記録と記憶 そして思い出

記録と記憶 そして思い出


「あぁもう!ジャンキー共め、いい加減しつこいわ!」


アビドス自治区の外縁部にて、トリニティの偵察部隊は追撃を受けていた。

発見されてからあった追撃は何とその数13回。

あまりのしつこさに皆が辟易していたが、それも遂に終わりを迎える。


「隊長!救援部隊が到着しました!」


「っしゃあ!ざまぁ見ろクソジャンキー共ォ!」


隊長と呼ばれた生徒は天高くその中指を突き立てる。

こちらの増援を見るや否や、アビドス生達は撤退していった。

だが、撤退していくアビドス生の中に妙な者が見えた。


「ん…?なんだアレ?」


アビドス生は一様にその名の通りアビドス高等学校の制服を着ている。

だが、一人だけが血と泥で汚れているが何故か異なる制服を着ているのだ。


「あれ…?だれもいない…たしか、はしる…?」


一人だけ取り残され、辺りをキョロキョロと見渡している。

まるで自分の状況が理解出来ていない様子だった。


「…撃ちますか?」


「……いや、待て。」


部下を制止し、隊長はその生徒に歩を進める。

そして、酷く怯えて自身を見つめるその生徒に声をかける。


「お前は何をしてるんだ…?」


「えっと…たしか…はしれっていわれて…あと、うてっていわれました!」


「誰を撃つんだ?」


「アビドスのせいふくをきてないひとです!…アビドスのせいふくってどんなのでしたっけ…。」

「あなたがきてるのがアビドスのせいふくですか?」


隊長は一瞬の逡巡の後に、堂々と言い切った。


「そうだ。私達はアビドスの生徒だ。」

「お前も疲れただろう。さあ、帰るぞ。」


「…はいっ!わかりました!」


生徒は帰ると言っただけで満面の笑みを見せる。

その様子に隊長は嫌な予感が遠からず当たってしまっている事を察した。

心の内は表に出さず、見事生徒を騙しきった部隊はアビドスに踵を返す。


「よろしいのですか?」


「ジャンキー共と何か様子が違う。あの分だと帰って何をされるかわからん。」

「それに、アレはミレニアムの制服だ。何かワケありかもしれん。」


副官の耳打ちに納得させる為に最もらしい事を返し、部隊は帰還し始めた。


「…ところで、お前の名前は?」


「わかりません!」


その即答に隊長は少しだけ後悔した。


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「ノアらしい患者がいるって本当なの!?ねえっ!?」


「お、落ち着いて下さい!」


トリニティの医療施設にて、ユウカはもの凄い剣幕で担当の看護師に掴みかかっていた。

だがそれも仕方のないことだった。

ノアが消息を絶ってからそれなりの時間が経過していた。

その間、ノアに関する情報は一切無く、不安と焦りだけが募る日々を過ごしていたのだから。


「確かに容姿が一致する方がいますが、今の彼女は…あっ!ちょっと!」


ユウカは辛抱堪らずに制止を振り切り駆ける。

そして、目的の病室を勢いよく開け放った。

そこには上体を起こし、ベッドの上で窓の外を見るノアの姿があった。


「ノアッ!」


「ヒィッ…!!!」


勢い余って大きな声でノアの名を呼ぶ。

だがノアはというと、怯えて布団で身を隠していた。


「あ…ご、ごめんなさい。驚かせちゃったわね、ノア。」


怯えたノアはこれまでに見たことが無く、反射的に謝る。

しかし、再会の喜びで冷静でないユウカは二の句を継ごうと口を開いた。


「心配したのよ…!本当に、もう二度と…」


だが、その興奮も一瞬にして冷める事となった。


「あの…”ノア”ってだれですか…?」


「ぇ…?」


「あと、あなたは…?」


呼吸が上手くできない。

そんなことがあるはずが無い。誰よりも記憶力の良いあの娘が。

そうだ、これは彼女が揶揄っているのだ。そうに違いない。

そう考えたユウカの中には怒りがこみ上げてきた。


「ノア、悪ふざけはやめて…!」


「あ、あの…ほんとうに…」


「いい加減怒るわよ!」


「ぁ…」


