貫いていく
「────どうだったタコメンチ」
ンコソパ総長ヤンマ・ガストが退屈そうに歩いて声をかけた。
昼夜を問わず季節もなく、苛烈な吹雪の荒ぶ気候のはずであったゴッカンは、随分と珍しい晴天を覗かせている。
こうやって彼が立ち尽くせているのも、身体的にはそれによるものが大きかろうと思うヤンマを、ギラ・ハスティーが振り返る。
「どう、って」
「俺からしたらむしろ意外だったぜ。最後の最後で、みっともなく裁判長とかに泣き入れてラクレスの刑の執行に反対してくると思ってたからな」
「……そんなことしない」
宇蟲王とその一派たる五道化を打破して、王達がそれぞれに自国を建て直す時間をわずかに経て今日、シュゴッダム史上最悪の王と称された男、ラクレス・ハスティーの死刑が執行された。
処刑の場に選ばれたのはゴッカン。国際裁判所でもあるとはいえ、あのラクレスが最期に祖国の景色を目に焼き付けようとしなかったことにギラは思いを馳せる。
「ラクレスは最期まで、「民と国を思わない邪智暴虐の王」を貫いた。だから自分が生まれ育って、陰日向に守り続けてきたシュゴッダムのことも死に場所には選ぼうとしなかった。……その覚悟を知ってて、どうして弟の僕がそれを止められるんだ」
「弟だからこそ、止めてえモンじゃねえのか。こういうのは」
「……今更タラレバか」
ギラが小さく、自嘲するように笑う。
「ヒメノとジェラミーはどうした? 帰ったのか?」
「……知らねえ。ダグデドブッ潰した今となっちゃ六王国の王全員が集まるだけでも一大事だ。いつまでも国空けてらんねえんじゃねえか」
正確には二人ともまだゴッカンに留まっていることをヤンマは知っている。
ヒメノはつい先ほど唐突にラクレスの死に化粧を務めると言い出した。命と美の国を率いる女王から、邪智暴虐の王への最大限の手向けであろうことはヤンマにも理解できた。
ジェラミーはジェラミーで恐らく自分達のやり取りをどこかから眺めているのだろう。語り部としての役割を全うしたがるのは、歴史や種族といったあらゆる物の狭間に住み、輪の外の第三者視点に立っていると自分を客観視しているからだ。
だがそれをわざわざギラに教えるのも何か違う。ヒメノもジェラミーも、各々が何かしら思うところあって勝手にやっているだけのこと。
死に顔を飾るヒメノも死に様を語り継ぐジェラミーも、きっとそのことでギラに恩を着せようとは────珍しいことに────考えていないだろう。ならばヤンマとしても、ギラにそれを伝えて恩を感じさせようとは思わなかった。
「ヤンマも帰るのか」
「俺ァ元々ラクレスが気に食わなかった。くたばるところが確認できりゃ居座る義理もねえ」
「……でも来てくれた。ありがとう」
「ンコソパのテッペンは俺だ。顔出さなかったせいでテメーに国単位で喧嘩売られるなんて御免なんだよタコメンチ」
ぶっきらぼうに言い捨ててゴッドトンボを呼び出し、ヤンマがゴッカンの地を後にしていく。
見送るギラの元に、二人分の足音が近づいてくる。
「スズメさん。リタさん」
ギラは二人の名を呼んで、それ以上言葉が継げなかった。
妻であったスズメ・ディボウスキは当然ながら、リタ・カニスカさえその顔に憔悴の色が見て取れたからだった。
リタの背にオージャカリバーは挿さっていない。ラクレスに引導を渡したのが彼女の剣であったことをギラは思い出す。
「兄様は少し休まれてからトウフに戻るそうです」
「そうですか……。スズメさんはどうするんですか? その、ラクレスがいない今、もう、スズメさんがシュゴッダムに留まる理由もないんじゃ」
「……まあ、ラクレス様の妻である私も、国民からの心象は良くありませんものね。厄介払いするなら今のうちですことよ」
「そういうつもりじゃなくて。大事な人を失うのは、辛くて当たり前だ。その悲しみを癒すのに、シュゴッダムはあまりに向かないと思う。ラクレスとの時間を思い出すものが多すぎるだろうから」
目を伏せて言うギラに、スズメが薄く微笑む。普段の彼女からは想像もつかないほど儚げで、物悲しささえ覚えるような笑顔。
「それもそうですわね」
それだけ言い残して、スズメがギラの横をすり抜けていった。決して軽くはない足取り。すれ違いざま手に触れたスズメの着物の袖口が、僅かに湿っている気がした。
