逃避行の果て
癖の強いオリキャラ注意少しでいい。君は父親から離れるべきだと言ったのは、いつだったろうか。
王子はただ、悲しそうに笑い、決して首を縦には振らなかった。
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「おい、そこのお前!…そうだそこの覚えるのに一月はかかりそうな顔のお前!」
「聞いたぞ。成り上がりの分際で今度から俺の教育係になったらしいな。だが、俺は王子だから勉強なんて必要ないし、お前はここで一生雑巾でも絞ってろ!」
「俺は偉大なシャルルマーニュの息子だからな?俺に逆らってみろ、今に縛り首にしてやるよ。なんなら、ここで濡れ衣着せてやろうか?」
「じゃあな、精々長生きすることだ。」
──これが、王子と初めて会ったときの記憶だ。はっきり言って、その第一印象は最悪だった。とにかく威張り散らし、こちらを見下すような態度。こんな奴と関わらなければならないのかと、己の将来を嘆いたものだ。
しかし、今なら分かる。王子は自分のせいで誰かを失うのが怖かったのだ。王子に好感を抱いた者は、彼に尽くして絞首台へと消えてゆく。愛する父の手によって。誰かが死んでしまうくらいなら好かれない方がいい、誰もが嫌い近寄らなければ誰も失わずに済む。そのために王子は、必死に相手が嫌がるであろう言葉を並び立て、迷惑をかけない範囲の我儘を撒き散らし、近寄る全ての者に警告していたのだ。命が惜しければ近寄るな、と。本当の王子は優しくて、臆病で、そしてどうしようもないほど孤独だった。
彼の心に触れて、私は言った。私とどこまでも一緒に逃げよう、と。彼は、目を見開いた。そして、全てに絶望したような顔で勢いよく首を降った。しかし、私は見逃さなかった。見開いた目の奥に、どこか希望のような光が宿っていたことを。シャルロは、そんな恐ろしいことはできないと思いつつも、ここから出たいという願いを諦めきれてはいなかったのだ。私はもう言葉は要らないと思った。どんなに言葉を並び立てたところで君は頷かない、君は君よりも私の方が大切だから。だからもう君のことはどうでも良い。私が、君が心から笑えるように、君を傷つける全てを敵に回しても、君の笑った顔が見たかった。私はシャルロの手を掴むと、頭に叩き込んでいた逃走用のルートをシャルロが転ばぬ速度で走り、予め開けておいた窓に飛び込んだ。下に積み上げていた藁がその衝撃を吸収し、どこも痛めることはなかった。シャルロは高いところから飛び込むという行為に顔を強ばらせていたが、もうここまで来たら腹をくくったようだった。そして用意した馬に彼を乗せて自分も乗り込むと、城の外へと走らせた。
追っ手はこない。誰もまだ、この逃避行に気づいていない。この日のために、私は入念な準備をしていた。父親が不在で城内の人間の目が逸らされるこの日に、監視の配置を秘密裏に調整し、彼が拒否をしても無理やり連れ込めるような場所で打ち明け、そして今悠々と馬を走らせている。そう、あの時彼がどう思っていたかなんて、私にはもうどうでも良かったのだ。例え彼の目の奥を見ていなかったとしても私はこの誘拐計画を敢行していただろう。そうだ、誘拐。私は本当の意味で、友であるシャルロを拐っている。鼻歌でも歌ってしまいそうなほど愉快に思っている私とは裏腹に、シャルロの顔は浮かばれず、辺りをしょっちゅう見回している。彼は私の手回しも、私の心情も知らないからだ。ここまで馬を走らせて追手の一つもないなど普通であればあり得ないのに、彼は気づくことはない。私の友情からは明らかに逸れているこの思考にも。
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──!────!!声が、聞こえる。私は、あのとき、シャルロと走って、それから──。顔を上げた。視界いっぱいに彼の顔があった。彼は、泣きながら何度も私の名前を呼んでいた、死なないでくれと。そうか、私は、矢に射られて、それでも逃げて追手を撒いたその先で、遂に倒れたのだ。シャルロは私にしがみつき、頼む死なないでくれなんでもいいからどうか彼を救ってくれと今まで禄に救わなかった無慈悲な神に懇願し続けていた。
私は、そう遠くはない終わりを悟り、彼に、本当のことを打ち明けることにした。
「シャルロ、私との旅は、楽しかったか…」
「無理、しないで…助けを、呼んでくるから…」
「私は、楽しかった…運良く、王宮での生活を手に入れて…それで、毎日楽しい日々を送れると、そうおもっていた…」
シャルルマーニュ十二勇士。ローラン、アストルフォ、その他大勢の愉快な連中。彼らの奇想天外な面白可笑しい珍道中に、私は憧れたのだ。しかし待っていたのはそれらとは一切無縁の、つまらない日々だった。
「古臭い風習に、遊びのない王…私は、日々の生活に飽きていた…だが、私はお前に出会った…」
はじめの頃はただただ不快で、つまらないが似合う最たる相手だと思った。こんな奴と四六時中一緒にいなければならないのかと、途方に暮れもした。思い出す、彼と共に過ごした日々を。いっそ誘拐でもして王宮を震わせてやろうか、などと思いながら言葉を選んでいたあの頃。彼の本心とは乖離した行動に気づき素の彼を探ってやろうと企んだあの頃。彼のことを理解し、本当に誘拐してしまったときのあの高揚感。
そう、今まで誰にも隠していたが、私はスリルが好きだ。背徳的なことならば尚更。今まで取り繕っていたのも、その方が警戒されず自由に身動きができるからだ。だが、もう隠すことはない。
「王子…私はお前を拐った事を、今まで後悔したことはない…お前は…考えすぎなのだ。後悔も、懺悔も全て必要ない…何も考えず笑っている、お前が…一番面白かった…だから連れ出した…」
「お前が思うような…篤実な人間ではないのだ…さあ、行け、どこまでも…私が好きだったありのままのお前のままで、」
いられるように。
最後の言葉は、最後まで口にすることはできなかった。それは、刹那的な快楽を求めながら誠実な言動ばかり繰り返し、彼のためと建前をつけていざ行動に移したにも関わらず情に絆され、そのくせ最後まで彼の隣にはいられない、何もかも半端な私の人生にふさわしい最期だった。そして私は霞みゆく視界の奥に、自由へと駆けてゆくかけがえのない友の姿を見た。
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ただただ走った。思えば、逃げてばかりの人生だった。彼が俺の手を引いて走ったあの王宮から、街中での兵士たちの気配から。…そして、父と向き合うことから。俺が共に生きていたいと思った彼は死んでしまった。だからこそ、俺は何からも逃げて、逃げて逃げ切ってやる。すべて捨てて、一からやり直そう。呼び止めようとする声も、手や服を掴み捕まえようとする手も、全て振り払い、ただただ走る。
──"さあ、行け、どこまでも…私が好きだった、ありのままのお前のままで"──
俺のために命さえ投げ出してくれた、数少ない俺の友人。思い出す。俺のためを思って、そして消えていったひとたちの幸福を祈る優しい言葉。そして、俺のせいで悲しみを背負うことになった人たちの、怨嗟と呪いの言葉を。そのどちらかを無視するなんて、俺にはとてもできなかった。だから、せめて想いだけは背負っていこう。いつかこの決断も後悔するときがあるかもしれない。それでも、自分の意志で決めた、自分の人生を、必死に走っていこう。──嗚呼、晴れ渡る空、澄み切った空気に風が歌うように流れてゆく。俺は、遂に自分だけの希望の一歩を、確かに踏み出した。