迷子の小さな歌姫と妖精王
「うぅ、ぐすっ……シャンクス、みんなぁ、どこぉ……!」
耳にヘッドセットを付け、左右が紅白に別れた特徴的な髪型をした少女、ウタはエレジアの森の中で泣いていた。
出航前からずっと楽しみにしていた音楽の島に着き、普段よりもテンションが高上していたウタはシャンクスたちの静止を振り切ってエレジア中を走り回り、気が付いた時には街から離れた所にある森の中に迷い込んでしまったのだ。
「ひっく……ぐすっ……う、うぅ……」
自分はこの森の中をずっと彷徨い続け、二度とシャンクスやみんなの所に帰れなくなってしまうのだろうかという不安に押し潰されそうになっていた。
──キィキィ
「ぐすっ……?」
止まらない涙を拭ながら歩いていると何処からかキィキィ、と小さく可愛らしい鳴き声がウタの耳に入ってくる。
ウタは鳴き声がした方へと向かうが、そこには草むらが生い茂っているだけだった。
「気のせい……かな」
そう言って来た道を引き返そうとした瞬間、がさがさと草むらが揺れ、なにかが飛び出す。
ウタは驚きのあまり「きゃっ!?」と可愛らしい悲鳴を上げて地面に座り込んでしまい、草むらから飛び出した存在と目が合ってしまった。
ウタはその生物を見て怖がるわけでも逃げ出すわけでもなく、目をキラキラと輝かせてじっと釘付けになっていた。
「か、かわいい……!」
ウタと目が合った生物は虫に耐性のない人間が見ても可愛いと思えるほど愛着のある姿をした小さくて丸っこいキュートなイモムシだった。
イモムシはゆっくりとウタの方に向かうと笑顔でキィキィと鳴き始めた。
【外の人だ!外の人だ!】
「わぁっ!?」
【どうやってここに来たの?教えて!教えて!】
「な、何か言ってるのかな?全然分かんないや……」
自分には理解できない言語に困惑するウタだがめげずに目の前のイモムシに話しかける。
「あ、貴方はなに?この森に住んでいるの?」
【そうだよ!ここはオベロンの森!ウェールズの森だよ!】
「や、やっぱり分かんない…….」
ガクッと落ち込んでいるとイモムシはウタに背を向け、キィキィと鳴く。
【おいで!おいで!オベロンの森に案内するよ!】
「あ、待って!」
小さなイモムシの後を追うようにウタは小走りで森の奥へと進んで行く。
暫くそうして進んでいるとウタは少し開いた広場に出て、目の前の光景に目を輝かせた。
【着いたよ!ここに僕たちの王様、オベロンがいるんだ!】
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
あたり一面に美しい紅葉が広がり、所々に金と黒の二つの粒子が飛んでおり、そこには自分をここまで案内してくれた可愛らしいイモムシと同じイモムシ達が戯れていて、見た事のない小さな羽の生えたドレスを着た女の子たちが飛んでいた。
まるでお伽話の世界に来たみたいでウタの気分は高揚し、他には何かないかと辺りを見渡していると広場の中央にある切り株の上に足を組みながら座る人物を目が止まる。
シミ一つ見当たらない白い肌に汚れ一つのない美しい銀の髪の上に金色の冠を被り、童話の中から飛び出したようなメルヘンな王子服を身に付け、背中に大きなアゲハ蝶の羽を生やした幻想的な美青年が指に止まる蝶を優しく眺めている。
「きれい……」
白い青年に見惚れていたウタはぽつりと呟く。青年はウタの存在に気が付いたのか、青年はウタを見て怒るでも驚くでもなく、微笑みながら「おいで」と優しい声でこちらに手招きする。
ウタは青年の前に駆け寄り、挨拶をしようとするが緊張でうまく言葉を出せなかった。
「あ、あの……えっと、あ、あたし……」
「初めまして、可愛いらしい小さなお姫様。そんなに怖がらなくて大丈夫、此処には君を傷付けようとする者は一人もいないよ」
目の前の童話から出てきた王子様のような青年にお姫様と呼ばれ羞恥で顔が赤くなるが、ぶんぶんと顔を振るって羞恥を逃し、青年に何者なのか聞いた。
「えっと……あなたは、だれ?」
「おっと、そうだった。まずは自己紹介をしないとね。僕はオベロン、妖精王オベロン。この森に住んでいる王様さ。まあ、王様と言ってもおかざりの王様だけどね」
「あなた、おうさまなの!?あっ、ご、ごめんなさい!」
「そんなに畏まらなくても大丈夫さ。おかざりの王様だってさっきも言ったろう?だから僕のことはそうだね……うん、友達のように接してくれたら嬉しいな」
