象十万頭分の
「……またか」
「まただな」
「またかぁ」
ペーパームーンが指定する座標はインド、時代はクル・クシェートラの戦いのあたり。ノウム・カルデアにはもはや馴染み深すぎる地獄の煮凝りが再び溢れ出した。
「でも今回は少し変わってるみたいだね」
呼び出されたメンバーを見渡して藤丸が首を傾げる。大体クル・クシェートラ関連のサーヴァントが一人は同行メンバーになるのだが、今回は増えに増えたヨダナ属もクル・クシェートラ組もメンバーに入っていない。
インドの特異点(いつものやつ)と聞いて念の為集まっていた一同が不思議そうにしながらも藤丸に同意して頷く。
「クル・クシェートラ以前に何か起きたのだろうか」
偽王の呟きに横に立っていたヴィカルナがふむ、と顎に手を当てる。
「既に『大地崩壊バッドエンドインド』になっているということでしょうか」
「滅多なことを言うな馬鹿者」
「あいたっ」
べシンとそこそこの強さで頭を叩かれたヴィカルナの横でカリ化ヴィカルナがカリ化ドゥフシャーサナに口を押さえられている。カルデアに来てから何かが吹っ切れたらしく全方位に強いヴィカルナたちは割と問題発言が目立つ。
バッドエンドインド……と無駄に頭に残るリズムを振り払いながらマシュが気を取り直して横に立つ偉丈夫を見上げた。
呆れたようにヴィカルナを見つめているバーサーカーのヴラド三世は今回の選出メンバーの一人だ。その他には賢王とロビンフッドが選出されている。
「此処でどうだこうだ言っていても埒が開くまい。少なくともまだ修正の兆しも崩壊の兆しも見えていないのだ、現地に向かって確認したほうが早いだろう」
賢王の一声によって一同は現地へのレイシフトを敢行した。
レイシフトした先はなんだか見慣れた気さえする植物が生い茂る森の中だった。生い茂りながらも陽光を燦々と通す植物たちは生気に満ち溢れている。
「……少なくとも大地は崩壊していなさそうだな」
手近なシダの葉を検分したヴラド三世の声にマシュが頷く。
「はい。植物がこんなに生き生きとしているのなら、プリトヴィーさんが役目を放棄しているとは思えません」
「プリトヴィーさんが崩壊を起こそうとしている世界でもなさそうだね。クル・クシェートラより前なら、ドゥリーヨダナが妙なタイミングで起動しちゃったとかかな?」
「それか、火付けで五王子が燃えたとかか? いやしかし、五王子が揃っていたら密告が無くとも焼け死んだりはせんだろう」
それは確かに、と心で頷きながらロビンフッドがフードを被る。
「とりあえず、情報収集してきますわ。マスターたちは安全を確保できる場所でも探しといてください」
「うん! お願いね、ロビン」
「はいはい」
“顔の無い王”で姿を消したロビンフッドを見送り、藤丸たちが通信を確認すると支障無くホログラムが起動してゴルドルフの姿が浮かび上がった。
『問題は無いかね?』
「はい。全員レイシフト成功して、今ロビンが偵察に出てくれました」
『こっちからも存在証明バッチリできてるよー。現地はどんな感じ?』
ダ・ヴィンチの声に所感を伝えるとゴルドルフが腕を組んだ。
『此方からも特に問題は見受けられん。どんな危険があるか一切予測できん状態だ。気をつけるようにな』
「はい!」
元気に返事をして一時的に通信を切った藤丸たちの元に、慌てた様子でロビンフッドが帰ってきた。
「ロビン、何かあったの?」
「いや、なんか戦争中っぽいんですがね、思ってるのと違うというか」
「?」
揃って「?」を浮かべる一同を先導してロビンフッドが森を進み木々の晴れてきた崖から下を指差す。
眼下の平原には隊列を組んだ戦士たちが居並んでいるが、動く気配は無い。だがその前方では既に派手に土煙が上がっている。
「……なんだ、アレは」
「え、なんですか?」
土煙のほうに視線を向けていた賢王の呟きに藤丸が首を傾げると、賢王は蔵からひょいと双眼鏡を取り出して投げて寄越した。「過保護ではないか?」というヴラド三世の呟きを黙殺した賢王が土煙の一部を指差す。
「見てみよ」
「? はい」
