運命の双子

運命の双子


 モンキー・D・ルドルフ。

 今やその名を知らぬ者はこの海には存在しないだろう。

 かつて“新時代の英雄”と称えられた伝説の海兵にして、『神』に反逆した大罪人として非業の死を遂げたモンキー・D・ルフィとその妻ウタ。

 彼ら二人の息子として生を受けたルドルフは、自身の母が最も忌み嫌った海賊へと身を落とし、破竹の勢いで勢力を拡大した。


 “黒ひげ”マーシャル・D・ティーチを粉砕し、名実ともに四皇の一角に名を連ねるに至ったその武力もさることながら、彼を語る上で最も恐るべきはその残虐性だ。

 主に世界政府加盟国を積極的に襲撃し、王族も貴族も民間人も、時に『神』天竜人すらも見境なく虐殺して回る様は、祖父モンキー・D・ドラゴンを押し退けて“世界最悪の犯罪者”と称されるに相応しい振る舞いだろう。




 “魔王”ルドルフ。

 “神殺し”ルドルフ。




 人は彼を畏怖の念を込めてそう呼ぶ。

 そして今日もまた、そんな彼に目を付けられた憐れな国家が、暴虐の限りを尽くされていた。


「さあ、怒れ! 集え! 謳え! 破滅の譜を! 貴様らの悲鳴と慟哭こそを、我が偉大なる父母に捧ぐ鎮魂歌としよう! あまねく生は死に還るが良い!」


 母から受け継いだ美しい赤髪を撫で上げながら、荘厳な金色の鎧に身を包んだルドルフは大仰に腕を振るう。

 すると彼の背後から黒い巨腕が出現し、街並みを一息に薙ぎ払った。

 破砕された瓦礫が冗談のように舞い上がり、血飛沫と肉片もろとも落ちてくる光景はさながらカーテンコールのよう。

 炎と煙と泣き叫ぶ声だけが支配するその光景には、つい昨日まで賑やかな港町として栄えていた面影はどこにもなかった。


「おのれ“魔王”! これ以上貴様の好きにはさせんぞ!」


 破滅の進軍を続ける彼の前にしかし、立ち塞がる者たちがいた。

 『正義』の二文字を背に背負い、純白のコートを靡かせる彼らは、海軍本部が誇る精鋭の将校たちだ。

 威風堂々とした頼もしきその姿に、逃げ惑う市民たちは微かな希望を見出だす。しかし、


「悲しいなぁ、この程度の戦力で止められると思われているのか。おれも随分と安く見られたものだ」


 並の海賊にとっては恐怖の象徴である彼らも、しかしルドルフからすれば何の障害にもなりはしない。

 芝居がかった口調で苦笑混じりにそう洩らした。


「ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᛏ ᛏᚨᛏ ᛒᚱᚨᚲ」


 ルドルフは優雅に瞳を閉じて、聞き慣れぬ言語の歌を唄い上げる。

 これが劇場であれば誰もが聞き惚れるだろう絶世の美声が、全く似つかわしくない戦火燃え上がる戦場に響き渡った。

 同時、彼の背後に出現していた巨腕が地面に手を着け、まるで立ち上がるような動作を取る。

 黒いシルクハットに白い道化の顔をした怪物が、ずるりと音を立てて出現する。


「トットムジカ……!」


 将校の中の誰かが、声を振るわせて呟く。

 ウタウタの実の能力者が、古の呪われた譜面を歌うことによって姿を現すという魔王が。

 先代の能力者であったルドルフの母が最期まで制御できず、使用することのなかった禁じ手が、いとも容易くこの世界に顕現した。


「招かれざる客にはお帰り願おうか」


 ルドルフはパチン、と指を鳴らす。

 背後のトットムジカの口許から目映い閃光が放たれ、屈強な将校たちはゴミのように吹き飛ばされた。


「嗚呼、母よ。見ておられますか。貴女から受け継いだこの崇高なる力の輝きを。どうか父と共に見守りください。お二人の無念は必ずやこのおれが晴らして見せまする。腐り落ちた世界に終止符を……」