ヒートアップして少し怒声が出てしまう。

ノアは目を丸く見開き、その目に涙を浮かべてしまった。

そして、何処からともなく聞こえてくるビチャビチャという水音。

それは目の前からであり、鼻を突くアンモニア臭と謎の甘い臭いにユウカは茫然とする。


「えぐっ…うええええぇぇぇぇ……!」


「貴女何やってるんですか!」


幼子の様に泣き出すノア。

担当の看護師がやっと追いつき、バチンと重たい音を立て、吹っ飛ぶほどの平手打ちをユウカに打つ。

だが、ユウカは看護師にあやされるノアを見つめたまま、微動だにしない。

その目は後悔と悲哀、そして、自身への嫌悪に満ちていた。


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「コユキさん、ユウカさんは…?」


「死にそうな顔で資料室に入って行きました…」

「何かあったんですか…?」


思い出されるユウカの横顔。

コユキは理由が皆目見当つかず、首を傾げるばかりだった。


「そうですか…」


事情を知っているであろうヒマリの眉はハの字だ。

その表情を見て、コユキは何か良くない事があったのだろうと悟った。

そして、恐る恐る本題を尋ねる。


「それで、ノア先輩の容態は…?」


だが、その内容は想像を絶するものであった。


「…一言で言えば、重篤と呼べる状態です。」


「ぇ…?」


「ここまで酷い薬害はそうないでしょう…」

「左目はほぼ見えていませんし、全身に薬害による炎症等がありました。」

「恐らくは、日常生活に支障をきたす激痛を常時伴っています。」


聞いているだけで苦しそうな容態に耳を覆いたくなる。

だが、遠目に見たノアはぼんやりと窓の外を見ており、痛がる様子は無かった。

故に、ヒマリの言葉が信じられずに問いかける。


「で、でも!ノア先輩痛がってませんよ!?」


「それは砂糖によって痛覚がかなり鈍化させられているだけです。」


「!?砂糖を投与してるんですか!?」


驚きの余り目をむくコユキ。

だが、ヒマリは冷静にコユキを窘める。


「落ち着いて下さい、そんな訳がないでしょう…」

「タチの悪い事に、薬は砂漠の砂糖と同時摂取させられていた様です。」

「薬物と砂糖が結合し、体内の至る所に結晶が出来ていました。」

「その結晶が少しずつ溶け出して、常時一定の服用状態になっているのです。」

「それよりも…」


「まだ…何かあるんですか…!?」


これ以上続いて欲しく無い説明はまだ続く。


「…重度の記憶障害があります。」

「私達はもちろん、自身の名前すら覚えていません。」


「それでユウカ先輩は…」


「…はい。」


重々しく肯定するヒマリ。

その言葉にコユキはユウカのあの表情の理由を察した。

ならば、出来る事は無いかと尋ねる。


「治す方法は無いんですか…?」


「当面は血液透析と対処療法しかありません。情報が足りなさ過ぎてます。」

「ですが、投与された薬剤が何か、砂漠の砂糖とは一体何なのかが分かれば…」


「じゃあそれがわかれば…!」


「絶対とは口が裂けても言えません。」

「ですが、最善を尽くすと約束しましょう。」


その答えは限りなく小さい可能性である事を示唆していた。

だが、コユキの表情には失意は無い。

それは決意を固めた者の顔だった。


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「コユキちゃん、いい加減少し休んだら…?」


「…あ、ミカさん。さっき15分寝たから大丈夫です。」


心配そうにコユキの様子を見に来たミカ。

ドアをノックし、入室する旨を告げ、横にまで来た。

だというのに、ミカにコユキが気づいて振り向いたのは肩を叩かれてからだった。


「それよりもほら、見てくださいこれ!」

「ハレ先輩にも手伝ってもらってアビドスの端末からこれが出てきたんです!」

「投与された薬剤のリストはもう見つかってるので後は砂糖だけ…!」

「今度こそ…今度こそノア先輩、を…あ、れ…?」