「……スズメさん!」
「なんでしょう」
「あなたに出会えて、きっとラクレスは救われた! ずっと、純粋に兄を愛して、傍にいてくれて、本当にありがとう!!」
「……ええ、ラクレス様の言う通り。本当に、甘い人ですこと」
スズメは振り返らずに歩き去っていく。
残されたギラが、何も言わず成り行きを見守っていたリタ・カニスカへ向き直る。
「リタさんも、ありがとう」
「……仕事をしただけだ」
「そっか。……いつかも、同じことを言われた気がする」
ギラがラクレスの弟であると法廷で明かし、無罪を言い渡したときのことだ。
リタとてそれを忘れてはいない。ギラ・ハスティーという男はこれまでリタの元へ数々の面倒を持ち込んできた。その中でも「ラクレス────つまり、シュゴッダムの王家との正統な血縁」という真実は、かなりリタの頭と胃を痛めたエピソードの象徴でもある。
「……お前は」
「?」
「恨まないのか。憎いとは思わないのか」
「リタさんのことを?」
「紆余曲折はあったが、お前は最後にはラクレスを兄と呼び慕っていたはずだろう。その命を奪った私を、許せるのか」
「……仕事をしただけ、なんだろ」
ギラが言い放つ。文面だけで見れば突き放すような言葉の裏に、確かな心遣いがあった。
「正しくあることと優しくすることは違う。優しくなくても正しさを貫く人は、そのせいでいくらでも他人の恨みを買うものだと思う。……ラクレスもリタさんも、そういう人だ」
「……」
「ラクレスは宇宙を救うためとはいえ、間違ったこともたくさんしてきた。それでも僕はそんなラクレスを、肯定はできなくても尊敬するし、だから、リタさんのことも同じように尊敬してる」
「アイツと同列で語られるとは思わなかった」
「あなたは王だけど、王である以上に法の番人であることを全うしてる人だ。ヤンマ達とはまたちょっと違って、自国の利益以上の“正義”に従ってるだろ。そんなあなただから最後にラクレスを任せられたんだ」
「……買い被るな」
リタが背を向ける。不動の王の掌が小さく震えていた。
「……でも」
ギラがぽつりとこぼす。
口で何と言っても、心の底でわだかまっているものがあるのだろうとリタは思っていた。
だが違う。
「やっぱり、さびしいな」
子供のような言葉だった。
声が頼りなく震えていた。
「……リタさん」
「何だ」
「少しでいいから、傍にいてくれないか」
「…………勝手にしろ。私は、不動を貫く」
言い捨てて、背を向けて。
それでもその場を去りはしない。
数秒ほどの間があって、やがてギラの額がリタの背にこつんと押しつけられる感触があった。
(なんで私が)
リタが複雑な表情で考える。
「……ごめん。独りに、なりたくなくて」
「……そうか」
向き直る。
体重を預けていたリタが姿勢を変えたせいでよろめくギラ。その体を、リタが正面から抱きすくめる。
「────リタ、さん」
「私も独りは嫌いだ。気持ちはわかるし、これぐらいはしてやる。友達としてな」
たとえば、モルフォーニャがそうしてくれたように。
抱きしめて、体温を、鼓動を、命を伝え分け合う。
それで何かの糸が切れたのかもしれない。リタの腕の中で、ギラの押し殺した泣き声が響き始めた。
(ここまで来て、まだ我慢するのか)
養護園で年長の立場だったからなのか。それとも本来の性分なのかはわからない。
ギラは声を上げることなく、小さく呻くように泣き続けている。
邪悪の王を標榜する普段の姿とはかけ離れた、まるで子供の頃に取り残されたような弱々しい姿。
民の命を背負うにはあまりに頼りない、どこかに閉じ込められていた剥き出しの少年の姿があった。
しばらくして、落ち着いたらしいギラがリタのもとからそっと離れた。
「ありがとう。それと……すまない」
「罪人の身内の感情を受け止めるのも、裁く側としての責務だ」
「そう、か。やっぱり、リタさんはすごいね」
「お前の方こそ、よくやってた」
「あなたほどじゃない。……なあリタさん」
「? まだ何かあるのか」
「……みんなは、リタさんは、僕のそばにいてくれる?」
「……これから次第だ」