指差されるほうを向いて双眼鏡を覗き込めば、土煙を上げているのは戦象の群れだというのが理解できた。武装を施された象がズシンズシンと平原を進んで……吹き飛んだ。
「え?」
間抜けな声を上げた藤丸が一度双眼鏡から目を離すが、裸眼ではただ土煙が上がっていることしかわからない。慌てて何が起こったのか確認の為にもう一度双眼鏡を覗き込むと、視界に鮮やかな青藤が現れる。
青藤の髪を持つ男が、素手で、武装された象を軽々殴り飛ばしている。まるで舞踊でも踊っているかのような軽い腕の一振りで象が吹き飛び隣の隣の象まで巻き込んで倒れていく。
「…………え??」
再び双眼鏡から目を離し、ロビンフッドを見ると「だから言ったでしょ」と肩を竦められた。
「思ってるのと違うって」
「いや、違いすぎない? あの人誰? 象ってあんなに簡単に吹っ飛ぶものなの?」
「そこまでわかんな……しっ」
唇に指を当ててポーズを取るロビンに合わせて藤丸も口を噤む。そろ、とロビンフッドが視線を動かす先から小さな音が近づいてくる。
全員で息を潜めながらそちらを見ていると、元気そうな子供が二人、仲良く手を繋いで飛び出してきた。
「やっぱりここからなら見えるぞ!」
「出過ぎ出過ぎ! 落ちるよ!」
艶やかな紅藤の髪を長く伸ばして切り揃えた整った顔の子供が崖の間際に進もうとし、同じ紅藤の髪を短く整えオレンジの布を額に巻いた優しそうな顔の子供がそれを止める。どう見てもカルデアにいるとある二人の面影を持つ子供たちに藤丸たちはそれぞれ目配せする。「だいぶちっちゃいけど、あの二人だよね?」「ですよね?」「他人の空似にしちゃあできすぎですよ」「他におらんだろう。マジカルよりも少し小さいくらいから」「ユユツはともかく、ドゥリーヨダナはどうしてあれがああ育つのだ」と、具体的な声すら聞こえてきそうな程に目が語っていた。
落ちると言われたドゥリーヨダナは素直に手を引っ張るユユツの元に戻り、大人の時とは逆転した身長差のままにその腕の中に収まって揃って平原を見た。
「あー……やっぱりすごい暴れっぷり」
「……やーい、お前の父上戦略兵器ー!」
「私の父上お前の父上だろうが!」
「それな」
ふざけた調子で言い合う二人の「父上」という単語に藤丸は目を見開いた。あの二人の父だというのなら、それは盲目の王ドリタラーシュトラに他ならない筈だ。
あれが?と視線を土煙に向ける。未だ止まない土煙はあの青藤の髪の男が踊っているのだろうことを示していた。
「……国を継いだら俺は父上役やるから、ユユツはヴィドラ叔父役ね」
「やだよ! 絶対しんどい!」
「えー……でも役割的にそうじゃん」
「ダルマの化身であるヴィドラ叔父の代わりなんだし、ユディシュティラがやるよ! たぶん! 私はパーンドゥ叔父役がいい」
「パーンドゥ叔父みたいに自由人になれる?」
「……無理かな……私は私としてスヨーダナの隣にいるよ」
「ん!」
「でもスヨーダナ、父上くらい強くなれる? 危なくない? 私が代わりに戦おうか? スヨーダナは交渉とかのほうが向いてそうだし」
「……頑張る……百人いるし……なんならドローナ師やビーマセーナにも手伝ってもらう……」
「それはズルじゃないかな……」
微笑ましい(?)やりとりにホッコリしているとガサガサと音が近づいてきたので、何かあれば二人を守れるように武器を構えた一行だったが聞こえた声に武器を下ろす。
「こら! やんちゃ坊主共!」
「叔父上!」
現れた濃紺の髪の男に二人が嬉しそうに駆け寄ってしがみ付くと、それぞれの背に手を回した男が眉を寄せた。
「大人しくしてると言ったから連れてきてやったんだぞ。何を早々に抜け出して遊んでるんだ」
「だって父上が見えないし」
「天幕の中飽きたし」
頬を膨らませて文句を言う二人にため息を吐いた男が平原に顔を向けると、ドォン、とかなりの距離があるにも関わらず謎の爆発音が届き男の目から感情が消えた。
「……」
「ねえ叔父上」
虚無の顔をしている男の裾を引っ張りながらドゥリーヨダナが首を傾げる。
「ん?」
「なんで戦争してるの?」
