錯乱から始まる愛はありますか?

錯乱から始まる愛はありますか?



ふっと違和感を感じてアオキは周囲を見回す。

そこは宝食堂の見慣れたカウンター席で、目の前にはおそらく自分の食べかけであろう焼きおにぎりがある。けれどほんの今さっきのことなのに、今自分が何をしていたかの記憶がない。

最低限しか使用していないスケジュールアプリを開くと、ちょうど1週間、アオキの記憶よりカレンダーが進んでいて。入力した覚えのない予定もいくつか入っていた。どういうことだかわからずに混乱しながらも、この後午後からチャンピオンテストの予定が入っていることに気付く。自分の出番があるかはわからないが控えておかねばならない。

そうして食事を終え、ムクホークに乗ってリーグ本部に到着し。いつものように裏口から入り事務局に向かおうとした時、オモダカに声を掛けられた。


「お疲れ様です。アオキ。一つ質問してもいいですか?」

「お疲れ様です。……何でしょう?」

「……私は昨日、何をしていたでしょうか?」

「……は?」


唐突に問われ、自分の状況を思い一瞬硬直する。けれど何も覚えていない以上彼女に返せる答えなど何もなかった。


「知りません。」

「……そうですか。実は、アオキの姿を見たのを最後に、記憶が一週間ほど飛んでいるのです。貴方に何か心当たりはありますか?」


その言葉に、思わず彼女の顔を凝視する。オモダカがわざわざそんな冗談を言うとも思えない。自分とまったく同じ状況であるというのは、どういうことなのか。


「……自分も、この一週間の記憶がないので。何もわかりません。」

「え? 貴方も、ですか?」


彼女が言うには、記憶を失う前の最後の記憶は、自分と共にいたものであるらしい。

チャンプルタウンにほど近い遺跡で怪しい人影を見たのだという報告があったそうで、自分はそこに向かっていて。トップは何やら急ぎの用事があって自分を探しに来ていて。自分を見つけて声を掛けたところまでは覚えているらしい。そして次に正気に返ったときにはリーグ本部にいて、普通に業務を行っていたそうだ。自分と同じように記憶より一週間分の時間が過ぎているしその間の業務も普通に行っていた形跡がある。それなのに自分は何も覚えていないと。

そう言われてみれば確かに遺跡に向かったような記憶がある。けれどもその前後の記憶は曖昧だし、彼女に声を掛けられたかどうかも覚えていない。

遺跡に住まうポケモンからエスパー系の技を当てられでもしたのかもしれない。そう予測したのはオモダカだった。

けれどそれ以上のことは何もわからず、他の人間に聞くことは何故かオモダカに止められたのでその話をそれ以上広げることも出来ず、ただ一週間の空白をかすかな痕跡から推測しながら過ごすことしか出来なかった。




それが、1ヶ月ほど前のこと。


「アオキ、ちょっといいでしょうか。」

「……何でしょう。」

「ちょっと、これを見て貰えますか。」


人気のない場所に連れてこられ、オモダカから何やら渡される。それは白黒の薄っぺらい写真だった。黒っぽい丸いものが写っているが何が何だかはよくわからない。けれどこれがエコー写真というものだということは知っている。

どうしてそんなものを彼女が持っていて、そしてそれを自分に見せてくるのか。ある可能性に思い至って背中に冷や汗が伝うのを感じる。


「今、だいたい7週目に入ったくらいだそうです。」


オモダカは自分の下腹部に手を当て、不安を隠しきれない表情でそう呟く。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「身に……覚えは、ないのですが。時期的に記憶を失った頃に出来た子なのだろうと思います。」


その言葉に、思わず頭を抱えそうになる。

失った記憶がどんなものかはわからないが、少し不便なだけのちょっとした事故だった、で済むはずだった。けれど、もしかすると自分はとんでもないことをトップにしでかしていたのだろうか。


「それで、これから……どう、するのですか?」

「産みたいです。……どんな経緯で出来たのであれ、この子を殺すことなんて私には出来ません。」


不安を隠すことも出来ない顔で、それでも彼女は迷いなくそう言った。彼女の性格的に堕胎して無かったことにするなんてことは出来ないだろうとは思っていたが。


「ちなみに、他の職員には……」

「一部の職員には既に気付かれています。そもそも最初に私の体調の変化に気付いたのはチリでしたし。いずれにせよ産むつもりなら黙っている訳にもいきません。経緯は伏せておこうと思いますが……」


もしも自分の子なら、黙ってそれを見逃すことなど出来ないだろう。けれど、自分は一切そんなことをした記憶はない。彼女のことをどう思っているのかすらわからないのに、何を言えばいいのか。


「それで、アオキに1つだけお願いしたくて。……この子が無事に産まれたら、DNA鑑定だけさせてもらってもいいでしょうか?」

「それは、それだけで済ます訳にはいかないでしょう。自分の子かもしれないのでしょう? 責任は取ります。」

「……でも、貴方だって、何も覚えていないのでしょう?」

「それはトップも同じでしょう。貴女だけに背負わせて知らない振りをしろということですか?」

「この子を産むのは私の我儘ですから、私が背負うのは当然でしょう。けれど貴方に責任があるかもわからないのに、望んでもいない婚姻を結ばせる気なんかありませんよ。」


望んでもいない、という彼女の言葉に、それ以上の掛ける言葉を失う。そこで望んでいると言い切れるほどの気持ちがあるのか自分でもわからない今、彼女を説得出来る気がしなかった。

それならば、せめて。


「……なら、その子が自分の子だとはっきりしたら。その時は責任を取らせて下さい。」

「……わかりました。」


何だかすっきりしない顔をしていたが、オモダカは頷いた。けれどそれ以上のことを主張することも出来ず、アオキはただ彼女を見送ることしか出来なかった。


そうして突然のオモダカの妊娠に混乱した日々がアオキを含むリーグ本部に襲い掛かり、何とかその混乱を世間に知られぬようにと取り繕って。


そうして月満ちて生まれたオモダカの子は、明らかにアオキに良く似た顔立ちをしていた。


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