行き先は地獄などでも構わない

行き先は地獄などでも構わない


契機。

あるいは恥の多い人生の終焉。瞼の裏にて、死に体の人間の引きずる足の如くのたついた動きの幕がくだり始める幻覚を見る。だのに誰の一人とて、カーテンコールに手を打ってくれなかった。アア、俺はきちんと「グエル・ジェターク」を演じられていていなかったのだろうか?

ズル。己が足を絡めとった__粘性の液体の滴る吸盤の無いタコの触手を髣髴とさせる人間には無い筈の器官を何本も何本も生やす男とも女ともつかない巨大な、ただ吐き気がして「殺してください!」と叫びたくなるほどうつくしいいきもの__を、見上げる、ということには、単に俺の方が遥かに小さいからだとか言う当たり前の理由だけじゃなくて、単に俺が床に這い蹲って必死に逃走を図ったからということに他ならなかったのだが、そんな事はマジで誰にだって関係が無いしどうでもいい。

脆弱な人間などひと縊りで殺せるだろうに。頭だって本能だってガンガンと今に殺されるぞ!と訴えているのに。

それはそうっと、俺の体を持ち上げる。慎重に、壊さないように。それだけでどうしようもなく、胸が悪くて、厭わしくて、なんだか何でもいいから、先の尖ったもので胸を貫かれたい、それから体の全部の水分が無くなるまで泣いてしまいたい。何もかも壊されたい、壊されてしまいたい、壊されたことすら自覚できないほどめちゃめちゃに。

「螟ァ荳亥、ォ」

何語だよ。

真っ当なツッコミは思考の本流に塗りつぶされる。グルグル、ぐらぐら、おぞましく。頷けばそれはそうっと俺の喉を撫ぜた、慈しんだような気がした。


「……気が付きました?」


case1.初恋の人

目の前には赤毛の少女が立っている。

すくすくとのびやかに成長した体躯にあどけない顔が不釣合いな、青色の目をした女の子。ただしその笑顔にはどこか、芯がない。まるで歯抜けにでもなったように、何かが欠け落ちている。

「おま……えは。スレッタ・マーキュリー……じゃ、ないよな?」

「ハイかイイエで答えるとハイ。この肯定は、『私はスレッタ・マーキュリーではない』ということを意味します」

「……一体、何者だ?」

「んん」

スレッタらしき存在は考えるような素振りを見せる。その一挙手一投足すらおぞましい。スレッタの姿をしたスレッタではない何かが、スレッタの声をして喋っている不快感。無意識にくちびるを抑えて後ずさると、ようやく自身がいる場所が、地球でも宇宙でもまして知っている場所にもない、真っ赤な、真っ赤な部屋であることに気づく。痛い。これはそう、痛覚だ。ぢかぢか、ちかちか。もう少し目に優しい色にして欲しい、緑とか__そういう問題でもない気もする。

それはこてりと首を傾げて、「おかしいですね」といった。声の響きも、知るものとは存外、違う。

「あなたにとって好ましい姿を選んだとおもったのですが。これはお気に召しませんでしたか?」

「好ましい……姿?えらぶ?」

「残念です。なら少し変えてみましょう」

それは再び喉に、耳に、まぶたに、触れる。痛みは無い、ただ何かが蹂躙されるおぞましい感覚に__無意識にか、目を閉じるしかできなかった。


case2.ビジネスパートナー

「う、ぐ……あ?ミオ……リネ、か?」

「んん?この認識は少し不適当」

「一体、あ、ぐ」

「少しでも好意的に見てほしいの。彼女のことは嫌いでは無いけど、好きでもなかったのね。まあ仕方ないか。それにしても、あくまでもっと、こう……あ、これとか、どうだ?潰れかけの会社を救ってくれた人!」

次に目を開けると、グエルの前にはエランが立っていた。エラン、というと少し不適当だ。強いて言うならそう、エラン・ケレス。ベネリットが解体されて以降のジェタークの復興に力を貸してくれたひと。一体どういうことだ。スレッタになったり、ミオリネになったり、エランになったり。認識がぐちゃぐちゃになる。目の前の存在の本質はなんだ?

