走り込み、遠泳、腕立て伏せ?
ブラウニー三等兵の中の人波に浚われ丸くなった砂が、身体ごと飲み込もうとでも言うように足にまとわりつく。
それを振り払い、何者の声も届かない場所へ走る、走る、走る。
今の今まで遠くにいた渦巻きが、目の前まで来ていた。
高波のような感情に浚われそうになる。
それから逃げるように、黒が渦巻く海へ。
とにかく、叫びたかった。
その叫びを、誰にも聞かれたくなかった。
昊天の誕生を祝うために、なるべくはやく帰らなければいけない。あの場にいるべきだった。それでもひとりになりたかった。
「わあああああぁぁぁーッッ!!!!」
もうずっと、声で溢れていた。
きっと覇気でもなんでもない、何かの異常だ。異常、というのは勿論悪いことだ。
頭がおかしくなったのかもしれない。
渡された鈴から記憶が流れ込んで。
すべての命あるものの声が止まなくて。
きっと、自分が手を出したから、大尉が出ざるを得なかったのだ。
身の程を弁えない正義感を、両手以上の理想なんかを抱えるからこうなったのだ。
言われたとおりにしておけばよかったのだ。
誰もを救おうとして大切な人を傷つけるだなんて、あってはならないことだった。
「でも、みんな、救われたがってた……」
「あんたさぁ、悪い子のくせに誰かを救える気でいたの?」
水面に映るもうひとりの自分が嘲笑う。
故郷を滅ぼした悪党ですら、憎むには足りなかった。そうすることができなかった。
負の感情は、自分という存在をひどく消耗させる。想像できないほどに疲れ果てる。
「あ、沈むのはやめてね面倒だから」
それでも、理想は諦められない。
自分の心で納得できるまで、動けない。
七面倒なこの性格が心底嫌いだ。
「誰かを助けられるのなら、助けるのは自分じゃなくてもいい、それはべつにいい」
「でも傷つくのは許せないんでしょ、それってものすごく馬鹿馬鹿しい……我儘」
水面に拳を打ち付ける。
何度も、何度も、何度も。
もうひとりの自分の姿が掻き消えても、声が止むことはなかった。
砂の記憶、水の記憶、魚の声、珊瑚の声、草木に花の声、動物や虫の声。
そこにもういないもの、ないものの声。
自分自身の声すらも掻き消してしまいそうな程のざわめきの嵐。
それはたとえ耳を塞いでもすり抜けて心臓に刺さるもの。
誰に話しても理解されなかった。
道化を演じて笑ってみても、何も解決しなかった。
世界でたったひとり、はみ出しものだ。
この世で、再現性のないものは信用するに値しない。そんなの痛いほどわかっている。
自分ひとりだけが持っているものは、なんの役にもたたない。
「あんたってさ、生きるのに向いてないの」
消したはずの自分が再び口を開く。
自分が自分でいる限り、きっとまた同じことをする。
ゆらゆらと不気味に歪む自分が笑う。
自分の声なのかもわからない。
痛みも感じない、ヒトとヒトじゃないものの違いもわからない、なにもかもに同調して。
まるで丸裸、無防備な魂だ。
優しさや強さとは程遠い。
「こっち側に近いモノなんだよ」
手を伸ばさずにはいられない。
「もっと悪い子になれば?」
誰からも捨てられるように。
だって、役が同じなら誰でもいいじゃない。
どうせもっといい代わりがいるし。
ぱしゃん。
「ごぼがぶぶくぶくごぼがぼぼぼごぼ」
(こーすればその顔を見なくて済むわ)
名案だとばかりに沈んでいく。
「がぼぼぼごぼこぽ…………」
(わたし、海の中でも生きていけるんじゃないかな……)
貝だ、貝になりたい。
牡蠣になりたい。
牡蠣の味を吸っておいしく永遠を終えたい。
「人間、やめてないはずなのにな……」
海を吸って、海を吐き出す。
なんの違和感もなく漂う。
心地よい暗さと冷たさに少しずつ落ち着いてくる。走りに行くのはいつものことだし、きっとなにも思われなかったはずだ。
「やっぱりネクラだ、わたし」
じめじめ、うじうじ、めそめそ。
「あと5ふん……いや、10ふんくらいで帰ろう、帰るべきだもの」
誰かと一緒にいられれば、わたしは自分になれる。なんの解決もしてはいないが、いまは帰らなくては。
「とびっきりのごはんでお祝いして……宴だーって、大きい声で……」
なんだろう、なにができたのだろう。
あゝだめだ。
またじめじめうじうじのめそめそ。
でも無力は無力だ。
使い途を誤っちゃいけない。
「はぁ……」
どっちが上なのかわからないが、明るい方に泳ぐべきだろう。それが普通のはずだ。
「なにか……ヒミツの特訓とか……」
浮上しながらも、うじうじと。
「水面から上はいつものわたし、水面から上はいつものわたし……」