『連続小説リテイク事件』

『連続小説リテイク事件』

あにまん掲示板:【AIのべりすと】安価ファンタジー【物語を書いてみる】


 その時、天が割れた。

 夜空に浮かんでいた星々は、硝子に描かれた虚飾と成り果て、ヒビ割れた天の向こうから本当に空が姿を現す。それは生命を育む世界への、悪意に満ちた呪いの宇宙。

 眩き輝きが空を染め、地に流星群が降り注いだ。


 空間そのものが軋むような激しい衝撃に、空中駆逐艦が激しく揺れる。


「被害報告!」

「バリアは健在!ジャイロ修正、78%!空間異常を周囲に感知!」

「地上が、地上が真っ赤です! 我らの大陸が……」


 指令所に映し出された周辺地形図には、降り注いだ流星群による衝撃と超高熱に焼き尽くされたかつての大陸が映し出されたいた。生命など一つも残っていない。


「第二波、来ます!」

「回避!!!」


 流星群が再び降り注ぐ。白く染まった天は、絶望に染まっていた──────。


 ◆◆◆


「人の研究所の休憩所に陣取りコタツの一角に潜り込んで、なにをしているのかね」

「小説を書いています!」


 今ちょうど、邪悪宇宙からの使者、暗黒艦隊司令と、コズミック駆逐艦を駆るクルーたちの絶望的な戦いが切って落とされたところであった。

 私の筆はノリノリである。このまま一気にエンディングまで書いちゃいたい。

「やっていることを聞いているんじゃない。なぜゆえ当然のように人の研究所を自分の書斎のように利用してるのかと聞いているのだ」

「それは、ほら。自分の家で書くよりも、程よい緊張感のある外で書いたほうが効率良くなる感じ、分かりません? 事実、今こうして私の筆はノリノリで進んでいるのでその効果は証明されています!」


 えっへん、と胸を張って答える。

 研究所の家主であるアンドレさんは顔を抑えて呻いた。


「君ねぇ……、進捗はどうなっている?いつ終わって帰ってくれるのかね?」

「はい! クライマックスに差し掛かってきました!」

「そうかい。それなら良い。はやく帰れ」

「もちろんですよ!」


 アンドレさんの研究所は、お仕事スポットとしては最適だった。

 具体的にはコタツ!最近は季節もあってずいぶん寒くなってきたので、足元が冷え性の女の子には厳しい季節なのだ。

 この世界、タイツとかないんだよね。エセファンタジー世界なのに。でもズボンは蒸れるからちょっと慣れない。そんな私にはコタツはたまらない誘惑なのです。

 アンドレさんとはお仕事のお手伝いをお願いした時に知り合ってしばらく経つが、今ではすっかり気心知れた間柄である。嘘です全く気心知れてません。

 でも、こうして小説の執筆のためにご自宅のコタツに居座っても、即追い出されないくらいには仲良くなった。嫌味は言われるけどね!


