諦観羂索SS

諦観羂索SS


黴臭い座敷牢。窓がない牢の中では、今が昼なのか夜なのかすらわからない。格子状の木の枠組みは、ここに連れてこられた最初の数日に羂索が引っ掻いた爪の跡が、幾つも幾つも残っている。

石の床には自分のものなのか奴のものなのか、どこから出たのかすらもわからない体液が染み込み、乾ききることはなく湿っている。何日経っただろうか。それを羂索に教えてくれる人間は、誰もいなかった。

目の前の、羂索の身体を暴き嬲る人間は、愉悦と愛情と嗜虐をない混ぜにした、歪んだ笑みともつかないような表情を浮かべ、羂索を見下ろした。


「羂索、ねえ、こっちを見て。愛なんて言葉じゃ生ぬるいくらい、ずっとずっとあなたを想ってる」


耳障りな雑音が、ねっとりと鼓膜を舐る。気色の悪い戯言が、羂索の神経を逆撫でする。

羂索はその人間の顔をまともに見ることすら、もはやできなかった。するつもりも、既になかった。


「……てんげん」


ふっと、口から溢れ出たのはその名前だった。一番の友の名前。愛おしい女の名前。友とは呼んでくれなかった、あの女の名前。


「なんで、なんでその女の名前を呼ぶの」


羂索の上に覆い被さるそれは、表情をますます歪め、羂索の首に手をやった。

両手で首を絞められる。息ができなくなる。脳に酸素が回らなくなり、端からジワジワと体温が冷めていく心地がした。


「教えてあげる。私が、私が、あなたに呪いをかけたの。私以外の誰にも愛されなくなる呪い。特にあの女には念入りにかけてあげた。あなたにベタベタベタベタへばりついてずっとずっと鬱陶しかったから。ね、わかった?もう誰もあなたのことを愛さないの。私以外、だぁれも」


早口で捲し立てるその声は、ほとんど聞き取れなかった。唾液が飛ぶ。気色悪い、と思うことすらとっくに億劫だった。

天元。きっともう、友とは呼んでくれないのかもしれないけれど。天元と過ごした日々が脳裏によぎった。呪いとは少し異なる、魔術についての書物を二人で見たことがあった。天元は魔術はからきしだったから、先に学んで、教えてやろうと思っていたのに。


「……這い寄る混沌」


口の端が動く。思いついた言葉を片っ端から口に出す。震える声と唇は、けれど確かに、呪詞とは違うそれが、這い寄る混沌を呼んだ。




気がつくと、格子も羂索を縛り付けていた人間も、跡形もなく消えていた。なんだったんだ、と思うと同時に、心の底にぽっかりと空いた穴に気づく。ああ、いまだに穴が開くような心が残っていたのか、と我ながら感心する。


「羂索!! やっと見つけた!!」


焦った顔で羂索の肩を掴んだ万は、いつもの如く服を着ていなかった。

当たり前だと思っていたそれが、なぜだか無性に気持ちが悪くて、羂索はその場で嘔吐し、気絶した。

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