとりで過ごし、待っていてくれたのだろうか。

…そんなことはどうでも良くて。

俺はただ記憶の中の坊っちゃんがいつもそうしたように近くに体を寄せて、その小さな体に安らぎを与えるために抱きしめてやりたかった。


「…イイネイヌ… イイネイヌなの…?」

鈴を鳴らすような愛らしい声。

間違いない、坊っちゃんの声だ。

俺は腕を広げて静かに待つ。そうすると坊っちゃんは、俺の胸に飛び込んできて笑顔を浮かべるのが常だったから。


久しい再会に坊っちゃんも驚いているのか「なんで…」とこぼしながら、わなわなと拳と小さな口を震わせている。


ああ、坊っちゃん。

会いたかった。


そう呟くと、坊っちゃんもこちらを向いて口を開いた。



「この…う ら ぎ り も の ー !!」

(モゲゲッ!モゲーッ!)



予想外の言葉に目を見開く。

一瞬にして背筋が凍る。落雷で木々に亀裂が走っていくような、そんな心地がした。

坊っちゃんは…俺たちと旅をしていた時にも見せなかった剣幕で、怒りをあらわにしていた。

坊っちゃんとはかなり体格差があるのだが、大きく強靭な肉体を授けてもらった俺でさえ…恐ろしい、と思った。

俺たちと一緒にいる時は常にほんわかとした笑顔でいたから、あれほど吊り上がって切れ長になるほどに歪められた目は見たことがなかった。ゼェゼェ息を荒らげて、目からはボロボロと大粒の涙が零れ落ちている。

坊っちゃん自身も整理できない感情が溢れ出しているようで、俺が手を差し伸べたところでどうにかできるような状況ではない。俺は固まってしまって、かける言葉もすぐには出てこなかった。


人間は攻撃を外した俺に、何度もメタルクローの指示をしやがる。

そんなに活き活きと命令してくれるな、と本気で胸が痛んだ。

やめてくれ。戦いたくない。

そんな事したくないんだ。

そう思った時にはもう、遅かった。


「坊っちゃん…!違うんだ、これは…」

「うるさい、うるさい、うるさい…!!イイネイヌ!なんでしらない人間のみかたしてるの!?」

「何で、って」

「イイネイヌはモモのけらいでしょ!?なんでそっちにいるの!!さいしょに会ったときから、けらいになって…ずっとお供してくれるって約束したのに!!

…モモは、イイネイヌたちのことずっと信じて、…っ…ずっと信じてまってたのに…それなのになんで、モモのこときずつけようとするの…ねえ、なんで!!…ふざけないでよ、イイネイヌ…!!」


怒りのままに振り回された邪毒の鎖が重苦しく軋んで俺の体に叩きつけられる。俺は立ち尽くしてそれを受け止めた。


〝家来になると約束したのに〟

〝ずっと信じて待ってたのに〟

〝裏切り者〟

…坊っちゃんの言う通りだ。ご最もだ。俺は人間に力で負けて支配されていた。

坊っちゃんは俺の事を信じて長い時を待っていたというのに、俺が今したことといえば何だ。

出会い頭に拳を振り上げて、坊っちゃんの嫌う鋼をまとわせた斬撃を喰らわせようとしていただろう。

家来にそんな事をされて、怒らない主がいるわけが無い。

これは謀反だ。

仲間のことを心から信じていた主にとって最も恐るべき、許されざる行為だ。

落ち着いてその事実を受け止めた俺はもう、この場から消えてしまいたかった。

「モモにひどいことするイイネイヌなんてきらい!だいっっきらいだもん!!」

眠りから覚めた意識の中、坊っちゃんは自分の知るちいさな知識から掻き集めたありったけの言葉で、罵詈雑言を俺に浴びせている。

「…イイネイヌの、おおうつけ…!!モモのけらいじゃなかったの…? なんで、モモじゃないやつの言うこときくの…なんで、なんで、なんで!!」

俺が自分以外に従えられていることに対して、坊っちゃんは怒り心頭だった。

そう言われても仕方がなかった。

俺はこんな人間ごときに屈さない。俺はこの身が朽ちるまで、坊っちゃんの一の家来以外の何者にもなるつもりはない。

なのに逆らえないと信じて従うことに慣れるなど…この体たらくは何だ。

もう返す言葉もなかった。

弁明すればするほど、坊っちゃんは俺のことを簡単に寝返る家来だと思うだろう。とっくに嫌われている。すでに手遅れなのだが、俺の中の意地汚い願望が、これ以上嫌われたくないと必死に声を上げていた。

