逆夢ロンダ
「お父さん、ほっかいどー行くの?」
七海がカバンに荷物をつめていると、うしろから声をかけられた。
振り返ると、息子の雄人がガッカリした顔で立っている。
「僕も行きたい」
「雄人…」
七海が呼ぶと、雄人が隣に来る。自分と同じ金色の髪をなでて、
「すぐに帰るから」
と七海が言うと、雄人は
「ウン…」
と、ガッカリしたままうなずいた。妻と同じ太陽の色の目は、まだ下を向いている。
「お土産も、たくさん買ってくるし…」
「ウン…」
七海建人は若いうちにマイホームを建てた。
若いうちに結婚して、若いうちに父親になった。
まわりからは、あせっていると言われたが、実際、七海はあせっていた。
七海の妻の優希には、高専生だったときに告白された。彼女の誕生日の前日に。
そのころの七海は、疲れていた。灰原の死と、夏油の離反。自分の無力さにイライラする。けれども、イライラすることじたい、七海はいやになってきていた。
高専を卒業したら、呪術師をやめよう。
呪術師をやめて、テキトーに働いて。
金さえ稼げたら、それでいい。
やり甲斐も、生き甲斐も、もう七海にはいらないのだから。
「好きだよ、建人」
そんな自分を、彼女は好きだと言った。
もしかしたら、イタズラなのかもしれない。ドッキリとか。とにかく、七海はすぐに返事ができなかった。そんな七海を、彼女はジッと見つめていた。
「バイバイ、建人」
返事は明日でいいと言われたので、七海は階段を降りはじめたが、前にも、ここの階段を降りた気がして立ち止まる。
(…今のは?)
…デジャブ。
そもそも、この階段を使ったのは今日がはじめてではないし、ここに似ている階段はたくさんある。だから、前にも来たような気がしているだけだ。
けれども、なんだか落ち着かない。
今すぐ屋上に戻らないと、ずっと後悔するような、そんな気がする。
(気のせいだ…)
どうせ、気のせいだ。
(明日になったら…)
どうせまた、神門に会える。
そのときまでに、返事を考えておかなきゃいけない。返事を考えないまま神門に会ったら、ぜったいに煽られる。だから今、神門に会う必要はない。でも、
「神門!」
七海はドアをあけた。神門がおどろいた顔で振り返る。彼女が立っている場所を見て、七海は走った。走って、彼女の腕をつかむ。
「なにを…しようと…」
息切れしながら七海が聞くと、神門は笑った。今まで、彼女がしたことがない笑いかただった。
「バンジージャンプ」
「紐無しでするのは、飛び降り自殺だ」
「そうだっけ」
「神門!」
「声デッカー」
七海は、ヘラヘラする神門を引っ張って階段を降りた。はやく屋上から離れたかった。
自動販売機で飲み物を買って、七海は神門に渡した。彼女は、今はおとなしくベンチに座っている。
「ありがとう」
「どういたしまして」
七海はベンチに座らずに、神門の前に立った。次、もし、彼女がまた変なことをしようとしたら、すぐにとめられるように。
「どうして、あんなことを?」
「…抵抗してみたくなったの」
「抵抗?」
「明日は私の誕生日でしょ?で、18になったら死ぬ。天与呪縛だからね。でも、それをおとなしく待つのは、ちょっとシャクだなーって」
「そんなことで…」
「そんなことじゃないよ。私にとっては」
神門はコーラを飲んだ。
「小さいときからわかってたけど、やっぱムカつくんだよねー。なんで、私は18で死ななきゃなんないワケ?って。ビョーキじゃないからさ、家族はあんまり信じてないし」