 さて、私が書いてるこの小説は、もちろん今回のお仕事と関係がある。

 だって私は小説家じゃなくて探偵だ。小説を書くことそのものを目的にはしない。


 じゃあ、なんでこの小説を書いてるかというと──────


 ◆◆◆


「んー、これぐらいかな」

 書き上げた小説の束を机でトントンとまとめて、カバンの中に詰め込む。

「それじゃーいってきまーす」

「帰ってくるな」


 アンドレさんと心温まる挨拶を交わして、私は都市部の郊外にある、星を崇める会の教団の隠れ家へと向かった。


 星を崇める会、というのはマイナーな宗教で、この世界で一番信仰されている女神教からは、いわゆる邪教のレッテルを貼られた集団だ。

 まぁ、邪教といっても危険度はそれぞれで、星を崇める会のように、地方の田舎などに集まって大人しく活動してるような人たちは活動を見逃されていることも多い。

 本人たちはそんなに邪悪ではない、というか意思疎通はできるので、私はそういう人たちの仕事を請け負うことがある。今回の仕事もそれだ。


「おじゃましまーす」


 森の奥に打ち捨てられた、苔むした石柱群。その下に彼らの隠れ家はある。

 ちょっと外からは見つけにくいけど、石柱郡の根本の石台には下に降りる段差があって、そこから螺旋階段が地下に続いているのだ。

 入り口は頑丈な鉄格子になっているけれど、鍵はかかっていない。


「……んー、はいっちゃいますねー」


 小声で言ってみる。いつもは一人はいるはずの、見張りの人がいないのは、つまりは取り込み中ということだ。外で待つのも嫌なので、入らせてもらうことにする。

 ギィと鉄の軋む音がして扉を開けて中に入った。

 地下は、洞窟のような作りになっていて、そこかしこから光が漏れている。その光は、壁に掛けられた松明の火が放つものだ。


 私が訪れた時は、ちょうど集会が行われている最中だった。

 星を崇める会はいつも一箇所に集まることはせず、定期的に集まって集会を開く。

 彼らは、星を崇める会と名乗っているが、その実、彼らが崇拝しているのは星ではない。星に住むという神、それに眷属達である。

 星を崇める会は、そうしたものの存在を知り、彼らに祈りを捧げているのだ。


「キィィィィ、キィィィィィィィ」


 祈りを捧げる教団員達の中央に、奇妙な姿のものがあった。人ではない。

 異様な形状のそれは、ありてこの世界のものでよく似ているものを挙げるとすれば植物に近い。もちろんただの植物ではない。その表面は絶え間なく変形を続ける流体で形作られている。翼を、腕を、瞳を生み出しては、再びその肉体に溶かして、また新たな肉体を生み出す。

