邂逅

邂逅

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 クゥ……クゥ……

 今日も、海は穏やか。

 シャンクスによると、東の海は安全な海なんだって。

 確かに、最近はシャンクスたちも戦闘をしている様子はない。

 波に揺られて、風の向くまま。

 いや、もちろんログポースを辿ってはいるんだろうけれど。ただ、こうやって穏やかな波を見ながら、海風を全身に感じていると、なんだか自分まで風になったような気分になってしまう。

 クゥ……クゥ……

 鳴き声のする空を見上げてみれば、雲の少ない青空を、翼をいっぱいに広げた海鳥が悠々と渡っていく。

 どこに行くのだろう。

 どこから来たのだろう。

 頭で思っただけで、答えが返ってくるわけもない。もちろん、口に出したとしても。

「おい、ウタ、何を見ているんだ?」

 わたしが空を仰いでいると、後ろから声がかけられた。

 振り向かなくても、誰かはわかる。

 だって、それはわたしのお父さんの声だから。

「鳥を見てるの」

「ほう……」

 そう言って、赤い髪を風に揺らしながら、彼は空を仰いだ。

 「あれはオオウズカモメだな。遠くにいるから小さく見えるが、ウタよりずっと大きな鳥だ」

 「へえ、シャンクスってば物知りー」

「ここいらだと珍しい鳥じゃない。だが、たまに人を攫うという話も聞く。もしかしたら、ウタを狙ってきたのかもしれないな」

 にやりと笑いながら、シャンクスが言う。

 わたしはわざと頬を膨らませて見せる。

「あんな鳥になんか負けないもん! わたしだって、赤髪海賊団の一員なんだから!」

 シャンクスはあっはっはと口を大きく開けて笑うと、しゃがんでわたしと目線を合わせて、ポンポンとわたしの頭を叩いた。

「うちの音楽家は勇ましいな。だが、まあ悪いことは言わない。怪我をしないうちに、部屋に戻っていなさい」

「えー、もうちょっと景色を見てたかったのにィ」

「可愛い娘を持つと、父親は心配なんだ」

「えへへ」

 可愛い、と言われて思わず照れてしまう。

 そのまま、シャンクスに背を押されて、わたしは船室へと戻される。

「あ、そうだ、シャンクス」

「なんだ?」

「次に行く島ってどこなの?」

 わたしの質問に、シャンクスはああ、と頷いた。

「フーシャ村だ。知り合いを探してね」

 

 

 

 

