逃避行から"新時代"へ
"偉大なる航路"にある島の、小高い丘の上。気が滅入る程に真っ黒な曇の下、正反対の白服を身に纏った男が草原に経ち、岸壁の下にある岩場を見つめていた。無表情のまま、唯ひたすらに波が打ち寄せる岩場に変化が無いかを確かめる。その後ろから、今度は音も無く仮面の男が現れ、白いコートを風に揺らした。
「状況は?」
「あの岩場の奥に鍾乳洞がある。そこに息を潜めているはずだ」
「ふむ」
顎に手を乗せ、仮面の男は納得したのか小さく頷く。
「近くに海軍か、あるいは海賊は?」
「隣の島に2億5千万の賞金首が傘下を率いて現れたらしい。狙いはあの二人だろう」
「では、海軍も出るな。誰が来る?」
「"白猟"スモーカー准将とたしぎ少尉。他に"黒檻"ヒナ大佐、後は例の注目株、コビー曹長も」
「あの二人の捜索を兼ねての事だな……まあ、当然か」
白服の男達の口から出た"あの二人"。元海軍本部大佐、モンキー・D・ルフィ。そして、元海軍本部准将"正義の歌姫"ウタ。
シャボンディ諸島で世界を揺るがす大事件を引き起こした大罪人だ。事件後すぐ始まった逃避行から、既に幾日が経った事か。無論、彼らの古巣である海軍はすぐに二人を手配し、その追跡を開始した。更には二人の身柄を確保すべく、世界中の海賊勢力と、革命軍までもが動き始めていた。そして、この仮面の男達の属する世界政府もまた、二人の動向を付かず離れず伺っていた。
なぜ、彼ら二人がそれ程までに注目されるのか。それは二人の境遇が大きく関係している。
モンキー・D・ルフィ、彼は海軍の"英雄"ガープの孫にして、革命家・ドラゴンの息子だ。ガープが彼を海軍に連れてきたときの本部の驚きようは、それはそれは凄まじいものだった。そして、海軍本部でルフィが再会したかつて幼少期を共に過ごした少女、ウタ。"正義の歌姫"として既に注目を浴びる超新星だった彼女が海軍に入隊した目的。それは自身の父でもある海賊、四皇"赤髪のシャンクス"への恨みを募らせた故であった。
二人の超新星は血筋故か、その身に宿したダイヤモンドの原石を鍛え、磨き、そして人々に愛されながら、海兵として着実に成長を遂げていた。
そんな二人が、あろう事かこの世界の権力の中心である天竜人へ危害を加え、逃走したと言う事実。犯した罪と彼らの境遇は、世界中が彼らを追うきっかけを作ってしまったのだ。どの勢力が手にしても、如何様にか利用されるのは目に見えている。
そのような情勢下で二人が逃避行を続けていられたのは、二人がシャボンディ諸島を飛び出してすぐの頃から、世界政府の密命を受けて二人を監視していた白服の男達による所もあった。二人に近づく勢力を極力排除し、海軍やその他の勢力に気取られる事なく、その動向を追っていた。
世界政府がそこまでして彼らを守るのには、彼らの持つ力を無傷でもう一度手中に収めたいという思惑があったからだ。強制的に彼らを捕え、連れ戻す事は容易ではあったが、それでは危害を加えられた天竜人が黙っていない。政府は身分の抹消と再構築と言った暗部の取引も含め、可能な限り二人が自分達の意思で海軍に戻ることを期待していたのだが、少なくともその可能性は未だゼロに近い。
件の事件をきっかけに世界情勢さえ刻一刻と悪化する中、今や事件の元凶となった天竜人の命令で二人の足跡までもが破壊されている現状をあの二人がこれ以上放っておくとは思えない。当然、政府には既に見切りをつけている事だろう。そんな二人に、海軍を去った"英雄"ガープが合流してしまった事で、事態は決定的となった。世界政府に属する仮面の男の一団は、今や二人の逃亡者を捕える機会を虎視眈々と狙っていたのである。
そして、現在。如何なる理由かガープが二人から離れ、二人だけでこの島の鍾乳洞に潜伏している今ならば確保も容易。出来れば海軍が来る前にカタを付けてしまいたいと仮面の男は思っていた。政府は平穏無事に確保するつもりのようだが、果たしてそう上手くいくだろうか。あの執念深い天竜人から隠し通せるなら海軍と協力する事もやぶさかではないが、当の海軍からの目線が冷たい現状、それは期待出来そうにない。海軍か、政府か。道は一つだ。
