『記憶』のアベンチュリン
※3スレ目>>129の話を下敷きにしています。
※『記憶』のアベンチュリンの姿は3スレ目の>>97さんよりお借りしました。
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――ああ、本当に不味いことになった
アベンチュリンはもう何度目かも忘れた『命の危機』を前に、そんなことを考えていた。
『記憶の愛し子』として周りに認知されたとしても、それで元死刑囚の立場が変わることはない。スターピースカンパニーの十の石心の一人として、アベンチュリンは不良債権を抱える小さな惑星に訪れていた。
……けれどまさか、そこですぐにレギオンの大群が星を襲ってくるとは流石のアベンチュリンも思っていなかったのだ。
文明レベルが低い星ではレギオンの数の暴力に抗う術はない。そして周辺惑星の文明レベルも同じくらいであれば、援軍を望むことなど絶望的であった。
加えてアベンチュリン含め星を訪れたカンパニーの従業員はそう多くない。いくら最新の装備が整っていたとしても、圧倒的な数を前に多勢に無勢でしかなかった。
今も一人、また一人部下が殺されていく。
アベンチュリンは最初こそ基石の力を解放して抗っていたが、軍勢の中には終末獣すらいくつか確認出来ていた。そんな大物を含めて惑星中の全てのレギオンを殺せるほどの力は、残念ながらアベンチュリンにはなかったのだ。
「はあ……はあ……。クソッ!」
彼らしくない罵倒が零れ落ちる。軽薄なギャンブラーの皮など被れないほどに、今の状況は絶望そのものだった。
「うぐ……あ、アベンチュリン総監……」
アベンチュリンの背後から微かな呻き声が聞こえる。その声の持ち主は現在唯一生き残っている己の部下であり、彼は重傷を負ってまともに動けない状態だった。
周囲はレギオンによって火の海と化しており、最早生きている生命を探すことすら難しい。
今、こうしてアベンチュリンが行っているのはただの悪あがきだ。時期に全ての生命が蹂躙され、この星は文字通り壊滅の運命を辿るのだろう。
カンパニーの援軍が辿り着くことは到底期待できない。それまでに全てが終わっているという確信がアベンチュリンにはあった。
「総監……あ、貴方だけでも逃げて、ください……俺はもう、無理です……」
「……はっ。随分と弱気だね?僕の部下なら、もう少し強気で居てほしいくらいだよ……!」
部下の弱音にそう返すが、当のアベンチュリンも既に満身創痍だ。
仮面はひび割れ、切り裂かれた服の下には抉れた傷や焦げた肌がむき出しとなっている。
いくら使令級の力を得られる基石と言えど、それが本物と同等である道理はない。そしてただ一人残っている部下を守るために力を割いている以上、アベンチュリンが此処から挽回できる可能性は絶望的だった。
(僕だけなら、確かにこの星から逃げることは出来る。けど……)
脳裏に過ぎるのは偉大なる地母神――「記憶」の星神・浮黎の姿
今この瞬間も自分を見守ってくれているだろう浮黎のことを思えば、アベンチュリンから逃げる選択肢が失われていく。
――今まで何度「星神に愛されるだけの無力な人間」と罵倒されたかわからない
自分は確かに並外れた幸運と「記憶」に纏わる力を持つが、使令どころか人を超越するような力など持っていなかった。勿論、アベンチュリンはそのことに少しの不満も抱いておらず、寧ろ其に愛されているだけで十分幸福だった。
けれど……己を取り巻く周囲は、それに甘んじるアベンチュリンを許さなかった。
「星神直々に愛される」という至高の祝福を得ながら、アベンチュリンはただの人間だった。それは星神の威光を傷つけかねないものなのか、何度もメモスナッチャーや焼却人といった狂信者に襲われた。
カンパニー内では自分を「死刑囚」と蔑む以外に「星神の名を不当に使う者」だの「星神の祝福に縋る者」だの「星神の愛を無碍にする者」などと言って事情を知る者が嘲笑してきたのだ。
アベンチュリンはその不評を笑ってただ受け入れてきた。怒らなかったのは……他でもない自分自身が、浮黎の威光を傷つけていると薄々感じていたからだ。
浮黎を直接貶すのは決して許せない。だが、浮黎の愛に応えられず、今も其の祝福に頼るしかない自分は……嘲笑うに値するほど、救えなくて無価値な人間だった。
使令の強さは伝え聞いているし、上司のダイヤモンドを通して何度も見せつけられてきた。星一つ容易に滅ぼせるなら、星一つを救うことだって容易だろう。そして、それこそがアベンチュリンが今も引けない理由だった。
(星を救えなくても、せめて彼は連れて逃げる。ただ一人でも救ってみせる。……もう二度と、僕だけが生き残らないように……!)