 さながら神に祈りを捧げるが如く、恍惚の表情でルドルフは天を仰ぐ。

 しかしそこであることに気付いた。

 何かがこちらに落ちてくる。


「ゴムゴムのォ~~!! “戦斧”!!」


 それは踵だった。

 さながら鞭のように伸びたそれが、唸りを上げてルドルフに殺到する。

 ルドルフはトットムジカの巨腕によって容易く凌いだ。

 遅れて、小柄な影が彼と相対するように着地する。


「ルディ!」


 果たして影の正体は少女だった。

 白黒のツートンカラーの髪を靡かせ、真新しい軍服に身を包んだ女海兵。

 おぞましき悪逆を働くルドルフを親しげな愛称で呼びつつも、その両目は力強く彼を睨み付けている。


「やっと……やっと追いついた! お願いルディ! もうこんなことはやめて! お父さんもお母さんも、こんなこと望んでない!」


 少女は声を振り絞って叫ぶ。

 一方、ルドルフは茫然と目を見開いていた。

 目の前に唐突に現れた海兵の少女を、ただじっと見つめている。

 そしてやがて、その瞳から一筋の涙が零れ落ちた。


「今日は何て素晴らしい日だ……」


 万感の思いが込められた呟きを洩らす。

 ルドルフは歓喜に打ち震えたように、小さく首を振りながら少女に語りかけた。


「メロ! 我が最愛の妹よ! よくぞこの兄の元へと帰ってきてくれた! 兄さんは嬉しいよ!!」


 狂喜。

 まさしくそう呼ぶに相応しい振る舞いで、ルドルフは感激の涙を流しながら言った。

 一方、メロと呼ばれた少女はどこか悲しげに、口許をギュッと引き結んでその異様を見据えている。


「モンキー・D・メロ少尉……何故ここに来た。貴様には旗艦での待機命令を下していたはず……」


 トットムジカの閃光を受けながらもどうにか意識を保っていた将校が、呻き声混じりにメロに告げる。


「申し訳ありません、少将。ですがあの男だけはどうしても、私の手で止めなければならないんです。━━あれは、私の兄ですから」


「やめろ。あれは貴様の敵う相手ではない。上官命令だ、ただちに戦線を離脱せよ!」


「すみません。その命令は聞けません。それにここに来た以上、あいつはもう私を逃がしてはくれませんよ。戦って倒す以外では」


「馬鹿者が……!」


 上官の言葉を背に受けながら、メロはルドルフに向かって一歩踏み出す。

 ルドルフは相変わらず歓喜の相を浮かべながら、優しく両手を広げた。


「さあ、おいでメロ。久々の再会だ。まずは抱擁を交わそうじゃないか。積もる話はその後にでも……」


「悪いけどルディ。今のあんたに私から話すことはないし、抱き合うつもりもない。大人しく牢獄に入るなら面会くらいはしてあげるから、神妙にお縄に付きなさい」


「ふむ?」


 ルドルフは理解できない、という様子で首を捻った。

 事実、彼には理解できなかった。

 偉大なる父母より血を分けし最愛の妹が、何故自分を拒むようなことを言うのかが。


「分からないならもう一度言ってあげるわ。海賊モンキー・D・ルドルフ。あんたは今ここで私が捕らえる。海兵として引導を渡してあげるの。それがあんたの双子の妹として、私ができる唯一の罪滅ぼしだから。そうしないと天国のお父さんとお母さんに顔向けできないもの」


 言って、メロは拳を固く握り締めた。

 胸に去来する幼い日の両親や兄との暖かな思い出を、振り払うように。


「……なるほど」


 妹からの実質的な決別宣言を受けて、ルドルフは先ほどまでとは打って変わった酷薄な声色の囁きを発した。

 されどその怒りは、メロとは別の何者かに向けられているようだった。


「可哀想なメロ、お前はまだあの裏切り者に洗脳されたままなのだね。安心すると良い。この兄が今、その呪縛を解いてあげよう」


「曾おじいちゃんは、裏切り者なんかじゃない!」


「いや、最低の裏切り者さ。あの耄碌した老人は、自らの孫とその妻よりも腐りきった神とやらを守ることを優先した。英雄とは名ばかりの、保身しか頭にない下劣な豚屑だよ。あの高潔な父と血が繋がっているとは思えぬほどに、醜悪極まりない」