 その表面が変形する時に擦れる音が、まるで鳴き声のように聞こえるのだ。


「ご依頼の品、持ってきましたー」


 カバンから取り出した紙束を持ち上げ声をかけると、祈りを捧げていた教団員たちが一斉に振り返った。

 ちょっとビビって後ずさってしまうが、別に怖い表情ではない。


「こちらに」


 仕事の依頼の時に会った教団のえらい人、恰幅のいいおじさん(頭から黒いローブかぶってる)が落ち着いた歩みでこちらに来ると、手のひらを差し出した。

依頼料は先に受け取っているので、ためらわずに原稿の束を渡す。


「儀式を見ていかれますか?」


 ふと、思い出したように聞かれたので、私は少しだけ考える素振りをしてみせた。

 儀式の声が広間に響く。鉄の擦れる音が繰り返し耳に響いている。


「こいつが私の儀式ですよ」


 そして彼の左頬を渾身のストレートでぶん殴った。


 彼が倒れるのと同時に、触手が襲いかかってきたのを、身を低くすることで避けた。そのまま床に手をついて、後ろ回し蹴りを放つ。

 触手の一本が千切れ飛んだ。だが、すぐに別の触手が生えてくる。

 どうやら、本体を攻撃するしかないようだ。


 私は、すかさず隠し持っていた拳銃を構えた。額に流れる汗を意識しながら、狙いを定める。蠢く植物生命体。その中心に生まれた瞳に狙いを定め──────


 ◆◆◆


 無事に小説を書き終えた私は、さっそく原稿を依頼主に渡しに行くことにした。

 アンドレさんに挨拶すると、彼は顔をしかめて言った。


「君はどうやら、ずいぶん厄介な依頼主に関わっているようだな」

「そうですか? 今回のお仕事は小説を書くだけだから、すごく楽ちんですけれど」


 首を傾げてそう応えると、アンドレさんはしばし考えるような顔をしてから、けっきょく一言「好きにするといい」と口にして、猫を追っ払う仕草で私を見送った。

 依頼主は、都市部の外れにある、小さな教会の牧師さんだった。

 その依頼内容は、星を崇める会について調べることだ。


 この世界では、宗教活動は許可制で、国ごとに管理されている。

 その宗教の教義が、他の国の法律に反していないか、または、その国がその宗教を認可するだけの理由があるかを調べて報告するのが、今回受けた依頼の内容である。

 もちろん、宗教活動そのものの調査を教会が行うことは是とはされていないので、これはあくまで非公式の依頼である。

 この世界には、女神教以外にもいくつかの宗教が存在する。

 例えば、星を崇める会のように、特定の神を信仰しない宗教もある。

 しかし、そういった宗教の中には、女神教の布教活動を妨害したり、女神教の信徒に対して嫌がらせをしたりと、問題を起こすものもあるのだ。

 女神教の信者は、この世界の住人の大多数を占めている。なぜなら女神がこの世界を作ったと信じられているからだ。

 そしてもしこの世界が危機に陥った時には、女神が現れ、その力でこの世界を救うとされている。だから、女神教の使徒はこの世界の人々から大切に扱われる。

 逆に、女神教の信仰を持たない人々にとっては、女神は恐れるべき対象なのだ。


 依頼主と約束した待ち合わせ場所は、教会の片隅にある懺悔室だ。

 こちらは懺悔をする側で、牧師さんは懺悔を聞く側。二つの部屋は木の格子で阻まれ、互いの姿はヴェールで姿を隠されている。

「こちらがご依頼にあった、星を崇める会の活動内容に関する報告です」

 カバンから取り出した紙束を、木の格子の下の隙間を通して渡す。するすると向こう側に紙束が引き込まれていくと、しばしの時間、紙束が捲られる音が続いた。

「ふむ、ふむ……よく書けている。素晴らしい。素晴らしい、報告書だよ」

「光栄です。牧師様」

 牧師はしばらく黙り込んでいたが、やがて静かに語り始めた。


 この世界は女神によって作られた。

 女神は、この世界を救うために、この世界に生きるすべての生命を生み出した。

 そして、女神は我々にこう告げたのだ。


 ────女神の眷属よ、今こそ立ち上がれ。女神の敵を滅ぼせ。


 女神の敵とは、女神を信仰しない異教徒たちだ。女神の敵を滅ぼすために、我々は武器を手にした。武器を手に、異教の民を殲滅せよ。

 我々の正義は、女神の教えは、女神の祝福を受けた我らが同胞たちによって、必ずや成し遂げられることだろう。


 ────汝らに、神の加護があらんことを。


 牧師の言葉を聞き終えて、私はゆっくりと息を吐き出した。


「それは、ちょっと極端な筋書きじゃないかと思います」

「…………なぜ?」

「だって、この世界の人たちは、女神様を信仰していない人でも、それなりに世界を愛してるじゃないですか。なのに、どうして異教徒を皆殺しにしないといけないんですか。そんなことしたら、女神様はきっと悲しんでしまいますよ」