「……じゃ、じゃあオベロンって呼んでもいい?」
「勿論、構わないとも。おっと、そういえばまだ君の名前を聞いていなかったね。いつまでも君呼ばわりするわけにもいかないからね」
「あたしはウタ!赤髪海賊団の音楽家、ウタだよ!改めてよろしくね、オベロン!」
「こちらこそよろしく、ウタ。ところでウタはどうしてこんな森の奥に来てしまったんだい?もし君がよければだけど、何があったか聞かせてもらってもいいかな?」
オベロンの言葉にウタの表情が少し暗くなるが押し黙ることなく、オベロンに事情を話し始めた。
「あのね──」
ウタから一通りの事情を聞いたオベロンはウタの頭を優しく撫で、突然の事にウタは頬を赤く染める同時に胸が暖かくなり安心感を覚えた。
「一人で怖かったろうに……ここに来るまで大変な目に遭ったりしなかったかい?」
「う、ううん……あの子が案内してくれたおかげで大丈夫だったよ」
そう言ってウタは自分をここまで案内してくれたイモムシを指差す。
するとそれに気付いたイモムシがウタの方に駆け寄り、ウタはイモムシの頭を撫で、イモムシはとても気持ちよさそうに表情を綻ばせる。
「迷っていたあたしをここまで連れてきてくれたんだよね。ありがとね!」
【どういたしまして!どういたしまして!もっと撫でて、撫でて!】
「これは驚いたな。ここにいる妖精たちは人から触れられるのを慣れてないのにそこまで君に懐くなんて。彼も君に対してお礼を言ってるみたいだし」
「そっか、今の鳴き声はお礼だったんだ。こちらこそどういたしまして……って、えぇ!?オベロン、この子の言葉分かるの!?」
「勿論さ、なんたって僕は妖精王だからね!彼らについては熟知してるつもりだよ」
「じゃあこの子の言語をあたしに教えることってできる!?」
「あ〜、あんな事言った矢先に悪いんだけどごめんね。教えること自体は可能だけど、彼らの言語を人に教え込むとなるとそれはもう莫大が掛かるんだ」
「それってどのくらい?」
「そうだね……具体的にいうと君が三回生まれ変わってシワクチャのお婆ちゃんになるぐらいかな?」
「そ、そんなに掛かるんだ……」
「期待してたのにごめんね?その代わりここにいる間は僕が彼らの言葉を代弁するよ」
「本当に!?ありがとうオベロン!」
「どういたしまして、好奇心旺盛なお姫様」
「えへへ……もう、恥ずかしいよ……あっ、そうだった!ねぇ、オベロン……一つだけオベロン に頼み事をしてもいい?」
「勿論いいとも。遠慮せずに言ってごらん」
「あのね……あたしのお父さん、シャンクスと赤髪海賊団のみんなを探してほしいの。あたし、シャンクスやみんなの所に帰って迷惑掛けてごめんなさいって謝らないといけないの……だから……」
出会って早々すぐの人にそこまでして貰えるとはウタだって思っていない。
何より自分はまだ優しくしてくれてるオベロンに何も返せていない。
オベロンの優しさに漬け込んだ事にウタは罪悪感を覚え「やっぱりいいや!」と取り消そうとした時、オベロンは切り株から立ち上がった。
「勿論だとも!困ってる友達のお願いを断るほど僕は無粋じゃないよ。それじゃあ早速だけど君のお父さんと仲間たちの特徴を教えてくれるかな?」
「どうして……」
「ん?」
「どうしてオベロンは出会ったばかりのあたしにそこまでしてくれるの……?」
出会ってまだ一時間も経っていない見ず知らずの自分にここまでしてくれるオベロンに困惑するウタを見て、オベロンは無邪気に微笑んだ。
「君が困っているから。それだけじゃ駄目かい?」
それだけで?たったそれだけの理由でオベロンはここまで自分にしてくれるというのだろうか。
それではまるで本物の王子様ではないか。
ウタの瞳から涙が溢れる。ただしその涙は悲しみによるものでなく、嬉しさによるものだった。
「泣くのはまだ早いよ。その涙は君のお父さんと仲間達に会うまでとっておいたほうがいい」
「ぐすっ……う゛ん゛!!!」
「良い子だね……よおし!それじゃあウタ、君のお父さんと仲間達の特徴を全部言ってくれ!僕が完璧に全員そっくりに描いてあげるよ!」
そう言ったオベロンはいつの間にかペンとスケッチブックを持っていた。
この妖精王、描く気満々である。
「えっ!?そのペンとスケッチブックは一体何処からだしたの!?」
「妖精王に出来ない事はないのさ!」
「もしかして妖精王ってすごく凄い!?」