仮面の男が、一歩前に出る。
「さて、こちらの思惑通り出て来てくれるかどうか……」
「持ち込んだ食料はとっくに尽きているハズ。いつ動いてもおかしくは無い」
「いっそ、こちらから乗り込んで────!!」
その時、仮面の男が敏感に反応した。突き刺すような敵意に、反射的に身体が動く。
「ゴムゴムの!」
「……!!」
「"JET銃"!!」
男が間一髪躱したその場に拳が打ち付けられ、草原が抉り取られる。鍾乳洞を監視していた男もまた、臨戦態勢に入った。
「いつの間に……これは……音符?」
「ゴメンね、それ」
次の瞬間、男の掌にあった音符が破裂し、辺り一面に衝撃波が広がった。同時に、草原から飛び出した影が監視役の男を打ち据える。至近距離で衝撃波の直撃から追撃を受け、監視の男は堪らず地に倒れ伏した。
「音の爆弾なんだ」
「……!!」
仮面の男の目線の先には、追い続けていた二人の姿があった。いずれも敵意を称えた瞳が、男を突き刺すように捉えて離さない。先に口を開いたのは、ルフィの方だった。
「お前等、ずっとおれ達について来てたろ」
「!」
気取られていたか。流石は元海軍本部大佐と言った所────否。それだけではないな。
「……いつから気付いていた?」
「確信したのはここに来てからよ。それより前から、そんな気配はしてたけど。ま、確信したのは貴方たちのうるさい足音がよく聞こえたからかな?」
ウタの答えに、むしろ感心するかのように仮面の男は頷いた。
成る程、"歌姫"と呼ばれていただけの事はある。極めた"剃"は自然の音にも紛れると言うのに、ほんの僅かな音の揺らぎで我々の動きに感づいていたのだろう。
「おれはもっと前から気付いてたぞ。ずっとこっちを見てるような気配がしてたからな!」
「ちょっと、それ今思い付いたでしょ! 先に気付いたのはあたし!」
「いいや、ずっとしてた……最初は気のせいかと思ってたけど、少しずつ気配の形が分かるようになった! おれもここに来て、ようやくお前等がハッキリ見えた!!」
「……見聞色か」
海軍本部の大佐クラスならば、大なり小なり覇気の才能が開花しているのは当然の事。まして、英雄ガープの孫となれば、素質は疑いようもない。それを鍛える槌と炎、そして磨く砥石も十分過ぎる程揃っている。
しかしそれを差し引いても、驚くべき事だ。成長が早すぎる。とても見えない程の距離から我々を察知して見せた見聞色、そして、武装色を纏った今の拳。恐らくは、逃避行を始めた頃よりも研ぎ澄まされている。覇気は元々、極限状況での修行を経て磨かれる物だ。海軍での強者達に揉まれる日々、そして逃亡生活。二つの極限状態が、二人の覇気を異常な速度で鍛え、磨いたと言うのか。
「……全く、皮肉な事だ」
「で、誰なんだお前!! 言っとくけど、おれ達は海軍には戻らねェからな!!」
「時は経てど、海軍への不信感は拭えないか」
「冗談じゃない! アンタ、どうせ政府の人間でしょ! どの面下げてあたし達の前に出て来た訳!?」
既に隠す理由もない。元より、二人が"英雄"ガープと合流した時点で二人を多少手荒な真似をしてでも確保する事は決定事項だったのだ。ならば、ここからは捕獲対象として扱うのみ。
仮面の男はシルクハットの鍔を軽く握り、位置を整える。そして、二人に対峙した。
「────我々はCP-"AEGIS"0。世界政府の命により、貴君等を捕える」
男の言葉に、ルフィとウタの瞳に驚愕の色が浮かんだ。
「CP……"AEGIS"0……!!」
「知っていたか。ならば話は早い」
「大将赤犬が言ってた……天竜人の傀儡……!」
「ふ……」
「っ!! アンタ達に捕まるくらいなら、あたし達は……!!」
