酩酊

酩酊


さすが、舌が肥えていらっしゃいます。そうなのです、これはドレスローザ産の葡萄酒でございます。産地としての有名所となりますと、やはり東の方なのですが、ドレスローザもまた負けず劣らずの味を誇っております。品種の違いなのか、東側に比べて果実らしい爽やかさと渋みが特徴的で、私個人と致しましては、こちらの方が好みに合っておりますね。それにこの葡萄酒が造られた土地、ドレスローザ王国には少しばかり思い入れがあリまして。いえ、そう大それた話ではございません。若い頃に一度だけ留学したことがございまして、その折にあの国でとても心に残るお話を伺ったものですから。

あら、興味がお有りのご様子ですね。よろしければお聞かせ致しますが、如何でしょうか。ええ、 構いませんよ。私も丁度、もっとお話がしたいと思っていたところです。共寝の夜にふさわしいかは判じかねますが。それに、少々長くなりますけれど。

そうですか。では、まだ小娘だった時分の私が愛と情熱の国で出会った、とある古い物語をお話しさせて頂きましょう。

天夜叉、その名はよくご存知でしょう。大海賊時代と呼ばれたあの動乱の世で名を馳せた、伝説の大悪党のことでございます。当時の絶対君主であった天竜人の資産を強奪し、世界政府をも脅迫し、ドレスローザ王国にて王位を簒奪したあの狂気の男のことです。はい、あの有名な「王下七武海制度撤廃の決議案」が発議される最後の契機となった人物です。彼の名は王としてではなく、一人の大犯罪者として後世に語り継がれております。その非道を考えればごく当然でございましょう。ドレスローザ王国のリク王家を弑逆し、国民を苦しめ、非人道兵器の開発を主導し、多くの罪なき人々の命を奪った、まさに、あの時代の暗部を象徴するような男なのですから。

けれども、私が言いたいことはそういうことではありません。何も歴史談義をしたいわけではないのです。

私がお伝えしたいのは、天夜叉にまつわるひとつの伝承なのです。俗にドレスローザ王宮の幽閉伝説、と申しますが、お耳にしたことはありませんか。ええ、それもそのはずでございます。伝説が生まれたのはもう何百年も前のことですし、この国ですと地理の関係もございまして、あまり有名な話ではございませんから。では簡単にご説明いたしますね。

曰く、ドレスローザ王国の王宮の地下には、うつくしい幽鬼が棲んでいて、夜になると王宮内部に現われては誰彼構わず魅了し、地下へと連れ去ってしまうのだそうです。囚われれば最後、幽鬼に魅入られた者は二度と地上に戻れない、だとか、幽鬼自身もまた地下に囚われていて、地上への出口を永遠に探しているのだ、だとか、そのような噂話がまことしやかに囁かれておりました。もっとも、これはあくまでも巷間に流布する怪談のひとつに過ぎず、真に受けている人間などほとんどいないでしょうけれど。

ただ、その幽鬼の正体こそ、かつて牢夜叉に蹂躙された者の成れの果てなのだと、そして天夜叉もまた死してなお、自らの手で陵辱した者を探して地下を彷徨いながら、不埒な侵入者を殺して回っているのだと、そんな話もあるのです。

一部の好事家の方々にとってはむしろこちらの方が馴染み深いかもしれませんね。はい、もちろん、あくまで真偽不明の噂話でございます。ただ、私にはどうにもこの話に心惹かれるものがあると申しますか、確信に近いものがありまして、これが真実であるように思えてならないのです。だからこうしてお話ししているわけなのですが。

さて、ではなぜこのような噂が生まれたのかと言いますと、それはひとえに、ある事件がきっかけでした。

先程も申し上げたように、天夜叉には国家転覆犯や闇の実業家といった数々の血腥い逸話とは別に、もう一つ、大きな、とても大きな噂があったのです。

はい、その通りでございます。幽閉伝説の原型となったであろう出来事が、実はあったのです。しかしこちらについてはあまり世間様には知られておりません。知る人ぞ知る、というようなものでございましょう。まあ、それも無理からぬことでございます。あまりにも衝撃的な内容ですから。当時の民衆の熱狂を掻き立て、あるいは恐怖心を煽った大スキャンダル。だからこそ人々はこぞってその真相を知りたがり、またそれ故に関係者の誰もが口を閉ざして語らなかったのでしょう。