あの虐殺の日の雨が、今もアベンチュリンの目の前に「記憶」として現れる。
家族を失い、そして生き延びたあの日からずっと、アベンチュリンは誰も救うことなど出来なかった。ただ祝福を得た自分だけが生き残り、そして生きるために全てを殺して来た。
もう嫌だった。うんざりだった。
祝福に縋るしかない自分も、神の愛に甘えるしかない自分も、誰一人として救うことの出来ない自分も……何もかも
『――――!!』
だが、この世の幸運全てがアベンチュリンに微笑む道理はない。
おぞましい咆哮と共に、終末獣が何体も目の前に現れる。その全てが傷1つ負ってはおらず、満身創痍のアベンチュリンを嘲笑うかのように立ち塞がっていた。
「っあ……」
その光景に精神的なダメージを負ったのか、アベンチュリンが崩れ落ちる。地面に落ちると同時についに基石の力も尽きれば、アベンチュリンは元の無力な人間となって地面に膝立ちとなるしかなかった。
「総監……!」
部下の声はアベンチュリンが倒れこむことを許さない。
己が抱く"全て"の力を使ってでも、アベンチュリンはこの逆境を覆さなければならなかった。
……全て、とは何だ。
自分には幸運と少しばかりの祝福しかないのに。それで何が出来ると言うんだ。
神は僕を愛してくれたのに、僕はどうして神の愛に応えられないんだろう。
どうしてどれだけ足掻いても、僕は何も手に出来ないのだろう。
――それは深い絶望だった。
まるで底なし沼のようにアベンチュリンを虚無へと突き落とそうとする。
その誘惑はとても甘美で、アベンチュリンはほんの一瞬だけ誘惑に負けたくなった。
(……駄目だ。僕は、死ねない。家族のために、エヴィキン人のために、ガーデンの人たちのために――そして、僕を愛してくれる其のために)
それでも優しい青年は抗った。
安寧の虚無から逃れ、神の愛に今度こそ応えるために。それが到底無理なことだと理解しつくしていたとしても……
『――――!』
獣たちが吠える。壊滅の力が徐々に収束し、この星全てを破壊し尽くそうと――――
『やぁ。随分とピンチなようだね』
――けれど、そうはならなかった。
「……は」
アベンチュリンは、目の前で起きた光景を理解できなかった。
今まさに力を揮おうとした終末獣たちの動きが、まるで時間停止したかのように硬直している。
周囲の火やレギオンたちも身動き一つ取ってない。風も星も制止し、世界からは音が消失した。
そして今のアベンチュリンは耳が痛くなるほどの静寂の中にいて、肌を突き刺すような寒さと共に佇んでいたのだ。
「これは、一体……」
先ほどよりも理解できない光景に唖然としていた……その時だった。
『ははっ。その様子だと、何が起きたかもわからないようだね』
「っ!」
突然聞こえた第三者の声に身体を震わし、咄嗟にそちらへと顔を向ける。そして……目の前に立っていた人物を見て、アベンチュリンは言葉を失った。
「……僕?」
そう。アベンチュリンの目の前には"アベンチュリン"がいた。
けれど、その"アベンチュリン"は全てがアベンチュリンと同じというわけではない。その服装は孔雀のような派手な装いでなく、結晶のように透き通った白の衣を身に纏っていた。服の隙間の地肌は氷の結晶のようなもので所々が覆われている。そして頭には水晶の欠片にも似た髪飾りをつけていた。
『そう。僕は君だ。けど、今の君とは少し違う』
紡ぐ言葉はまるで氷点下の空気のように透き通っている。
彼がこちらへ一歩歩むと、「ぱきり」という音と共に足跡から結晶が生み出された。
『アベンチュリン――カカワーシャ。「記憶」の星神に愛されし子。君はまた、何も救うことが出来なかった』
その神秘的な声は、的確にアベンチュリン(カカワーシャ)の心を抉ってみせる。
まるで神の如き神秘的で抗い難い雰囲気を前に、それでもアベンチュリンはよろよろと立ち上がってそれを睨みつけた。