だからこそ、俺も自分を信じてもらおうと反論する。


「俺の話を聞いてくれ、坊っちゃん!俺はこの人間に捕まってんだ!坊っちゃんのことは傷つけたくない…!」

「しらないもん!イイネイヌのうそつき!!モモのけらいなら、そんな人間につかまっても言うことなんか聞かないでしょ!!」

「本当なんだ!信じてくれよ…ともっこ全員操られてるんだ!そのせいで俺たちは互いに攻撃し合うよう仕向けられて…!」

「…みんなも、なの…?」

「キチキギスも、マシマシラも、こいつの手駒にされてるんだ…!頼む、俺たちのこと信じてくれ!」

「………みんな…。」


俺だけでなく、他の仲間のことも伝えてやると坊っちゃんは懐かしそうに名を復唱した。それでも、坊っちゃんの表情が緩むことはない。


…家来が全員寝返って、敵になった。

さすれば仲間はもう、誰もいない。

自分ひとりで戦うしかない。

旅に出る前の、不安な自分に逆戻り。


残酷な事実を突きつけられて、坊っちゃんの瞳からは光が完全に消え去る。


愛や情を何より大切に考えていた坊っちゃんにとって、今の状況を「絶望」と言わずしてなんと言うか。

旅路を共にした仲の良い仲間を知らない人間に全員奪われているのだ。更にはそいつに易々と、信頼を置いていたはずの家来が簡単に従えられているときた。俺だってそうなれば、そいつが何者だとしても猛ってしまうだろう。


禍々しく淡い光を放っていた坊っちゃんの殻が、がたがた震え始める。

静かに涙を拭って呼吸を整えると、坊っちゃんは俺の後ろにいる人間をキッと睨みつけた。


「おまえだな…モモのけらいを奪った、わるい人間め…!」


坊っちゃんが振り上げた殻の毒壺から、じゅわじゅわと猛毒を練る不気味な音がけたたましく聴こえてくる。

緊迫する空気の中、俺の後ろで、あいつも身構えているのが分かった。


「モモのだいじなけらい、返して…!

かえして、かえして、かえしてよ!!

みんなはモモのなかまなんだもん!!

何処の誰かもしらない人間なんかに…

みんなのこと少しも愛してない人間に!

モモのけらいはぜったいわたさない!!

わたしてやるもんか!!」


ゆら…と黒黒した影を纏いながら、月夜の闇に恐ろしく冷えきった瞳が光る。

愛らしく丸い目をした坊っちゃんの姿は跡形もなかった。まるで人が変わったようなおぞましい形相に圧倒されて、俺は足がすくんで動けなくなる。


「坊っちゃん…!!」


争いを好まず戦うことを避け続けてきた坊っちゃんが初めて見せた、明確な敵意がただそこにあった。


「人間、負けさせればおとなしくなるんだよね。そうして奪い返せば、モモのものになってくれるよね。そうだよね…?イイネイヌ、覚悟して。モモは本気で、みんなをもう一度けらいにするから」


坊っちゃんの言葉に、なにか引っかかるものがあった。

もう一度家来にする…これだ!