「そうかね?」

「それに……えっと、……その……私が、困るので」

「……ふむ、君は、ずいぶん変わった子だね」

「そうでしょうか?」

「そうだとも。……まぁいい。この話はやめよう」


 牧師さんはあっさりと話を打ち切った。

 そして先程の話などなかったことのように、こう続けた。


「それならば、君はこれからどうする?」


 ◆◆◆


 私は河川敷にいた。流れてくるBGMはレゲエ。

 激しいリズムに自然と身体が動き出す。ステップを刻みながら、踊るように歩く。


「私の名はモニュ。モニュ・葦原21歳。女性で探偵。処世は万全。親しい友人はモニュと呼ぶ。大都会に住んでいる。悪いやつはだいたい友人」


 私は河川敷で踊っていた。

 丘の上の方から草むらを踏みしめて、星を崇める会の教団員たちが駆けてくる。

 裸足で脚を踏みしめて、大地のリズムを刻みながら。

 彼らは左右から模様を描くように、整然と駆けて集まって、私の後ろにずらりと整列した。ワン、ツー。ドラムの音に合わせて全員が同時に同じステップ。


「イッツ、ショータイム!」


 教団員の幹部の恰幅のいいおっさんが、ステッキを手に声を上げた。

 この踊りは体操だ。健康のためのダンスだ。私は、両手を腰に当てて、自信満々に胸を張って、顎を上げてみせる。手をまっすぐ空にかざして、一気に下ろす。

 流れるような一連の動作のすべてに意味がある。肌に汗が珠のように浮かび、激しく私達が跳ねるたび、それが宙に散って飛沫を上げる。


「レゲエは魂のダンス。だれだって踊ることができる。リズムに乗るのがレゲエの流儀。私は知っている。あなたたちのすべてを。祈れ、祈れ、星に祈れ」


 私は、後ろを振り返った。

 そこには星を崇める会の一段がいる。

 教団員たちは、全員が同じポーズでずらりと並んでいる。なにかを求めるように、その手を宙に伸ばしたまま固まっている。その瞳に宿るのは陶酔。

 ドン、ドン、と体の芯まで響くドラムの音。

 再びダンスが始まった。レゲエのミュージックが鳴り響く。ドラムとギター、ベースの音が、同時に混じってかき鳴らされる。一人の手じゃとても足りない。

 河川敷で水に浸かって、蠢く巨大な植物がすべての楽器を担当していた。

 彼なら手の数は十分だ。なんあら楽器だって自家製で、自分の体に生やしている。そしてスピーカーもないのにこの河川敷全部に響くぐらいのよく通る音。

 教団員たちは陶酔の中、あふれる音の波に身を任せていた。


「キィィィィィィィ」


 その喉の奥から、音が聞こえる。人の喉から聞こえる音とは思えない、何かがこすれるような音。音楽を鳴らす巨大植物も、同じ音を鳴らしていた。

 私は口を閉じたまま、手拍子でリズムに合わせる。リズムに合わせて音が大きくなっていく。それはレゲエのミュージック。たぶん彼らの歌なのだ。


 最高潮になるとともにばしゃ、ばしゃ、ばしゃ、と、激しい飛沫があがる。


 音楽を奏でていた巨大植物の表皮から、硬い鉱物が剥げれて零れ落ちて、水面を叩いたのだ。それは純度の高い巨大な岩塩。

 彼らの種族は求める食欲が満たされた時、喜びとともにこれを落とすのだ。


 教団員たちの喝采とともに、巨大植物のドラムがエンディングを告げて──────


 ◆◆◆


 無事に小説を書き終えた私は、さっそく原稿を依頼主に渡しに行くことにした。


「うむ、素晴らしい物語だ。雑多な情報量が複雑に絡まり合って、交わらず四方に散っていく。これは実に味わい深い。楽器を体に生やすというのも良いな。新感覚だ」


 膝の上の猫が満足そうに喉を鳴らしながら合成音っぽい声で感想を述べた。

 言っていることはまるで分からないけど、どうやら満足していただけた模様だ。

 私はお猫さまの喉を撫でてみた。ゴロゴロ鳴いた。


「妙なものを連れ込むな」

「無害なネコチャンですよー。ねー、ニャンタロウー?」

「ニャーン」


 ニャンタロウは合成音っぽい声で鳴いた。ごめんちょっとキモい。

 気の利く私は、お猫様の無害さをアピールするために、抱っこしてお腹を上にさせつつ、お腹のもふもふを撫でる可愛がりを実施する。


「ほーらこんなに可愛いですよ! フンスフンス」

「虐待するなよ」


 なんという失礼なことを。お猫様は気持ちよさそうにしてるから正義なのだ。


「撫で方のパターンに物語性を加えて欲しい」


 注文の難易度が高くなってきたので、私はお猫様のかわいがりを諦めた。

 書き上げた小説の束を机でトントンとまとめて、カバンの中に詰め込む。


「それじゃーいってきまーす」

「帰ってくるなよ」


 アンドレさんと心温まる挨拶を交わして、私は都市部の郊外にある、星を崇める会の教団の隠れ家へと向かった。猫がトコトコ私の後ろをついてくる。


「おじゃましまーす」


 森の奥に打ち捨てられた、苔むした石柱群。

