心音
火照った体にあたる薄いシーツの冷たさが心地よい
わずかに身じろぎ、眠る彼の胸板に手を当てる。
とくとくと規則正しく鳴る音をもっと近くで聞きたくて、耳を近づけようとする私の頭の上に、小さな声が落とされる。
「起きたのか?」
その言葉に答えず、そのまま胸に耳を当て、安心する音に目をつむる。優しく髪をすくように頭を撫でる手が心地好い。
とくんとくんと、一定の感覚でゆっくりと刻まれる音。ほんの数時間前まで、あんなに速く鳴っていたのが嘘のようだ。
「生きてますね」
当たり前のことを言う。
「どうした。恐い夢でも見たか」
腰に回された手に引き寄せられ、お互いの境界線が無くなる。
密着した肌と肌。すでに混ざりあった体温。腰にあった手を取り自分の胸に乗せる。
とくとくとく。
彼よりも少しだけ速い音。それが、大きな手を通して伝わってくる。
「私も生きてますか?」
何の意味もない質問。
「……お前が死んだら、俺は生きていけない」
頭を撫でていた手が止まり、そのまま抱え込まれる。額にあたった唇は、どこか震えている。
「じゃあ、生きないといけませんね……」
何故、こんなことを言ってしまったのだろう。
水星にいた頃を思い出したのか、それとも――。
顔を上げ、彼の顔を見る。
薄暗い部屋の中、その瞳に浮かぶのは、何時もの自信に光ではなく、どこか寂しげで。
とくとくとく。
噛み合わない心音。
最初は涼しさを求めていた筈なのに、いつの間にか、交ざりあった熱は何処かへ行ってしまった。
冷えた身体を暖め合う様に、もう一度唇を重ね合う。
調整された空調でも、一度乱れた体温を取り戻すのは難しい。
あの熱を取り戻すように、彼の背に腕を回す。
独りなのは恐いから
熱い息が首筋にかかる。
一人なのは寂しいから
それでもまだ足りないと、唇を求める。
何処へも行かない様に
背中に線を描き、身体中に花弁を散らす。
何処へも行かせない様に
刻まれた証はよりいっそう濃くなる。
二人っきりの筈なのに、迷子の子供の様にお互いを探し合い、求め合う。
彼は、何処にも行くな。と、うわ言の様に何度も繰り返す。それなのに、貴方の傍にいる。という言葉を何故だか返せないから、返事をする様に唇を塞ぐ。
ずっと、貴方の傍にいたい。いつか、お互い違う道を歩んだとしても、貴方の隣にいたいのだと。願いを込めて、口付けをする。せめて、夜の帳が上がるまでは、貴方の傍に――。
朝の光が少しずつ部屋の中を照らす頃、傍らに眠る恋人を抱き締め、柔らかな赤い髪に顔を埋(うず)める。
何時からだろう。想いは通じあっている筈なのに、彼女が目の前からいなくなってしまうという思いが消えなくなっていた。
此処にいる筈なのに、胸越しに伝わる心音も、静かに聞こえる呼吸音も、今にも消えてしまいそうで――。
「何処にもいかないでくれ」
眠る彼女には聞こえる筈もないのに、伝わらない言葉を口にする。
「スレッタ・マーキュリー」
愛しい少女の名前を呼ぶ。
もうすぐ日は完全に昇り、彼女と別れなければならなくなるだろう。
朝など来なければいいのに。
彼女が目覚めるその時まで少年は、少女を抱きしめていた。