純粋な質問はカルデアとしても聞きたいことの核心をついていたので全員が耳をそばだてたが、返事は期待外れのものだった。
「んー……わからん。兄様に暴れる切っ掛けを与えるほど愚かな王では無かったと思うのだが」
「パーンドゥ叔父がお妃様に触ろうとしたとか?」
「流石にそれは無い……無いかな……無いといいな……いくら兄さんといえどもこの間兄様に腕捻り上げられたばかりだしちょっとは懲りてる筈……というかあそこの王とはしばらく会ってないからいくらなんでも違う筈」
ぶつぶつと呟く男にユユツが首を傾げた。
「パーンドゥ叔父って、女の人に触ったら爆発するんだよね?」
「爆発するかはわからんが、まあ、触ったら駄目だな」
「それがわかっててなんで触ろうとするの?」
「くっつくのが好きなら私たちがくっつくのに」
「…………あと5年したらわかるよ」
不思議そうに顔を見合わせるユユツとドゥリーヨダナにとても気まずい顔をした男に同情しつつ、カルデア一行は目配せしてこのままでは何もわからないと三人に接触することを決めた。
「あの」
身を隠していた茂みから姿を見せた藤丸に、男がぎょっとして子供たちを背中に隠す。
「すみません! 怪しい者では、いや、怪しいのは認めますけど、決して危害を加えるつもりはなくてですね!」
淡い桃色の瞳に不信感を多分に含ませて睨め付けてくる男になんと言ったものか迷っている藤丸の横で賢王やヴラド三世も立ち上がる。二人に促されてマシュとロビンフッドも姿を見せた。
「…………」
「そう警戒するでない」
益々険しい顔をする男にヴラド三世がゆったりと語りかける。
「見目が怪しいのは否定すまいよ。ただな、そこな男。もし襲う気であれば既にそうしておるとは思わんか? 貴様、今の今まで我らの存在に気づいておらなんだろう?」
「それは……そうだが」
「俺、この土地の調査に来ました! 藤丸といいます!」
迷っている男に藤丸がハッキリと告げるとパチクリと目を瞬いた。
「そ、そうか」
押せばいけそう、と直感で感じ取った藤丸は隣に立つヴラド三世を差す。
「こちらはヴラド三世、ギルガメッシュ王、ロビンフッドとマシュです」
「はじめまして!」
「ど、どうも」
パッと頭を下げるマシュの勢いにたじろぐ男の腕が緩んだのか、男の左右からぴょこぴょこっとドゥリーヨダナとユユツが顔を覗かせる。
「二人も、はじめまして」
藤丸が意識して優しく笑いかけると二人ともちょっと戸惑いながらも頭を下げ、はじめまして、とか細い声でボソボソと挨拶する。
暫く考えていた様子の男がため息を吐いて藤丸をしっかりと見据えた。
「君たちが私たちを襲わなかったという事実は受け入れるしかない。とりあえず、我が陣営に案内しよう」
案内された天幕の中、移動中にヴィドラと名乗った男は敷布の上に積まれたクッションに座り込む。ドゥリーヨダナとユユツはその左右に収まり好奇心いっぱいの顔をしながらも叔父に半分隠れて藤丸たちを見ている。
「そちらへ、楽にしてくれていい」
差された敷布の上のクッションにそれぞれ収まり、頭を掻くヴィドラと向き合う。藤丸はこっそりとデイバスに触れて音声がカルデアに通じるように設定しておいた。
「本来は王である兄が対応するべきなのだろうが、まだ暴れ……不在にしている為、私が対応させてもらう」
圧倒していたとはいえ、仮にも戦場に出ている王を「暴れている」と評するのはどうなのかね、とロビンがツッコミを入れるが、なんとか声には出さずに心の中で留めた。
単刀直入に聞こう、とヴィドラが手を打つ。
「調査とは、一体なんの?」
藤丸の挨拶をきちんと覚えていたらしいヴィドラに賢王が膝に頬杖をついて応える。
「あの戦争だ。何故起こっている? 原因はなんだ?」
「それがわかれば私にも是非教えてくれ」
額を覆って項垂れるヴィドラから煙に撒こうとする気配は感じられない。そもそも次の王たるドゥリーヨダナに問われてすら「わからない」と答えているのだ。
「原因の無い戦争など存在しない。たとえどれだけ下らなくとも、戦争という結果があるのならそれを起こした原因がなければならない。原因がただ一人の男の我儘でも構わん。少なくとも原因の片棒を担いでいる筈の貴様らに一切思い当たるところが無いというのはおかしいだろう」