「この……!」


 メロは激情に駆られるまま、腕を振りかぶった。

 彼我の距離はまだ10メートルほどもあり、とても拳の届く範囲ではないにも拘わらず。


「ゴムゴムのォ~~!! “銃”!!」


 しかし次の瞬間、驚くべきことが起きた。

 メロの腕がしなるように伸びて、ルドルフの元へと一直線に射出されたのだ。

 これこそがメロの食べた悪魔の実、ゴムゴムの実の能力である。

 奇しくも彼女の父が有していた能力と同じものを手に入れたのは、果たして偶然か必然か。

 ともあれ、彼女の繰り出した拳は常人では目で追うことすら困難であり、ルドルフの頬を確実に捉えるものと思われた。だが、


「ほう、やるじゃないかメロ。以前よりも拳の精度が上がっているね」


 ルドルフはそれを、素手で難なく受け止めていた。


「だが悲しいが妹よ。その程度では到底、この兄を捕らえることなど不可能だ」


「あ、この! 放しなさいよ!」


「威力も速度も父には程遠い。その様子ではギアも2をどうにか短時間使用するのがやっとで、覚醒はおろか4や3にすら到達できていないのだろう? それでは駄目だ、あまりに弱すぎる」


「……!!」


 たった一度拳を受けられただけで、自身の力量を正確に見破られたことに、メロはただただ絶句した。

 ルドルフはそんな彼女の隙を突いて、空いたもう片方の手で指を鳴らす。

 途端、メロの身体が光の帯のようなもので拘束された。


「きゃあっ!?」


 驚いた声を上げて、倒れ伏すメロ。

 ルドルフはゆっくりと彼女に歩み寄る。


「お前は父のゴムゴムの実を、おれは母のウタウタの実をそれぞれ食った。両親の形見とも言えるそれらをおれたちが受け継ぐことができたのは誠、運の良いことだ。あるいは運命とすら呼べるやも知れん」


「…………」


「しかし、おれたちの力にはこれほどの差がある。おれはウタウタの能力を覚醒させ、ウタワールドで生み出したものを現実にも持ち込めるようになった。母が手を焼いたというトットムジカもこうして手中に収めた。対してメロ、お前は父が用いた力や技をほとんど引き出せていなければ、覇気を纏うことすら満足にできていない。━━断言しよう。お前は父のようにはなれないよ」