ミノンガンは確かに封印しているが、奴がその能力で“別時間軸のダグデド”を呼び出していた事実は、宇蟲王と五道化の脅威が「この時間軸での勝利」程度で留まる物ではない可能性を示唆していた。
いつこの時間軸に次の宇蟲王が牙を剥いてくるとも知れない以上、この先の未来がどうなるかはわからない。
だがそこまで事細かに説明する空気でもなければ、リタは元々言葉を尽くすタイプでもない。言うべき答えを端的に返す。
ギラは不安を隠し切れない笑みで「そっか」と頷いて、
「じゃあもっと強くなる。胸を張ってあなたの隣に立てる、そんな王になるよ」
と言った。
その言葉に隠れた意図────“時代遅れの語り部”らしく言えば行間だった────を読めないリタではない。
決して不快な思いなどしていないが、釘を刺すように問う。
「自分が何を言ってるかわかってるのか」
「ああ」
「いいやわかってない。ラクレスの死で心が疲れてるから変なことを言ってるんだ」
「全部終わったらどのみち話すつもりだった。その終わりが、今日だっただけだよ」
「自分の命を委ねられるほど信じたあなただから、家族の命も託せたんだ」とギラが続け、リタが頭を抱える。
「お前の兄を殺した、血に汚れた手だ」
「僕にとっては、ラクレスを解き放ってくれた手だよ」
「……友達じゃ駄目なのか」
「リタさんは嫌なの?」
「……私はゴッカンの王だぞ。法の私物化ととられてもおかしくない」
「いつまでもそうってわけじゃないだろ。それに、表向き邪智暴虐の王だったラクレスに裁きを下したリタさんとなら、きっと国民も受け入れてくれる」
ああ言えばこう言う。
さっきまでの涙は何だったのか、柄にもなく真剣に慰めていた時間を返してほしいと思いながら、リタは「そういえば」と頭によぎったことを尋ねた。
「そもそもお前、いつから私をそんな目で……」
「……わからない。アイドルやってる姿は、呆気に取られながらも可愛いと思ってたけど」
「やめろ」
自分でも忘れたいし皆にも忘れてほしい黒歴史を唐突に掘り起こされて、リタの喉から低い声が這い出た。
潜入捜査だっつってんのに人様の部屋を漁り、挙句同人誌を音読し始めた馬鹿も、そういえばこの邪悪の王だったなとリタが思い出す。
……だが。
『チキューが滅茶苦茶なのは、リタさんが裁判長じゃないからだ!』
『みんな「誰にも罰せられない」ってわかってる。だから欲望に負けて悪に飲み込まれちゃうんだ……っ』
『リタさんは、正しく生きようとする人の世界を守ってくれてたんだよ!!』
あの日コイツが見せたそんな馬鹿さが何だかんだ嬉しかったことだけは、思い出すまでもなく、心の底に刻まれていた気がする。
「…………もう一度言う。これから次第だ」
「えっ」
「少なくとも今は無しだな。兄が死んだ直後に女を口説くような奴を相手に、リタ・カニスカは揺るがない」
「うっ」
「まずは体と心を休めろ。落ち着いて、それでもまだ世迷い言を吐けるようなら少しは聞いてやる」
「……世迷い言……」
「ゴッカンの王は玉座を退いてしまえば一般人になる。「シュゴッダム王家に跡継ぎがいない」からと命じられれば断れないが」
「っそんなこと、絶対にしない! リタさんの意思で選んでもらわなきゃ意味がないじゃないか!」
「それが“邪悪の王”の言葉か。……選んでほしければ、まず今より立派な王になれ。大変なのはこれからだ」
立襟の下で小さく笑って、リタ・カニスカがオージャカリバーを取りにスタスタと歩き去っていく。
ギラも流石にそれを追いかけはせず、ふと、兄が命を終えた場所を振り返った。
正義と邪悪の真ん中で、決してブレず二律背反を貫いたその強さを憶う。
そして同様に、流されることなく粛々と法の正義を全うした彼女を想う。
(僕は、あなた達みたいになれるだろうか)
その答えはとっくに、何なら三度も示されている。
「これから……だよな」
これから始まるのは有史以来初めてといってもいい、宇蟲王なき世界。仮初めでも何でもない真の平和だ。
保つより壊す方がよほど容易く、それを守るより難しい戦いはないだろうと、ギラは薄々と感じ取っている。
「ラクレスが見てる。リタさんが待ってる。……相応しい王に、ならないと」
新たな時代に向かう王道の、その第一歩。
何色でもない真っ白な大地へ、ギラ・ハスティーは強く踏み出した。