たしかに、と七海は思った。
七海も、高専に入学するまで、天与呪縛のことなんて知らなかった。彼女の家族だって、知らなかったハズだ。
「…わかったときに、言ってみたんだけどさ、メチャクチャ怒られてさー。そりゃそうだよね、フキンシンだもん。で、入学してから、天与呪縛っていうのがあってーって、説明してみたけど、なんかビミョーだった。たぶん、信じたくないんだろうなー。だからさ、」
「神門」
「天与呪縛とかいうワケわかんない理由で死ぬのは、やめようって思ったの。理由はほかにもあるけど…」
「神門は、それでいいのか」
「…わかんない。いいとか、悪いとか、そんなこと考えたって、時間が来たら終わっちゃうんだし」
まわりは暗くなりはじめていた。天与呪縛が本当なら、のこりは数時間だった。
「それは、困る。私はまだ、返事を言ってない」
「そんなこと言われても…」
「…コンビニ行きますよ、神門」
「いきなりだね。建人っぽくない」
神門は、笑ったまま座っている。
彼女が立とうとしないので、七海は手を引っ張って無理やり立たせた。
自転車に2人乗りして、コンビニに行く。七海は、本当はケーキ屋に行きたかったが、もうどこも閉まっていた。
コンビニで、ケーキとジュースと、たくさんのお菓子を買って、高専に戻る。
そして、七海は自分の寮の部屋に入ると、ゲームの電源を入れた。
「やりますよ。桃鉄99年」
「…本気?」
神門は、困った顔で笑った。七海の隣に座って、コントローラーを持つ。前までは、よく、3人で桃鉄をした。
ケーキを食べて、お菓子を食べながら、桃鉄をする。外はもう真っ暗になった。
「建人…」
「待ったは聞かない」
「言わないよ、そんなの」
神門が笑う。
「あのね、好きだよ」
テレビ画面を見ながら、神門が言う。
「…知ってます」
「…だからね、全部あげる」
「アナタの部屋の掃除なら…」
「私の全部、建人にあげる」
七海が神門を見ると、神門はもうテレビ画面を見ていなかった。彼女は、ジッと七海を見ていた。
時間はもうすぐ12時になりそうだった。
「神門…?」
気づくと、神門の顔が近くにあった。
唇になにかが触れる。それが、神門の唇だとわかったのと同時に、七海のなかで、境界があいまいになる。生と死の境界。彼女の呪力特性。
「神門、いったい、なにを…」
七海は、最後まで言えなかった。
キスをしてきた神門が、最後に笑ったかと思うと、ゆっくり倒れたからだった。
時間は、ちょうど12時だった。
「神門…神門!」
あわてて、七海は神門の体をかかえた。
(ウソだ。まさか、本当に…そんな…)
「…そうだ、家入さん」
反転術式で治してもらったら、きっと。
七海は神門を抱き上げた。真夜中に行ったら迷惑になるが、もう、そんなことは考えられなかった。死んだ人間に反転術式を使って、意味があるのかも、考えられなかった。
ただ、必死で…
「…ぐぅ」
「ぐぅ?」
七海は神門を見た。神門はスヤスヤと寝ていた。
「知らない天井だ…」
なんということでしょう。
神門優希は目が覚めました。次の日の朝です。
「そうでしょうね。私の部屋なので」
「…えっ!?」
声が聞こえて、神門が隣を見ると、七海が座ってこちらを見ていた。神門はあわてて起き上がった。
「えっ!ナニコレ!どういうコト!?」
「とりあえず、ベッド返してもらっていいですか。あと、出てってください」
眠たそうな顔で七海は言った。
七海の部屋を追い出されて、神門は首をかしげる。
(生きてる…なんで…?)
