その先へ
「やあ、朝からトレーニングに精が出るね」
「…お兄さん。おはようございます。はい。アースは今年も現役なので」
「おっと。勝負の世界から離れた僕はお邪魔だったかな」
「そんなことないですよ。お兄さんと会えるの、嬉しいです。えーと…」
「真面目だよね、君は」
「ううん、まあ…身体の融通が効かない分、無理しない程度に出来ることはやりたくて」
「走る方向は、何もレースじゃなくても良いんじゃないかな」
「…どう言うこと、ですか?」
「…報われるか分からない明日に向かって走り続けるのは、とても苦しいから。その癖、ピリオドを打つ時には僕たちの意志は殆ど介在できない。残酷な世界だよ」
「……」
「…そんな世界に身を置き続けなければならないこと自体、理不尽だと思わないかい」
「…お兄さんは」
「うん」
「お兄さんはずっと、そんなことを思って、走っていたんですか」
「…思わなかった、と言えば嘘になるよ。そもそもキツいのは嫌いだしね。…その涙は別の場所に取っておきなよ。もう終わった話さ」
「…ごめんなさい」
「今は君のこれからの話をしているんだ。…その顔を見れば分かるよ。君は迷っているよね」
「…はい」
「走りつづけたい気持ちと、これ以上続けても報われないだろうと感じている気持ち。…そして、その選択権すら思い通りにならないことをもどかしく思う気持ち。君はもう、少しの怪我も許されない。次のステージが待っている…お姫様、だからね」
「…アースは、お姫様なんかじゃ…血統を紐解いていったら、由緒正しい生まれみたいですけど、その自覚はないです」
「君に自覚がなくても、周りはそう思わないさ。それに…君の価値は、君自身が既に示してしまった」
「……『君はもう、充分頑張ったよ』、ですか」
「ああ。脚に爆弾を抱えている立場としては…一生に一度のクラシックを走り続けてきた者としては…やり過ぎなくらいに…ね」
「お兄さんも…そうですもんね」
「物心ついた時には…既に外堀は埋められていた。進むのも、戻るのも…僕の意思だけで決められることは何もなかった。ただ見えている終わりに向かって…走る…いや、走らされていた」
「それでも。やっぱりアースは走りたいです。結果は…やってみないとわからないですし…まず、挑むことも出来ないまま…終わるかもしれませんけど。もどかしいのは確かです。辛いのも、キツいのも嫌です」
「そうかい」
「…アースには次の役目がありますから、いつかは引退しないといけません。その時…どんな気持ちかは分かりませんし、想像もできないですけど。…お兄さん」
「なんだい」
「いつか、その時が来て…お兄さんと一緒の立場になるって決まった時は…私の話、聞いてくれますか」
「ああ、いいよ」
「喜んでいるかもしれません。後悔で泣いているかもしれません。でも、その時お兄さんが側に居てくれるって思えたら…不安は、無いと思うから」
「……君がそう思えるなら、いくらでも」
「走ってきます。後悔だけはしたくないから。やらない理由を…自分の身体に求めたくないから」
「真面目だね、君は」
「はい。それじゃあ、お兄さん…行ってきます」
「行ってらっしゃい。……ずっと、待ってるよ」
「はい。帰ってきたら…沢山、聞いて欲しいことがあるので。これは…私が純粋に思う、私の素直な気持ちだってことは、伝えておきます」
「わかっているよ」
君のことは、ずっと、空から見ていたから。
笑顔も…泣き顔も。