興奮してミカにタブレット端末を持って詰め寄る。

するとコユキは限界だったのか、その場に倒れ伏してしまった。


「あぁ、もう…!だから言ったのにぃ!」


ミカはコユキを抱きかかえて医務室に向かう。

だが医務室はコユキの居た部屋の隣だった。

コユキをベッドに寝かせると、ミカは大きなため息を一つ吐く。


「はぁ…何回目か数えるのも馬鹿らしいじゃんね…」

「ねぇ、ユウカちゃん?」


「…ごめんなさい。」


医務室がすぐ隣の理由。それは隣り合って寝ているこの二人だ。

二人はノアの治療に必要な情報を集める為、昼夜を問わずに戦闘と調査を繰り返していた。

ミカが何度𠮟責してもノアの為の一点張りで強行し、無理が祟って倒れを繰り返す。

その結果、業を煮やしたミカが二人の部屋に仮設の医務室を設置した。

所謂”病院が来た”であった。


「…そんなだと、ノアちゃんが治る前に貴女達が壊れちゃうよ。」


「わかってます…」

「でも…一刻も早く、ノアを楽にしてあげたいんです…!」


そう言うユウカの目には涙が滲んでいた。


「両腕の貫通痕が痛んで夜中に起きたり…」

「左側が見えなくて、壁にぶつかって大泣きしたり…」

「注射針を見る度に怯えて、部屋の窓から飛び降りて怪我をしたり…!」


ユウカは仰向けのまま片腕を目元に乗せ、顔を隠しながら叫ぶ。


「透析をする度に、鎮痛剤が入るまで全身の痛みにのたうち回ったりっ!」

「正直に言います!あの子が苦しむ姿は、私達にとっての拷問なんです!!」

「だから、一刻も早くっ!あの子を苦しみから解放して、解放されたいんです…!!!」

「そして何より…いつまでも”初対面”であることが…もう…!」


涙声が室内に木霊し、すすり泣きは徐々に嗚咽に変わった。

根本的な治療法が確立していない以上は症状を緩和するしか無い。

故に、彼女らは指を咥えて痛ましいその姿を見続けるしかなかったのだ。


「…うん、そうだね。私も、苦しいよ。」

「でもね、ノアちゃんの気持ちも考えてあげて欲しいんだ。」

「元気になった時に、二人が自分のせいで死んじゃってたら…どう思う?」


「…」


ミカはベッドに静かに腰を下ろし、ユウカの頭を撫でる。

そして、語り始めた。


「だからね、二人は元気でいる義務があるんだよ。」

「この際だから政治的で、打算的な話をすると、治療法の確立はトリニティにとっても急務なの。」

「だからこうしてミレニアムの亡命者を支援してる。」

「なのに、その治療法が確立しない内に倒れられたら…ね?」


「…はい。」


出てきたのはこちらの事情など考えない、トリニティとしての話。

だが、ユウカはそのことを非情だとは微塵も思わない。

自身も治世をする立場の者であったからだ。

自身が彼女の立場なら、同じ選択をするだろうという確信があった。

だが、続く言葉はミカ自身の言葉だった。


「…軽蔑してくれてもいいよ。」

「私が言ってるのは、『ノアちゃんを実験体に早く治療法を確立しろ』って事…だからね。」


「ミカさん…政治向いてないですね…」


「あははっ、やっぱりそう?セイアちゃんにもよく言われてたの☆」


この心情の吐露は”後ろめたさがある”ことの意思表示に他ならない。

感情の切り離しができていないのは、政治において致命的だ。

感情を相手に悟られては、どう付け込まれるか分かったものではない。

だというのに、それを表に出してしまう。そう、彼女は優しすぎるのだ。

ああ、この人は本当に政治に向いていない、とユウカは心の底からそう思った。


「そういえば、コユキちゃんが倒れる前にこれがどうとかって言ってたよ?」


思い出した様子でミカはユウカにタブレット端末を差し出す。

ユウカはそれを受け取り、記載されている情報を見た。

少しは進展のある情報であることを内心で祈り、その実は期待していなかった。

だが───


「…!?これは…!?」


「え!?ユウカちゃん!?」


ユウカは跳ね起き、自室の端末の下まで駆ける。

困惑するミカを捨て置き、端末を祈りながら起動した。


(お願い…どうか合ってて…!)