その先に何を言うつもりかは、判断が付く。当然だ、今CPに捕えられると言う事は、天竜人の元へ連行される事を意味しているのだから。しかし、こちらとしては易々と命を捨ててもらう訳にはいかない。仮面の男がポケットから両手を出すと同時に、ルフィが動いた。
「誰だろうと、おれ達の邪魔をするなら容赦しねェ!! ゴムゴムの!!」
「済まないが、君たちを死なせないのも我々の任務だ」
「黒銃(ブラックピストル)!!」
「鉄塊」
ルフィの拳を、仮面の男は容易に受けとめる。その身体は、男の立った草原から一ミリも動いて居なかった。
「な……!?」
「そんな……ゼファー先生仕込みのルフィのパンチが、効いてないの……!?」
「良いパンチだ。流石本部の元大佐、それを磨いたのが黒腕なら合点がいく。だがまだまだ未熟だ」
ガープと合流したとは言え、逃避行の疲れ。食料不足。理由はいくらでも思い付く。ルフィとウタの表情から驚愕の色が抜け落ちる前に、今度は男の脚が閃光のように駆ける。
「剃」
「っ!? どこだ!!」
「獣厳」
「ぐぁ……!!!?」
鈍い音と、嘔吐くような声と共に、ルフィの身体が草原に叩き付けられる。ゴムの身体故、叩き付けにダメージは無いが、それ以上に男の放った拳のダメージがルフィに重く響いていた。皮肉な事に、常人よりも音をよく聞き理解できる分、拳を受け止めたルフィの身体がどれ程のダメージを受けたのか。ウタはそれすらも手に取るように分かってしまった。
「ルフィ!!」
「……くっそぉ……!!」
「っ……! よくも!」
表情を憎悪で歪ませたウタが動く。しかし、それより早く仮面の男がウタの動きを拳で止めた、否、殴り飛ばした。
「ヴッ……!!」
腹から全身を駆け抜ける激痛。獣厳は指銃の速度で打つパンチだ。原理が単純な分、基礎戦闘能力の高さが威力に直結する。仮面の男のそれは、多少の衰弱を抜きにしても二人を凌駕していた。
「ウタ!!そのまま下がってろ!!」
「う……げほっ……ルフィっ……!?」
「……どうせどこまでも追ってくるんだろ!? だったら何をしてでも! 全力で今、ここでお前をぶっ飛ばす!! "ギア2"!!!」
「最初に見せた、ゴムゴムの実の能力の応用か。しかし」
「ゴムゴムの!! JET……!!!」
「まだ遅い」
ルフィが全力で草原を蹴り、剃を越える速度で仮面の男に迫った刹那、男はルフィの背後を取った。そして、右手の人差し指を構える。
「っ!?」
「指銃」
「!!!」
構えた指が、ルフィの身体を容易に貫いた。刺し傷から吹き出した鮮血が、草原の緑を赤く染める。
「ルフィ!」
「ぐぁ……くそ……っ!!」
「嵐脚」
「!!!!」
「っ!! ルフィィィィィィィ!!!」
「……斬撃への対策も対応も不十分だ」
ルフィを一方的に指銃で貫き、嵐脚で斬り捨てながらも、男は無感情にすら聞こえる程、淡々と戦闘への講評を述べた。崖のすぐ側まで叩き付けられたルフィに、ウタが駆け寄る。
「ルフィ! ルフィ!! 大丈夫!?」
「ウタ……! ダメだ、逃げ……っ!」
「────ルフィ元大佐、ウタ元准将。我々と来て貰おう」
仮面の男が宣告した次の瞬間、後ろの草原に白いマントと制服の一団が立った。何人かは先頭の男と同様仮面を付け、全員が無感情にルフィとウタを見つめている。
「っ……ここまで、かな……」
ウタが口惜しそうに唇を噛みしめ、ルフィを自身へと抱き寄せる。それにさえ、仮面の男は眉一つ動かさなかった。
飛び降りる気か、それとも胸か首に剣を突き立てるか。だが我々ならいずれも間に合う。剃刀程早くはないが、剃と月歩ならば例え空中でも補足は容易、万が一海に落ちても、悪魔の実の能力者でない自分が飛び込めば良いだけの事だ。
「出来れば、君たちの意思で戻って欲しかったが」
「……あたしは、何があっても、ルフィの側にいる。あの日からずっと、そう決めてたんだから」
ウタの言葉から伝わる決意は固い。仮に今、CP-0が補足しなかったとしても、この先どうなるかは火を見るより明らかだ。恐らく次に会うのは墓前だろう。
仮面の男は敢えてスーツを整え、帽子の位置を再び直した。そして、ルフィとウタの元へ足を動かし────その時だった。
