酒に呑まれる

酒に呑まれる



 新世界の広大な海の上で、今宵も海賊たちは宴を開く。


「それじゃあ、今回も闘いを無事に終えられた事と」

「ウタのお酒解禁を祝って--」


「かんぱ~~いっ!!」


 乾杯の音頭と共に、全員手に持っていた樽ジョッキを勢いよく合わせた。


 皆それぞれ酒を飲み干したり、少し飲んだ後料理に手をつけ始めたりする中、ウタは自分の手に持っているジョッキの中の酒を見つめていた。


「これがお酒か……」


 ウタの年齢は21。一般的にはもう飲酒をしても何ら問題の無い年齢なのだが、彼女には長いこと人形の体で過ごしていたブランクがある。アルコールなど刺激の強いものをいきなり飲ませる訳にはいかないという仲間達の判断で、人間に戻ってからも酒を飲ませる事は無かった。それが今日ついに良しとされたのだ。


 長かった人形生活から解放されて数年振りの体験ばかりしていたが、飲酒はほぼ初めての経験だ。


 すん、と軽く香りを嗅ぐ。飲みやすいようジュースで割られているが、甘酸っぱい香りの奥に、消毒液のようなツンとしたものを感じた。これがアルコールの匂いだろうか。


「ウタにとっては初めての飲酒ね」

「うーん……、これ言うと怒られるかもしれないけど、厳密には初めじゃないんだよね」

「子供の時に飲んだのかっ!?」

「ああいや、ちょっと貰っただけだよ? その後すぐ吐き出しちゃったし……」


 人形にされる前、赤髪海賊団の船に乗っていた時一度だけ酒を飲んだ事がある。あまりに皆が美味しそうに飲むものだから、ねだって飲ませてもらったのだ。


 だが如何せん度数の高い酒は子供の舌にとってはただの刺激物でしかなく、口に含んですぐ吐き出してしまったという苦い記憶が残っていた(この後飲ませた犯人であるシャンクス筆頭に一部の船員はホンゴウとベックマンに鬼のように怒られていた)。


「まァ、子供の味覚じゃあな」

「今日は初めてだから、ウタのは度数が低くなるように割ってあるわよ」

「うん、ありがとう! それじゃあ、いただきます!」


 恐る恐る口に入れてみる。ナミの言うとおり酒の割合は少ないようで、味はほぼジュースと大差無かった。だがそれを飲み込んだ瞬間、喉から胃の中までマグマが駆け抜けたのようにカーッと熱くなる。まるでお腹の中が暖炉になったようだ。


「わ……っ、何これ……っ!」


 未知の体験に思わず驚きの声を上げた。漏らした吐息まで熱い気がする。


「お酒キツかった?」

「ううん……でもなんだろう、この感じ……すごいぽかぽかする……美味しい、かも」

「飲みやすいからって、一気に飲んじゃ駄目だぞ? お酒の耐性は人それぞれだから、ゆっくりな?」

「あはは、大丈夫分かってるよ。ありがとうチョッパー」


 さっきの子供時代の飲酒(未遂)発言を受けてか、はらはらと心配そうに見上げるチョッパーに、ウタは笑って応える。


 そりゃあ飲むのは初めてだけど、私だっていい大人だし、皆が飲んでる様子ずっと見てきたんだから、お酒の飲み方くらい分かってるって。心の中でそう考えながら、ジョッキに口を付ける。


 再びカッと熱いものが体の中を通り抜ける。その不思議な感覚が面白くて、もう一口。


「空きっ腹だと酔いやすいぜ。おつまみにどうぞ」

「わあ、ありがとうサンジくん! ……ん~~っ、美味しい!」


 差し出された料理を頬張る。濃いめの味付けが酒によく合い、また一口。


「--そしておれが辿り着いたのは、それぞれに悲劇的伝説がある大小100を越える泉が湧く修行の場だった!」

「それでそれでっ?」


 仲間と他愛ない事を話していたら、口の中が乾いて、もう一口。


「アゥッ! 飲んでるかウタァ! ジュース割りも良いがコークハイもウマいぞ!」

「何それ?」

「ウイスキーのコーラ割りだ! オメーのジョッキは……空いてるな。作ってやろうか?」

「うんっ、お願いっ!」


 仲間のオススメの飲み方を教えてもらって、もう一杯。


「(楽しいなあ、皆と飲むお酒ってこんなに美味しいんだ)」


 飲まず食わずの人形の頃は入れなかった輪の中にようやく混ざれた事が嬉しくて、もう一杯。


 ちびり、ちびり、ぐびり、ぐびぐび……。




「……なあウタ、大丈夫か?」

「んん~~ゥ? なにがァ?」


「お前、大分酔っぱらってるだろ……」

「あはっ、あはははっ! 私が酔ってるってェ?! バカにしないでくれたまえウソップくゥん!!」

「いやどんなキャラだよ……イデッ、イデデ!」


 数十分後、チョッパーの心配虚しく完全に出来上がったウタの姿がそこにあった。


 あまりの泥酔ぶりに若干引いているウソップの肩を力一杯叩き、普段の倍以上大口を開けて笑うウタ。その声を聞きつけて、反対側でロビンと談笑していたナミが顔色を変えて駆け寄ってくる。