俺は渡りに船とばかりに、このチャンスに賭けようと思った。


「…坊っちゃん…もちろんですぜ。」


坊っちゃんはもう、俺のことは嫌いになっているだろう。

俺を捩じ伏せたあと、後続の仲間も倒したところでこの人間を操るつもりだ。

俺にかけてくれる情など微塵も残っていない。そう確信しているからこそ、腹を括れると思った。


俺は後ろを振り返ると、あの憎き人間に指示を仰ぐ。

頷いた人間は、すぐさま俺に技を出すように命令した。


「イイネイヌはモモのものなの…みんなモモのものなんだよ!そんな人間なんかよりモモのほうがすきだよ、ね…!!」


坊っちゃんの練った邪毒の鎖が渾身の力を込めて、俺の首を絞めている。

どう見ても非力な小さい体からは想像もできないくらいに、急所めがけてギリギリと万力のような力がかけられる。俺が戦意を喪失した訳ではない。これは坊っちゃんが本気で激昂している証だ。

俺はこんなところで息の根を止められないように、坊っちゃんの外殻から伸びた毒の鎖を引きちぎって距離を詰める。

思いのほか簡単にちぎれた鎖。

俺が強くなったからなのか、坊っちゃんが手加減をしているのか、…恐らく両方の理由だと信じたい。

戦うことに必死でそこからはもう視界もぐらついて朦朧としながら、俺は人間の言うように動いた。

技を躱し、受けて、相殺する。

人間に鍛え上げられた肉体をもってしても、霊の力を有した相手を前には苦戦を強いられる。坊っちゃんは戦いを好まない、それゆえに硬い鎧で身を守っているから俺の攻撃も中々通らない。それでも俺は臨戦態勢を貫き続けた。

悪い気を練って何度もシャドーボールをぶつけられ、痛みが体を蝕んでいく。坊っちゃんの怒号は止まなかった。きっとこれは坊っちゃんの心の痛みでもあるのだと感じれば、踏ん張るこの脚に力が入った。

体力なんて、とっくの前に尽きていたと思う。それでも坊っちゃんと再び一緒に過ごしていたいという根性が、俺の意地が、この体を地面にしゃんと立たせていた。

坊っちゃんの動きが徐々に鈍くなってきた。昂った気で我を忘れて暴れ狂った事もあってか、出せる力と技の限りを尽くして疲労の色が見えてくる。

息も絶え絶えになり、高く浮いていたはずの体が大きくよろめいて攻撃の手が緩まってきたころ、坊っちゃんは少しだけ落ち着いて自身の心の内を明かした。


「…はあ……はあ……どうして…

どうして、倒れてくれないの…?モモはみんなと一緒にいたいだけなのに!みんなをわるい人間から取り戻して、これまでみたいに…ねぇ…なんで、わかってくれないの…?」


「俺も、坊っちゃんと一緒にいたいのは同じだからだ。たとえ死んでもここで倒れる訳にはいかない。

…この人間に負けたら、捕まって支配されちまう。逃げ出そうったってもう手遅れだ。既に支配されちまってるんだよ、俺たち全員な。

だがな、こいつに捕まったから俺たちはこうして此処で出会えたんじゃないか」


「でも…みんなはモモのけらいなの!…モモの、なんだもん…!他のだれにも、とられたくない…モモの…!!

…負けたからってしらないやつの配下について、イイネイヌはそれでいいの?モモは…みんながモモのこと探してくれるって、ずっと信じてたのに!モモがこんなに嫌なきもちなのに、なんでイイネイヌは平気な顔するの…!!」


「…ここで捕まるしか、もう俺たちが一緒に居られる方法が無いからだ!だから坊っちゃん、諦めてこの人間に支配されてくれ!そうすれば坊っちゃんの望むものは手に入る…!

…それからでいい、また俺を…俺たちのことを、もう一度家来にしてくれよ。

俺は嫌われてもいい。坊っちゃんに嫌われたってなあ、もう一度同じ仲間になって話がしたいんだ!

頼む、坊っちゃん…俺も本気なんだ、どうかこっちに歩み寄ってはくれないか」


「…まだ、そうやってモモじゃない方のみかたするんだ…。ふんっ…!しらないよ、うらぎりものの言葉なんか!

わかってくれないのなら、もういい…!イイネイヌも、ともっこも、人間の仲間みんな倒してモモが支配してやる…!!

人間なんてみーんなそうだった!!モモのお餅さえ食べさせれば、絶対に言いなりになってくれる!!この力で、絶対に取り戻してやるんだ…!!!