「待て、CP-0」
「!!!」
ルフィ達とCP-0を遮るように、突如として巨大な影が立ちはだかった。世界政府に属する海賊"王下七武海"の中でも特に大柄な体格、左手に聖書を携えたその姿。海軍本部の二人もよく知っている人物だった。
「し、七武海……!」
「バーソロミュー・くま……!?」
「……何故止める、くま」
驚くルフィ達を他所に仮面の男が訪ねる。しかし、くまは何も答えず、閉じていた掌を彼らの方へ向けて開いた。
「……!!」
くまの掌から肉球の形をした掌大の大きさの玉が飛び出し、CP-0の方へとふわふわ飛んでいく。見た目には鞠かお手玉のように見えるそれが一体何であるか。その場にいた全員がそれを理解していた。
「いかん……!」
「……っ!! ウタ……!!!」
「ルフィっ……!!」
咄嗟にその身体で庇うようにウタに覆い被さるルフィ。まるで、ルフィの傷を塞ぐようにルフィを抱きしめるウタ。抱き合った二人にくまの振り上げた掌が迫る。
「っ!!」
そして、次の瞬間。その場から"剃刀"で退避した仮面の男の目に映ったのは、くまの掌が触れた瞬間その場から消え去ったルフィとウタ。そして────
「────"熊の衝撃(ウルススショック)"」
圧縮した空気の解放による、大爆発だった。
*
「判断を誤ったな」
先程まで崖のあった場所を見つめ、仮面の男が呟いた。
くまの掌で弾き飛ばされた者は、嘘か本当か三日三晩空を飛ぶと言う。今頃、二人は世界の裏側へ向かっているかもしれない。あの時、自分がすべき事はあの二人を剃刀で接近して確保し、二人と同時にくまに飛ばされる事だった。ドコへ飛ばされるかは庸として知れないが、自身の位置ならばビブルカードを辿らせれば良いし、傷を負わせたので逃がすことも無い。
確保の最大のチャンスを失い、その上行方知れずにしてしまったのだ。仮面の男は帽子を深く被り直す。
「失態だ」
「しかし、何故くまがあの二人を助けるのか?」
「さてな。いずれにせよ任務は失敗だ。一度マリージョアへ帰還する。あの爆発だ、海軍もすぐに嗅ぎつけてくるだろう。我々の存在が気取られては面倒だ」
仮面の男は最後にもう一度崖のあった方を見つめ、何かしら口元を動かしたが、何を言うでもなく、その場を後にするのだった。
*
「……ウタ、いるか……?」
「ここにいるよ、ルフィ……」
「離すなよ……しっかり、おれに……」
「うん……絶対に離さない。いつまでも、どこまでも……ずっと一緒だよ、ルフィ……」
ウタとルフィは互いに両の腕に力を込める。決して離れないように。弾き飛ばされた二人は朝陽を浴び、一直線に海上を飛んでいった。
このまま安住の地へと飛んで行けたら。それが叶わないなら、いっそこのまま陽の光が私達を溶かしてくれたら良いのに。
心からそう願いながら、ウタはルフィの腕の中で静かに瞳を閉じた。そして────
「っ!! こ、ここは……!?」
気がつけば、密林。そして自身の身体はルフィと共に肉球型のクレーターの中心にいた。ジャングルの真ん中に叩き付けられたようだが、身体に痛みは無い。強いて言えば、あの仮面の男から受けた獣厳のダメージを感じるくらいか。
多少手加減されたようだが、それでもウタの身体を戦闘不能にする程の威力だ。そう簡単に回復するものでもない。痛みに顔をしかめたその時、ルフィの呻き声がウタの耳に届いた。
「!! ルフィ!」
「う、ウタ……無事か……!?」
「待って、動かないで」
咄嗟に武装色の覇気で防御してはいたが、受けた傷は深い。服を包帯代わりに応急処置を済ませると、二人は辺りを見回した。
「ここはどこなんだろう?」
「ジャングルか……? 思い出すな……子供の頃、じいちゃんによく投げ込まれて……ははっ、あんまり良い思い出がねェな……!」
「そんな事言ってる場合じゃないよ、とにかく水場を見つけて、しっかり傷の処置をしないと……」
