途中経過(10/16 15:00)
──ほんのちいさな気の迷いだったのだ。
夏の空気が爽やかで。
渡る風が心地よくて。
こんな何もない小さな村でも、
夏一杯に咲き誇るひまわり畑だけは、
都会にも負けない名物だ。
──ちょっぴりだけ回り道だけど、
あのひまわり畑を見ながら帰ろうかな、なんて、
放課後のささやかな企み。
だから、ふと見覚えのある横顔が
目に飛び込んできたのも、
ただの偶然だったのだ。
──あれ、東くん?
××か。
珍しいな、こんなところで。
同級生の東くんだった。
私と同じく、ひとりで帰るところだったようだ。
同級生といっても、話したことはほとんどない。
名前を憶えられていたことに、
ほんの少しだけ驚く。
あ……えっと、少しだけ寄り道というか。
東くんこそ珍しいね。
家はこっちの方なの?
口にしてから、しまったな、と思った。
東くんの家は、この先にある神社だ。
村の人ならだれでも知ってる。
口をきいたことがない私でさえも。
そうだけど。
あ……そ、そうなんだ。
私も家向こうの方なんだ。
途中まで一緒に行ってもいい?
そう。好きにすれば。
……つい、帰りのお誘いをしてしまった。
方向が一緒なのは本当だけど、
適当に理由をつけて別れてもよかったのに。
夏のまだ明るい道を、並んで一緒に歩く。
彼の方が少しだけ背が高くて、
少しだけ歩幅が大きい。
──綺麗な子だ。
わずかに自分より上にある横顔を眺めて、
そんなことを思う。
夏のさなかだというのに、
練絹のような肌には汗ひとつ浮かんでいない。
かといって乾いているわけでもない。
人魚が居たらこんなだろうかと思うような、
不思議なくらい瑞々しい肌だ。
(なにか特別なものでも塗ってるのかな……)
何。俺に訊きたいことでもあるの。
あ……東くんは、帰りはいつもひとりなの?
教室でも人と話してるところ、
あんまり見ないよね。
お前、よくそういうこと本人に訊けるな。
図太いって人から言われないか?
う、そうかも、ごめん……。
今のはちょっと、デリカシーなかった……。
別に。本当のことだし。
噂なんか気にして、
変に気を使われるほうが面倒くさい。
……ねえ、東くん。
あの噂ってやっぱり本当なの?
その……告白した子が怪我をしたとか。
夜中に神社の前を通りかかった人が
変な音を聞いたとか。
ふうん、そういう話になってるのか。
俺が「お手付き様」だから。
──この村には、変わった風習がある。
男の子は一定の歳になるまで、
夜のあいだ女の子の格好をさせて育てるのだ。
「七つまでは神の子」という言葉がある。
七歳くらいまでの小さい子供はかよわくて、
すぐに神様に連れていかれてしまうのだと。
特に連れていかれやすいのは男の子。
女の子には魔除けの力があって、
悪い神様や魔物は手出しができないのだという。
だから、夜のあいだは女の子の格好をさせて、
暗がりの悪いものから身を守らせるのだ。
そう聞いている。
ただの迷信だ。
子供を健やかに育てるための、一種のおまじない。
大きくなれば普通の格好に戻すだけ。
──でも、そうでない場合がひとつだけある。
それが「お手付き様」だ。
東くんが住んでいる神社は、
「千手様」と呼ばれる村の守り神を祀っている。
普通の人には、神様の声は聞こえない。
姿を見ることも許されていない。
お手付き様以外が千手様の声を聞くと、
怒りにふれてたちどころに罰が当たる
──と、村では言い伝えられている。
この村の子供ならみんな、
「千手様の祠には決して近寄ってはいけない」と
言い聞かされて育つ。
でも不思議だよね。
神様のお嫁さんになるのに、
どうして魔除けをしなきゃいけないんだろう。
大事な嫁に悪い虫がついたら困るからな。
他のやつには触らせるなってことだろ。
やらしいよな。
(笑った……)
そういえば、今は男の子の格好なんだね。
まだ日が暮れる前だから?
ああ。
だいたい帰る前に学校で着替えるけど、
暑いから面倒になった。
たしかに、毎日じゃ大変だね……。
でも東くんならなんか似合いそう。
ちょっと見てみたいかも。
そうか。じゃああっち向いてろ。
え、なんで?
なんでって、着替えるんだけど。
えっ、い、今⁉
まさかこんなところで、と動揺する私を尻目に、
東くんは鞄片手にざくざくと
ひまわり畑の中に入っていってしまった。
(お、男の子だなあ……)
たしかに背の高いひまわり畑の中なら
外からは見えないけれど、
女子には真似できない大胆さだ。
……心なしか、
衣擦れの音が聞こえるような気がして、
落ち着かない。
──できたぞ。
わあ……
──正直、予想以上だった。
服を着替えてかつらを被っただけの
化粧っけのない顔だけれど、
不思議とそれがしっくりくる。
綺麗でびっくりした……
いつも持ち歩いてるの?
ああ。汚れた時用に2着あるぞ。
そうなんだ……すごいね……。
律儀だなあ、と感心する。
口では面倒くさがるけれど、
決まりを破る気はまったくないようだ。
──じゃあ、俺の家ここだから。
──いつのまにか、神社の前まで来ていた。
お前も用心しろよ。
神様は嫉妬深いから。
ひそやかな笑みを残して、
東くんは行ってしまった。
──そんなことがあって、しばらく。
相変わらず学校で話すことはないけれど、
あれから何度か、東くんと帰りが一緒になった。
……うそ。本当は、帰る時間を少しずらした。
その……旦那さん、はどんな人なの?
旦那ねえ。
面白がるように口の端が上がる。
俺の旦那は……そうだな、
神様というくらいだから、
きっととても綺麗な人なんだろう。
東くんの隣にいても負けないくらい。
……なんだろう、胸が痛い。
いや、顔は見たことない。
え、どうして?
さあ……どうなんだろうな。
ついてるから男だと思うけど。
つ、ついて……
なんだか大変に卑猥なことを聞いた気がするが、
東くんは何事もなかったかのように話を続ける。
言っておくけど、覗こうとか思うなよ。
お手付き以外は姿を見ちゃいけない決まり、
お前も知ってるだろ。
う、うん。