 ルドルフの言葉は、メロの心を深く抉った。

 記憶の中の父はいつだって力強く、自分たち家族を守ってくれていた。

 私もいつかあんな風に強くなって、今度は私がみんなを守るんだと、子供心に意気込んでいたのを覚えている。


 しかし、憧れた背中はあまりにも遠い。

 それを他ならぬ兄の口から突き付けられたことが、メロにとっては相当にショックだったのだ。


「嗚呼、だが心配する必要はないぞ。愚かで可愛い妹よ」


 失意のメロに対して、ルドルフは甘く囁く。


「これからはこの兄が、いつでも傍で守ってあげよう。もうお前が戦う必要はない。ただ特等席で、おれがこの醜い世界に幕を引く様を観覧していれば良いのだ」


「ふざけないで! 私は海兵よ! 海賊の仲間になんてならない!」


「勿論だとも。お前はおれのただ一人残った大切な家族なのだから、仲間などという捨て駒にするつもりは毛頭ないさ。家族はいつでも共に居るものだからね」


 ゆっくりと、ルドルフはメロに手を伸ばした。


「さあ、家に帰ろうメロ。今夜は久しぶりに、兄さんと一緒に寝ような?」


 そしてその手がまさしく、メロに触れようとしたその時、




「ごめんよルディくん。そういうわけにはいかないんだ」




 唐突に現れた男が、ルドルフを思いっきり殴り飛ばした。

 すんでのところで気付いて防いだものの、勢いは殺しきれず十数メートル以上吹っ飛ばされる。


「何ッ!?」


 体勢を立て直したルドルフが向き直ると、桃色の髪を靡かせた額に傷のある男が、メロを守るように構えていた。

 その姿を見たメロが叫ぶ。


「コビーさん!」


「ごめんねメロちゃん、来るのが少し遅くなった。でももう大丈夫だから安心して。後はぼくが何とかするから」


 男━━コビーは力強い笑みをメロに向けると、そのままルドルフに視線を戻した。

 コビーの姿をはっきりと認めたルドルフもまた、獰猛な笑みを浮かべる。


「これはこれは、お久しぶりですコビーさん。それとも今は、海軍大将“白羊”とお呼びすればよろしいか?」


「どっちでも好きに呼べば良い。それよりもルディくん、素直に降伏してくれるつもりはないかな? 一緒に来ていた君の仲間は全員捕らえたよ」


「嗚呼、彼らはもう全滅したのですね。全く、捨て駒とはいえもう少し頑張ってもらいたいところでしたが、相手が貴方ならばそれも酷というものでしょうか」


 一見すると和やかに会話しているようだが、彼らの間には見るものが見れば卒倒しかねないほどの殺気の渦が巻いていた。

 どちらもすぐに仕掛けられるように、ジリジリと足の置き場を探している。


「久しぶりの兄妹水入らずの時間を邪魔するとは、しばらく会わぬうちに随分と無粋になられたものだ。海軍上層部というのは、よほど配慮に欠けていなければ務まらぬと見える」


 言って、ルドルフは浅く空気を吸った。

 さしもの彼もコビーに対しては強く警戒しているらしい。トットムジカによる力任せの殲滅戦ではなく、彼を自らの世界に閉じ込める手段を取ろうとしたのだ。

 しかし、直前にピタリと歌うことをやめる。


「その耳、何か仕込んでますね?」


「君の能力はこちらもよく把握しているからね。ぼくだけじゃなく兵士全員が装備している。毎度のことながら、SSGの技術力には舌を巻く思いだよ」


 コビーはトントン、と自分の耳を指で軽く叩いた。

 インヴィジブル・シンフォニアシステム。 

 一見するとただの耳栓にしか見えないこの装置は、ウタウタの実の能力対策のためだけに独自に開発された新装備だった。

 ウタウタの能力者の歌声から発せられる、極めて特殊な催眠波のみを遮断するという代物であり、これによって聴覚の阻害という耳栓の最大のデメリットを廃することに成功したのである。


「━━それでどうする、ルディくん。ウタワールドへの幽閉は出来ない。その怪物を使ってぼくと戦うかい?」


 コビーは油断なく拳を構える。

 “海軍の英雄”拳骨のガープの直弟子にして、現在の海軍本部における最強の男が、臨戦態勢に入っていた。

 ルドルフは興が削がれたとばかりに肩を竦める。


「やめておきましょう。貴方が相手となればさすがにこちらも無事では済まない。まだ時期ではないのでね、この場は失礼させて頂こう」


「ふざけ……ないで! 逃がすと思う!?」


 光の拘束を無理やり弾き飛ばして、メロがゆっくりと立ち上がる。

 鬼気迫る形相のメロを、ルドルフは慈しむように優しい笑顔で見つめながら、


「済まない、メロ。今日のところはひとまずお別れだ。お前にはまた寂しい思いをさせてしまうだろうが、今しばらく辛抱してほしい。必ず迎えに行くと約束する」


 瞬間、ルドルフの身体がふわりと浮いた。

 トットムジカの巨腕がまるで翼のように、大きく羽ばたいて彼を持ち上げたのだ。


「━━いつかまた、一緒に暮らそうな?」


 そう言い残して、暴虐の魔王はその姿を消した。


「ルディ……」


 遠ざかる兄の姿を、妹はただ茫然と見送るのみ。

 かつて確かに隣で過ごし、笑い合ったはずの片割れの背中が、今はあまりにも遠かった。

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