逆光(ドレスローザ17)
Name?ドレスローザ、中心街──。
ルフィを見失ったドフラミンゴが、能力を使う。
それは、腹いせか、それとも梅雨払いか──。
使う能力は“寄生糸《パラサイト》”。
この国を乗っ取る際に使い、そして今回の混乱の為にも使った能力。
その能力の対象者は、剣闘士キュロスの娘、レベッカ。
操られた彼女は──
「やめて……! 嫌だよ……! ヴィオラさん、嫌……!!」
涙を流しながら必死で抵抗するレベッカ目の前に居るのは、ドフラミンゴの糸によって拘束されたヴィオラだった。
ウタと別れた後、彼女は『ドフラミンゴファミリーだった自分がケジメを付ける』と、ドフラミンゴに戦いを挑んでいたのだ。
「フッフッフフッフ……!!」
クイ、クイ、とドフラミンゴが指を動かす。
イヤイヤと首を振るレベッカの握る剣がゆっくりと頭上へと持ち上げられ、そして彼女の体はジリジリとヴィオラへと近寄って行く。
ヴィオラは、涙を流しながらも、せめて心配させないようにと笑顔を作る。
「目を閉じるのよレベッカ! ──あなたは悪くない! わたしは恨んだりしないわ!」
しかし──、そう割り切れるものではない。
ボロボロと涙を零すレベッカは、目を開いて最後の抵抗を試みる。
だが──
「いやァああああああ!!!」
クイ、と折り曲げられたドフラミンゴの指に呼応するように、レベッカの体はヴィオラへ向かって走り出し、その両手に握った剣が、ヴィオラを袈裟懸けに斬りつけて──
ガイィン!!!
激しい金属音と共に、その剣は中ほどでぽっきりと折れていた。
偶然か、幸運か。
いや。
乱入者だ。
ぶん、と乱入したその人物が、剣を折ったその獲物を振り回す。
「チッ」
ルフィとの戦闘でダメージの残るドフラミンゴは、その攻撃を飛び退って躱す。
躱されたと見るや、彼女は横なぎにしたその棒を無理やり引き留めて、ずいと突き出した。
鈍い音がして、“武装色”の覇気で固められたドフラミンゴの掌が、その棒の一撃を受け止める。
「ヴィオラさん、レベッカ、無事!?」
「──ウタさん!!」
その乱入者──ウタが、ドフラミンゴを睨みつけたまま、ヴィオラとレベッカに声をかける。
ドフラミンゴが、口の端を歪めて笑った。
「フッフッフ……! 元“歌姫”ェ! 二度目だぞ、おれの邪魔をするのは!!」
好戦的な笑みと、挑発的な怒りを隠しもせずに、ドフラミンゴが言う。
今の一連の攻防で、能力が切れたのだろうか。──あるいは、標的をウタに変更したのか。
能力から解放されたヴィオラと、レベッカがその場に崩れ落ちる。
「……邪魔?」
低い声で、ウタが言う。
「あ?」
「…………先に邪魔したのは、あんたでしょ?」
ビキ、とドフラミンゴの額に青筋が立つ。
「……手前ェら、船長ともども揃いも揃って……!! 言ってみろ、おれが何の邪魔をしたァ!!?」
歯を剥き出しにして、ドフラミンゴが怒鳴る。
コン、とウタは“指揮杖《ブラノカーナ》”の先端を地面に突いて、至って冷めた声で返す。
「──ある家族の、時間を奪った。──この国から、自由と平和と……、尊厳を、奪った」
「────救世主の真似事かァ!?」
口を歪めて言うドフラミンゴに、ウタは違う、と淡々と返した。
「“わたし”が、それを気に入らないだけ。“わたしたち”にとって、あんたが邪魔なだけ。──わかってもらわなくても結構だけど、なんならこのまま、理解してもらえるまでお話ししよっか?」
ヘッドホンを左手で弄りながら、ウタが言う。
ドフラミンゴは、片手で顔を抑えて、俯き気味に笑った。
「フッフッフ……!!」