モモのけらいを…か え せ ー ー !!!」


そう言って殻を構える坊っちゃんには、戦うための力はおろか、意識を保つための力すら残っているようには見えなかった。

そんなフラフラの状態でも坊っちゃんは諦めなかった。殻の中からばら撒かれる無数のくさりもちが、奥の手と言わんばかりに俺たちの方へ凄まじい勢いで飛んできている。

俺も最後の力を振り絞って、人間に目配せをする。

「イイネイヌ、ぶんまわす!」

鎖を咄嗟に振り回してくさりもちを跳ね除け、俺は坊っちゃんに近づいてゆく。

…最愛の主人に向かっての謀反。暴力。

坊っちゃんを傷つけたくない。

これ以上嫌な思いをさせたくない。

だが、やるしかないんだ。

俺は雄叫びを上げながら坊っちゃんの懐に向かって走り出す。もうヤケだった。

坊っちゃんをここで打ち負かして、この人間が坊っちゃんを俺たちと同じように捕まえてくれることを願う他なかった。

鎖を振り上げてバランスを崩した坊っちゃんに限界まで近づいて、自身の首に繋がれた鎖に手をかけ振り回し、その勢いのまま…簡単に千切れることのない、強く頑丈な鎖を坊っちゃんの体のど真ん中に。全身全霊の力をこめて、叩き込む。

……鈍い音が、空気を大きく揺らした。

かひゅっ…と坊っちゃんの息が腹から無理やり押し出されて、押し寄せる様々な感情で胸がいっぱいになる。

初めて坊っちゃんにもらった家来の証は、この世に存在する他の何よりも強い俺の武器だ。少なくとも俺はそう信じているからこそ、坊っちゃんには鎖の強固な絆の力で倒れてほしかった。

至近距離で見た、初めて家来に瀕死寸前まで痛めつけられた坊っちゃんの顔は、ひどく傷ついて悲哀に満ちた様だった。体も、心も、満身創痍になって…

鎖の衝撃で坊っちゃんは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。そこにはもう、戦意も敵意もなかった。

仲間への信頼を完全に失った坊っちゃんは、力なく地面に倒れ伏したまま動かなくなった。


…今だ、人間。

絶対に坊っちゃんを捕まえてくれ。

そうすることしか、俺には…


坊っちゃんの痛ましい姿を見て、何度も心がぼろぼろに割れた俺はもう限界だった。

意気消沈して地面に膝をつき、やってしまった事の酷さに情けなく涙を流していた。滲んでいく視界の中、うつ伏せに倒れながら人間の動きを見守る。

こいつが俺の思惑通りにモモン色のボールを投げる様子が目に入り、安堵しかけたところで俺の意識は途切れた。


……………………………………………


それから意識が回復して、俺たちともっこと坊っちゃんを一緒にしたぴくにっくが始まった。

マシマシラもキチキギスも、坊っちゃんとサシで戦った俺の様子を陰で見守っていたのだろう。こちらを気まずそうに見ながら遠くで固まっている。

食卓を広げた人間が、坊っちゃんの入っていたボールを開け放つ。坊っちゃんは俺たちの姿に気づくと、音もなく誰も寄り付かないような遠くへ離れていった。

まるで「自分は全てを失った。最初から味方や仲間など、一人もいなかった」とでも言いたげな様子で…

その殻を固く閉じて冷ややかな目をする仕草が、坊っちゃんの閉ざされた心を物語っていた。

無理もない。自分がはじめて仲間にした古くからの仲である家来に裏切られて、死の淵まで痛めつけられたのだから。

家来をみんな奪われて、一味まとめて知らない人間の手駒に加えられたことは、坊っちゃんにとってこの上ない屈辱だろう。よりによって一番のお供の裏切りと、二度目の臨死を経験したのだ。金輪際一生、仲間を信用することができなくなってもおかしくはなかった。間違いなく坊っちゃんは俺以上に、心に深い傷を負っている。