「……な、にもの、なんだ。お前は……どうして、俺の知人の姿をしている?」

「うーん?説明が難しいな。人間は記憶とか精神とか、そういった言葉で解明したがるだろう。俺たちにあるのは厳然とした器官だけなのに!」

「はあ?」

「ええと、だから、お前の脳に蓄積された一切の記録を『見た』。そのうえで、お前にとって俺が好ましい姿に認識できるように認知と肉体の接続を弄っている。お話したいだけなのに怯えられるのは虚しいからな。これでわかるか?」

「な、……んだ、それ。一体、」

「まあ、理屈は理解しなくてもいい!にしてもこの見た目もダメか?待て、今、視神経に触れるから。動かないでくれよ」

どういう意味、とみたび問いかけようとした瞬間、視界の端でバチ、と白い電流が弾けた。__もしエランの姿をしたなにかのいっていることが本当なら、あまりに酷い話だ、とおもった。


case3.救えなかった

長__いやさして長くない、むしろアド・ステラの平均からすればむしろ短い人生の中でも、少なくない数、後悔してきた。ラーヌードルを食べすぎたとかいう些細なものから、もっともっと大きなものまで。そして『目』の前のかの存在は、俺のそういった罪悪感を効率的に煽る方法を理解したらしい。

「これ?」

「……」

「ううん、これかな?ふふ。肌の色は深い方がいいのかな」

「……ぁ、」

名も知らぬ、腕の中で冷たくなった少女。グエルの判断ミスによって殺された無数のアーシアン。それらの代表でもするかのように、いやコレはおそらくその一切と関係ないのだろうが、とにかくまるで天使のような面でこちらを見るのは、シャディク・ゼネリ__の姿をした何かだ。

ちがう。ちがう。彼はこんなに穏やかに笑わない。いつだってもっと皮肉な微笑みか、たまに真剣に怒ったような顔とか、とにかくそういった意地悪な表情をしていた。彼は頬杖をつき、グエルにむけてこんなことを言う。

「ええと。突然連れてきてしまってごめんね。この宮殿は気に入ってくれた?お前が赤が好きだと言う話だから、赤くしてみた」

「……限度が……ある」

「ええ。そういうものなの?」

「俺の記憶を見たならダリルバルデだって知っているだろう。あれは赤一色だったか」

「待ってね」

「いやいらん。ダリルバルデの姿になろうとするな。この部屋の天井の高さからして__」

「認識を弄るだけだから壊れないよ」

「……どちらにせよ、いらない」

グエルが力無く呟く。たぶん『彼』のことだって、グエルのなかに後悔としてのこっている。できればこんなところに閉じ込められるより先にもう一度、大空を飛びたかった。宇宙をかけたかった。たぶんそれはもうできないと、心のどこかが諦め理解しているので。


case4.恐怖

「ふむ?なるほど。こちらの方向性の方が落ち着いて聞いてくれる」

「やめろ変なことを学習するな。あと認知をいじるな、せめてシャディクで固定を__」

「ううん。グエル、今まで頑張った」

「えあっ……あ……」

目の前にいたモノが、一瞬にして桃色の髪をした幼い少女に姿を変える。

それは銃口をこちらに突きつけて不敵に微笑んでいた。地球の、テロリスト。ガンダムに乗っていた。その程度のことしかわからない。わからないけれど、それでも相手に生殺与奪を握られる感覚は、鮮明に焼き付いている。

「何度壊されそうになった?何度殺されそうになった?何度酷い言葉を浴びせられた?私はね、助けたかったんだ。ここにいれば絶対安全でしょ」

「ぁ……そ、うだ。ジェターク社は!?もうすぐ投資家の方に向けた会議が、それに書類も、っぐ!?」

「助けてあげたと言っているだろう」

少女が形を変え、壮年の男性の姿となる。

名は確かオルコット。その程度しか『経験』のうちがわにはないのに、よく引っ張り出してきたものだ。目に見えない、たぶん認知の中から消されている六本目くらいの腕により、認知の中では彼に睨まれ、おさえつけられて萎縮する。それはあの時生命を維持するため食事を与えてくれた、それとは似ても似つかないほど冷たくて優しくておぞましくて甘い声で、こう言った。

「お前はここで幸せに生きるんだ。直にうつしのしがらみの一切も忘却する」

……それは、おそろしいな、とおもう。まだそうおもえることに、少し安心した。


case5.家族

「……ふむ。にしてもこの姿はお前にとって好ましい部類に入るのか?少女の時と比べて強い反応を感じられる」

「ぁ……ア!?待て、そんなことない、余計なことを学ぶな!!」

「ああ」

ぁ、と。

思わず咄嗟に唇を半開きにさせた。何故なら確かに、目の前にいたのは__

「と……う、さん……」

震える声だ。

ヴィムのすがたをした何がしかは、グエルのあたまをごしごしと撫でた。強く。つよく。あたえてもらいたかったもの。ずっとほしかったもの、これは偽物なのに、それでもあたまが、なにかがおかしくなって、よろこんでいる。脳みそを弄られて化け物を父と錯覚して安堵するなんて最悪__と冷静な誰かが思うのに、久方ぶりに見たその笑顔が、あまりにも眩しすぎて、涙で視界が滲んで、さすれば物事を冷静に分析することなどできようはずもない。

