記録と記憶
ミレニアムタワーの執務室。
その主である調月リオはアビドスにいる部下から通信で報告を受けていた。
机上には砂糖たっぷりの珈琲が湯気を立てている。
「…ゲヘナとの境界線上に展開していた敵部隊はチャーチルなどを擁しているため、当面は放置してもよろしいでしょう。」
「戦況報告は以上です。」
「ありがとう。…ところで、指示していたスパイ狩りは成功したのかしら?」
リオはスパイの存在を懸念していた。このところ妙に反アビドス連合の動きが早いのだ。
それも自身の考えを見透かす様な対応をしてくる。
こうなると自軍の中に裏切り者がいると考えるのは自然だった。
だからこそスパイ狩りを指示したのだ。
「はい、流石はリオ会長の立案された策です。見事にスパイが引っ掛かり、捕縛に成功しました。」
「あろう事か、こちらの部隊情報やドローン製造工場の位置等を以前から漏らしていた様です。」
やはりスパイがいた。同じく砂糖を愛する者の中から裏切り者が出てしまうのは残念だった。
だが、裏切りには相応の報いを与えなければならない。
「処遇は如何致しますか?」
「貴女に任せるわ。ただし、組織を引き締めるためにも見せしめは必要よ。」
「!」
「承知しました!ありがとうございます!早速取り掛かります!」
「ええ、期待しているわ。」
社交辞令を述べ、通信を切る。
リオは部下の声色がやけに嬉しそうだったことが少し気になった。
だが、砂糖が切れかけていることを思い出し、机上の珈琲を啜る。
そして感じる幸福感と高揚感。彼女の中でスパイのことは既に”処理済み”のタスクとなっていた。
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『既に私は、砂糖を摂取してしまいました…。禁断症状は免れないでしょう。』
ああ…これは夢だ…。ノアが私の隣から居なくなったあの日の夢…。
先生が行方不明になり、砂糖に汚染されたミレニアムから追われたあの時だ。
『ですが、これは好機です。アビドス側に着くフリをして、反アビドス連合を手引きします。』
『要するにスパイです。ふふっ、なんだか映画みたいで楽しくなっちゃいますね。』
ノアは聡い子だ。禁断症状で動けなくなるくらいならと、こんな無茶を言い出したのだろう。
当然、私はその作戦に反対した。
『でも、リオ会長を出し抜こうとするならこれくらいはしないと、ですよ?』
この時、私もその通りだと思ってしまった。
『元セミナーの肩書も手伝えばそれなりの地位は見込めるはず。』
『ですから、ユウカちゃんは外側から焦らず、じっくりと攻めて下さい。』
『万が一の時は…ユウカちゃんに助けてもらいます。頼りにしてますよ、ユウカちゃん♪』
私はノアにトリニティへの亡命者を乗せた列車へ押し込まれた。
そして列車の扉が閉まり、手を振るノアの寂しそうな笑顔を一日たりとも忘れた日は、無い。
「待って、ノアっ!!!」
「先輩…大丈夫ですか?」
セミナーの後輩であるコユキが心配そうに私の顔を覗き込む。
周りを見渡すとトリニティの会議室だった。
どうやら作戦会議後、資料整理中に眠ってしまっていたらしい。
…そう言えば今日で二徹目だった。
「…大丈夫よ。ありがとう、コユキ。」
ノアからの連絡が途絶えてから早三ヶ月。
戦端が開いてからというものの、アビドスと反アビドス連合の戦いは熾烈なものとなっている。
荒廃していく各自治区に昼夜を問わず対応に追われる治安維持組織。
毎日の様に担ぎ込まれる、砂糖を使用した攻撃によって中毒症を発症した自他校の生徒達。
わかってはいたが、リオ会長が敵にいるというのが非常に厄介だった。
自分と共に亡命したヒマリ先輩も、度々過労で寝込んでいるのがその証左だ。
「ノア先輩は私も心配です…でも、ユウカ先輩にまでいなくなられたら、私…」
捨てられた子犬の様に落ち込んだ顔をするコユキ。私の顔色も良くなかったのだろう。
全く、普段からあれやこれやと問題を起こしまくるくせに、こうなるとかわいい後輩だ。
そんなコユキに絆されている私も、また大概ではあるが。
「心配しないで。これくらいはアンタのやらかした後始末の時にもやってたから。」
「う”っ…すみませんでした…。」
「ふふっ、冗談よ。でも大丈夫なのは本当。」
「ノアもそんな簡単にやられるような子じゃないのはコユキもよくわかってるでしょ?」
「それに次の攻勢はノアの目撃情報があった拠点よ。待望のノアを救出できるかもしれないわ。」
「恋しくてしょうがないのは先輩の方じゃ…」
