"記憶"の因果
「わるいが毎日新聞をさし入れてくれよ、それで退屈はしねェ‥‥フッフッフッフッ……!」
実際のところ、「退屈」を罰とするLEVEL6に新聞など差し入れられるハズもない。
かつて"天夜叉"と恐れられる海賊に待ち受けるのは、ただ無為に余命が浪費されていく無間地獄─奇しくもそれはホビホビの苦痛と似通う─のみ。
新聞への要求はおつるへの冗談か、はたまた「おれに続く敗者をブチ込んでくれよ」という皮肉か。
「勝手に終わる気でいるんじゃないよ、私らはもっと聞かなきゃいけないことがある。今のは"これから"の話、次は"これまで"の話さ」
「へェ?」
まだまだ退屈はしなさそうだ、冥土の土産に聞かせてくれよと言わんばかりに、牢のドフラミンゴが呻く。
「"面汚し"ガスパーデを知ってるかい?いや、思い出せるかい?」
「ガスパーデ‥‥あァ、"将軍"ガスパーデか」
「海賊にはその通り名のほうが有名だね、そこまで思い出せるなら上等さ」
"将軍"ガスパーデ。
元海軍本部将校にして、懸賞金9500万の海賊。アメアメの実の能力者。
仲間であった海兵を皆殺し、自身の乗っていた軍艦を乗っ取って海賊となったその経緯から、「海軍最大の汚点」と称されている。
威信と面子のため、海軍は死に物狂いでガスパーデを追跡していた。
ホビホビによって海兵全体の記憶から消えてしまう、数年前までは。
「身内の恥を見つけた御礼でもしてくれるってのか?それともケジメを台無しにしちまったせいで新聞の差し入れはナシになっちまうのか?」
「強いて言えばどちらも。アンタが"記憶"をめちゃくちゃにしてくれたおかげで、"記録"もとんでもないことになってたんだよ」
「ガスパーデのマリンコードが、MIA(戦闘中行方不明)に"記録"されてたのさ」
発端が何だったか、今となっては誰にもわからない。単純な事務手続きミスの可能性が高いだろう。
軍事裁判や脱走者記録に残るハズのマリンコードが、MIA記録簿に記入されてしまっていた。
普段なら定期的なチェックで修正されるハズが……タイミングの悪いことに、その前にガスパーデは"記憶"から消えてしまった。
"記憶"との照合がなされず、今日の今日まで、ガスパーデは名もなき海兵であり続けた。
「オモチャから戻った正式な海兵として、お前のファミリーを護送する船に乗り込んでしまったんだよ。船自体はもう取り返して、ガスパーデも捕縛したけどね」
「フッフッフッ!!そりゃあ災難だったなおつるさん!!おれのせいでとんだ苦労を背負わせちまった!!アイツらもインペルダウンへもってく、いい土産話になっただろうさ!!」
「で、なんでおれとの関わりがある?ホビホビはあくまでもキッカケだ、ヘマしやがったのも襲われるのも、全ては海軍が弱いせいだろう?」
どの口が、とでも反論したくなる軽口だったが、おつるは平静な表情から動かない。
海軍のミスで海軍が痛い目をみた。そこは変わらない。
「ましてや、今のおれはこのザマだ」
ドンキホーテ・ドフラミンゴは既に檻の中にいる。
である以上、"これから"は海軍や人々の責任だ。
「さっきも言っただろう?私が聞きたいのは"これまで"のことだよ」
「"これから"、間違いなくお前がいるこの船は襲われる」
「お前はいったい、どれだけ敵を作ってきたんだい?」
では、"これまで"は?
「可能なかぎり思い出せることを──」
──ドンッ!!
地震のような衝撃が、護送船全体を揺らした。
グランドラインの豪雨を切り裂き、閃光の如く音を置き去りにする海鳴り。
氷山への衝突か、海王類の戯れか。
あるいは、敵襲か。
(早かった!想像よりも──!)
