遠く、彼方

遠く、彼方


 突然変異か、霊圧を消せる巨虚というあまりに特殊なものが院生達を襲った事件から1週間が経ち、意識を取り戻し緊急手当の終わった修兵は精神的な安定も考慮してか四番隊から拳西宅に移っている。


 今回の修兵に限ったことではないが、あまりに回道で回復をしすぎると身体の自然な反応としての自己治癒能力が育たないことになりかねないため、四番隊は戦時の、確実な戦力確保が必要な場合を除いては傷を治しきることは案外少ない。

 そのため修兵も、常に傷が痛む状態ではないが、まだ傷の影響からの発熱が引ききらず、微熱で少しぼんやりとした状態が続いている。

それでも常に痛みがあるわけではないため、ぼんやりと庭を眺めた。


「水…」

あげなくて大丈夫かな、と考え、昨日少し雨降ってたから平気かと思う。

庭の槐についてだ。そんなことよりも考えるべきことがあるはずなのに……。



「修兵…」

「けんせー、さん…」

「痛むか」

「いいえ、痛みは、もう…、ほとんど…」

「……そうか。アイスクリーム、食うか」

「え?」

「昔から、熱が出た時はそうだろ」

「…………そう、でしたね。じゃあ、いただきます」


******


「おいしい…。」


一口食べてそうこぼした修兵の頬がやっと少し緩んだ。とはいえとても明るいと言えるものではないが。

「そうか」

「このお家に住んでた時は熱を出すと毎回食べてたけど流石に院生になって寮に入ってからはちょっと体調崩したくらいじゃ帰宅はしなかったから…」

「そういやそうか。じゃあ年単位で久しぶりか?俺も気づけばよかったんだがお前が長期休みで帰って来てた時作ってやればよかったな」

「わざわざそんなこといいですよ。そんなのイヅルや○○兄たちに知られたらまた過保護にされてるって言われちゃいます」

「いいじゃねぇか、大した手間でもねぇしな。一時期は毎日食べてただろ」

「…お風呂は入れたご褒美、でしたね。甘やかされてるなぁ……」




 瀞霊廷に来たばかりの修兵は風呂という当たり前のことを全く知らずに怖がり、湯気の立つ湯船に浸かることも頭を洗うことも怖がって仕方がなかった。

それでも清潔にしていなければ病のリスクは増える。まだ体力がないからこそ風呂は欠かせなかった。


「ほら今日も抱っこしてたから大丈夫だっただろう?あとは猫さんのスポンジで身体洗って、その後抱っこで頭洗うぞ」

「いたい?」

「痛くないし怖くないぞ。いちばん最初の時に痛かったのは、目を閉じなかったせいだけどもう修兵は、シャンプーの時は目をギュッと閉じるのは覚えただろ?だから大丈夫だ」

「うん。あわがついてるときだけは、けんせーをみようとしちゃだめ。」

「そうだ。見ようとすると目を開けないといけないからな。見えなくても抱っこしてる。頑張れたら後でアイス食べような」

「あいしゅ…」

「飽きたか?」

「あいしゅ、たべる。がんばる。」



******


「食べ物につられるなんてゲンキンだなぁ…」

「餓鬼なんてそんなもんだろ。懐かしいな

な」

「……あの頃の入浴グッズって捨てちゃいました?」

「流石に水に濡れるスポンジとかは、捨てねぇとな」

「そうですよね……。……おいしい。」

 もう一口食べて初めてあの頃のように無邪気にニコリと笑ったかと思うと、その一瞬後にスプーンを起き、泣き顔の代わりのように切なく微笑む。


「あの頃と、変わってないんだ、俺。……大きくなったと思ってたのに……。」

「修兵?」


「怖がって、自分じゃ何もできなくて、拳西さんが助けてくれるの待って…」

「何言って…」「今回も…」


「イヅルや恋次や、雛森に助けてもらって、拳西さんに助けてもらって。……なのに俺は、俺を呼んだ蟹沢を助けられなかった…。」

「修兵!」

「拳西さっ、のっ、言う通り、だった。俺なっ、か、じゃ、役に、立たな…」

「修兵!!!」



ここまで大声を張り上げたのは7年前、修兵が院を受験したいと言って大反対した時依頼だ。

「ごっ、っ、ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめ…」

「違う。そうじゃねぇ。怒ってるんじゃねぇよ。俺の話を聞け」


 出逢った頃のように完全に怯て泣き始めてしまった修兵の頬に手を添えて1度息を吐き、自分を落ち着けてから拳西は話し始めた。

「今のお前は色々間違ってる。まずお前たちは院生だ。そして俺は護廷の隊長。俺らが院生を護ることなんて当たり前だ。俺らはお前達以外にも散々院生のこと護って来たぞ」

「それにな、お前が何もできないとか、役に立たないなんていうのは完全に間違ってる。1回生達が逃げる時間を作ったのは誰だ?俺じゃねぇぞ。イヅル達にも話を聞いたが3人とも口を揃えて言ってた。『自分達は恐慌状態だったり放心状態だったりで、何が起こってるのか全然解ってなかった』

でもな、『檜佐木さんが戦う姿見て、やっと戦わなきゃいけないって思えた』んだと。」


「そんな…「アイツら自身がそう言ってるんだ。嘘じゃない。なんなら次にあった時に確かめると良い。どうせ見舞いの許可が出たら真先に会いに来るんだから」

「……」

「だからな修兵、お前があいつらに命を救われたのも間違いないだろうが、お前が戦ってなきゃ、多分全員死んで、終わってたんだ。……頑張ったな。」


「――――っ、ぁ、っ、ァッ、で、っ、も、俺…は……っ」

「同期の子も、ちゃんと解ってるさ、あの状況じゃ誰だってきっとどうしようもなかったってな」

「でも…っでも、」


 頬に添えたでだけでは足りなくなって、修兵を抱きしめると、修兵はあらん限りの力で拳西に縋りついてきた。

それでも、鳴き声という叫び声は上げずに、泣くのだ。

その泣き方が、切なかった。


「修、死神になるの、やめるか?」

「……っ、や、め、ない」

「………そうか」

「目の傷は、どうする?視力は戻るようにしてくれたらしいが、傷はどっちでもいいらしい。俺は消してほしいんだけどな」


「消さ、ない!忘れ、ないから、けんせ、さんが消せって、言っても…」

「消さないか」

「消さ、ない…」



そうか、と拳西は言った。


まだ細い肩を抱きながら拳西は実感する。

庭に幸福の木が生きているというのに、この子は今、ただただ無邪気な幸福とは永遠に訣別したのだと。


 護ってやりたかった。全てから。ただ幸せであれるように。

 そうではない道を歩むことを認めたことを、後悔しそうになっても、後悔してはいけないのだ。


庭に、幸福の木が見える

ふと視線を転じると、残っていたはずのアイスクリームが溶けて形を失っていた。


涙のようだ、と、詩人でもないのにそんなことを、思う―――。




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