 その下に彼らの隠れ家はある。ちょっと外からは見つけにくいけど、小さな土台に下に降りる段差があって、そこから螺旋階段が地下に続いているのだ。

 入り口は頑丈な鉄格子になっているけれど、鍵はかかっていない。


「やぁ、ずいぶん早かったね。星の御子様に捧げる物語は完成したかい?」

「できましたできました。三本立てですよー」

「なんと、そんなに書いたのか」

「そんなに書いたんです。どうやら星の御子様はお腹が空いてたみたいですねー。でも、ようやく満足してくれそうですよ」

「それは素晴らしい。ささ、こちらに。すぐに儀式を始めよう」


 鉄格子にかかった鍵を開けてもらって奥へと向かう。

 猫がトコトコついてくるが、教団員のおじさんはまるで気にしていない。ちらりと猫を見てみたが、別に何かやってるわけでもないみたい。

 たぶん、普段からこんな調子で教団の回りをうろついてるんだろう。


 教団の隠れ家の奥、儀式の広間には星を崇める会の教団員たちが集まっていた。

 その中央には、例の巨大な植物モドキ。翼に腕、脚、目と口。もっと色んな形を作っては溶かしてゆっくり明滅しながら、その流体で形作られた表面を蠢かせている。

 教団員が道を空けた。

 猫は何でもないような顔で植物の方へと歩いていくと、その中に飛び込んだ。

 猫だったものは、巨大植物の中に溶けて混ざり、一つのものになる。


「キィィィィ、キィィィィィィィ」


 待ちかねたかのような甲高い鳴き声が広間に響くと、教団員たちは喜びの歓声をあげて、それぞれ儀式を準備しはじめた。

 これから祭りのはじまりだ。

 楽しそうに広間を幾何学模様の布で飾り付けていく教団員たちを見てから、私はそろそろお暇するかなと、入口の方に視線を移した。

 すると、私から受け取った原稿の束を手にしたままの教団員のおじさんが、広間へと向かう途中に、ふと足を止め振り返った。


「儀式を見ていかれますか?」 


 鉄の擦れる音が繰り返し耳に響いている。

 私は少しだけ考えて、こう答えた。


「お構いなく。ラーメンの注文と一緒にもう済ませたことですから」

「は?」


きょとん、とした顔で目をしぱしぱ瞬かせる教団員のおじさんに、私はそれ以上は何も答えずに、ただ笑顔で手を振って広間を後にした。

  

「さすが星の神子様の声を聞ける方の言葉はワシのようなものには分からんな……」


 そんな言葉が耳に届いた気がするけど、聞かなかったフリをして広間を後にした。後ろからは教団員たちの詠唱の声が聞こえてくる。

 彼らは私の書いた物語を、教団員たちが揃って謳い上げているのだ。

 そして、彼らが謳う物語への代償として、星の御子は自らの肉体を変性させて岩塩を生み出す。この奇妙な共生関係を、星を崇める会はずっと続けてきた。これからもそれは続くのだろう。


 ◆◆◆


 そんなわけで、私はアンドレさんの研究所にスキップで戻ったのだけれど。

 なんと注文していたラーメンはできていなかった。


「えー、アンドレさん用意してくれてないんですかー? お仕事がぶじに成功したらラーメンご馳走してくださいってお願いしてたじゃないですかー」

「君はそんなことを私に言っていない」

「え? だってほら、たしか最初の小説。あの宇宙戦争のやつを書きはじめる前に、アンドレさん休憩室に顔だしたでしょ? その時に私、言いましたよ?」

「本当に?」


 眼鏡の奥で、堕天使の科学者が目を細めた。酷薄な笑みが口元に浮かんでいる。


「君のその記憶は、自分の書いた、自分に都合のよい物語ではないのかね?」


 音が消えた。そんな感じがする。

 急に足元が崩れるような錯覚は、自分の見ている現実が不確かなものだと感じた、その時に感じるものだ。ぐらりと歪んだ景色が斜めになる。

 そういえば、私はいつから小説を書き始めて、いつ小説を書き終えたんだろう?

 それとも私は、今も小説を書き始めているのだろうか?


「……ちーがーいーまーすー!」


 なんてことを、私は考えたりしない。

 だって物語の中の世界には、美味しいラーメンは存在しないのだ。

 テキストのレシピは味の情報を完全に伝えられない。

 たとえ喋る猫だって、広大なる宇宙を旅する流動植物生命体だって、物語の中に住む限りは体の芯まで温まるラーメンは食べられないのである。


「チッ」


 舌打ち一つ。アンドレさんは研究室に引っ込んだ。


「お、おー、なんかこっちまで届いてくる、このいい匂い! これはもしや、これはもしやしっかりスープ煮込んで、しっかり準備してたやつー!?」

「うるさい。お前がラーメンなどと言うから、久しぶりに食べたくなっただけだ」


 そしてその手のお盆の上で、たいへん美味しそうな匂いを放つ湯気をあげている、アツアツのとんこつラーメンを手に帰還したのだった。


 ◆◆◆


『連続小説リテイク事件』 END

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