ああ、申し訳ありません、話が逸れてしまいましたね。私の悪い癖なのです。どうしても何かを語るときには余計なことまで言ってしまうようで。

つまり何を申し上げたいのかといいますと、天夜叉と呼ばれた男の、ええ、そうですね、なんと言えばいいのでしょうか、とにかくこの男の異常性についてなのです。天夜叉は、愛した男を不具者に変え、華やかに着飾った地下の一室に閉じ込めました。そして、毎晩のようにその男のもとに通いつめ、手ずから世話を焼いたのです。

出来の悪い冗談のように聞こえるかもしれませんが、これは実際にあったことなのです。私も初めて聞いたときは耳を疑いました。そんなことが現実にあってたまるものかと。しかし当時の新聞記事や公的な事件記録や手記を読み漁っているうちに、それが決して虚構ではないことに気付かされていきました。

天夜叉がいかにその男を愛していたのか。天夜叉がどれほど狂っていたのか。

天夜叉は、愛する男を監禁し、身なりを整えさせ、美しい部屋を与え、食事も排泄の処理さえも自ら行っていました。まるで恋人に対するかのような甲斐甲斐しさで。

まだ年若く人間の闇というものにとことん無知だった私は、心底震えあがりました。今となっては懐かしくすらあるのですが、当時は本当に恐ろしくてたまらなかった。

悪のカリスマとまで呼ばれ、裏社会にその名を轟かせた大犯罪者でさえ、たった一つの恋慕を前にしただけで、こうも容易く狂気に溺れてしまうのかと。

ええ、そうなのです、おわかりですか。天夜叉は、己の手で愛した男を変えていく行為に、どうしようもなく興奮を覚えてやまなかったのです。

天夜叉は男を愛するあまり、男を支配しようとしました。それはもう異常なまでに、全てを管理しようとした。自分の手の中にいる間は良いけれど、もしも彼が逃げでもして、誰か他の人間に奪われるようなことがあったら。 想像するだけでも耐えられない。だから、閉じ込めるのだ。誰の目にも触れないようにしてしまえばいい。そして自分だけが彼を支配できる場所に囲ってしまおう。そうすれば彼はずっと自分のものだから。

恐ろしい発想です。常人には到底理解できない。しかしそれだけならばまだよかった。いえ、よくはないのですが、それでもまだ救いがあったはずなのです。天夜叉が真に恐ろしかったのは、そこからさらに先へと進んでしまったことでした。

彼は相手の肉体を壊すだけでは飽き足らず、精神にまでその手を伸ばしたのです。

天夜叉の愛した気位の高く怜悧な男は、次第に自我を失い、言葉すら忘れ、ついには自らが誰なのかさえわからなくなってしまいました。それでも天夜叉は彼を離さなかった。まるで壊れた玩具を扱うかのように、丁寧に大切に、愛おしむように世話をしてやったそうです。そして最後には、その男を地下の奥深くに隠してしまったのですよ。

天夜叉の執着心は、もはや恋と呼ぶにはあまりに度を越えていました。

しかしそれでも、やはりあれもまた、恋の一つの姿だったのではないかと、私はそのように思えてならないのです。

ええ、確かに天夜叉の行為は常軌を逸しています。けれど、だからこそ、そこには並々ならぬ情熱があったはずなのです。

愛ゆえに。

ええ、そうです。愛しているからこそ、人は過ちを犯します。いえ、もちろん、そこにどれほどの愛情があったとしても、人を傷付ければそれは言い訳の立たない罪となりましょう。

ただ、それでも天夜叉は常に男のもとへと通い続けたのです。まるで恋人との逢瀬を楽しむかのように、毎日欠かすことなく。狂おしくも甘い日々でした。

彼の側近が遺した数少ない手記の文章からは、天夜叉の狂気と共に、その男への深い想いも伝わってきました。天夜叉は決して、その男のことを憎んではいなかった。むしろその逆で、とても大切に思っていたようです。

