触れた心は金細工

触れた心は金細工




 隊首室に帰ってきたら無間にいるはずの男がいた。


 五番隊の隊首室は、隊長である平子真子の趣味に染め上げられている。お気に入りのジャズのレコードが壁際にずらりとディスプレイされており、娘には「店でも開くつもりなん?」とまで言われたほどだ。

 その隊首室に、異質な黒が佇んでいる。死神の死覇装とは別種のそれは、拘束のための黒だ。

「……なんでおんねん」

 ついさっき後ろ手に戸を閉めたことを早速後悔しつつ、平子は拘束衣の男を睨め付ける。レコードの並びを無感動に見ていた男はいつもの涼しい顔で振り向き、平子へ視線を寄越した。

 藍染惣右介。

 先の霊王護神大戦においては仮釈放され、滅却師の首魁相手に死神代行と共に立ち回った大罪人であり、平子とはなにかと縁のある男だ。

 縁、といってもどちらかといえば悪縁だ。監視のために部下にし、たった一夜の過ちで子を孕み、手酷く裏切られて虚化の実験台にされた。これが悪縁でないなら何なのか。


 藍染が平子に齎した事象のその殆どが悪意によるものだ。しかし唯一娘だけは藍染にとって悪意でもなんでもない、単なる偶然で齎されたものだった。

 その娘も先日好いた男のもとへ嫁いでいったばかり。


 この男が平子の元を訪れる理由などないはずだ。

「なんの用や、藍染。撫子ならいてへんぞ」

「——娘に用があった訳ではないよ」

「ならなんや。無間に居るべきオマエが、こないな所に居ってエエわけないやろ」

 一瞬で距離を詰めてきた藍染に対し、平子は素早く後ずさる。

「なんやその不服そうなカオは。当たり前やろオマエが近づいて来よったらそら退がるわ」

 なにせ藍染惣右介だ。警戒もする。

「確かめたいことがあってね」

「『確かめたいこと』ォ?」

「協力してくれるかな」

「アホか。誰が——」

 一瞬。

 瞬きの間に藍染が再度間合いを詰める。あまりの速さに平子は反応が一拍遅れた。

「なん——」

 やわく壁に押し付けられ、藍染と平子の唇が重なる。それはすぐに離れたが、平子の思考に空白を作るには充分だった。

 藍染の行動を咎める文句は頭を過るが言葉が出ない。コイツ今なにしよった。

 藍染はというと、自身の顎に手をやって何事か考えているようで。

「オッ……マエなにすんんッ……!」

 文句の一つでもつけてやろうと口を開けば、再度塞がれ今度は舌まで入ってきた。肉厚の舌が口内をまさぐり——平子の舌の中央に藍染の舌先が触れた途端、藍染がぴたりと静止した。舌と唇が離れていき、平子は思い切り息を吸い込んだ。入ってきたと思えば途端に止まって出ていき、何がしたいのかが理解できない。理解したくもないが。

 藍染のじとりとした視線が責めるように投げかけられている。平子は何もしていないはずなのに、ひどく居心地が悪く感じた。

「……なんや」

「舌に何か——」

「ん? ……ああ、ピアスや。ピアス」

「何故よりにもよって舌に?」

「決まっとるやろ。お洒落や」

「理解できないな。見目を飾り立てる利益は解るが、衆目に曝されることのない口内に装飾とは。なにか利があるわけでもないだろうに」

「利害で洒落込まへんわ。強いて言えば気分やな」

 れ、と舌を出してみると、男は何か未知のモノを見るような、信じられないとでも言うような、絶妙な表情を浮かべた。そんな顔をされる筋合いは無いが、この男にしては珍しいカオをするものだと女は思う。

 大抵のことは涼しい顔で熟す藍染が、なんとも言えない表情になっているのが面白い。

 面白がっていることを見破られたのか、出した舌ごとそのまま食まれた。

「……ふ……」

「! ッ、ふ、……ぁ、ぅ、んん」

 明らかに反応が変わった場所を、藍染の舌先が執拗に撫ぜる。ずくりと下腹が疼いたのは、気のせいだと思いたかった。

 舌をぢゅるぢゅる吸われ、ぞくぞくとした感覚が平子の背を走る。そのまましつこく舌と舌とを絡めて擦り合わせてきて、齎される快楽に平子はきつく目を閉じた。


 やがて満足したのか、平子はやっと解放される。息が上がっている。

「なんやねんオマエ……」

「娘を見て、私にも思うところがあってね」

「ハァ?」

「まさか娘に気付かされるとは」

「何がや」

「言葉にせねば伝わるものも伝わらない、と」

「それで、なんや」

「平子真子、あなたに触れたいと思う」

「ふざけとんのか帰れボケ」

 触れたいなどと言い出した藍染に拳を見舞うも当たらない。当たってもなんともない癖に丁寧に避けるのが腹立たしい。

「いつかの機会に、また逢えることを願っているよ。ピアスも悪く無い」

 そう言って藍染は、何の手品か解けるように消えてゆく。

 平子は壁に背を預けたままずるずると崩れ落ちる。立てない。


「……アホか……二度と来んなボケェ……ッ!」

 隊首室には藍染の姿は既になく。

 こぼれた悪態が、レコードの並びに触れて消えたような気がした。

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