「……は。僕の姿を真似て好き勝手言ってるようだけど、それで僕の心を折るつもりかい?」
『いいや。事実を言ったまでだ。君は神の祝福を受けながら、『神に愛されし者』としての責務を果たせずにいることへ、強い絶望と焦燥感を覚えている。……違うかい?』
まるで慈母のような微笑を浮かべ、白い衣のカカワーシャはこちらへと近づいてくる。
その雰囲気に飲み込まれてしまえば、あれだけ動くアベンチュリンの口は瞬く間に凍てついてしまった。
『ねぇ、カカワーシャ。疑問に思ったことはないかい?どうして僕は神に愛されているのに、あの虐殺を止められなかったのだろう。どうして僕は祝福されているのに、身近な人を誰も救えなかったのだろう』
「……やめてくれ」
『どうして僕には並外れた幸運と少しの『記憶』の力しかなかったのだろう。どうして僕は、こんな悲しい運命を歩むことしかできなかったのだろう』
「……やめろ」
『――其はどうして僕を愛していながら、僕に無力な子どもでいるようにしたのだろう』
「やめろ!!!!」
アベンチュリンは叫んだ。
自分の心に氷の刃を突き刺し、抉り明かそうとする目の前の男が許せなかった。今すぐその男に掴みかかり、全てを見透かすような瞳ごと潰してやりたかった。
『なに、答えは簡単だよ。カカワーシャ』
――けれど、それは叶わない夢だった。
アベンチュリンの伸ばした手は彼の手によって受け止められる。そしてその瞬間、繋がった手から氷のように冷たい温度が伝わり、アベンチュリンの喉から歪な音が上がった。
『君が無力な理由――それはね、君にはまだ、"其の運命"を歩むための意志がないからだ』
そして、白いカカワーシャが笑う。
アベンチュリンが……カカワーシャが長年悩み苦しんだ解をあっさり提示しながら。
「意志……?」
『そう、意志だ。君にはまだ、其からの愛全てに応えようとする意志も覚悟もない』
「違う。僕は」
『違わないよ。君はとっくに気づいている筈だ。『神からの愛がこれっぽっちで収まるものではない』とね。そして、君はその愛の大きさを無意識に恐れている。それこそが、今も君が人間でいる理由だよ』
カカワーシャにとって、白い自分の言葉は到底信じられるものではなかった。
だって、自分は何時も神の愛に感謝し、神のことを愛していたのだから。それに、こんなにも価値がない自分のことを思えば、今の祝福だけでも十分すぎるとすら思っていたのだから。
『カカワーシャ。僕は確かに君だけど、君じゃない。僕は君がずっと目をそらし続けている『記憶の祝福』そのものだよ』
そして、白いカカワーシャはカカワーシャの手を握ったまま後方を見る。そこに並ぶ数多のレギオンたちを前に――妖しく微笑んだ。
『其は君の無事を望んでいる。君が無事に生きてさえいれば、それ以外の全ては些事でしかない』
『だから、もしも君に今の祝福(幸運)ですらどうしようもできない命の危機が迫ったら――その時は『僕』が助けることにしているんだ。こうしてこっそりとね』
白いカカワーシャは空いている右掌を上に向ける。すると、そこに結晶の透明な花が咲いた。その"蓮華の花"に向かって『ふっ』と息を吹きかけると――散花と共に、世界が一変する。
「なっ……!?」
カカワーシャは絶句した。
何故なら、己の目の前に立ちはだかる数多のレギオンたちが、瞬く間に白い結晶の柱へと姿を変えていったからだ。
一般レギオンだろうが終末獣だろうが関係ない。足元から生えた透明な華はレギオンたちを包み込み、次々と美しい結晶へと姿を変えていく。まるで極楽浄土を飾る宝石のように、壊滅の象徴はただの物質へと姿を変えていった。
そして、結晶へと姿を変えたのはレギオンだけではない。
炎、建物、大地、空――そして、人間
カカワーシャ以外の全てが物言わぬ結晶へと姿を変えていく。そこに例外など一切存在せず……自分が守ろうとしていた最後の部下の足元にも、とても美しい華が咲いていた。
