記憶喪失レオパルド(仮) S2
……何が起こった? 気がつくとおれは部屋の外にいて、辺りにはガラスの破片が散らばっている。おれはガラスを割って部屋を飛び出したらしかったが、あまりにも一瞬のことで自分でもわけがわからない。ガラスの割れた窓に男が姿を見せた。さっきはシャツ一枚のしどけない姿をしていたが、今はベストに袖を通し、前のボタンを留めている。
「六式は使えねェかと思ったが、もう記憶は戻ったのか? ……戻ってたらこうはならねェか。頭は打たなかったようだが、今度はガラスを割りやがって……」
やはりおれが自分でガラスを割って外に出たようだ。痛みはなく、どこにも怪我がないのは不思議だが、何か無意識に自分でそうしたらしい。豹になれるくらいだ、今更いちいち驚いていても仕方ない。窓から部屋の中に戻ると、男はタイを締めているところだった。
「そんなつもりはなかったが窓を割ってしまった。片付ける道具を貸してくれ。おれの素性はまだ思い出せないが弁償するつもりだ」
身支度を終えた男は毛皮のコートを羽織ると、窓とは反対側の寝室とも浴室とも違う方向にある扉に向かっていく。扉を開ける前に振り返り、
「窓は片付けさせる、そのままにしておけ。お前は顔を洗ってこい。洗いすぎて雨を降らすなよ」
それだけ言って出ていった。部屋の窓が大破したのに少しも慌てる素振りを見せない。肝の据わった男だ。今度はガラスを、と言っていたな。おれは他にも何か破壊したんだろうか……。
顔を洗ってソファーに腰掛けていると男が戻ってきた。別の部屋で朝食にするからついて来いという。男の後から部屋に入って来た男たちが果物やパンの入った籠にナプキンをかけて運び出す。ハットリはお前の連れだから豆皿はお前が持っていけと言われた。確かにハットリはそこが定位置というように今もおれの肩にとまっている。だから名を教えてくれたのだろうか。そうだ、まだ名前も聞いてない。廊下を歩きながら前を行く男に尋ねる。
「名前を教えてくれ」
「ああ……、言ってなかったか。お前はロブ・ルッチだ」
「そうか、それでお前の名は?」
「なんとでも好きなように呼べばいい」
なんだそれは。名前を教える気はないということか。籠を持っている男に訊けば、自分達は “サー・クロコダイル” と呼んでいるという。それも本名ではないように思う。謎の多い男だ。そしてあまり善良な匂いはしない。
やがて食堂と思われる広間に着いた。白いテーブルクロスのかかった長机に、サラダやハムなどが盛りつけられた大皿が並んでいる。ガラスを割った相手に食事を饗するというのはおかしな話だが、この男……クロコダイルからすると大した問題ではないのかもしれない。昨日から何も食べていないし、とりあえず考えるのは食事をしてからでもいいだろう。男はテーブルの横を通り過ぎ、壁際にある大きな戸棚の前でこちらを振り向いた。
「飲み物はどうするかね? ルッチくん。お望みならブランデーを出してやってもいいが」
……どう見ても何か企んでいる顔だ。突然 “ルッチくん” などと呼び出したのも怪しすぎる。もしやこの朝食の席は何かの罠なのかもしれない。
→ ブランデーを出してもらう
クロコダイルと同じものにする