おつるが思案するよりも船員が号令をかけるよりも、答えは脅威によってもたらされる。
──バリバリッ!!
船どころかあたり一帯の海域を鎮めんとする超重圧。
荒波を悠々と泳いでいた海獣たちはより深く沈んでゆき、船酔いなどどこ吹く風の屈強な海兵たちが、昏倒してデッキに倒れ伏せる。
おつるでさえ、久しく感じることがなかった……覇王色の覇気。
『緊急事態発生!!敵攻撃によりメインマスト喪失!!敵戦闘員一名が侵入!!』
『四皇・"赤髪"のシャンクスが乗り込んできたぞ!!!!』
「お前、最悪の機雷を沈めてたね‥‥!!」
「フッフッフッ……!!おれも"知らなかった"なァ‥‥」
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「要求はただ一つ、ドンキホーテ・ドフラミンゴへの尋問だ」
四皇・"赤髪"のシャンクスが、悪鬼修羅の如き形相で言い放った。
覇気か怒気か、その身から発せられる殺気に、まだ意識を保っている海兵ですら後ずさってしまう。
「要求を呑むなら、船長であるおれ一人が乗り込んだ現状を維持しよう。さもなくば、船ごとドフラミンゴを奪わせてもらう」
「な、何を勝手な──!」
「喚くな」
「──‥‥ァ‥‥!!」
反射的に敵意を剥きだした少将の一人が、シャンクスの煮えたぎる覇王色を浴び、痙攣しながら昏倒する。
船に乗り込み、暴力で人を畏怖させ、思うがまま要求を通す。
甲板に仁王立ちするシャンクスはまさしく"海賊"だった。
海兵が身命をかけて立ち向かうべき暴虐だが、この場にいる全ての海兵が悟った。
"これ"を刺激してはならない。
この怒気は、"麦わら"がドレスローザにクレーターを創った破壊と、同種のナニカだと。
「そこまでにしておくんなさい、"赤髪"の」
絶望的な交渉の土俵に立ったのは、大将"藤虎"だった。
「あんたの抱えてる怒り、ドレスローザを見てきたあっしにはよーくわかります。要は、"天夜叉"へのケジメでしょう?」
「ああ、そのとおりだ」
「この場にいる最高階級の海兵として、全て吞みましょう。あんたの要求を」
「イッショウさん?!」「一体何を‥‥!!」「いくら四皇といえど!!」
「どうせあっしは謹慎中のようなもんです。一つ二つスネにキズが増えたところで、問題ありやせん。捕らえられなかった"麦わら"と一緒に、"赤髪"の首を獲ってくりゃあサカズキさんも文句は言わんでしょう」
「今のは聞かなかったことにしよう、"藤虎"」
「痛み入りやす。……どうぞ、こちらへ」
どの道、四皇に乗り込まれた時点で勝利はない。しかも、こちらには能力者が大勢いて相手は非能力者。
責任者として敗戦の泥を被る……そういわれた以上は、海兵たちもイッショウの覚悟を汲むしかなかった。
藤虎の案内で、シャンクスはただ一人赤髪海賊団代表として船底へと進んでいく。
「いつからおれが来るとわかった?」
「2時間前から。正確にはあんたの気配だけが"読めなかった"んで、船員の気配を読ませていただきやした。そこからの逆算でさァ。あんたのほうは?」
「大将に匹敵するとは判ったが、感じたことのない気配だった。話が通じる海兵ならそれでよし、通じないヤツなら奪うつもりでいた」
「あっしァ、航路を読んだことを聞いてるんですが‥‥」
「そこは話すわけにはいかないな、"共有"するにも限度ってモンがある」
「おっとこれは失礼」
シャンクスは、最初に「尋問をさせろ」と要求した。身柄の引き渡しは、決裂した場合の最終手段。