「ま、待ってくれ!!彼はまだ生きている!!レギオンじゃない!!」
『知っているよ。でも、君が生き残るために必要あるかい?』
白いカカワーシャはぞっとするほど美しい笑みであっさりそう告げる。
目の前で結晶化していく部下を前に、カカワーシャはとっさに駆けだそうとして――けれど、それは叶わなかった。
「え……?」
足が動かない。
咄嗟に下を見れば――己を中心として、大きな結晶の蓮華が咲き誇っていた。
『時期にこの星は壊滅の力によって崩壊する。僕の力があれば星全てを凍結して崩壊を遅らせることが出来るけど……ほら、君はもうすぐ別の任務(ピノコニー)に行かなければいけないだろう?なら少しでも早く、カンパニーに戻る手段を取らないとね』
足元で割いた蓮華は徐々に結晶を生み出し、カカワーシャを取り囲むようにして形を形成していく。
彼は必死で逃れようとしたが、人間の力でどうにか出来るものではなかった。
『時が来たら溶ける六相氷でいいかな。少しばかり宇宙を漂うことになるけど、時が来るまで君は眠っているから何も心配しなくて良いよ。まあ、今回力を使った代償に記憶が"また"飛んじゃうけど、君の浄土に行けば戻ってくるからそれも問題ないね』
まるで鼻歌を歌うかのように、目の前の白いカカワーシャは恐ろしいことを述べていく。
最早思考すら凍てつきかけていたが、それでもアベンチュリンは――カカワーシャは抗うように叫んだ。
「君は……君は一体なんなんだ!この力が僕のものだと言うなら、どうして僕自身の手で使えないんだ!それがあれば、皆を守れたかもしれないのに……!」
大量のレギオンすら片手間で制圧してみせた力は、まさに"使令"と呼ぶにふさわしい。それが神による慈悲ではなく、己がもたらした奇跡なのだとしたら――どうして自分は、まだ無力な人間なのだろう。
『だから、さっきも言っただろう?君に『僕』はまだ早すぎるんだ。僕という存在はか細い蜘蛛の糸でしかない。君一人で定員オーバーだから、他の亡者も一緒に連れていこうとしたら落っこちちゃうよ?』
「それでも……僕は、誰も見捨てたくなんかない……!」
あのカカワの日からずっと抱き続けてきた願いを叫ぶ。
それでも、白いカカワーシャは首を振るだけだった。
『焦らないで、カカワーシャ。その時は必ず来る。君はまた『僕』を忘れるけど、君が命の危機に陥るなら何度でも助けに来て、何度でも君だけを救おう。君以外の全てを殺してでもね』
結晶がついに顔以外の全てを覆う。その顔にも冷気が這ってくれば、もう間もなく全てが透明な牢獄に覆われようとしていた。
『それでも、いつか君が本当に『僕』を望む日が訪れるなら――これだけは祈っておこう』
『 君が何時か、僕という『記憶』だけでなく、君自身の全てを愛せますように 』
――その言葉と消えていく『記憶』の笑みを最後に、カカワーシャの意識はぷつりと途切れた。
***
とある日、宇宙の何処かにある惑星が終わりを迎えた。
反物質レギオンに蹂躙されていたその星は突如として謎の結晶に覆われ、間もなく崩壊したという。レギオンは住人たちを含めて全て凍結されており、星の崩壊に巻き込まれて粉々になった。故に周辺惑星への侵攻が行われることは無かった。
犠牲になったのは惑星の住人全てと、当初訪れていたカンパニーの従業員数十名。
調査に訪れた博識学会の分析では当時全滅したと思われていたが――数日後、星穹列車が『崩壊した星の付近で生存者を一人拾った』と申し出たことから、記録は更新されることとなる。
生存者一名――戦略投資部の幹部、アベンチュリン
事件のショックか全ての記憶を失っていた彼は、結晶に包まれた状態で星穹列車に救助されたらしい。
記憶を失いながらもなんとか一部の記憶を取り戻した彼は、やがて無事にピアポイントへ帰還することとなる。
そして、彼が全ての記憶を取り戻しても――自分が何をしでかしたのか、ついぞ思い出すことなどなかった。