諸君、私はアクあかが好きだ。
舞台:荒れ果てた部屋
スポットライト:ドレスを着た一人の人物
「あぁ! なぜ貴様がここにいるのか! 朝の静寂を乱し! 夜の波濤をかき分けて! やっと出てこれたというのに!」
スポットライト:鏡に映る一人の紳士風の服を着た人物
『黙れ異端者。俺の精神に入り込む悪魔。人に不幸を招く風よ! 早く俺の体から出ていくがいい』
スポットライト:再びドレスの人
「ふふ・・・あははははは! 愚かな男! この体はもとから私の物。お前が不当にも奪い勝手に使っていただけのこと! 貴様の言葉を借りるなら、貴様こそ悪魔であり、貴様こそがおぞましい怪物よ!」
舞台:崩れる書き割り。悲鳴のような金切り声
スポットライト:鏡に映った紳士とドレスの人物
「貴様の存在が神に許されるはずがない!」
『お前の存在こそ、悪魔がいるという証!』
「アクアやめろ」
姫川が手を叩きながら声をかけると、アクアは意識を戻していった。
場所はララライの練習スペース。
時間は夜の七時。
異母兄弟以外は誰も居ない中、姫川は眉を寄せながらため息をついた。
「・・・だめでしたか?」
不思議そうになアクアの問いかけに、姫川は頷く。
「アクア、お前の役はどういう奴だ?」
「・・・産業革命の起こった時代。男と女の人格を持った解離性同一性障害に苦しむ紳士。彼は本来女の性格をしていたけれど、むりやり男の精神を作らされた。二人は鏡を通じて罵倒し合いながら精神をすり減らしていって・・・」
「違う」
スラスラと演じる役の説明をしていたアクアを、姫川が苛立たしげに止める。
「お前が演じるのは二人だ。『男の体を持った女の役』と『そいつの体に宿った男の役』だ勘違いするな」
そう言うとアクアの側に歩いていく。不安そうな、悔しそうにしている異母弟は思わず声を上げた。
「・・・そうしてるつもりなんですが・・・」
「お前がしてるのは女らしすぎるのと、男らしすぎる。いいか、男と女は体が違うんだ。それだけで演技のやり方も違う。それなのに、女をより女らしく。男は男らしすぎる。お前の演じる役はもっと歪んでるんだよ」
「・・・なるほど・・・」
理解はしても、納得はしていない。
意外にわかりやすいアクアを姫川は台本で軽く小突いた。
「いいか? 見てろ」
意識を切り替える。
『おぉ、悍ましい怪物! 家族ですら嫌悪を現し、神ですら貴様を見捨てるだろう! 貴様を愛してくれる者など誰も居ないのだ!』
『ならばお前を愛してくれる者はいたか大嘘つき。男とふんぞり返り、弱者を罵倒し、強者にへつらう。貴様など風見鶏にも劣る!』
なんとなく印象に残っていた場面を再現する。歪に、チグハグに。それは、壊れていないと見せかける人形のよう。
アクアは、それを見て何かを考えるように思い詰めている。
「・・・」
「まぁ、俺ならこうする。お前の演技はキレイ過ぎるんだよ。混ぜろ・・・あと、おぞましいってこんな漢字してるんだな・・・読めなかったから記憶に残ってたわ」
「そこは読めてくださいよ・・・」
最後の言葉に毒気を抜かれたのか、アクアは疲れを吐き出すような息をついた。
「すいません。姫川さんに訓練付き合ってもらって、しかも指導までしたもらってるのに・・・」
バツが悪そうなその言葉に、今度こそ姫川は笑ってしまう。
この性格悪そうな異母弟は、意外と誠実に居たいと思っているのだ。
「いいよ別に。お前はオンオフじゃなくて出力も制御できないといけないからな。とりあえず、少し外の空気吸ってこい」
「そう、ですかね・・・すいません。ちょっと出てきます」
「遠くまで行かないようになぁ」
「・・・子供じゃねーです」
言いながら、アクアは練習スペースを出ていった。
「大したもんだよ。本当に」
それを見てから、姫川は大きく息を吐いた。
緊張していた体が弛緩するのを感じる。
「・・・やべぇもん手に入れてんな、あいつ」
口元を隠すようにしながら、先程までの演技を思い返す。
以前の姫川からアクアへの評価は、悪くはない。だった。
外見、演技力、表現力、カリスマ、視線誘導能力。理解力。
それらを間違いなく高水準で揃えながら、まだまだ未熟な所が多い。
女遊びに関しては絶望しているが、話していて頭いいんだなぁと思うし、意外と良いやつなのも気に入っていた。
メルトの相談にのっていたのも記憶に残っている。
とは言え、鍛えていけば化けるだろうが、鍛えなければ上の中で終わるとも評価していた。