笑いながらもう片方の手の指が動いたかと思うと、けたたましい音を立てて、ウタのヘッドホンが吹き飛んだ。
ヘッドホンを通して結わえてあった、ウタの髪が落ちる。
つう──。
彼女の頬が、浅く、しかし確かにぱっくりと裂け、そこから血が流れ出した。
しかし、ウタは眉一つ動かさず、ただドフラミンゴを睨み続ける。
「やけに情熱的じゃねェか“歌姫”……! フッフフッフ!! だがお前らに何ができる!?」
ドフラミンゴが、叫ぶ。
「おれァ、この国の“王”で! “王下七武海”で!! “天竜人”だ!!! てめェがなんだってんだ!!!」
そう、と気のない返事をしたウタは、レベッカとヴィオラに下がって、と言うと一歩前に出て、やはり淡々と言う。
「わたしは、“麦わらの一味”の“音楽家”、ウタだよ」
「そうか──消えろ」
醒めた顔をしたドフラミンゴが、そう言って、指揮を執るように腕を振るう。
ドフラミンゴは、モネからの報告で、ウタの能力に目星をつけていた。
ならまず、歌わせる前に、ノって来る前に倒してしまえば、それで終わりだ。
四方から伸びる糸が、ウタを貫こうとその毒牙を伸ばし──
「ざァんねん」
うっすらと笑ったウタの周囲で、その糸は叩き落とされた。
な、とドフラミンゴが声を上げる。
今、目の前の女は何かをしたか?
いや、動かなかったはずだ。
ただ、リズムを取るように、今なおつま先を──。
「────!!」
ようやく、ドフラミンゴの耳が、その音を捕らえる。
ギターのカッティングと、クラップの音。
その音の主は、弾き飛ばされたヘッドホン。
パンクハザード出航後、フランキーとウソップと相談して、ウタはヘッドホンの改造を行ってもらったのだ。
『ねえフランキー、ウソップ、このヘッドホン、スピーカーの機能も追加できないかな?』
パンクハザードで見えた課題だ。
ずっとブルックと修行していたせいで忘れていたが、旅をしている途中、ブルックと離れて戦うこともあるだろう。
楽器がなくて演奏できませんでした、アカペラで気分が乗りませんでした。
そんな理由で命を落としてはつまらない。
手先の器用な発想の男と、そして“麦わらの一味”の誇る技術者の手によって、その課題はクリアされたのだ。
ドラムの音に合わせて、パワーコードが鳴り響く。
「クソッ!!」
歯噛みしたドフラミンゴは、事態に気づき、ヘッドホンを壊しにかかる。
だが、もう遅い。
ウタの能力は、もう既に発動している。
──まさか、この歌を本心から歌える時が来るなんて思いもよらなかった。
ウタは息を吸い込んで、腹の底で冷たく煮えたぎる怒りを歌う。
「散々な思い出は 悲しみを穿つほど」
歌いながら、ウタがドフラミンゴに跳びかかる
「!!?」
先ほどと比べて、明らかに鋭くなった動きに、ドフラミンゴは驚いた表情を浮かべて、咄嗟に腕を上げて防御する。
「グ!?」
振るわれた“指揮杖”は囮。
鳩尾に入ったウタの蹴りに、思わずドフラミンゴが呻く。
「やるせない恨みはアイツのために」
ウタは、能力の出し惜しみをするつもりはなかった。
頭の中にある、イメージの世界を狭めて、圧縮して、全てを自分の体と同期させる。
爪の先から、頭のてっぺんまで。
自分の体をどう動かしたいのか、ウタは強くそれをイメージする。
「置いて来たのさ」
幸い、つい先日サンジの体を使ったおかげで、強い肉体の動きをイメージしやすい。
──サンジさんのように、軽やかに。
ゾロのように力強く。
フランキーのように豪快に。
チョッパーのように臨機応変に。
ウソップのように繊細に。
ナミのように正確に。
ロビンのように器用に。
ブルックのように鋭く。