その時、ジャングルを分け入り、何かが迫ってくる音が聞こえた。二人の身体に緊張が奔る。と同時に、茂みの向こう側から声がした。
「成る程、あの男の言った通りじゃな」
「!!!」
聞こえた声にウタが周りを見回す。姿は見えないが、近くに相当な強者が潜んでいる。まるで、獲物を見つけた大蛇に囲まれているかのような気配に、ウタの身が思わず竦んだ。
「……っ!!」
「誰だ、お前ら……出てこい……!」
未だ傷から血を零す身体を起こし、今度はルフィが威嚇する。傷を負った身体のまま、自分達を包む強者の気配に抗おうとしていた。
「ダメだよ、ルフィ!」
「呆れたな……そなた達。元海兵の癖に、味方の声も忘れたのか?」
再びジャングルに響いた声と共に、三人の女性がルフィとウタの前に姿を現した。大柄で、見るからに屈強な二人の女性の間に、美しい黒髪を揺らす美女の姿があった。ルフィもウタも、くまと同じく"王下七武海"である彼女の事は、当然知っていた。
「……!! "海賊女帝"ボア・ハンコック!!」
「また七武海か……くそォ……!」
再び膝を着いたルフィを守るように、ウタが立ちはだかる。しかし、ハンコックは両の手を上げた。
「……我々に、そなた達を捕える意思はない。我ら九蛇海賊団が利用する意思も、まして海軍や政府に引き渡す意思もない」
「っ!?」
「我々はそなた達を助けに来たのじゃ」
「……!?」
驚愕と困惑の色が浮かぶルフィとウタを前に、ハンコックは不敵な笑みを浮かべるのだった。
*
「本来ならば男はこの女ヶ島に立ち入ろうとした時点で死刑じゃが……今回は特例じゃ。今、この城は人払いをしている故、寛ぐと良い」
ボア・ハンコック率いる九蛇海賊団の本拠地、アマゾン・リリー。ジャングルを抜けると街があり、崖を背にするようにハンコックの居城、九蛇城がある。
ルフィとウタは、その九蛇城に招かれ、傷の手当てと食事を済ませていた。
「……助けてくれて、ありがとう……なんだか、変な気分ね。七武海にお礼を言うなんて」
「それとこれとは別だ。メシまで食わせて貰って、本当にありがとう! 助かった!」
「全く、海賊の飯など食わニュと言い出した時はさてどうしようかと思ったがニョう……」
ハンコックの傍らに立った小柄な老婆が、小さくため息をついた。アマゾン・リリー先代皇帝グリオローサ、通称"ニョン婆"である。
これまでの逃避行で人間不信に陥っていた彼らは、当初彼女達が用意した食事に怪訝な表情をしていたが、結局は空腹に身を任せていたのだ。
九蛇城での手当を終え、腹も膨れたルフィは、すっくと立ち上がり、ハンコックを見つめる。
「治療も終わったし、飯も食った。貰ってばかりで悪ィけど、おれ達、すぐに出てくよ。折角世話になったのに、迷惑はかけらんねえからな」
「まあ、そう焦るな。少なくともそなたらがここにいる事はこの部屋にいる者しか知らぬ。歌姫の傷もまだ癒えておらぬであろう? それに、こちらの事情もまだ話していない」
ハンコックの言葉に、ウタが思い出したかのように口を開く。
「そう、どうして七武海があたし達を助けるの? そんな事が知れたら、あなたは七武海じゃいられなくなるハズじゃ……!」
「……わらわは、そなたらの事件を聞いて本当に驚いた。天竜人に手を挙げる……まだそんな大バカ者がこの世界におったのか、と……!! 命を顧みず"天"に挑んだ者が……!!」
その言葉と共に、ハンコックの瞳に涙が溢れ出した。しかし、ルフィはそれに動じる事は無かった。
「おれは、ウタを守りたかっただけだ。あんな奴らに、ウタは絶対に渡さねェ!!」
「なんとも勇ましいもニョじゃ……昔を思い出すニョ……」
「信じよう。真っ直ぐなそなたらを。故に、わらわの王下七武海という称号を頭から抜いて聞いて欲しい」
そうして、ハンコックは長く、深く息を吸い、そして吐き出すと、二人を見据えて言った。
「────わらわ達姉妹はかつて、天竜人……世界貴族の奴隷じゃった……!!!」
