逆行

逆行

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 ブルックがエレジアに来てから、一年の月日が流れた。

 本日のエレジアの天気は曇り。

 ウタたちは本拠地エレジアにて、新曲の作曲や練習、そして次のライブ遠征の計画を作る等して過ごしていた。特にウタは、ブルックから戦闘の手ほどきも受けているから、オフの月であるとはいえ忙しい。

 そんな中、ウタは気晴らしに散歩をしていた。

 場所は、エレジアの海岸線。

 曇り空ではあるが、風は強くないため、波も高くはない。

 ウタは波音を聞きながら、何かインスピレーションが降りてこないか、そして何か流れ着いて来ていないかと鼻歌交じりに歩く。

 海流の関係からか、この海岸線には様々なものが流れ着く。

 海賊の手配書だったり、船に積まれているような樽であったり、そして、電伝虫であったり。

(ふふっ)

 ウタは小さく笑みを漏らした。

 止まっていたウタの時を、再び動かすきっかけをくれたのはブルックだが、拾った電伝虫で行っていた配信がなければ、あの夜のやり取りもなかったのだろう。

 ウタのことを、今でも根強く“救世主”だと言う者はいるが、それももう気にならなくなっていた。

 ウタが音楽だけでできることは、既にもう精一杯やっているのだから。そこから先は、ウタがどうこうする話ではなく、彼らがどうするのかなのだから。

(ん──?)

 そんなことを考えていると、ふと足下に埋もれている貝殻を見つけた。

 この近辺には生息していない貝。

 しかし、ウタからすれば、よく見覚えのある貝殻だった。

「音貝《トーンダイアル》だ……」

 ウタは身を屈めてそれを拾い上げて、砂を手で払った。

 ウタは一瞬だけ、それが自分かブルック、あるいはエレジアの三人でリリースした楽曲のTDではないかと考え、すぐにそれはないだろうと気が付く。

 つい最近録音や出荷をしたものにしては、あまりにも年季が入り過ぎている。

 ウタはその音貝を再生するために、貝殻の先端を押そうと指を伸ばし、しかし再生はしなかった。

(持って帰ってブルックと一緒に聞こう。もしかしたら、昔エレジアで録音されたものかもしれないし)

 知らない音楽が入っていないかな、とウタは散歩を早めに切り上げ、足取り軽く家へと帰って行った。

────

 


 どうやら、散歩を早く切り上げたのは正解だったようで、ウタが家に辿り着くころには、ぽつぽつと雨が降り出していた。

 風も強くなり、嵐の気配すら感じられる。

 ウタは練習室で作曲に行き詰まり魂を浮遊させていたブルックを引っ張って、食堂へと来ていた。

 それにしてもさァ、とウタが椅子に座りながら言う。

「いつになっても慣れないよね、ブルックのその幽体離脱。見るたびに心臓が止まりそうになっちゃう」

 ヨホホ、とブルックはティーカップを傾けながら笑った。

「作曲に集中すると、つい抜けてしまうんですよね。この体は、魂の出し入れも自由自在。 何しろ私、一度死んでいますから!」

 いつも通りの変わらないジョークを、ウタは「はいはい」と慣れたように聞き流す。

 ブルックの幽体離脱は、ヨミヨミの能力の一端らしい。彼としては幽体離脱をする理由をそう茶化してはいるが、もしかしたら能力を鍛えるために、音楽を考えながら幽体離脱をしているのかもしれない。