「だから、演技教えてくれって言われた時は嬉しかったんだけどなぁ・・・」
今回、演技を見せてもらった時は驚いた。
それまでは、キレイにまとまっていた演技が崩れていたのだ。
他者を引き付ける、引力のようなカリスマ。妖しく、匂い立つような色気。そして、周囲の認識すら錯覚させるような没入感。
今まで眠っていたそれが、まるで花開くように暴走していたのだ。
「・・・やべ、震えてる」
その雰囲気に飲まれないように、彼はひたすら意識を強く保っていた。
これまでのアクアとは別人と言っていいほどの演技。
否、変わり果てたという方が近いだろう。それにあてられないために。
「とは言え、あれをいきなり舞台に上げるのいかんよなぁ・・・劇がぶっ壊れるぞ」
才能が全開になっているアクアに必要なのは調整能力。
元々そちらの方が得意だった筈なのに、今ではからっきしだ。
「まぁ、それは置いとくとして・・・そろそろか」
その言葉に答えるように、扉が開かれる。
「ちょっと姫川さん! アクア君に何をしてるんですか!?」
髪を乱して息を切らして、瞳をランランと光らせた黒川あかねが現れた。
彼女は姫川に肩を怒らせながら近づいてくる。
「よっ」
「よっ。じゃありません! 姫川さん! これはなんですか!」
言いながら、彼女はスマホの画面を見せつけてくる。
そこには、仏頂面の姫川と長い黒髪の超が付く美少女が写った写真が投稿されていた。
「あぁ、よく撮れてるだろ?」
「そうじゃないですよ! あぁもう、こんなに反応されてる・・・」
普段は何も言わないか、唐突に料理の画像を投稿する程度しかしなかった姫川が。
いきなり女の子とのツーショット写真を投稿したのだ。
既にネットは大盛りあがりをしている。
あかねがジロリと睨みつけながら、姫川を問いただした。
「この子・・・アクア君ですよね」
「おぉ、やっぱわかったか。それで、アクアも俺もスマホに反応ないからここに来たと。流石は彼女」
あっさりと応えた姫川に、あかねから大きすぎるため息が聞こえた。
「ま、ちょっとしたお遊びだな。今回の役の相談ついでにあいつの化粧能力で化けてもらって、面白かったから写真撮ったんだ・・・安心しろ。この後普通の俺らの写真も載せてネタバラシする予定だから」
「でも・・・」
それでも不安を隠せないのか、あかねが食い下がる。
「安心しろ。この件はアクアも了承済だ。俺等兄弟は色々ありすぎたからな・・・こんくらいのギャグネタでもやらないと、面倒くさいんだよ」
そう、以前映画騒動で巻き込まれたのは何もあかねだけではない。
なんなら直接的な近さでは姫川の方が近かった程だ。
「ま、お前みたいに炎上することはないから安心しろ」
「ッカハ!」
とりあえず面倒くさくなりそうなので、あかねをオーバーキルで黙らせる。
「・・・それで、アクア君の演技指導、どうなんですか?」
ふらつきながらもプクーと頬を膨らませ、あかねが聞いてきた。
「・・・やべぇな、あれ。今まで培ってきた技術と才能が爆発してる。なんとか落ち着かせなねーと使いもんにならんぞ」
「あー・・・やっぱりそうなってますか。参ったなぁ・・・」
あかねが、困ったように。
けれども微笑みながら呟いた。
(危ねーな)
アクアには歪な所がある。
実父の歪みと、実母の歪み。
それを何かでまとめ上げて、復讐で覆い隠していたのが今までのアクアだ。
その復讐が、今はない。
だから、姫川は確かめなければならなかった。
ネットに画像を投稿したのも、アクアを外に出るようにしたのも。
ここで、目の前の同僚を問いただすためだ。
「おいあかね」
「・・・なんですか? またいじるんだったら、アクア君とルビーちゃんに言いますからね」
まだ不貞腐れているのを無視して続ける。
真面目な事は、苦手なのだ。
「アクアも、ルビーも・・・才能がある。人を惹きつける魅力がある。けどな、アクアは・・・あいつは父親似だ。それも俺等の中で一番だろう。才能を、煌めきを愛してる。星を追いかけてるんだ」
「そうですね、アクア君の奥の方にはそういうのありますね」
アクアが実父を忌み嫌っているのは、同類嫌悪に近い所もあると見ている。
それはつまり、アクアも才能ある美しい人に惹かれると言うこと。
「お前は、あいつの側に居たいと言ってたな・・・あいつを繋ぎ止められるか?あいつに人生を貪り尽くされる位の覚悟でなければ、あいつを繋ぎ止めれない」