攫われ、売り飛ばされ、天竜人の奴隷となった者の壮絶な記憶。精神をすり潰すような告白に、ハンコックの妹は錯乱を起こし、ルフィとウタは何度も止めようとした。しかし、ハンコックは天竜人に狙われたウタに聞かせるように語り続けた。"もし、天竜人の手に落ちていれば、どうなったのか"を。語られたハンコックの壮絶な過去と天竜人の所業に、ルフィとウタは全身を強張らせた。
「もう二度と……誰からも支配されとうないっ……!! 無論、そなたらにもそんな思いをして欲しくない……!!……故にわらわは、そなたらの味方となる事を決めたのじゃ」
涙を拭ったハンコックが、二人に向き直る。
「わらわが王下七武海である以上、安全にそなたらをかくまえよう。多少姿を偽れば、九蛇の戦士達と共にそなた等を鍛える事もできよう」
「しかし蛇姫や……この女ヶ島は男子禁制……島の中で匿えるのは歌姫だけじゃニョう……」
ハンコックに続いたニョン婆の言葉に、ルフィが咄嗟に反応した。
「悪ィけど、そういう事ならお前の力は借りねェ……ウタは俺が守る!」
「!」
「あたしも……気持ちは嬉しい。あたしもルフィを守れるようになりたいけど、それ以上に……あたしはルフィと一緒にいたいから」
二人の決意の籠った瞳に、ハンコックもニョン婆もふ、と笑みを浮かべた。
「見事なもニョじゃ。この世界全てを敵に回したと言われるだけニョ事はあるニョう」
「すまぬな、正直少なからず、そう言うと思っておった……相当な胆力じゃ。しかし、ここに飛ばされて来る前、そなたらを襲ったのは誰じゃ? 果たしてその時、そなたらは優位に戦えたか? 傷を見るに一蹴されたのではないか?」
すぐに笑みを収め、ハンコックは鋭く言葉を投げかける。ルフィとウタの脳裏に、あの仮面の男の姿が映る。
「もしまたそなたらをその者達が襲ったら、どうするつもりじゃ?」
「それは……!」
そこから答える為の口が動かなくなったウタを見つめつつ、ハンコックが一歩前に出た。
「一つ、提案がある」
*
「何だ……この島!?」
「獣の声が1、2……ううん、数え切れない!」
傷を癒やしたルフィ達が九蛇の海賊船に乗り、辿り着いた無人島。ルフィとウタの目の前には、壮絶な自然が広がっていた。
「このルスカイナ島は"48季"と言って、週に一度季節が変わる過酷な環境を持っておる。更にはその環境に適応した猛獣たちが蔓延る危険な島じゃ。わらわ達ですら容易には立ち入らぬ。しかし、今のそなた達が身を隠し……また互いを守る為の力を身に着けるにはうってつけじゃ」
「ここで生き抜いて、鍛えろ……って言いたいの?」
「わらわの言葉をどうとるかはそなたらの自由じゃ。しかし、捜索の手は間違いなく及ばぬ。そも、そなた達が"飛ばされた"先を知っている者はわらわ達だけじゃからな。この環境故、逃亡を続ける身の上のそなた達が上陸しているとは露程にも思うまい。先も言った通り、わらわ達ですら容易に立ち入らぬ島じゃからな。さて……どうする?」
ハンコックの問いかけに、ルフィとウタは互いを見合わせると、笑みを浮かべて頷いた。
「ありがとう、ハンコック。おれ達、ここに住むよ。悔しいけど……今のおれ達じゃ、あいつらには……世界には勝てねえ!」
「ここで生き抜いて、強くなる。あたし達は、こんな所で止まってる場合じゃないから」
「100は下らぬ猛獣の住処、正にサバイバルじゃが……まあ、今更そんな事を気にするそなた達ではあるまい」
「ああ、じいちゃんも、ゼファーのおっさんも言ってた……極限の環境が、覇気を強くする!」
「もう誰にも、私達の邪魔をさせない程に!」
そう言って不敵に笑った二人に、ハンコックは口角を上げ、二人に背を向けた。
「時折様子を見に来る故、必要なものがあったら言うが良い。調達しよう」
「いらねェよ。おれ達なら大丈夫だ」
「そう言うな。わらわ達にも"責任"があるのでな。ああ、それと……」
振り返ったハンコックが、二人を見据えて言った。