「ちょっとウタ、あんた顔真っ赤じゃない! どんだけ飲んだのよ!?」

「んん~ふふふ……、分かんないっ!!」

「分かんないって……」

「も~ナミまでェ~。私は酔ってません!! 大っ、丈っ、ぶい!!!!」

「いや、それ素面のテンションじゃないわよ絶対!」


 真っ赤な顔でVサインを掲げながらふらふら振り子のように揺れている姿は、誰がどう見ても大丈夫そうには思えない。

 ひとまず酔いざましの水を飲ませる為、キッチンに居るサンジに持ってくるよう頼み、ウタを椅子に腰掛けさせる。


「フッ、完全に酒に呑まれてンなァ」

「飲んだ量的にお酒自体にはそこそこ強いんでしょうけど、まだ飲むペースが分からないのね」

「ヨホホ、可愛らしいですねェ」

「そうか……? おれは肩が砕けそうだぞ……」


「ほら、今サンジくんが水持ってきてくれるからそれ飲みなさい」

「はいっ!!!!!!」

「いや声量」


 酒の力でよほど気分がいいのか、赤い顔でずっとにこにこ揺れながら笑っていたウタだったが、次第に気だるげに項垂れはじめる。

 

「んん~~……ナミィ、あつゥい……」

「お酒飲み過ぎるとそうなるのよ。次からはちゃんと--」

「もういいや脱いじゃえ」

「ちょっと待てェい!!」


 サンジから受け取ったコップを渡そうとウタの方へ振り向くと、アルコールのせいで熱っぽいのが煩わしいのか、生まれたままの姿になろうとワンピースに手を掛けていた。

 生活を共にしている仲とはいえ、男性陣にうら若き乙女の裸を見せるわけにはいかない。ナミが慌てて両腕を押さえて止めるが当の本人はそんなのお構い無しだ。髪の輪っかをぴょこぴょこ揺らしながら服を脱ごうとしている。


「ポンポンスポポンウタテンポ♪」

「歌ってる場合か! やめなさいウタ!」

「"ウタ"が"歌"ってるゥ~~。あははっ!」

「笑ってる場合でもないわ!」


「おいウタァ、お前飲み過ぎだぞ。ちょっと休め」


 酔ったせいでリミッターが無くなっているのか、普段の彼女からは考えられない強めの力で抵抗するウタ。苦戦していると、いつの間にか近くまで来ていたルフィがウタの背後から肩を持ち、再び椅子に座らせた。


「んゥ~~」

「ナミ、水くれ」

「あ、う、うん。ほらウタ、飲んで」

「あい……」


 たまたま気分の波が落ち着いたようで、椅子に座った途端先ほどまでとはうってかわって大人しく水を飲み始める。


 ゆっくり飲み干した様子を見計らうとルフィは屈んで自分の背中におぶさるよう促した。


「んじゃ、おれこいつの事部屋運んでくる」

「ありがとうルフィ、よろしくね」

「おう」


「……ルフィって、たまに冷静な対応見せる事あるよな」

「ふふっ、ウタの事だと特にね」

「大変だァ! ウタが脱ごうとしたのを見てからサンジがうつ伏せで倒れたまま動かねぇよお!」

「ほっとけそんなヤツ」


 ウタを背負ったまま女子部屋を目指す。彼女を背負うのはドレスローザ以来だろうか。


ようやく念願の元の姿に戻れたばかりだというのに、必死に駆け回って戦って、数年振りに見た真っ白な柔肌は擦り傷だらけだった。加えて顔を合わせるなり人目を憚らず互いにわんわんと泣きじゃくったものだから完全に体力を使い果たしてしまった。

 歩けなくなったウタを背負った時、背中越しに伝わってきた重みと温もりは今でも覚えている。


「体があつい~~ふわふわぽかぽかするゥ~~」

「酔ってんだから、あんま頭揺らすなよ」


「ルフィの背中もあつい~~」

「くっついてっからなあ」


「んふ、ふふふ……」

「ホントに大丈夫かお前」


「生きてるって感じがする……」

「……そうだなあ」


 片手に力を込めウタの体を抱えながら、もう片方の手でドアを開く。運ばれてる間に大分落ち着いた様子のウタを下ろし、ベッドに誘導する。


「ゥしっ、それじゃおれ行くぞ。また明日な」


 これで一安心だな、宴に戻るか。踵を返そうとした時、ぐんっとシャツの裾が何かに引っ張られ、進行を遮られた。


 振り返りベッドで横になっているウタの方へ視線を下ろすと、顔半分を腕の中にうずめたまま、ルフィのシャツを掴んでいた。腕の間から覗く瞳はわずかに潤んでいる。


「…………傍に居てよ」

「…………おれ、まだ全然肉喰ってねーんだぞ」


 その体勢のまま暫く無言が続いたが、根負けしたのか、ふぅーっと強く息を吐き出すと、近くにあった椅子を引き寄せて座った。


「ナミたちが戻ってくるまでなっ!」

「ん……」


 腹はとても空いているが、普段あまり弱音の類いを漏らさない強情張りな幼馴染みの頼みだ。聞くしかあるまい。やれやれと頬を手についた。


「おやすみ、ルフィ……」

「おう、おやすみ。ウタ」


 次第に瞼を下ろし、ゆっくりと寝息をたて始めるウタを見つめながら、「こいつにはもう少し酒の飲み方を教えてやらねば」と思うルフィだった。



「--はァっ?! 私がべろんべろんに泥酔して笑って暴れて服を脱ぎかけた?!」


「あんたもしかして記憶無いの?」

「全っっっ然覚えてない……」

「…………」


 --訂正、固く固く誓うルフィだった。

Report Page