問題は、アクア自身の才能だ。
ずっと秀才型でピッタリになる演技をできるだけだと思っていたようだが、それだけではない。
光りを飲み込む暗い星のような魅力もあるのだ。
「ズバリ聞くぞ。お前にそれができるのか?」
目に力を込めて、相手を威圧し緊張させる。
姫川大輝に、学はない。細かいことなどわからない。頭も正直良くはない。
その上で、そんなものはどうでもいい。弟を守る事ができるのかと問いただす。
ララライの、日本のトップ。姫川大輝の威圧だ。空気が重く、張り付くような気がするだろう。
だが・・・
「意外と面倒見いいんだね姫川さん」
対するあかねは動じない。
彼女もすでにララライのエースという枠には収まらない程の実力を得ているのだ。
それどころか、これまでとは逆にこちらを笑う余裕さえある。
「・・・ほっとけ。あいつは良いやつなんだ。弟だし・・・いい役者だし。俺だって才能ある奴は嫌いじゃない・・・おい、それより答えろ」
「あぁ、それですか? もう賭けに全部あげてるから今は結果待ち中なんです」
まるで、何でもないかのように軽い言葉で彼女は返した。
役者は、演じる職業だ。
ある意味では嘘つきども言えるだろ。演技は動きに出るし、それをとっかかりにすることもありはする。
そんな役者の中で一番の実力者である姫川ですら、彼女の言葉に偽りを見いだせなかった。
「お前、本気かよ」
「私から言わせれば、今更すぎます。まぁ、悪いことにはならないと思いますよ?」
「アクアに同情するわ。お前、重すぎ」
こんな面倒くさいのが身内になるのかと思いながら、半目で同僚を見てしまう。
「わたしはまだ、敵を倒せてないんです。彼にとって完璧で無敵の・・・母親って敵を。姫川さんはアクア君を縛りつけれるのかって言いましたけど、わたしが考えてるのは違うんです」
あかねの瞳に、初めて敵意が宿った。その感情は重く、鋭い。
「わたしはアクア君を救う。それだけです・・・ま、まぁ? その途中か結果としてアクア君と結婚したり、子供産んだり、家族になって人生を過ごすかもしれませんけど?」
「前言撤回する。お前はもうちょっと自分を大切にしろ。気軽に全賭けしてんじゃねーよ」
突然赤くなって照れるあかねに、内心でだけ続きを呟いた。
(これじゃ、どっちが捕まったのか分かったもんじゃないな)
ふと、視線の端に動く影を見つけた。時間もすでにそれなりに経っている。
「ほら、その彼氏様のお帰りだ。おいアクア、今日の練習はここまでだ。彼女を送って行ってやれ」
「・・・・・・・・・わかりました。悪いあかね。すぐ着替えるから待っててくれ」
扉からひょっこりと、不機嫌そうな照れているようなアクアが現れる。
おそらくは、途中で聞いていたのだろう。
すましているが耳が赤い。
「あ、アクア君。おかえり。練習どう? 姫川さん厳しくなかった? 男二人なんて良くないよ。次からは私と一緒に二人で練習しよう?」
「うん、まあ、落ち着け・・・あと、練習は姫川さんに見てもらうから心配するな」
言いながら、アクアが服を着替え始めている。
何故かあかねはその光景から目を離さないが、互いに気にしていないから声をかけるのは野暮だろう。
「では、ありがとうございました。また今度お願いします」
「おう、お疲れさん」
「失礼します。姫川さん、ネットのあれ。絶対に変なことしないでくださいよ? 特にアクア君に迷惑かかるようなことは」
「ハハハ・・・アクアー。その女送り狼してキチンとわからせてしまえー」
「わかりました」
去ってゆく二人を見送りながら、姫川は自身が笑顔を浮かべているのに気がついた。
遠目には、腕を組んで歩いてゆくアクアとあかね。
「まぁ、なんだ・・・いいもんだな・・・家族ってやつもさ・・・」
呟いてから、大きく伸びを一つ。
「さてと、明日も早いから・・・いつものお姉チャンのいるお店にでも行きますかねー」
「あ、アクア君。晩御飯食べた? もし良ければ今日家に誰も居ないから食べていかない? うん。私が作るよ、何がいい? え? 家にあるもので?・・・うーん・・・あ、生姜焼きとかできるよ。それでいい? じゃあ、特に買い足すものもないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・あとね、今晩私・・・裸エプロンしてみたいんだ」
今晩もあかねは負けた。