賢王の言葉に、我儘で戦争を起こした男の幼少期が目を丸くする。
「我儘で戦争を起こす奴がいるの?」
「ああ。世界は広いからな」
「へぁー」
あやめ色の瞳を瞬くドゥリーヨダナは、真っ当に進んだ未来ではインド神話最大の悪の総帥になることを知っている藤丸たちでも想像もできない程に無垢な顔をしていた。
「そう言った意味での原因ならわかっている。宣戦布告されたので軍勢を整えて反撃している……の、だが」
言葉を切ったヴィドラが頭を掻く。
「そもそも宣戦布告をされる意味がわからん。うちには兄様がいる」
「戦場で一人大暴れしているあの男だな?」
ヴラド三世の言葉にヴィドラが頷く。
「身内をこう言うのはあれだが、あの人は怪物だ」
ため息を吐くヴィドラの左右で父親を怪物呼ばわりされた子供たちはくふくふと楽しそうに笑う。
「理性があるから戦争を吹っ掛けたりはしないが、やられたら万倍にしてやり返すことを躊躇しない。兄様は数億の戦士を一人で軽々と蹂躙してしまえる。だから今まで周辺の国はクル族にだけは手を出さなかった。兄様は戦うことを躊躇しないが、理由無く戦いたがる人ではないから『アレが出てこないようにそっとしとこう』という暗黙の了解が成り立っていたんだ」
子供がふざけて言っているだけかと思っていた『戦略兵器』という言葉が正しく意味の通りだった知って藤丸は背筋が冷える思いがした。人の形をした抑止力の兵器とかありか、と。一人で数億を蹂躙できるってどういうこと?という疑問に答えてくれそうな者はいない。
「いた、と過去形になるってことは、今はそうではないってことですかい?」
ロビンフッドの疑問にヴィドラが頷きで返す。
「宣戦布告をされたと言っただろう? うちに戦争を挑んでくる国が出てきた」
「お兄さんが弱くなったとかでは?」
「弱くなってくれたら私は大喜びで舞でも舞ってやる」
王が弱くなって喜ぶことある……?と藤丸が喉まで出かかった言葉を飲み込んでいると、おもむろに外が騒がしくなり迷いの無い足音が近づいてくる。なんだろうと首を伸ばした藤丸の視界が唐突に布で覆われた。
「ヴィドラ、私の服の予備どこだ?」
「なんて格好で戻って来てるんですか馬鹿兄様!!!」
「ぅお、すまん客人か!」
「うはははは!!」
カルデアにいるドゥリーヨダナとよく似た声が聞こえ、ヴィドラの叫び声と賢王の我慢しきれなかったような笑い声が響き、賢王につられたようにドゥリーヨダナとユユツの笑い声も聞こえてくる。
何が起こっているのだろう、と思いながらも藤丸が顔を上げれば見知った顔が困ったように眉を下げていた。藤丸だけでなく隣に座るマシュの視界も塞いでいるストールを持った聖仙ヴィヤーサは二人に少しだけ笑いかけて顔を上げる。
「ドリタラーシュトラ、服を着なさい。見苦しい」
「好きで脱いではおりませんよ、親父殿。スーリヤがまた腕試しに来たせいで服が燃えてしまいまして。親父殿から言って止められませんか? いい加減迷惑なのですが」
「スーリヤって、スーリヤ神っすか?」
「ああ。今回はスーリヤだったが、ヴァーユといいインドラといい、私が戦場に出ていると腕試しだの度胸試しだのと言って向かって来るのだ。一々相手にするのも面倒だからそろそろやめてほしい」
「何故神が人相手に腕試しをしておるのだ……」
繋がった音声だけを聞いていたカルデア管制室メンバーは、無言で見つめ合っていた。
血の繋がった弟であり、ダルマの化身であるヴィドラに怪物と呼ばれるドリタラーシュトラとは一体どういうことなのだろうか。
というか服が燃えたと文句を言っているということは服以外は無事なまま撃退したのか? 太陽神を? 十割人間な筈のドリタラーシュトラ王が?
「…………何も考えたくない」
死んだ魚のほうがまだ活きのいい目をしていそうなくらい正気のない目をしたシャクニの呟きに全員がコックリと頷いた。
この特異点、いつもと違う地獄(クソトンチキ)だ……と心が一つになった。