「あ…!」


祈りは通じた。

コユキの端末に入っていた見覚えのある圧縮ファイル。

それは”セミナー間でのみ使用する”圧縮形式のものだった。

開いたファイルの中身は今まさにこれ以上無い程必要としていたもの。

こんな芸当が出来る人間は、ユウカが知る中では一人しかいなかった。


「帰ってきたら…半年は反省部屋ですからね…!」


ユウカは笑顔で天井を見上げ、ここにいないその人に想いを馳せた。


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「本当に貴女がいて良かったです、サヤさん。」


「何度も言ってるけど、それはぼく様じゃなくて先生に言うのだ。」


ユウカとコユキが必要な情報を手に入れてから暫く。

砂糖に対する治療薬の試製品が、ヒマリとサヤの合作で遂に完成した。

試製品はノアに投薬され、その経過を観察している。


「先生がぼく様をその気にしてなければ、こんなロクな設備もない所にいるわけないのだ。」


ユウカとコユキが手に入れた情報。

その中には先生が囚われている場所の情報もあった。

そしてミカは場所を知るや否や急行し、無事に救助されたのだ。

コンディション良好、テンションMAXのミカを止められる者など誰もいない。

囚われていたアビドスの拠点は流星が降り注ぐ神秘的な光景と共に壊滅した。


「ええ、もちろん先生のお陰です。ですが、それでも言わせてください。」

「貴女がいなければどうなっていたかわかりませんから…」


思い出されるのは数週間ほど前の事だった。

七囚人の一人である申谷カイが突如としてトリニティを訪れたのだ。


「…それに関しては、よく我慢したと思うのだ。」

「ウチの出でも、あれは善意で人助けをする様な輩じゃあない。」


ヒマリは自身の身体を抱く様に腕を組み、身震いする。

協力をすると言っておきながら、カイはコユキを品定めするかの様に横目で見ていた。

先生が入院中でおらず、皆が気づかない中、ヒマリだけがその事に気づいた。

故に、こちら側が了承の答えを出すより先に、遮る様にカイを拒絶したのだ。


「あれは…悪魔との契約に等しかったと思います。」

「その後に入れ違いで貴女が来てくれたから、私は恨まれずに済んだのです。」

「それに、この薬は貴女しか調合できない…違いますか?」


「…ふふん、じゃあ存分に感謝するのだ!」


「ええ、そうさせてもらいます♪」

「おや…ノアさんが起きた様ですね。」


「では、効果の程を確認するのだ。」


そうして二人はノアの下に静かに向かった。

その表情は喜びに満ちていた。


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「コユキ!今何時!?」


「16時半です!」


待ちに待った治療薬の投与日。ユウカとコユキは全力で帰還していた。

少しでも、ほんの少しでも良くなっていればと期待してトリニティへ急ぐ。

いつも通りの病棟の入口から入り、階段を上がり、所定の扉を開く。

何も考えずとも出てくる程に慣れてしまった段取りを、今日もするのだ。

だが───


「!? ユウカ先輩!あれ!」


「…え!?」


そこには目を疑う光景があった。

ヒマリ、サヤ、ハレ、ミカの一同に点滴を杖替わりにして立つ先生。

その真ん中に貫頭衣を着た銀髪の見知った少女がいる。

二人が一同の前まで来ると、その少女は口を開いた。


「おかえり、なさい…ユウカちゃん、コユキちゃん…!」


「「ぁ…」」


二人は目を丸くしたまま互いに顔を合わせ、ヒマリを見る。

ヒマリは穏やかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。


「「ノア(先輩)!!!」」


途端に弾ける様にノアに飛びつく二人。

溢れる涙を見られない様にノアの肩に顔を押し付け、ぐすぐすと嗚咽を漏らす。

そんな二人に、ヒマリは静かに告げる。


「何かが抜き取られたかの様に身体が変質してしまっています。」

「故に、記憶力は通常の人間程にまで回復するのが限界です。」

「ですが…今日から記憶することは出来るでしょう。」

「ですよね、ノアさん。」


問われたノアもまた、穏やかに答えた。


「はい。今朝の事からしか殆ど記憶がありませんが…」

「お二人は私にとって大事な人…何となく、そう感じるんです。」

「特技も何も無い私ですが…どうか、これからの思い出を、私と共有してくれませんか?」


「え”え”、言”われ”るまでも無”いわ…!」


「ずっど一緒にい”でぐだざい、ノア先輩ぃ…!」


この一瞬は、記録には残らない。

だが、背を照らす夕焼けと身体に伝わる体温の暖かい思い出は、生涯残るだろう。


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