一方、そのような悍ましい寵愛を受けざるを得なかった男性というのは、どれほど辛い思いをしたことでしょうか。想像することしかできませんが、きっと凄惨極まりない日々だったことでしょう。ええ、その方は間違いなく不幸でありました。同情を禁じ得ません。けれども同時に、どれほど魅力のある方だったのかと、私は夢想せずにいられません。きっと神様よりも悪魔よりも美しくて、そして残酷な人に違いありません。だってそうじゃありませんか。あの天夜叉がそれほどまでに心奪われていた相手なんですもの。私なんてそのお姿を想像するだけで胸が張り裂けてしまいそうで、ああ、また話が逸れてしまいましたね。何度も申し訳ございません。でも、どうかお許しくださいませ。私はどうしてもこの話を続けずにはいられないのです。

さて、ここで少しだけ当時の話を致しましょうか。

天夜叉が愛玩行為に耽り始めるその少し前、大規模な集団脱獄事件がありました。大海賊時代において最大級の監獄、インペルダウンから、多くの囚人たちが一斉に脱走したあの事件です。

はい、そうです。天夜叉が愛した男性は、その事件の渦中におりました。つまりは、その男もまた、その監獄に囚われていたのです。詳しい罪状は歴史の波に埋もれてしまっていますが、あのインペルダウン大監獄に収監されていたのですから、おそらく相当の重罪人だったことでしょう。もちろん冤罪などではあり得ず、その犯行によって相当数の人々が犠牲になったはずです。しかし天夜叉にとってはそんなことは関係なかった。ただ愛する相手がそこにいるという一点だけが重要なことだったのです。けれど当時最高峰の警備を誇る大監獄とあっては、いくら天夜叉でも易々と手出しできるものではありません。それ故にこの集団脱獄事件が転機となった。

彼はすぐさま、その男がいるであろう場所へ駆けつけました。

そうして辿り着いた地で、これまで必死になって築き上げてきた地位も財産もすべて失い、ただの犯罪者として追われることになった男を目にして、天夜叉が何を思ったのかはわかりません。

しかしその瞬間、彼の中で何かが変わったのかもしれません。あるいは見初めた、いえ、惚れ直したというべきなのでしょうか。とにかく天夜叉はこの時、愛すべき相手を自らの手で壊すことに決めたのです

今までずっと、己の欲望を満たすことだけを考えながら生きていきていた天夜叉にとって、それが息をするように自然で当たり前のことだったのでしょう。

そう、彼の心は常に飢えていた。愛に餓え、恋に憧れ、そして愛することを求め続けていた。だからこそ、天夜叉はその男に異様とも言える執着を示したのです。この情動を狂気、と呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。

それからの天夜叉は、ことごとく正気を失ってしまったのだとしか思えない行動を取り続けたのです。

まず、天夜叉は男から徹底的に自由を奪いました。歩くことも、立ち上がることも、寝返りを打つことすら許さなかった。そして誰とも接触させないように地下に閉じ込め、彼の知己に行方を尋ねられても決して答えようとはせず、当然一切の連絡を取らせなかった。

もちろん、その男を慕う者もおりました。しかし天夜叉は全てを無視して彼を独り占めにした。

「ああ、愛しているんだ。どうか永遠に、おれの傍にいてくれないか」

狂ったように囁き続ける天夜叉の姿はまさしく鬼神か、でなければ狂人そのものにしか見えなかったことでしょう。

けれど天夜叉とて、何も最初から頭のおかしい男だったわけではありません。彼が残した数々の逸話からは、むしろ非常に理知的で、謀略を得意とし、そして冷酷なまでに実利的な人物像が浮かんできます。

そんな天夜叉がなぜこのような狂気に染まった、愚行とすら呼べる行動を取ってしまったのか。

おそらくそこには理由があったはずなのですが、残念なことに残された手記から読み取れる情報は少なく、結局その動機は謎のままとなっています。

ただ、想像を働かせるだけなら、こんな風に考えることもできます。

手の届かない場所へと消えてしまった愛しい男が、一度は永遠に手に入れる術を喪ったはずのものが、目の前にある。これから先、幾度季節が巡ろうと相見ること叶わぬと思っていた想い人が再び現れた。そして、またもや自分の前から去ろうとしている。今度は二度と会えないかもしれない場所に行こうとしている。焦燥に駆られた人間が至る結論なんて、ひとつしかないと思うのです。