 フーシャ村──。

 ゴア王国から山を越えた、島の外れにある小さな村だ。

 村人の数も多くなく、良く言えば静かな、悪く言えば寂れた村だった。

 子供なんて、ほとんどいない。

 最年少の人間も、既に十代になっている。

 そんな寂れた村の片隅。

 港の外れにある、小さな桟橋に寝転がる少年がいた。

 年齢は十代後半に見える。

 精悍な顔つきの、体中に傷跡のある少年だった。

 麦わら帽子を顔にかけ、頭の後ろで腕を組んで、穏やかな呼吸をしている。

 足元には糸を垂らした釣り竿が固定されている。どうも彼は眠ってはいないようだ。

「…………ん?」

 帽子が微かに動く。

 何かに気が付いたのか、少年が身じろぎをしたのだ。

 釣り糸は、動いていない。

 すぐに興味を失ったように、少年は再び穏やかな呼吸を始める。

 しばらくして、少年の耳が、足音を拾う。

 聞きなれない足音だった。

 何故なら、そんなに軽い足音は、子供以外にあり得ないから。

「ねえ、お兄さん、誰?」

 足音の主が、少年の頭の傍にしゃがみこんで、少年に声をかける。

「…………」

「ねえってば!」

 つんつんと帽子をつつかれて、一度無視を決め込もうとした少年は、むくりと体を起こした。

「おれは村の漁師で、釣りの途中だ。それより、おチビちゃんは?」

 漁師の少年の問いに、少年に声をかけた女の子が頬を膨らませた。

「おチビちゃんじゃない! わたしには、ウタっていう名前があるんだから!」

 ほー、と気のない返事をして、少年はポリポリと頭を掻いた。

「それで、おチビちゃんはおれになんの用事なんだ?」

 ウタはその少年の様子に腹を立て、キッと少年を睨みつけた。

「わたしは赤髪海賊団の音楽家、ウタだよ! あんまりバカにすると、シャンクスに頼んでやっつけてもらうんだから!」

 気だるそうにしていた少年が、シャンクスと聞いて、ピクリと体を固めた。

「?」

 ウタが首を傾げるが、そんなウタを気にも介さず、少年はガバリと起き上がると、しゃがみこんでウタと視線を合わせた。

「…………へー、シャンクスの所に、こんな子がいたなんてなァ」

「え、シャンクスを知ってるの!?」

「さァね」

 少年は立ち上がってズボンを払うと、釣竿を引き上げて、空っぽの桶と釣竿を持ち、その場を離れようとする。

 ウタは慌てて少年の前に回り込んで、両手を広げた。

「待ってよ!」

「何だよ?」

「まだわたしの用事が済んでないでしょ!?」

「用事が何なのかも聞いてないけどな」

 少年ののらりくらりとした物言いに、ウタは地団駄踏んで腹を立てる。

「だから! わたしは今人を探してるの! シャンクスの麦わら帽子を持った黒い髪の男! あなたでしょ!?」

 少年は溜め息を吐いた。

「確かにおれは黒い髪だし、麦わら帽子は持っているけど、これがシャンクスのかは──」

「そうやって娘をからかうのはやめてもらおうか」

 ウタの後ろから、そんな声がかかる。

 げ、という声が少年の口から洩れた。

「お前、本当に来てたのかよ」

「久しいな、ルフィ“元”少佐。……ウタ、よく見つけてくれたな。後でご褒美をあげるから、船に戻って待ってなさい」

「えー」

「大人の話だ」

「はーい」

 残念そうに言って、ウタはパタパタと村の方へと走って行った。

 ウタが走り去るのを見送ってから、赤髪のシャンクスが「さて」と少年──ルフィに声をかけた。

「なに、海軍をやめたお前に、今更特別な用事があるわけじゃない」

「……じゃ、何しに来たんだ?」

 警戒心を隠そうともしないルフィに、シャンクスは苦笑して言う。

「おいおい、別にここで事を起こしたいわけじゃない。せっかくの穏やかな村に迷惑を掛けたくはないし、お前と戦うのは骨が折れる」

「……だろうな」

「わかってくれたなら結構」

 シャンクスは小さく肩を竦めた。

「少しばかり東の海に用事があってね。そしたら、風の噂でおれたちによく突っかかってきた海兵が、海軍を引退したと聞いたものだからな。少し冷やかしに来た」

「余計なことすんなァー」

 うんざりした顔をして、ルフィが言う。

 そんなルフィの顔を見て、シャンクスが口を開けて笑った。

 ひとしきり笑った後、シャンクスが真剣な声色で尋ねた。

「なあ、ルフィ。一体何があったんだ? おれからしたら、厄介な敵がいなくなるのは嬉しいが、海軍的には大きな痛手だろう?」

 その質問に、ルフィは麦わら帽子を目深に被り、シャンクスに背を向けた。

「…………言う必要があるか?」

「別にねェよ」

 へっへーと意地の悪い笑みを浮かべて、シャンクスが言う。

 その様子に、ルフィは意地を張っているのが馬鹿らしくなったようにため息を吐いて、ぼそりと零した。

「……海軍になって、いろいろやりてェことがあったんだけど、……まァ、簡単に言えば世界に絶望した」

 振り向いたルフィの瞳は、深い憂いを帯びていた。

 悪いのは、時代か、世界か。

 シャンクスは真面目な表情に戻る。

「それで漁師か……。何があった?」

「そこまで言う義理はねェよ。敵同士だろ?」

「今はただの顔見知りじゃねェのか? 海軍辞めたんだろ?」

「それもそうだ」

 そう言ってルフィは、再び桟橋に向かうと、釣り糸を垂らした。

「お? どこか行くんじゃなかったのか?」

 シャンクスのその問いに、ルフィは嫌そうに顔を歪めて答える。

「さっきのウタってコが、お前の名前を出したからな。会わないようにと思ってよ」

「だっはっは! 手遅れってわけだ!」

「まァな」

 ルフィが気のない返事をする。

 シャンクスはそんなルフィの傍にしゃがみこんで、ルフィの肩に手を置いた。

「あともう一つだ。ルフィ」

「何だよ?」

「お前、おれに返すものがあるだろ?」

 今度はシャンクスが少し怒ったように言う。

 ルフィは一瞬きょとんとしてから、すぐにああ、と納得したように言った。

「ああ、この帽子か?」

「そうだ。なんでお前が持ってるんだよ」

「お前と戦った後、拾ってそのまま持って帰ってきちまったんだよ。使ってみたら、案外暑くねェし、日差し避けにぴったりだからな。返さねェぞ」

「頼むよ。ロジャー船長の形見なんだ」

「まーた嘘ばっかり」

「本当だって!」

 どちらが年上なのかわからないような会話をしていると、不意に、二人の耳に甲高い音が届いた。

「──!?」

 シャンクスが、立ち上がって振り返る。

「ウタか?」

 それは、愛娘の悲鳴のように聞こえた。

 こんな村に、悲鳴を上げねばならないものがあるのだろうか。

 シャンクスがそれを尋ねようと振り返ると──。

「……いねェ」

 そこに、既にルフィの姿はなかった。

 留め具に置かれた釣り竿が、キィと音を立てた。

 

 

 

 

「や、やだっ、離してっ!」

 腕を掴まれて、身動きの取れなくなった女の子が喚く。

「ダハハっ、離すかよ! ガキは良い値で売れるんだ!」

「売らないにしても、使い道もたっぷりだ。グヘヘ」

 女の子を拘束しているのは、海賊らしい。

 フーシャ村から離れたところに船を止め、村までやってきたらしい。

 下卑た笑みを浮かべながら、髭面の海賊と、禿げ頭の海賊が、女の子──ウタを引きずって歩く。

 ウタも必死で抵抗しようとするが、齢九つの女の子が、大人の海賊に力で敵うはずもない。

「たっ、助けて、助けムグッ」

「うるせェガキだな。舌を切り落としてやろうか」

 苛立ったように、髭の海賊が言う。

 ウタは涙を流しながら、ガタガタ震えていた。

 こんなの、海賊じゃない。

 シャンクスたちは、こんなことをしない。

 これは、ただの悪党だ。

 だから、シャンクス、みんな、早く助けてよ……!