記憶の深い所に眠るシャンクスのように、強く、ただただ強く。
そして──、今も昔も変わらない、ルフィのように、どこまでも──、どこまでも自由に。
「あんたらわかっちゃないだろ
ほんとに傷む孤独を
今だけ箍はずしてきて」
「クソ、どうなってやがる!!?」
ドフラミンゴが毒づく。
死ぬ直前のモネの報告では、これほどの戦闘力があるとは言っていなかったはずだ。
ただ、『要注意』だと。
それでも、一線から退いていたモネと互角の戦闘力。
しょせんはその程度。
正面からぶつかれば、ねじ伏せることは容易だ。
そう思っていたのに。
「怒りよ今 悪党ぶっ飛ばして
そりゃ愛ある罰だ」
ウタの体が地面に向かって沈み、ドフラミンゴの視線がそれを追う──。
次の瞬間には、その視線誘導によって背後を取ったウタが、“指揮杖”で殴りかかっていた。
ガンガンと打ち付けられる、その鉄棒の纏っているのは、明らかに“武装色”。
“覇気”を感じた気がするとは言っていたが、“覇気使い”だとは聞いていない。
能力に“覇気”を纏わせて、ドフラミンゴはウタの攻撃を凌ぐ。
ウタの体が躍動する。
「もう眠くはないや ないやないや
もう悲しくないさ ないさ そう──」
“夢現重唱《ラルトリオ・デュオ》”。
それが、この能力の名前だった。
ウタの“うたの広場”の発展だ。
数メートルであれば、一秒にも満たない僅かな間、夢の世界の物を現実に反映させる能力を、自分の肉体に限定して実現したものだ。
頭の中で作り出した、“最強の自分”の動きを、現実の自分の肉体と同調《ユニゾン》させる能力。そして、それは意志の力である“覇気”も例外ではない。
世界を変える力ではない。
世界を作る力でもない。
ただ、自分の体を、五臓六腑と四肢の隅々までを自分の思い通りにする能力。
この能力は、自分の肉体に作用させる能力の為、非常に消耗が激しい。
──体調が万全であれば、この能力の時間限界は、およそ十分。
その間だけは、誰にも負けるつもりはなかった。
「こいつ──!!」
歯噛みして、ドフラミンゴは大きく跳び退る。
「“荒浪白糸《ブレイクホワイト》”!!!」
彼の手の動きに合わせて、ウタの周囲の地面から、白い糸の束が二本伸び、彼女を圧し潰さんと螺旋を描く。
ダン、とウタが音楽に合わせて地面を踏み鳴らす。
「怒りよ!!」
瞬時に、ウタは能力を切り替える。
自身の体から能力を解放し、半径三メートルまで拡張する。
バリ、と怒りに黒く染まった稲妻が飛び出し、その白い糸を焼き切った。
ぎらり。
糸の陰から飛び出したドフラミンゴの足が、ウタの首目掛けて迫る。
踵と膝を結ぶ糸が、鈍い光を放ち──。
「今 悪党蹴っ飛ばして
そりゃあ 愛への罰だ」
再びウタは能力を切り替えて、後ろへと飛び退りながら、横なぎに“指揮杖”を振るう。
「…………」
その攻撃を受け止めたドフラミンゴは、ようやく余裕を取り戻したようで、口角を上げた。
「“弾糸《タマイト》”」
飛んできた、糸を縒った弾丸を、ウタは“指揮杖”をくるりと回して叩き落とす。
「“足剃糸《アスリイト》”!」
すう、とウタの懐に入り込んだドフラミンゴが、糸を纏った蹴りを放つ。
後ろに躱しても、伸びる糸に捉えられる。
すぐにウタは、地面を強く蹴って跳び上がった。
ドフラミンゴの攻撃をやり過ごして、着地したウタは、地面に倒れるように体を沈めると、ブルックのような軽やかさで、ドフラミンゴの攻撃圏から抜け出す。
「あぁ、何度も放った言葉が
届き、解っているのなら
なんて、夢見が苦しいから……」
ウタとしては、ルフィにはああ言ったが、無理に倒す必要はないのだ。
