行く先はこと切れる場所

行く先はこと切れる場所


※流血表現があります 。



 不明瞭な視界が明滅する。瞼を持ち上げるのも億劫になるほどの倦怠感を感じながら、なんとか目を見開く。鬱然たる緑に飛び散った赤、赤、赤。濃密な鉄錆の香り。何メートルか先で倒れ伏すディノスの外皮に焦点を当て、視力の回復を待つ。恐らく気絶してからそう時間は経っていない。長くて汎人類史でいうところの1時間ほどだろう。意識を失う前のことを思い出す。

 第五層にて汎人類史のマヤ文明に近しい特徴を有した遺跡を発見し、数日かけて一通りの調査を終え、野営テントを撤収しようとしていたときのことだった。突如、理性を失った咆哮が前方の密林から響き、草木が踏み倒される音が徐々に近づいてきた。すでにかなり近い。逃げる余裕はないと判断して音のする方角に拳銃を構える。すると密林の陰からT-REX型のディノスが目と鼻の先に躍り出た。己の姿を認識される前に牽制のための一撃を放つ。運よくディノスの左目近くに当たった銃弾は狙った通りの結果をはじき出し、一瞬ディノスの動きが止まる。その隙を逃さず腹の下に潜り込み黒曜石のナイフで心臓をめがけて一突き。柄まで差し込むと刃を半回転させ、確実に致命傷を与えた。開かれた傷口から血が噴き出す。体に降り注ぐ生ぬるい命の温度を全身で感じながら退避しようと後ずさったそのとき。ディノスが最後の抵抗として放った強烈な蹴りが襲い掛かる。咄嗟に腕を組んで上体を捻り直撃を避けたが、攻撃をかわしきることはできず、体が宙を舞う。瞬間の離人感の後、背中を激しい衝撃が襲う。遺跡の土台部分に叩きつけられたと理解するも暗転する世界に抗えず、そこで意識が途切れた。

 ようやく視界が安定してくると、おかしな点に意識が向いた。気絶する前まで着ていたはずの黒いレザーコートが脱がされ横に寝かされた自分の体の上に掛けられている。そして戦闘に使った銃とナイフがどこを見渡しても見つからない。こんなことをするのは――。

「テスカトリポカ……」

「なんだ、目が覚めたか」

 声のした方向に首を巡らすと、そこにはデイビットのよく知った男が立っていた。噎せ返るほどの極彩色の洪水の中で佇むその姿は異質だった。艶やかな金髪を長く伸ばし黒いジャケットを羽織るアングロサクソンの男。この密林にふさわしくない姿でもって確かにそこにいる。

「どうしてここに……?」

「イスカリから報告があってな。オセロトルたちが捕らえ、調教するために飼育していたディノスが何匹か脱走したと。ほとんどが女子供たちの住む地域に向かったが、掃討した数と脱走した数が一匹合わなくてな。もしやと思って来てみたらオマエが倒れていた」

「なるほど。ここに最後の一匹が来ていたというわけか」

 上体を起こそうと力をこめるが、うまく体が動かない。身じろぎした途端咳き込む。

「おいおい、無理はするなよ」

 薄く笑いながらテスカトリポカはデイビットを見下ろす。逆光になったその笑顔には獲物を見つけた獣じみた嗜虐性が滲んでいた。

「ざっと体は診せてもらった。しばらくは動けないだろうが命の危険はない……今のところはな」

「そうか。手間を掛けさせたな。感謝する」

 デイビットの脳裏でけたたましいエマージェンシーコールが鳴り響く。この場から直ちに避難しなければならないと心臓が警鐘のように高鳴る。だがそれが不可能なことを冷徹な判断力が断言する。緊張で熱くなる体に対し、頭の奥は底冷えしていく。このままでは目の前の男によって自分は絶命する。

「ここは血生臭いな」

「そうだな」

 テスカトリポカに会話を合わせながら、その目論見を理解したデイビットは内心で溜め息をついた。底意地の悪い。実に悪趣味だ。

「このままじゃあ、いずれ獣が寄ってくるだろう」

「何が望みだ」

「ははっ、オレのマスターは話が早くて助かるな」

 今を生きる人類として活動できるテスカトリポカにとってマスターの存在は不要だ。それゆえに召喚者であるデイビットを血濡れの密林にこのまま置き去りにして、獣に食い散らかされるよう促しても、今後の活動に影響はない。だからこそ無慈悲な児戯にデイビットを巻き込むことができる。ようは命乞いをしてみせろということだ。テスカトリポカの興味を引く回答ができなければ、武器を取り上げられた上に体を動かせない自分は死を待つことしかできなくなる。虫の足をもいで遊ぶ子供のそれと同じ、くだらない思い付き。