「チッ、そうだ、最初から黙ってりゃいいんだ。クソガキがよ」

「もう気絶させてこうぜ。下手に暴れられんのも疲れちまう」

「違ェねェ」

 禿の海賊が、拳を振り上げる。

 ウタは、次の瞬間に自分の身に降りかかるであろう暴力と、その痛みを想像して、顔を背けて目を固く瞑った。

 ドゴン!!!

 しかし、いくら待っても、その瞬間は来なかった。

 代わりに、頬を撫でたのは一陣の風。

「な、な……!?」

 拘束が解かれて、ウタは何が起こったのかわからず、薄っすらと目を開けた。

「え!?」

 そこに、信じられない光景があった。

 数メートルは離れている崖に背を預けて、伸びている禿の海賊。頭から血を流しているところから見るに、どうやら凄い勢いで崖にぶつかったらしい。

 そして、髭の男はというと……。

「おい、おれの村で何してんだよ」

 一回り体格の小さい男に喉を掴まれて、息も絶え絶えに顔を歪めていた。

「ぐ、げェ……」

 その男、ルフィはその男を片手で軽々と、禿げの男の方へと投げ飛ばした。

 地面に顔から落ちた男が、ぶべっ、と情けない音を上げる。

「その男を担いで、さっさとこの村から出て行けよ。次、その面を見せたら、命はないものと思え」

 静かな低い声に、髭の男は「ひい」と悲鳴を上げて、一目散に逃げて行った。

 一部始終をあっけに取られて見ていたウタは、ぺたんと腰を抜かして地面に座っているままだった。

 ルフィはしゃがみこんで、そんなウタに優しく声をかける。

「よ、ウタ。怪我はねェか?」

「う、うん……う、うぇぇえええ」

 頷いてから、ウタはようやく安心しきったように、ボロボロと涙を流して泣き始めた。

 ルフィは困ったような顔をして、頭に被った麦わら帽子を外すと、そんなウタの頭に半ば押し付けるようにその帽子を被せる。

「くそ、ウタ、無事か!?」

 遅れてやってきたシャンクスが、声を荒げて言った。

 ルフィが立ち上がって、シャンクスの方へ向き直り言った。

「もう終わった。遅かったな」

「お前が早すぎるんだよ。引退しても一線級の実力だな、くそったれ」

「…………力があったところで、どうしようもねェよ」

 吐き捨てるように言ったルフィに、再びかけられるのは別の男の声。

「おい、本当にいるじゃねェか、ルフィ少佐?」

「……元を付けてくれよ、ベックマン」

 そこにいたのは、おそらく同じく悲鳴を聞きつけて駆け付けたであろう、赤髪海賊団の副船長だった。

「おれの爺ちゃんの故郷の村なんだよ。いちゃ悪いか?」

「いーや、別にそうは言ってねェだろ。ただ、お前さんほどの男が埋もれるには惜しいと言っているだけだ」

 ベックマンは煙草を揺らしながら、銃を担いで飄々と言う。

「……敵にそう言われるのも調子が狂うなァ」

「今はもう敵同士じゃないだろ?」

「さっきもシャンクスにそう言われた」

 肩を竦めるルフィに、ベックマンが苦笑を漏らす。

 すると──。

「うァーんん! 恐かったよォ、ルフィお兄ちゃん!!」

 ずっと泣いていたウタが、そのままルフィの足に抱き着いて来た。

「え!?」

 思わず目を見開いたルフィに、シャンクスとベックマンが爆笑した。

「だっはっは! お兄ちゃんだってよ、ルフィ。お前もおれの子供になるか!?」

「女の子に好かれるとは、お前さんも隅に置けねェじゃねえか!」

 恥ずかしさや赤髪海賊団の野次への怒りやらで、ルフィは一瞬ウタを引きはがそうか迷って、すぐにそれを断念した。

 泣いている女の子を、邪険にすることはできなかった。

 そんなことをしているうちに、ほかの赤髪海賊団の面々も集まってくる。そして、状況を説明されて、彼らはルフィを指差して笑うのだった。

 赤髪海賊団の笑い声と、その娘の泣き声に挟まれて、ルフィはぽつねんと立ち尽くす。

 その日はフーシャ村に、新たな風が吹き込まれた一日だった。

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