最後の機会だ、と。今を逃せばもう二度と手に入らないかもしれない、と。

そんな思考に行き着いてしまうことも、あり得るのではないでしょうか。たとえどれほど醜く歪んでいようと、その誘惑に抗うことは困難でしょう。

頭をかきむしりながら後悔に身を窶した日々の苦渋を思い返し、ならばもう一度、今度こそは確実にこの腕の中に抱き留めなければならない。でなければ、また失ってしまうことになる。そんな強迫観念に取り憑かれていたとしても不思議ではありません。

二度と相見えることはないだろうと諦めていた想い人との再会が、どれほど天夜叉の心を歓喜に揺さぶったのか、私ごときでは推し量れるものではありませが、おそらくはきっと、それこそ気が触れてしまうほどに幸せだったのだろうと思います。

この奇跡のような再会が天夜叉の最後の箍を外したのか、それとも自ら狂気の引き金を引いたのか、ともかく天夜叉はそこで初めて理性を手放す決心をしたのです。

そして、ここから先は今しがた語った通りでございます。天夜叉という男は実に巧妙に計画を立て、準備を整え、実行に移し、そして見事、愛しいひとを手中に捕らえたのです。

天夜叉は男を監禁して自らの手元に置くことに成功いたしました。天夜叉は男を監禁して自らの手元に置くことに成功いたしました。しかし欲深い彼はそれだけでは満足できなかった。次第にもっと欲しい、もっと愛したい、と望みばかりが膨らんでいったのです。

当然の帰結と申しますか、天夜叉の行動はさらにエスカレートしていきました。男を閉じ込めている屋敷には常に見張りを立て、外部との接触を一切遮断する一方で、男に様々な品を贈り続けました。食事はもちろんのこと、衣服や家具など、生活に必要なものから嗜好品まで、求められようと求められるまいと構わずに与え続けたのです。それはまさに愛玩動物に対する扱いであり、男のことを愛しているというよりは、まるで男を己の所有物として扱っているかのような振る舞いでした。自分の意志を無視した一方的な奉仕など、これほど屈辱的なことはなかったことでしょう。

もちろん男はそれを拒もうと致しました。

「こんなことをしても何の意味もない」「おまえのことなど愛していない」などと、何度も繰り返し拒絶の言葉を口にしたそうです。しかしそれら一切をを遮るように、天夜叉は男への愛を語り続けた。

おれはお前を愛している。おれにとって世界で一番大切なものは、この世でたったひとつ、お前だけだ。

その言葉は確かに真実だったのでしょう。しかし、それでも男にとっては苦痛でしかありません。なぜなら、いくら愛していると言われても、その気持ちが自分に向けられたものなのか、それとも所有物に向けるものと同じなのか、男には判断することができなかったから、いえ、それ以前の問題として、自分を不具者に変え、地下に押し込めた人間の何を信じられるというのでしょうか。

はい、仰る通りでございます。これらの行いはあまりにも常軌を逸した、身勝手極まりないものでした。加害者であるはずなのに、被害者の男に対して愛を乞うなどという不条理は、紛うことなき狂気の沙汰でございす。

事実、天夜叉の凶行が明るみに出たとき、当時の人々はそのあまりの狂気に恐怖し、嫌悪を抱き、その蛮行を止めなかった周囲の人々の常識を疑い、あるいは単純に行為そのものを非難したといいます。それほどまでに酷い事件だったのです。

けれども、私はこうも思うのです。天夜叉という男の人格はどうあれ、その心に芽生えた愛は確かに本物だった。だからこそ、愛するひとのすべてを自分の物にしたいと願ってしまった。異常な行動の数々も、捉えようによっては献身的な愛情表現のひとつではないのかと。つまり、天夜叉の愛とは、そういうものだったのです。

ええ、ええ。お気持ちはよくわかります。愛するひとを壊し、監禁し続けるというのは、とても恐ろしいことです。想像するだけで背冷たいものが走るような感覚に襲われてしまいます。しかし、それがこの男なりの愛し方だった、ということもわかっていただきたいのです。天夜叉は本当に彼のことを愛しておりました。その想いのすべてが偽りであるはずがないではありませんか。

はい、はい。ありがとうございます、きっと理解してくださると信じておりました。はい、そうなのです、天夜叉は幸せな日々を送っていたのです。狂気に浸かりながらも、愛するひとと一緒にいるだけで、彼は幸福を感じていた。天夜叉は確かに満たされていたのです。その男を手に入れてからは、ずっと幸せだった。その証拠に、彼は決して最後まで手放そうとはしなかったのですから。