一番重要な役割は、時間稼ぎ。
欲をかいて、その役割を失敗するわけにはいかない。
ウタの体は既に、あちこちが悲鳴を上げている。
それはそうだ。
もともとのウタの肉体は、サンジほど頑丈じゃないし、ゾロほどの筋量はないし、フランキーみたいに改造してないし、ブルックほど素早く動けないし、ルフィほど自由に体を操れない。
ただ、能力を使って、無理やりに肉体を操縦しているだけ。
この能力は、時間切れになってしまえば、体中の痛みに苛まれて、しばらく身動きすらままならないこともあり得る、諸刃の剣なのだ。
特に、このドフラミンゴは強い。
全力で能力を回して、ようやく勝負になっている程に。
ドフラミンゴの攻撃も、直撃こそ免れているものの、ウタの体のあちこちに切り傷ができており、せっかくのジャケットも、ところどころ裂けてしまっていた。
そして、最初はウタの動きに面食らっていたドフラミンゴは、徐々にその動きに慣れ始めている。
「もう怒りよ また
悪党ぶっ飛ばして
そりゃあ 愛ある罰だ」
そう、ドフラミンゴは気が付いていた。
前情報があったからこそ、油断した。
そして、傷つき怪我をしているからこそ、消耗を抑えるべく手を抜いた。
──それが、間違いだったのだ。
きちんと実力者として評価して戦えば、なんということはない。
身体能力は目を見張るものがあるが、動きの切り替えが少しだけぎこちなく、アラが多い。
センスで補っている部分はあるが、しかしそれも“付け焼刃”だ。
確かに膂力は十分。一海賊を相手取るには、過剰戦力と言ってもいい能力。
しかし、それを相手取るのはこの世界の三大勢力が一角、“七武海”である。
フッフッフ、とドフラミンゴが笑う。
「そう怒りよ さあ
悪党ふっ飛ばして
そりゃあ 愛への罰だ」
そして、もう一つの致命的な欠点。
この女は、遠距離の攻撃手段に乏しい。
距離を取って糸で攻撃していれば、先に時間切れになるのはあちらだろう。
もちろん、隙があれば命を奪りに行くのは必然だが。
遅くとも、曲が終わった瞬間が、最期だ。
「“降無頼糸《フルブライト》”」
「もう眠くはないな ないなないな
寂しくないさないさ」
頭上から降ってくる糸の束を、ウタは跳んで回避する。
フッフッフ、とドフラミンゴは笑う。
『能力だけにかまけたバカ』
それは、誰の言葉だったろうか、と頭の片隅で考える。
能力がいくら強力でも、“完璧な能力はあり得ない”。
故に、その能力を過信するバカは、この海では真っ先に命を落とす。
「逆光よ──!」
ヘッドホンから流れている音が、アウトロに差し掛かる。
にやり、と凶悪な笑みを浮かべて、ドフラミンゴはウタに躍り掛かった。
指に纏った“五色糸《ゴシキート》”で、喉笛を斬り裂いて、終わりだ。
仲間の首を手土産に、“麦わら”を後悔させてやる。
──おれに逆らう者は、皆殺しだ。
ブゥン、と、ベース音が落下《フォール》して、曲が止まる。
「終わりだ──!」
勝利を確信して、ドフラミンゴが言う。
それを冷めた目で見ながら、ウタは息を吸った。
地面に落ちたヘッドホンから、落下したベース音を遡るように、あるいは遠くから近づいて来る地響きのように、ティンパニーの音が鳴り響く。
『逆光』は、準備運動にすぎない。
“夢現重奏”も、この力を御するための前提能力だ。
本命は──。
ウタの口が、あまりにも厳かで美しい音色を奏でた。
「──────」
何か、巨大な影が蠢いたのを、ドフラミンゴの意識が捉え──、
ドォン!!!!
次の瞬間、ドフラミンゴは王宮のある台地の壁に、その身を打ち付けていた。