「勿論、すごく凄いとも!多分ね!」
「そこはハッキリと言わないんだ!?」
数時間〜
「これが、これが妖精王の力だよ……ウタ!」
「す、凄い……本当に全員そっくりだ!」
数時間の奮闘の末、ウタに教えられたメンバーの特徴を聞いたオベロンは赤髪海賊団のメンバー全員をそっくりそのまま高クオリティで描いたのだ。
オベロンのペンを持つ指が若干震えてるがそこは気にしないでおこう。
「それでオベロン。その似顔絵をどうするの?」
「ん?これをブランカに見せて捜してもらうんだ」
「ブランカ……?」
「おっと、まだ紹介していなかったね。おいで、ブランカ」
そう言ってオベロンが右腕を前に出すと、そこに白いふわふわとした毛並みの大きなカイコガの妖精が止まる。
新しく現れた妖精にウタは目を輝かせ、そっと優しくブランカの体を指で撫でた。
「わぁ!すごくもふもふしててかわいい!」
「ありがとう、ブランカも喜んでるよ。それじゃあブランカ、僕の力作を見てくれるかい?」
オベロンはスケッチブックから切り出した似顔絵をブランカに見せていく。
「よし、覚えたみたいだね。それじゃあ頼んだよ」
ブランカはオベロンの指示に従うように森を飛び去っていく。ブランカの姿が見えなくなるのを見届けたオベロンはウタの方に目を向ける。
「ブランカが帰って来るまでしばらく時間は掛かるだろうけど、これで君の父親と仲間たちは確実に見つかるよ」
「何から何までありがとね、オベロン」
「お安いご用さ。さて、ブランカが帰って来るまでの間、何がしたい?」
「それじゃあここで歌ってもいいかな!」
「そういえば君は確か音楽家だったね。じゃあ是非、君の素敵な歌声を僕とみんなに披露してくれるかい?」
「うん!!勿論だよ!!」
「それじゃあこの切り株の上に上がって。少し小さいだろうけどそこが君のステージだよ」
ウタはオベロンが先ほどまで座っていた切り株の上に上がるとオベロンはパンパンと手を叩き、妖精たちを集めた。
【なにが始まるの?なにが始まるの?】
【楽しいこと?楽しいこと?】
【オベロン様!オベロン様!これからなにが始まるの?】
「楽しいことさ。その前にまずは小さな歌姫から紹介があるみたいだ。静かに聞こうか」
ステージに上がったウタは笑顔で妖精たちとオベロンに向けて呼びかけた。
「初めましてみんな!あたしはウタ!赤髪海賊団の音楽家のウタだよ!あたしは森で迷子になっている所をそこの妖精さんに案内されてここに来たんだ!そしてみんなの王様のオベロンは出会ったばかりのあたしを助けてくれたの!そのお礼で今日はあたしの歌をみんなに聴かせて貰ってほしいんだけどいいかな?」
ウタの言葉にキィキィと妖精たち特有の鳴き声が響き渡り、飛んだり跳ねたりする。
相変わらず言語は理解できないが、頼れる代弁者に視線を向けるとオベロンはウィンクをしながら親指をグッとした。
それを確認したウタは嬉しさのあまりガッツポーズをした。
「ありがとうみんな!それじゃあ今から歌うからしっかりと聴いててね!」
ウタは目を瞑り、口ずさむ。
辺りは静寂に包まれ、妖精たちはウタに注目する。
♪この風はどこからきたのと
美しい天使の歌声が秋の森に優しく響く。
透き通るようで儚い、それでいて確かな存在感を感じさせてくれる美しい歌声。
集まった妖精たちは声を静めてその歌に聴き入り、オベロンもウタから目を離さず聴き入っていた。
♪大海原を駆ける新しい風になれ……………
天使の綺麗な歌声が終わると同時にパチパチとオベロンはウタに向けて拍手をする。
「みんなどう?あたしの歌、良かったでしょ!」
満面の笑みを浮かべるウタに妖精たちは笑顔になりながらキィキィと鳴き始める。
【とってもキレイ!ステキ!ステキ!】
【もっとたくさん聴きたい!もっとたくさん聴きたい!】
【ウタすごい!ウタすごい!】
「どうやらみんな、君の歌をとても気に入ってくれたようだ。ありがとうウタ、とっても素敵な歌声だったよ」
「えへへ……!オベロンやみんなにそう言ってもらえて嬉しい!よぉし、じゃあもう一曲歌っちゃうよ!みんな、しっかり聴いててね!」
そうして小さな歌姫の二回目のライブが始まり、再び秋の森に天使の歌声が響いた。
オベロンの膝の上に寝かされていた頭を優しく撫でられていたウタは目をゆっくりと開けた。
「う、うぅん……」
「おや、目が覚めたかい?」