「何か言ったかしら?」
「い、いえ!何も!」
少し威圧するとコユキは会議室から逃げて行った。
強がってはいるものの、コユキの言う通りノアが心配で堪らないし、恋しい。
だからこそ、私はノアが隣にいるあの日々を取り戻すために戦うのだ。
そう決意を新たにし、私は会議室を後にした。
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攻勢は非常に上手くいった。
念入りに練った計画にコユキの開錠能力を遺憾なく発揮してもらい、私達は大した損害も無くアビドスの一つの拠点を落とすことに成功していた。
今後はこの拠点を軸に部隊を展開させることも可能だろう。
しかし一歩遅かったのか、拠点内の通信機器や機密情報は全て処分されてしまっていた。
「これが唯一の手掛かり…。」
真っ暗な部屋の中、画面が罅割れた一台のタブレット端末が光を放っていた。
私達の攻勢による混乱で置き去りにされたため、処分を免れたのだろう。
自軍の拠点内にタブレットを持ち帰り、起動する。
すると、映像を一時停止した画面が表示された。そして表記されている文字を読み上げる。
「『裏切り者の末路』…。」
嫌な汗が背筋を伝うのを感じる。だが、何かノアの手がかりがあるかもしれない。
意を決してゆっくりと再生ボタンを押した。
『自分たちが何をしているのか、わかっていますか?今すぐやめてください。』
『もちろんわかっているさ!お前に仕返しをしたいとずっと思ってたんだ!』
『それにお前の上司、リオ会長にも認可は頂いている!』
『会長が…!?』
『いつもいつも上からモノを言いやがって!私の研究を理解しようともしなかったなァ!?』
そこには椅子に縛り付けられたノアがある生徒と口論をしていた。
ノアはわざわざセミナーの制服に着替えさせられている。
言い争っている相手は見覚えのある生徒だ。たしか、元新薬開発部の一人だ。
セミナーに新薬の治験実施を申請してきた生徒だったが、あまりにも危険性が高い内容だったので即日却下。
その後も部内で更に揉め事を起こし、遂には部からも追放されたはずだ。
『貴女の論文は全て記憶しています。その上で却下したんです。』
『あんな非人道的な研究を、認められるわけがありません。』
『ッ!言わせておけばァ!』
「…ノア!」
思い切り殴られ続けるノア。しかしその目には強い意志が宿っていた。
ノアになんて事を、と自分の中に怒りと悲しみが湧き上がってくる。
だがこれは重要な手がかりだ。他の動画も視聴し、手がかりを掴んで一刻も早くノアを救助しなければならない。
そう思い私はプレーヤーを終了し、一覧へと戻る。
そして表示された画面を見て、言葉を失った。
「ぇ…。」
そこにはスクロールで一番下に到達することが面倒になるほどの動画があった。
しかもどのサムネイルにもノアが映っている。
今開いていたのは丁度消息を絶った三ヶ月程前に撮影されたものだった。
「…」
私は震える指先で次の動画を再生した。
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「ユウカ先輩!ノア先輩の居場所の特定に成功しました!」
「救助を兼ねた作戦の会議です、行きましょう!」
コユキはユウカの居る部屋の扉を勢い良く開け放ち、呼びかける。
「先輩…?」
だが、ユウカの返事は無い。部屋も何故か暗くしてある。
どうしたのかと訝しむコユキにユウカはゆっくりと振り向く。
「コユキ…ノアの手掛かり…あったわよ…。」
「ヒッ…。」
コユキは思わず小さく悲鳴を上げる。
振り返ったユウカの顔は貼り付けたような薄い笑顔だった。
瞳に光は無く、両の目から流れた涙の跡が線となって残っている。
「ほら、これ…。」
そう言うとユウカは端末の再生ボタンを押す。
端末はプロジェクタに繋がれており、その映像を大画面で映し出した。
『こんなこと…!いつまでする気ですか…!?』
『さあ?私らが飽きたらやめるんじゃね?』
『はーい、お注射の時間ですよー。大人しくしましょうねー。』
『また砂糖…!?やめて、ください…!』
『ぁ…』
ユウカは次の動画を再生する。
『ぁ”ー…』
『ノアちゃーん?起きてるー?こっち見てー。』
『…貴女たちは、誰ですか…?』
『セミナーの仕事が、残ってるので…早く、帰りたいのですが…。』
『お、いい感じにトんでるねぇ。もういっちょいっとくかぁ!』
『…ぃ…ゃぁ…』
ユウカは次の動画を再生する。