「覇気を鍛えるにせよ、生き抜くにせよ、独学では心許ないであろう? 指南役を呼んでおいた。そなたらにとっては敵かもしれぬが……必ずやそなたらの力になると約束しよう」
「誰だ?その指南役って」
「今に分かる。今頃は、そうじゃな……"凪の海"でも渡っておる頃かのう」
そう言い残すと、ハンコックは九蛇海賊団の船に乗り、アマゾン・リリーへと去っていった。海賊船を見送りつつ、ルフィは首をかしげる。
「おれ達にとっては敵って、どういう事だ? まさか海賊が来るのか?」
「さあ、どうだろうね。けど……あたしは信じて良いと思うな」
「そうか?……まあ、ウタが良いなら良いけどよ」
ルフィが首を傾げながら答えると、ウタは海を見つめ、静かに口を動かした。
「ねえルフィ、あたし、思ったの。あたし……この世界を変えたい。あのハンコックでさえあんな目にあってたなら、あの時ルフィが助けてくれなかったら、あたしもきっとそうなってた。そして、今も苦しんでる人達がいる」
ウタの言葉を、ルフィもまた静かに聴いているようだった。
「ルフィが掲げてた、大切な人が笑える正義。あたし、大好きなんだ。あたしの事を想ってくれてるって事だけじゃなくて、あたし達が守ろうとした人達が、ルフィの正義に守られて、大切な人と笑い合える世界……それって、とっても素敵な世界だと思う」
海を見つめていたウタが、ルフィに向き合う。
「一緒に強くなろう、ルフィ。そして、今までみたいに逃げてばかりじゃない。みんなが幸せで笑顔になれるように……生きて、作ろう。あたし達で、あたし達の新時代を!」
「────おれは、ウタに笑っていて欲しいから、あの時アイツをぶん殴って逃げたんだ。でも、世界はおれとウタに笑って生きる事を許してくれねェみたいだった」
そう言って、ルフィはウタを静かに抱き寄せる。突然の行動に、ウタは驚き慌てた。
「ちょ、ちょっとルフィ!?」
「でもな」
ウタを抱き寄せたまま、ルフィは続ける。
「今、ウタの話を聞いて、おれも決めた。おれはやっぱり、ウタが笑っていて欲しい。ウタの音楽が、みんなを笑顔にしていたあの頃みたいに……!」
「ルフィ……」
ルフィはウタに向き合い、力強く笑みを浮かべた。
「一緒に行こう、おれ達の"新時代"へ!!」
「────っ!! うん!!」
力強く頷いたウタに、ルフィはニカっと笑うと、今度は背後に広がるジャングルに向き合った。
「よーし、そうと決まれば、久々に勝負だ! 今日の夕飯どっちが先に確保できるか!」
「オッケー、じゃあ……123!」
ウタのカウントと共に、ルフィとウタは過酷なジャングルの真ん中へ向け、笑顔で駆けて行った。
*
「すまんな、今のあやつらだけでは世界を相手に互いを守る事もままならんじゃろう。ルフィもウタも本意ではないかもしれんが……それでも生きる為、今は力を付けねばならん!!」
「急に押しかけて来て何事かと思えば、孫の面倒を見ろとは。全く、昔から変わらんな」
"凪の海"を航行する船の上に、二人の人影があった。一人は、モンキー・D・ルフィの祖父にして、"英雄"と謳われた元海軍本部中将・ガープ。その後ろに立つ男のマントが、海風に翻る。
「と言いつつ、来てくれるんじゃから、わしとしては頼もしいわい」
「事件の事は聞いている。その上、かつて我らが船長の最大のライバルだった男に、ああして頭を下げられてはな」
そう苦笑しつつ、男は海の先に少しずつ影を覗かせたルスカイナ島を眺める。
「それにしても、ルスカイナ島か。また過酷な環境に飛び込んだものだ」
「今頃は島の猛獣達に揉まれとる頃じゃろうな。なあに、子供のころからジャングルに放り込んでおったんじゃ! そうそう死にゃあせんわい!! ぶわっはっはっはっはっはっは!!」
「……随分奔放な孫育てだ」
高笑いするガープに若干引きながらも、彼は静かにルスカイナ島にいる二人に想いを馳せた。そして、静かに口角を上げる。
「さて……新時代の申し子たちの力がどれほどのものか。見せてもらおう」
波に揺られる船の上でかつて"冥王"と呼ばれた男の瞳が、鋭く光った。