 瓶を傾けてジュースをコップに移すウタに、ブルックが尋ねる。

「で、ウタさん、急にお茶しようなんて、何のご用です?」

 ブルックの問いに、ウタはいたずらっぽく笑うと、ポケットから拾った音貝を取り出して、机の上に置いた。

「ふむ、音貝ですか……だいぶ古そうですね」

 ブルックはその音貝を手に取ると、目の高さに上げてひっくり返したりひねったりしてまじまじと観察する。

 でしょ、とウタが言う。

「さっき海岸で見つけたんだけど、砂に埋もれてたから、もしかしたらエレジアの音楽が入ってるかもって思ってさ。聞いてみたいと思わない?」

 ニヤリと笑ったウタに、ブルックも体を乗り出す。

「是非に」

 かの音楽王国で録音された、失われた音楽を聞けるかもしれないということで、ブルックもその興奮を隠し切れない。

 机の上に音貝を置くと、ブルックはさあさあとウタに音貝を再生するよう促す。

「いやあ、この国で録音された音楽が聴けるかもと思うと、胸が熱くなりますねェ。あ、私もう熱くなる胸はないんですけど!」

「ふふっ、じゃあ再生するよ!」

 ブルックのスカルジョークに笑顔で応えて、ウタはその音貝の先端を押した。

「……?」

 音楽らしい音は鳴らない。

 代わりに聞こえるのは、ごうごうという音。

 パチパチという音。

 息の上がった人が上げるような、はあはあという音。

 ガラガラと何かが崩れるような音がして、ウタはビクリと体をすくませた。

「……ウタさん?」

 ブルックが声をかけるが、ウタは顔色の悪い頭を横に振る。大丈夫だ、という意思表示らしい。

 その間も、音貝は溜めた音を流し続ける。

 何者か──おそらくこの音貝を持った誰かが走るような足音。

 炎の燃えるような音。

 微かに聞こえるのは、半狂乱になった人の叫びだろうか。

「うっ──」

 ウタが口元を抑える。

「止めましょう」

 ブルックがそう言って、音貝の再生を止めようと手を伸ばし、その腕をウタが掴んだ。

 二人がそんなことをしている間にも、音は流れ続ける。

『〇月、〇日……』

 不意に、嗄れた男の声が音貝から聞こえてきた。

 日付を聞いて、ウタは確信する。

 ──わたしは、これを知っている。

 彼が言った日付は、エレジアの落日。ウタがシャンクスたちに置いて行かれたあの日。一度も忘れたことのない日付だ。間違いようがない。

 あの日、本当に何があったのかを、ウタは知らない。

 だから、きっとこれは貴重な記録なのだと、ウタは確信する。これ以上は聞いてはいけないと、脳が、体が拒否反応を起こすが、ウタは下唇を噛んでそれに耐えた。

(真実を、知りたい──!)

 あの日何があったのか。

 ブルックはそのウタの気迫に圧され、音貝を止めることができなかった。

『……後世に、伝わるよう、このメッセージを……残す……』

 粛々と、音貝の中に残った声は続く。

『昨日来た、赤髪海賊団が、悪だったのかは、わからない……。今も、彼らはあれと交戦中だ……。だが、一つだけ、確かな、ことがある。あの、天使の……魔性の歌声を持った、赤髪の娘、ウタは……危険だ』

 ひゅっ、とウタの喉が鳴る。

『……彼女の声で、魔王が、顕現した。あの子は……悪魔だ……。エレジアは……ものの数分で、壊滅した……』

 男がかすれた声で、現在わかっている被害状況を、淡々と述べていく。彼女の歌声で何が現れて、この国がどのような状況になったのかを。そこに、人的被害の報告はなかった。最後に呟かれた、『誰も生きてはいまい……』という言葉以外は。

『……彼女は、世界を、滅ぼす力を、持っている……。もう一度、言う……。あの娘、ウタの歌声は、世界を滅ぼす……! この記録が、誰かの手に渡り……、これ以上の犠牲を出さないための、措置を講ずることを……願う……』

 プツリと。

 音が途切れる。

 食堂に、沈黙が戻ってくる。

 静寂ではない。

 ウタの喉から聞こえる、ヒュウヒュウという苦しそうな呼吸音だけが、食堂に響いていた。

「…………ウタさ──」

「黙って」

 声を掛けようとしたブルックを、ウタが拒絶する。

 すべて、思い出した。

 ウタの心を守るために、防衛機制によって封印されていた、エレジアの落日の記憶。

(元凶は……、わたし──)

 そして、その引き金を引いてしまった曲が、ウタの頭の中でガンガンと鳴り響く。

 Tot Musica.

 魔王を呼び覚ます楽曲の名前。

 自分とこの曲のせいでこの国は滅んだのだと、ウタは理解をする。

 本当に悪いのは──。

「ウタさん、天気は悪いですけど、少し外の空気を──」

「……出て行って」

 自分でもびっくりするくらい、鋭く固い声が、ウタの喉から漏れ出した。

 その矛先を向けられたブルックは、「えっ」と声を上げて固まってしまう。

「出て行って。……出てけ」

「う、ウタさん、落ち着いて……」

「出てってよォ!!!」

 眉間に皺を寄せて、ウタが机を叩いて叫ぶ。

 ブルックがひるんだ隙に、ウタは肺いっぱいに息を吸い込み、がなり立てるように、先日作ったばかりの曲を歌い出した。

 その楽曲の名前は、“逆光”。

 海賊を代表する悪党どもに虐げられた民衆の怒りを、かつてウタが抱いていた痛みと恨みをテイストに書き上げた一曲だ。

 もちろんウタは、ブルックへ怒りをぶつけるためにその曲を歌い出したのではない。

 頭の中に鳴り響くあの曲を退けるには、これくらいのエネルギーを持った楽曲でなければ、飲み込まれてしまう。

 ウタに加勢するように、稲光が奔り、遅れて雷鳴が轟いた。

「まっ──」

 雨音が大きくなる中、待ってと言おうとしたブルックが、その場で崩れ落ちた。

 ウタの持つ、ウタウタの実の力だ。彼女の歌を聞いた者の精神を、夢の世界に閉じ込める力。精神が閉じ込められてしまった人々は、無論起きていられるはずもなく、昏倒することとなる。

 ブルックは今頃、ウタのいない夢の世界を漂っていることだろう。

 ウタは机の上に置かれた音貝を、ひったくるように乱暴につかむと、食堂を後にする。

 降り始めた雨は、しばらく止みそうにはなかった。


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