「あれ、あたし……眠ってた?」
「君が歌い終わった後、すぐに眠ったからびっくりしたよ。いつもこんな感じなのかい?」
「うん……一曲だけならまだ起きてられるけど、二曲目を歌うとすぐに眠っちゃうんだ」
「あれだけ良い曲を歌ったんだ。体力も精神力も相当使うんだろうね」
「そうなのかな……すぐ眠っちゃうから分かんないや」
オベロンの膝の上に寝かされていたウタは起き上がり、背筋を伸ばす。
目を擦り、オベロンの方に目を向けるとそこにはシャンクスたちを探しに出ていたブランカがオベロンの右腕に止まっていた。
「君が眠っている間、ブランカが君の父親たちを見つけて帰ってきたんだ……名残惜しいけどお別れの時間だね」
「……うん」
「危険はないだろうけど森の出口まで僕が案内するよ。さあ、僕の手を取って」
ウタはオベロンから差し伸ばされた手を取って強く握った、そうしていないと悲しくなってしまうから。
オベロンとウタは歩き出す。
「ここでの時間は楽しかったかい?」
「うん、すごく楽しかったよ!」
「それは良かった。他でもない友達の君に楽しんでもらえて僕は何よりだよ」
「えへへ……」
──オベロンとウタは歩く。秋の森の一本道を歩いていく。妖精たちはその後に続いていく。
「ねぇ、オベロン」
「何だい、ウタ?」
「また……オベロンやみんなに会える?」
「それは……そうだね……」
ウタのその言葉にオベロンは歯切れを悪くし、顔を俯かせ少し困ったように笑う。
ウタはそんなオベロンを見て何となく察しが付いてしまい「そっか」と悲しそうに言う。
ウタはオベロンの手をぎゅっと強く握った。
──オベロンとウタは歩く。開けた場所に出ると木々の隙間から白い光が差し込んでいる。
「さぁ、ここが出口だ。この先に君のお父さんと仲間達が待っているよ」
「……ここで、お別れなんだよね」
「うん、そうだね。短い時間だったけど僕も彼らも久しぶりの来客が来て楽しかったよ」
「……オベロンやみんなが楽しかったならあたしも嬉しいや……うん、しんみりしたのは終わり!それに、いつまでもオベロンに迷惑を掛けるわけにもいかないしね!」
そう言ってウタはオベロンの手を離し、出口に向かって駆けていく。
森の出口へ抜ける直前、ウタはオベロンたちの方へと振り返った。
涙がボロボロと瞳から流れていく。
この森で過ごした数時間はウタにとって大切で忘れられない思い出となったのだ。
「ありがとね、オベロン!あなたたちもありがとう!もし、またここに来たらあたしの歌、もっとたくさんみんなに聴かせてあげるから!」
【ほんと?ほんと?ウタの歌、もっと聴きたい!聴きたい!】
【楽しみ!楽しみ!またウェールズの森においで!オベロンの森にまた来てね!】
【ばいばい!さよなら、オベロンのオトモダチ!】
「僕もその時を楽しみにしているよ。それじゃあ気を付けて帰るんだよ、ウタ」
「うん!!!みんな、ばいばーい!!!」
年相応の満面の笑みを浮かべながらウタはオベロンたちにお別れを言い、走って森の出口へ抜けていった。
それを見送ったオベロンは頭をガシガシと乱暴に掻き、疲れたように大きな溜め息を吐いた。
「……はぁ〜、やっと出ていったか。まったく、まさか『夢の中』に入って来るなんて思ってもなかった。しかもあの様子だと無意識で入って来やがったな。あ〜、ほんっとうに気持ち悪い」
苦虫を潰したような顔でそう吐き捨てるとオベロンの姿が一瞬にして別の姿に変わっていく。
白く美しい髪は暗い影の髪に、金の冠は青の冠に、白い上衣には黒い外套を羽織り、背中に生えていたアゲハ蝶の羽は薄い四枚翅となり両脚と左腕は鋭く黒い異形のものとなっていた。
【オベロン!オベロン!もう一度、ウタに会いたい?】
妖精たちがオベロンに話しかける。妖精たちの言語を理解できるオベロンはその言葉を聞いて顔を思いっきり顰めた。
「はぁ?もう一度あいつと会いたいかって?はっ、冗談じゃないね!人が色々と考え込んでる時に入って来られたら鬱陶しくてたまったもんじゃない!そう易々と簡単に入れてやるかっての!」
怒りながらそう吐き捨てるとオベロンは出口の方を見ながら、ふんっと鼻を鳴らした。
「ふんっ、でも、まぁ……あいつの歌自体は悪くなかった。それだけは認めてやるよ」
その後に「それはそれとして二度と来るなバーカ」と舌を出しながら付け加え、大嘘つきのオベロンは妖精たちと共に元来た道を歩き出した。