死ぬと思ってたのに。
「…えっ、じゃあどうしよ。建人にまた会うってコトだよね?…えっ、マジ?どうしよ!!!!!」
赤い顔で神門が叫ぶと、
「…うるさい」
とドアがあいて、七海に文句を言われた。ドアはすぐ閉められた。
「ふーん、そんなコトもあるんだー。おもしろいねー」
と、五条は神門を見て言った。
彼女には、もうほとんど呪力がなかった。術式も。呪術師としての神門優希は死んだ。
「トンチみたいでさ」
「そのしゃべりかたはトンチキですけどね、ハンガーラックパイセン」
「ンだァ…?テメェ…クソチビ」
「平均身長はありますもーん」
「俺からしたらチビなんだよ、クソチビ」
「…で、どうするんですか、これから」
五条と神門の口げんかを見ながら、七海が聞いた。
「補助監督…しよっかなって…」
「恥ずかしがってんの?気持ち悪いね」
「五条さん、やめましょう」
「白髪パイセンにはメチャクチャ任務いれてやるから…!」
「神門も、やめなさい」
「やってみろよ、バーカ!」
と、五条は子どもみたいなセリフを言って教室を出た。ちがう学年の教室に来るくらいには、五条なりに心配していたのかもしれない。
「…それじゃあ、建人」
「はい」
「これからもよろしくね」
「それは、どっちの意味で?」
「どっちのって?」
「だから…」
七海は神門の手をにぎった。
「好きです、神門」
そこからは、トントン拍子だった。
高専を卒業したら、七海はすぐプロポーズした。家もすぐ建てた。呪術師だからできたことだった。
あせっていた。
天与呪縛の年齢が変わっただけかもしれない、とか、あのときの落ち着かなさとかが、七海をあせらせた。神門の全部をもらうまでは。
スマホのホーム画面は、家族で撮った写真だ。それを、七海はジッと見ている。
(帰りたい…)
北海道には、なぜか五条がついてきた。特級が2人も同じ任務に行くなんて、無駄以外のなにものでもない。しかも五条は、雄人へのお土産にクソデカい木彫りのクマをあげようとする。七海はキレた。「どこにそんなクソデカ熊を置くところがあるんですか」と言えば、「でも七海の家デカいじゃん、イケルイケル」と五条は言った。ちがう、そうじゃない。
「でもさー、ホラ見てよ、コレ」
と五条は七海の前に、スマホ画面を近づけてくる。そこには、メッセージアプリが開かれていて、雄人と五条のトーク画面があった。
「悟くんへ、北海道にはクマがいるってほんとですか?だって。だから、コレ買わなきゃなって」
五条は雄人に「悟くん」と呼ばせている。ちなみに、はじめは「五条おじさん」だった。七海は爆笑した。
「普通のでいいんですよ、普通ので…」
「普通じゃ楽しくないじゃん」
「人の家を使って楽しまないでください」
七海はため息をついた。はやく帰りたい。とにかく帰りたい。けれども、まずは、
「今回の呪詛師は、私がやります」
「…言うと思った。めちゃくちゃキレてんじゃん、ウケる」
「ウケません。クソすぎる」
赤子の蘇生。
さっき、呪詛師から呪骸を買った母親に2人は会った。七海は、その母親を説得してなんとか呪骸を回収した。母親は泣いていた。その姿が、妻に重なった。母親の足元にいた小さな少年は、雄人と同じくらいの年齢に見えた。
ほかの呪術師が、この呪詛師を放置してもいいと考えても、七海はぜったいに許さないだろう。今の七海には、割り切っていいことではなかった。
七海は、術式の開示をせずに呪詛師を一刀両断した。会話をする気もなかった。
「今日もよく切れてんねー」
と笑う五条を置いて、七海は土産屋に行った。
七海が帰宅したのは、翌日の夕方だった。
玄関の前に立つと、勝手にドアがあいて、雄人が出てきた。
「おかえりなさい、お父さん」
「ただいま、雄人」
雄人を抱き上げて、七海は家に入った。
次は、エプロンをした妻が出てくる。
「おかえり、建人」
「ただいま、優希」
「お父さん、今日は一緒にご飯食べれるの?」
「もちろん」
「やった」
七海がうなずくと、雄人はうれしそうに笑った。雄人は笑顔が似てる、と笑顔の優希を見ながら、七海は思った。