『やだぁっ!もうおさとうやだぁっ!』
『またバカになっちゃう!もうなにもわすれたくない!』
『わたしきえちゃう!やだ!やだぁっ!』
『あ、あぁ、あ…先、生…ユウカ、ちゃん…』
ユウカは次の動画を再生する。
『ロクに命令も覚えてないし、自分の銃のセーフティの外し方すら忘れるとか…』
『お前今日だけで18回目だぞ!?わざとやってんのか!?』
『アッハッハッハ!良い事教えといてやるよ!』
『そいつ8日前の13時半から14時半までの訓練の時点で聞きに来たのが37分、43分、48分、52分、55分で覚えてる時間ドンドン短くなってたぞ!!』
『アタシらは覚えが良くなってるってのに、何でコイツは逆なんだろうな。』
『え、へへ…すみません。わたし、あたまわるくて…。』
『えっと…なにしてたんでしたっけ?』
『…もういい、鉛玉でも食っとけ。』
『ぇ…?ぎゃうっ!!!!』
『あーあ疲れた。パフェ食ってこよー。』
ユウカは次の動画を再生する。
『ぁぁ”ー…』
『アビドスの制服を着ていない者に向かって、走れ。』
『アビドスの制服を着ていない者を、撃て。』
『わかりぃ…まひたぁ…。』
『はあ…なんで命令一つに砂糖の注射が要るんだこいつは…。』
『まあこれで半日は覚えてるはずだから、肉壁にはなるだろ。』
ユウカは次の動画を───
「もう”…やめでくだざい…!う”ぅっ…!」
コユキは思わずその場で胃の中の物を吐いてしまう。
なんだ、なんなんだこの地獄は。これが、人間にしていい仕打ちなのか。
ドス黒い何かが自らの中から湧き上がってくる。
だがコユキはそれが良くない事と察して強引に思考を切り替える。
「…ユウカ先輩、今もノア先輩は苦しんでます。」
「私達が助けなきゃ…苦しみ続けるんです…!」
「だから…!行きましょう…!」
コユキは放心状態のユウカを引き摺り、会議室へ向かった。
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そして現在。アビドスの旧市街地でゲリラ部隊を警戒しながらの進軍中。
砂嵐に見舞われ、ユウカとコユキが率いる部隊が視界がほぼ0なため、足を止めているときだった。
「ッ!?」
ユウカの脇腹に鈍い痛みが走った。
撃たれたと認識した瞬間に電磁フィールドを展開し、その被弾した方向に銃口を向ける。
その先にいたのはあまりにもみすぼらしい、人間の成れの果ての姿だった。
「うぅー…うぅー…」
右目を覆い隠す、血が染み出してグズグズになっている赤黒い眼帯。
だらんと垂れ下がった右腕と引きずられている右脚。
正しく死に体といった様子で、か細い呻き声を上げながらピストルカービンを構えるその姿。
そして白を基調としたあのヘイローは───
「ノ…ア…?」
そう、捜し続けていた親友、ノアだ。
その壮絶な姿にユウカは自らの銃を取り落とし、ノアに駆け寄ろうとする。
しかしその時、無情にも甲高い銃声が響き渡る。
そして遂に見つけた親友は、ユウカの目の前で崩れ落ちた。
「いやあああぁぁぁぁ!?!?!?」
後方にいた部隊員が攻撃を受けたユウカの援護として、スナイパーライフルでノアを撃ち抜いたのだ。
コユキがユウカの絶叫で事態に気づき、射撃中止の号令を出す。
その時丁度砂嵐が止み、視界がある程度明瞭になったことで隊員も救助対象を撃ち抜いてしまったことに気づき、狼狽していた。
ノアに駆け寄ったユウカはノアを優しく抱き起す。
「ノア!しっかりして!ノア!」
「くらい…さむい…ここはどこ…?」
「こんなに、やさしく…だきおこしてもらえるなんて…うれしい…。」
「ノア!私が分からないの!?ノア!」
必死に声をかけるユウカ。ノアには音が聞こえていないようだった。
しかし、ノアは反応を見せる。
「ぁれ…?このにおい…おもいだした…!」
「ユウカちゃんだ…ユウカちゃんのにおいだ…!」
映像で見たノアの記憶力の劣化は著しいものだった。
だというのに、ユウカの匂いでノアはユウカを奇跡的に思い出すことが出来たのだ。
「ノ、ア…ッ!」
「ユウカ、ちゃん…たすけに、きて、くれたんですね…」
「あ、ぃが…と…」
「待って、行かないでノア!あ、あぁっ…!」
ユウカが抱くノアの全身から力が抜けていく。
ユウカとコユキは茫然とノアのヘイローが静かに砕けて散っていく様を見届けた。
最期にノアが告げたのは、親友への感謝の言葉だった。
「…コユキ、滅ぼすわよ。」
「…はい、やりましょう。必ず。」
砂漠の廃墟の中で、二人の復讐鬼が生まれた瞬間であった。