この世とは常に無情でありまして、どのような蜜月にも終わりは訪れてしまうものなのです。

天夜叉が愛しいひとをその手中に収めてからおおよそ二年が経ったとある日、とうとうその時がやって参りました。それは唐突に、いえ、もしかすると、もっと前から崩壊の兆しが見え始めていたのかもしれませんが、いずれにせよ、その日を境にして天夜叉の日常は大きく様変わりすることとなったのです。

きっかけは国内で起きたとある小さな暴動でした。しかし長らくの間、いくつもの火種が燻っていたドレスローザ王国にはそれだけでは収まりきらず、国全体を巻き込んだ内乱が勃発したのです。この内乱の末、天夜叉がこれまでに働いていた悪業の数々が明るみになり、ついに裁きが下されることとなりました。罪状は国家転覆罪に始まり、およそ考えられる限りの犯罪行為に手を染めていましたから、その数はもはや数え切れぬほどでございましょう。

この一件が冒頭に申し上げました、ええ、よくご存知かと思われます、あの王下七武海制度撤廃論へと繋がっていくわけでございますが、この話とは直接関係がないので、割愛させて頂きましょう。

さて、天夜叉が投獄されることとなったのは、奇しくも愛する男がかつて収監されていたインペルダウン大監獄でございました。なんとも皮肉な話ではありますが、運命というものはときにこうした悪戯を仕掛けてくるものです。しかし、ここで少しばかり奇妙なことが起こりました。

本来であればすぐにでも処刑台に送られるような立場にあったはずの天夜叉が、どういうわけだか死を免れ、それどころか当時世界最大手の新聞社を通して自叙伝を連載する許可さえ下りたのです。これは、おそらくですが、この一連の出来事には裏があると睨んでおります。たとえば誰かに唆されたですとか、もしくはもっと別の何かによって引き起こされたものなのかもしれません。この自叙伝がまた世間に一騒動を起こさせる原因となるのですが、ええ、世の中というのは本当に何がどうなるのかわからないものでございます。

さて、獄中での天夜叉の暮らしぶりに関しましては、わりあいはっきりした記録が残されているのですが、狂人によって地下に閉じ込められ、ひたすら歪んだ愛を注がれ続けた哀れな男のその後についてとなりますと、諸説入り乱れておりまして、はっきりとしたことはわからないというのが実情でございます。別れを惜しんだ天夜叉により自死を求められてそれに応じたとも、天夜叉の逮捕後、間もなく病死してしまったとも、はたまた何とか逃げ出して自由を手に入れたという話まで様々でございます。

まあ、しかし、私としましては、やはり天夜叉は自らの手で愛しいひとを殺めてしまったのではないかと考えております。

はあ、なぜかと申されましても、こればかりは女の勘というやつですので、お答えしようがないのですが、あえて言うならば、私もまた天夜叉の狂気のひと欠片を身に宿してしまっているからでしょうか。

さて、私がこのように長々とお話しさせていただいた理由を、そろそろお察しのこととは存じます。つまりは、今宵あなた様をお迎えにあがった次第なのです。いえ、無理に起き上がろうとなさらずとも結構ですよ。どうかそのまま、いっそ眠ってしまっていただいてもよろしかったのに。ああ、どうかそのような怖い顔をなさらないでくださいませ、私の愛しいひと。こんな女に差し出された酒杯などに口をつけるから悪いなどと、無粋なことを申し上げるつもりは毛頭ございません。

今はまだ気の触れた女に一服盛られただけだと、そう思っておられるでしょうが、じきにすべてを理解することになるはずです。

はい、愛する相手を自らの手で変えていくというのは、一体どのような心地なのでしょうね。私はただ、それが知りたいのです。天夜叉の抱いていた感情は、きっととても温かく、そして幸せなものだったに違いない、私はそれを自分のものにしたい。天夜叉の得たものすべてを、この手にしたいのです。

はい、ええ、そうですね。そう言われてしまうと困ってしまいますが、それでも敢えて言葉にするのなら、やはりそれは独占欲なのでしょうか。

さて、もう夜も遅いことですし、今宵はこれまでと致しましょう。

はい、もちろんです。これからはずっと一緒ですから、焦る必要などどこにもないのです。











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