金の雨は天から降る

金の雨は天から降る



 雨がザァザァと降っていた。


 不甲斐ない自分のこととか、死神への憤りだとか、十全な状態でなかったとはいえ負けた悔しさだとか、黒崎は大丈夫だろうかとか、そういった考えが止めどなく頭に浮かんでは水の波紋のように浮かんでは消えていく。

 段々と冷えていく体温に、このまま放置されたら僕たちは二人とも朽木さんの思いやりも無駄にして死ぬのかもしれないとそれは嫌だなとまで考えが巡った所で、パシャリと濡れた足音が頭の側で聞こえた。


「石田くん、大丈夫?生きとる?」


 独特の訛りのある口調は、最近になって聞き覚えができたものだ。クラスメイトの平子さんは、おそらく死神の関係者で……それ以外は、なにも知らない。

 先日の僕が仕掛けた勝負の件で彼女が虚を倒せる何かしらの力を持っていることは知っているが、それだって彼女の力かどうかすらわからない。死神に関係しているとは思っているが、それにしては霊圧があまりにも人のようで判別がつかない。


「黒崎は浦原さんに任せて平気やな?」

「─────…………」

「じゃあアタシこっちやるから。あんまり急ぎなら手伝うけど……平気?ならええわ」


 雨音であまり声がよく聞こえない。どんな関係なのかは知らないが、虚退治の時に来た男も一緒にいるらしい。かすかに下駄の音が聞こえた気がした。

 薄く目を開けた先にあった小さい足が履いている女性もののサンダルは、雨の日には向かないような物に見える。濡れてしまったら手入れが大変そうだなと、関係ないことが頭をかすめた。


「石田くん、意識ある?聞こえてたら指でも曲げて?」


 なんとか反応すると、覗き込んでいた彼女が動いた。なにかが地面に当たるコツンという音が聞こえて、躊躇する様子もなく地面に跪いた平子さんが僕の体を仰向けにする。

 冷えた体には、肩を掴んだ細くて小さい手が熱いほどに温かかった。


「血ィ出てるけど、傷はそんなに深くないかも……でも、こんな怪我だらけの体でムチャしたらあかんよ」


 雨が目に入るのを気にして目を閉じた。平子さんにボロボロの姿を見られていると自覚するのも、少し嫌だったのかもしれない。


「大丈夫、痛いの痛いの飛んでけするだけや」


 柔らかい声と共にそっと撫でるように触れられると息をするのが少し楽になり、体温も少し戻ったような気がしてくる。

 やはり彼女は何かしらで死神に関わっていて……そして朽木さんが連れられたことにはきっと、無関係で。


 もしも、もしもあの時、後から来た死神が……師匠を、こんな風に治してくれたなら。僕はあんな感情を抱かなかったのかもしれないと、無意味な想像までしてしまった。


「血、止まったけど……まだ痛いとこある?」


 今度こそちゃんと目を開けて、こちらを覗き込んでいた彼女の姿を見る。両手を使うためだろうか、傍らに傘を置き雨に濡れた姿は知ったものより幼い。暗く、雨で月も見えないのに、街灯の光を受けたその姿は淡く光っているようにも見えた。

 水気で肌に張り付いているいつもならばふわふわと柔らかそうな癖毛の金の髪は、雨に濡れて真っ直ぐと……まるで光の束のように僕に降り注いでいる。


 どこか夢の中のような気持ちでそれを美しいと思ってしまった僕は、酷く浅ましい事を考えたような気分になって慌てて身を起こした。


「ちょっと!いきなり起きたらあかんよ!!」

「僕はもう大丈夫だ、それよりも」

「大丈夫ちゃうやろ!ほら、手貸しィ!」


 ぐいっと引かれるように手を掴まれ肩の痛みに顔をしかめた僕を見て、あからさまに「それ見たことか」とでも言いたげな顔をする平子さんはびしょ濡れであるのにいつもと変わらない雰囲気をまとっている。

 明らかに非日常であるのに、どう見たって尋常でない状況であるのに、あまりにも普通である彼女はかえって世界から浮いているようにも見えた。


「針使うにも、弓使うにも、大事な手やろ」


 僕の手よりも随分と小さな手が、包み込むように握っている。じわじわと温かさが移るように痛みが遠のいていく。それは僕の知らない力で、僕の知らない彼女の非日常がそこにあるんだろう。もしかしたら、それこそ本当の彼女の日常なのかもしれない。

 小柄で同年代のクラスメイトたちと並んでも少しだけ幼気に見えるのに、まるでずっと歳上にも見える。そもそも彼女の誕生日すら知らないので、なにがなくとも今の時点で僕より歳上かもしれないのだ。本当に僕は彼女のことをなにも知らない。


「本当に、僕はもう大丈夫だ」

「……まだ傷だらけやろ」

「これは今日の傷じゃない、平子さんも知ってるだろ」


 僕の言葉に手を引っ込めた平子さんは、言うことを聞かないクラスの男子を見るような呆れきった顔をして立ち上がる。僕よりも頭一つ近く背の小さい彼女に見下されるのはなんだか落ち着かなかった。

 どこか自分より歳上の大人に叱られているような、なんだか居心地の悪い気持ちになって立ち上がる。見上げてくる顔は昼に見るのと変わりない幼さがあって、それはそれで居心地が悪く顔をそらした。


「オトコの意地って、ほんま面倒やな」


 子供をたしなめる様な声でそう言った後、傘を拾った平子さんは濡れた足音を立てながら黒崎の方へ向かっていく。これで良かったのだ、あいつらを倒せるとしたら彼だけなのだからそれが正しいのだ。

 だから手のひらの熱がまだ残っているような気がするのは、この季節にしては冷たい雨がまだ降り続いているせいにすぎない。


 それでも雨が止んだところで、天から落ちてくる金の光の幻をしばらくは忘れることが出来そうになかった。

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