要は尋問する過程での情報をやる代わりに、おれに尋問させろということである。
一見風来坊じみたイッショウでも、大将たる責任を自覚している。
ウス汚ェ天竜人が触れてしまった、四皇の逆鱗。
素性を確かめねば、この後世界へどんな影響があるか、わかったものではない。
「念を押させてもらいやすが‥‥」
「他言無用などとは言わん、存分に聞け。おれも手加減などしない」
どの道、こんな強硬策を獲った時点でバレるのは時間の問題。
であれば、少しでも多く・速く情報を集めるほうが"彼女"の安全に繋がる。
あるいは少しでも"彼女"を知らしめて──今度こそ忘れないための、足掻きにも似た行動なのか。
シャンクスは監獄部屋の扉を開け、おつる中将を一瞥する。
おつるのほうはというと、イッショウが軽く頷いたのをみて意図を悟った。
今しばらくは、"赤髪"の取り分だと。
「フッフッフッ!!こうして会うのは始m「答えろ、"麦わら"の傍にウタという少女はいたか?」」
言わねば監獄ごと叩き斬る──そう言いかねない、というよりも。
お前がとる選択肢はただ一つそれのみだという、慈悲のカケラもない宣告。
やるといえばやる。
その覚悟を示すように、シャンクスの隻腕は地獄の炎よりも黒く染まっていた。
鉄格子の黒よりも硬く恐ろしい殺意の武装色に、ドフラミンゴの囚人服へ冷や汗が滲む。
「‥‥あァ、いたぜ。ホビホビが解けたときだろうな?みっともなく「うひぃー」なんつってたなァ。ありゃ"ルフィ"って言いたかったようだが‥‥」
「!!」
「まともに声も出せやしない。少なくとも10年くらいはウチの奴隷をやってただろうさ‥‥"アレ"はお前の娘かなにかか?ご苦労なこった」
「"天夜叉"ァ……!!」
「もういい、おだまり。ドフラミンゴ」
ドフラミンゴは自殺そのものといっていい挑発を、シャンクスへと投げつける。
万が一にでも手元が狂って海楼石の戒めが取れればと考えているのか、船ごと自殺するつもりか、あるいは単なる悪趣味か。
もはやシャンクスの形相はヒトの域を超えんほどに歪み、憤怒の覇王色が船体全体を支配している。
今この場で船を両断されては、意識のない海兵たちは助からない。
最低限の情報は得た以上──この場での始末も視野に入る。
「その点、キュロスは立派だったよ。あァ、知らなくても問題ない。お前の関係者じゃねェさ……ドレスローザ王女サマの、父親だ」
「…………」
「人間に戻った瞬間から、おれの首を獲りにきやがった。まったく、苦労させられたモンだ。"赤髪"、どうだ?今度は試しにお前がオモチャになって、あの歌女と"麦わら"のオママゴトにでも゛ッ!!!!‥がっ、かっッ……!!」
「失礼、"天夜叉"の。ちょいと喉のあたりに虫がいたもんで……潰させてもらいやした」
ドフラミンゴは血反吐を吐き、囚人服の胸元が真っ赤に染まる。
隕鉄の如く超密度で"重く"なったピンポイント重力は、暴力を超えてもはや死に至りかねない拷問。
"赤髪"を怒らせないためというのもあるが、果たして己の天竜人への恨みがどれほど込められていたか。
「申し訳ありやせん、"赤髪"の。続けてくだせえ」
「いや、もういい。必要な情報は聞いた」
「本当に?いや、あんたがそうおっしゃるんであれば……承知しやした」
シャンクスの言葉にも纏う覇気にも、怒りがまだ満ち満ちている。
しかし、もはや檻中のドフラミンゴには向けられていない。ということはつまり、護送船がドフラミンゴへの巻き添え災害じみた覇王色を食らうことはない。
少しすれば船員も目が覚め、マストを修理してインペルダウンへと向かえるだろう。