「しばらくぶりだからな。たまにはこういう遊びもイイだろう……さて、どうするデイビット? 上手くオネダリができれば助けてやるぞ」

 テスカトリポカはどうにもデイビットを試すような言動をすることがあった。事あるごとにデイビットに選択を迫る。まるで見定めるように。オマエはオレのマスターたる資質を持った者なのかと。デイビットからすればテスカトリポカの協力さえ得られれば、誰に対してもそんなものを誇示する必要はないのだが。

 テスカトリポカは今か今かと回答を待っている。溜め息を乗せて深呼吸をするとデイビットは静かに口を開いた。

「前から言っている通り、正直なところ、おまえの協力が得られないのであればオレの目的はそれでおしまいだ。おまえがオレに協力する価値を見出せないのなら、それはオレの力が及ばなかっただけのこと。その時点で詰み、というだけだ」

「……何が言いたい」

 薄ら笑いを浮かべていたテスカトリポカの態度が一変する。刃物の切っ先を突き付けるような冷たさでデイビットを見下ろす。だがそれに怯むことなくデイビットは言葉を続けた。

「おまえがオレを見限るのであれば受け入れる。オレが人類の敵として目的を果たすにはテスカトリポカ、おまえが必要だからだ」

 そうしてこれ以上話すことはないだろうとデイビットは口を噤んだ。束の間の静寂が流れる。それを打ち破ったのはテスカトリポカの高らかな笑い声だった。一頻り密林に響き渡った笑声はしだいに小さくなり、やがて再び静寂が訪れた。鬱蒼と茂る緑の息吹を感じながら、デイビットは今後の予定を考える。怪我を負ってしまったので少し修正する必要がある。

「まったくオマエには恐れ入る。自分を過小評価しているようで実に不遜な命乞いだな」

そう言ってテスカトリポカはデイビットに掛けられたレザーコートごと乱雑にデイビットを抱きかかえる。

「これから何をするかではなく、今までの行動でオレに価値を認めさせるとはな。なるほど賢い。オマエほど有能なヤツはそういない。オレとしても手放すのは惜しいさ」

「それは良かった」

うだるような熱気の中、テスカトリポカは軽々と進んでいく。

「それにオマエには楽しませてもらっている。オレがいない世界で、あのトリ公の世界で自分の勢力を広げるのは存外気分がいい。これからも協力することを約束しよう」

「そうか」

窮地を乗り超えた安堵か、急激な眠気がデイビットを襲う。返事もそこそこにデイビットはやがてテスカトリポカの腕の中で眠りに落ちた。

 

 

 怪我をしたところに脅すような形で緊張させたせいかデイビットは静かに眠っている。さすがに意地の悪いことをしたと自覚しているが、だからといってテスカトリポカが行動を改めることはない。

 それにしても先ほどの命乞いは良かった。神の戯れに怯むことなく堂々と後がないことを暴露して見せた度胸は実に好ましい。この男は常に綱渡りをしながら最適解を的確に選ぶ。実に協力しがいがあり、そして土壇場で手を放して絶望させたくなる魅力のある男だ。だが、きっと戦いの味方であるテスカトリポカがこのイカレた男を邪魔することはない。

 この惑星を破壊する――以前デイビットが語った計画の一端を思い出す。テスカトリポカの存在しなかったこの南米異聞帯では滅亡が機能せず1つの種が栄え続けた。だからこそディノスたちは世界を新生させるために生贄の儀式を行うことがなかった。滅亡が起きないのであれば世界を新生させるために願う必要がない。

 ゆえにデイビットはテスカトリポカを召喚したのだ。滅びが起こりえない世界で滅亡を引き起こし、そして――新たなる人類を生み出すために。

「こんな面白い祭りに参加しない手はないからな」

そうひとり呟き、テスカトリポカはメヒコシティを目指す。カルデアがこの異聞帯に到着した暁にはきっと面白いものが見られるだろうと期待しながら。

 デイビット・ゼム・ヴォイド。この男の末路はどれほどオレを心躍らせるのだろうと。

 

 

 

 

作業BGM「獣ゆく細道」

タイトルが思いつかなかったので歌詞から引用させてもらいました。 


単なる憶測ですがデイビットはORTによって星を終わらせ「次の紀」を迎えるためにテスカトリポカを召喚したのではと考えています。

(「次の紀」は前編冒頭でカドックが説明してくれた、16世紀にORTを調査しに行って生き残った魔術師が残した台詞にあります)

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