逆さまのファム・ファタル

逆さまのファム・ファタル


こちらM・C-01746、海軍本部所属ロシナンテ中佐。

現在おれは、実の兄の捕虜となっております。


中佐、と焦った声に振り向いた時には、右の腿に穴が空いていた。

殺意どころか、敵意も些細な悪意すら感じていなかったおれは、硝煙を吐き出す銃を構えたままの部下とそっくり同じ驚愕の表情を浮かべていたに違いない。

たまらずその場に膝をついて、頭上から落ちる影に気付く。

兄だ。

やっぱり生きていたし、やっぱりカタギじゃない。そんでもって厄介な能力者だ。

くそったれ。

制圧した海賊団をしょっぴく途中の部下達に出港を急がせて、おれよりほんの少し背が伸びたらしい男に一人対峙する。

まあだが、脚を負傷しているというハンデがあってもなくてもとてもじゃないが兄には敵わなかった。元々正面切って相手とやりあう時はこっちも味方がいるか、相手の取り巻きで"回復"できる前提の戦い方だ。相性も最悪だった。

能力で絞め落される前にぼんやりと頭に浮かんだのは、必死こいて稼いだ時間で部下は皆無事逃げられただろうかということだった。


「こいつに切り傷一つでもつけた奴にはおれが死を与える」

目を覚ますなりここ十数年袖を通したこともないような手触りの服を着せられ生まれてこのかた縁もなかった化粧なんてのを施され、あれこれとごちゃごちゃ身につけさせられながら待つことしばらく。脚の傷を丁寧に治療こそすれ"回復"はさせなかった兄はひょいとおれを抱き上げ、部下と思しきにんげん達を集めてそう言い放った。

いや人の脚ブチ抜いといて何言ってんだあんた。

唖然として口を開けたままの兄の部下達の視線を浴びながら、おれはその場から消えてなくなりたい気持ちでいっぱいだった。

「や、ドフィ、大丈夫。おれマジで大丈夫だから」

「なんだ?チマチマやるのが面倒なら、先に半分くらい減らしてやろうか?」

阻止を試みるおれの決死の言葉は、更なる爆弾の投下により部屋の空気と一緒に粉みじんになった。なあロシィ。喜色に染まった声に、気の毒な無法者達は押し黙って震えるのみだ。

おれが事前に言い聞かされていたことはひとつ。

人前で兄を兄と呼ばないこと。

あまりにも少ない。

極めつけに兄は、アジトらしき場所にたむろする部下達にあのヤバイ宣言以上の一切の情報を与えようとしなかった。うっかり顔写真まで載った新聞記事のせいでおれが海兵であることも皆知っていただろうが、片腕に海楼石の手錠を嵌めたままボスに抱えられる男の存在に異を唱える勇者は誰もいない。

アジトでおれよりも事情を知っているらしいのは、後から集まって来た最高幹部連中だけ。そいつらも兄を止める気は全くないときたもんだから、おれは上機嫌の兄の隣で口を噤むことしかできなかった。

寝込みを刺客に襲われちゃならねえからと通された兄の私室で、何の気なしに覗き込んだ鏡を二度見し心の中で悪態をつく。お綺麗な顔しやがって、こっちはそれどころじゃねえんだよ。

兄上、育ちのせいかちょっと、いやかなりおかしくなっちまったみたいだけど、それでもおれはあんたに死んでほしいとかそういうのじゃないんだ。海賊に捕まった海兵の台詞じゃないが、探してくれてたってことを知れて本当に、本当に嬉しかった。

その上で言いたいんだけど、全方位に喧嘩を売っていくスタイルは止めた方がいいんじゃねえかな。

そこまで考えて、頭の上にパッと灯りがついた。

兄は強い。そりゃ流石にセンゴクさんやガープさんなんかに比べりゃどうか知らないが、おれを完封できる時点で相当だ。頭も回るし、勘も良い。部下の前じゃあんなんでも実際かなり計算高いタイプなことも最高幹部との会合で分かった。悪魔の実の販路なんかは、既に偉大なる航路のかなりの場所まで伸びていた。

そして七武海にはちょうど、空席がひとつ残されている。

「どうした、ロシナンテ」

身を起こしたおれに、ベッドの縁に腰掛けた兄が声をかける。

どこで買ったんだそれと言いたくなる形のサングラスに触れる手を、兄は跳ね除けはしなかった。

幼いおれが美しいと信じた、今も、涙が出そうなほど美しく蕩けた赤い瞳は穏やかにこちらを見つめている。

兄上、兄上、あんたがきっと死ぬほど苦しかったその時に、隣に居ることすらできなかった出来損ないのドジでマヌケな弟を、それでもずっと愛してくれていたのなら。

「なあ兄上、おれと一緒に政府の犬になってくんねェ?」

おれの全部をあんたにあげるから、血に宿るバケモノに首輪をつけて、二人で生きていこう。

十数年磨き上げた人好きのするらしい笑顔で、おれはたった一人の家族にそんな台詞を吐いていた。






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