「坊っちゃん、」

呼びかけには答えてくれなかった。

ふい、と体を真反対のほうに向けて距離を離していくのを見て胸が痛くなる。

だが…この人間の元に捕まったからにはもう逃げられないこと、それは俺が一番よく知っている。

死ぬ気で探し続けていた主人と出会うことができただけでも奇跡だ。

嫌われても尚そばにいられるだけで幸せなんだと自分に暗示をかけながら、俺は自分の気持ちに蓋をした。

千切れた絆をふたたび結んで貰えるその日まで、俺は坊っちゃんが振り向くのを待っている。

いくら時間がかかっても構わない。

坊っちゃんが生きながらえて寂しく眠っていた期間にくらべれば、こんなもの。

首の鎖を握りしめて、俺は坊っちゃんを遠くから見守り続けると誓う。


…それでも、辛い。

大好きな主人に嫌われるのは。


とめどなく溢れる涙…

ぐしゃぐしゃになりながら、俺は泣いた。

俺があの時捕まらずに、この地で眠っている坊っちゃんを目覚めさせてやれればよかった。

捕まらないだけの強さが俺にあれば、こんな事にはならなかった。

全部あいつのせいだ。いや、違う。

従えられてしまった俺が悪い。

俺がもっと強ければ、強さがあれば。

そんなことを声にならない言葉で延々と叫びながら、地べたに崩れ落ちて、鋭い胸の痛みにただ泣き叫ぶことしか出来なくなってしまった。


思い返せば、さいしょに俺が坊っちゃんと出会った時に望んだのは「強さ」だった。

坊っちゃんが願いを叶えてくれた。

だから心の底から坊っちゃんを愛していたし、一生守り抜くと決めたはずだったのに、俺は……俺は、なんて事を。


『あのね! じつはモモ、イヌさんにお願いがあるんだ!

お家でまってるじいじとばあばのために取ってきてほしいものがあるの…協力してくれる?

ねっ、いいでしょ…!お餅あげるから、けらいになってよ!

ダメ?…じゃあ何かほしいもの教えて!モモがなんでも叶えてあげるよ!』


『イヌさん、強くなれてよかったね!

これでイヌさんはモモのけらいだよ!

けらいになった証に、モモとお揃いの鎖を結んであげるね。あと…お餅もたくさんあげる!これなら、お腹すかせなくて安心だよね?

仲間がいなくて寂しいのなら、モモといっしょにいればいいよ。ねぇ、お願い!モモとお友達になって!』


『モモワーイ!これからよろしくね!』


懐かしい記憶が蘇る。

あの頃に戻れたら…と、何度も考える。

後悔の念は、ずっと消えないだろう。


ひとしきり泣いて、吠えて、やり場の無い謝罪の言葉を口にして。

それが坊っちゃんに届かなくても、ただずっと…そうしていたかった。


我も忘れて夢中で涙を拭っていると…

いつの間にか俺の目の前には、数個のくさりもちが置かれていた。

坊っちゃんの姿はどこにも見えなかったが、これは坊っちゃんにしかこしらえることの出来ない餅だ。

俺と坊っちゃんを鎖で結んだ、大切な思い出のくさりもち…

まるで、幻のようだった。

俺は泣きながらそれを頬張る。


殆どゼロになった信頼を取り戻すには、気の遠くなるくらい膨大な時間が必要だ。

それでも今ここで、坊っちゃんから少しだけ歩み寄ってくれたことは紛れもない事実だろう。

…許されてもいいのか、この俺が。

こんな俺の事を僅かでも、許してくれるのか。

かつての仲間とまた仲良くやりたい。そんな気持ちが坊っちゃんに通じたか、坊っちゃんの心の寛大さか…いずれにせよ絆が完全に崩れ去った訳ではないことを知って、少しだけ安心した。

坊っちゃんを傷つけてしまった事実を覆すことはできないが、こうして少しずつ距離を縮めなおす機会が与えられているだけでも有難い。臆病な坊っちゃんからすれば非常に勇気のいる選択だ。

あんなに酷い仕打ちを受けても、この俺を信じてくれていることが今は嬉しかった。

このことに感謝しながら、手を合わせて餅を口に運ぶ。


…餅の味は、あのころとまったく同じように甘かった。


(終)

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