「フッフッブッ、ありガドよ、ア゛ガガミのジャングズ……」
潰れた喉で、なおも足掻くドフラミンゴ。
シャンクスは一瞥するのみで、藤虎のためにドアノブを回してやっていた。
「オバエがゴロザないデいデクレたお゛がゲで、ジゴグイ゛ギガドオのぎゾウダ……ムギバラどもども、ざぎにア゛ノ゛ヨデバッデロヨ……!!フッフッブッ……!!」
「いいかよく聞け、"天夜叉"。おれがお前を殺さない理由、それは一つしかない。お前が、インペルダウンのLEVEL6にブチ込まれることが間違いないからだ」
「あ゛ァ?デベェ、ゼイぎのみがだニデモナッダヅモリカ?」
投げ捨てた言葉の意図がよくわかってないドフラミンゴに、シャンクスは心底嫌悪感を滲ませる。
「娯楽も、苦痛も、快楽も、希望も何もない牢獄の最下層でお前は一生を過ごす。そこでウタの苦しみの万分の一でも味わって、この世から失せろ。殺されて楽になろうなどとは思うなよ」
「‥‥‥‥ブッ!フッフッブッブッ!!!!ゲボッ、ゴボッ!!!!」
「ゴイヅバ、ゲッザグダ!アノ"ヨンゴウ"あ゛ががみが、ガイベイみだいなごどをイ゛ッデヤガル!!ゼイジャニデモナッダヅモ゛リガ!?」
「人の親だ」
「フッフッフッフッブッブッブッ!!!!ゴッ、ガッ、ゲボッ!!!!」
滑稽だった。
ドフラミンゴにとっては、ひたすらに滑稽だった。
あの四皇・"赤髪"のシャンクスが。いっぱしの親を気取って、「死ぬのは許さない」などと口にしたのだ。これが、笑わずにはいられようか。
("新時代"のうねりで脱獄する日が来たのなら。お前を"玩具"にしてやるよ、"赤髪"‥‥!!その口でウタとやらに「人の親だ」と言ってみせてくれ……!!最高のジョークになりそうだ……!!)
シャバへの希望。
囚人が例外なく抱く砂粒ほどの希望が、ドフラミンゴにも生まれた。
このままシャンクスが去れば、あるいはそういう未来の可能性もありえたかもしれない。
しかし。
鉄格子の隙間から、過去の情景が襲い掛かってきた。
「メインマストを折った詫びに、修理できるまで護衛させていただきましょう。どうか、ドンキホーテ・ドフラミンゴを裁きにかけてください」
"赤髪"が、藤虎に頭をさげていた。
あの大海賊。四皇の。赤髪が。
「ブ‥‥」
己が再び権力を得て、鍛えても鍛えても敵わず、屈従を強いられるしかなかった四皇(カイドウ)と同格の存在が。
「……今のは見なかったことするよ、"赤髪"」
「はて、あっしは目が見えねェもんで、何が起きたかサッパリなんですが……まァそれはそれとして。御厚意は、有難く受け取りやしょう、どうぞ、甲板のほうへ……」
『私が甘かったんだ……!!頼む、なんでもする……!!』
『妻と子供たちだけでいい』
愚かで惨めで情けない、己の父のように、背を曲げていた...…。
「フッフッフッブッ、ゲボッ…………!!」
いっぱしの親をやろうとしてる"四皇"を、侮蔑してもしきれぬ父と重ねた。
重ねてしまった。
信念が揺らぐには、それだけで十分すぎた。
(また、こんな人間に‥‥)
おつるはドフラミンゴの纏う生気が急速に萎むのを感じとった。
シャンクスの襲来前よりももっと、寂しい孤独の空気が支配していく。
それでどうこう、というわけではない。尋問がしやすくなるだけだ。
「おづるざん、ギイでぐでよ‥‥おれにば、おやじがいダんだ……でんりュウビドの……」
「おや、それは覚えてたかい。いい子だね、親孝行者だよ」
「ブッブッブッ‥‥がなばねェなァ……おづるざんには……」