「たかが人間ひとりに、なぜ執着するか分かるか?」

顔を上げる。

そこにいたのは父ではない。かわりに微笑むのは、ペトラで、カミルで、フェルシーだ。おそらく脳に触れているならどれが一番分かりやすく反応を示したかなんてすぐわかるだろうに、グエルが「親」として愛している方と、「子」として愛している方、そのどちらもを突きつけて、わざわざ記憶にあるささくれを丁寧に剥がしとるような真似をする。恐怖と狂気がひと段落ついたら、一周まわって怒りが湧いてきた。なんでこのような真似を。父さんを、フェルシーをペトラをカミルを侮辱するな!叫び出してしまおうとしたところで、耳馴染みある声が鼓膜、というより骨を伝って、染みとおってきた。

「好きだから」


case6.×しにきてくれた人

「ずっと見てた。たかが人間一人にこんなに惹かれるなんて、思いもしなかった。不可解だね。だけどどうしてかな、すごく嬉しいんだ。これがグエルの記憶にある『恋』なのかな」

「や……めろ。やめろ、やめてくれ」

「僕はグエルのことを愛しているよ。早くグエルも僕のことを愛してね。僕がグエルの父で弟で友人で好敵手で何もかもになるから、グエルは息子で兄で因縁で何もかもになって、それで、愛になってね」

「ラウダ以外がラウダの姿で喋るな!!」

激昂と共に振り上げた拳は、見えない腕に絡め取られた。

予想はついてた。まあなるとしたらこの姿になるのだろうなとはおもっていた。だのにそれに対して、今までのような不快感を覚えがたかったのが、あまりに惨い。上手く言い表せない、たとえるならあの時ようやく罰を与えに来てくれた、しかし寸ででそれを奪われてかろうじて正気を保っていたのに、死と安堵を告げに来た天使がたまたま彼の姿をして今度こそきちんととどめをさしにきてくれたような、そう、事故、事故だ。死ぬわけにはいかない。まだ俺は死んではいけない、会社は、ここで倒れたら『本当の』彼らはどうなるのだ。必死にふるいたてようとするが、彼は首を傾げて、それからグエルの顎をつかみあげた。

「暴れないで。きちんと説明してからが良かったけど」

仕方ない。恋とはチョトツモウシンなもの。グエルが教えてくれたんだ。

なにがしかたないのかは一切不明だが、直後、が、と音がして、見えない何某かによりくちびるが割り開かれた。同時に喉、あるいは耳に見えない何かが侵入し、超自然の蠢きと共に、液体のようなものが胃を、脳を、侵しはじめた。


caseX.縲檎炊隗」縲阪〒縺阪k縺ィ諤昴≧縺ェ

耳のド真ん中で爆心地を形成しひっきりなし立て続けられる水音と、おそらく人生において口に迎え入れたあらゆる異物の中で一番デカくて長いであろう触手が、ぞりぞりと人だった尊厳を擦っていく。思考できない。身体があらん限り、出来得る力で直感した死への抵抗に大暴れしているつもりなのに、現実はどうだ、指先が痙攣するだけで、足だの腕だの触手だの羽だの体重だのに抑え込まれて蹴りの一発見舞えない。知らんかもしれないが、人は息をしないと死ぬんだ。ふつう、鍛えられもしていない人間なら十数分幾らかくらいで。

瞬間、酷い音がして、右耳の音の一切合切が立ち消える。痛みは無い。痛みが無いと生きている心地がしない。もしかしたらもう死んでいて、死体に魂を押し込められていて、それで、もう血の一つ動いていない身体をおもちゃにされているのかもしれない。そっちの方が楽__あ?

「あ、あっ、あ?ひ、ああああ、あが、ああああ゛!?」

「うん。ここを切除して、これで置き換えれば、完全に『おなじ』になれるよ!大丈夫、きちんと痛みを感じないようにしておくからね。脳に触れておけば気持ちいいだけですむよ」

「ひ、お、がっ!?ぁ、あああ゛、あ……」

全て。すべて、に接続している。総て。遍く?この世の一切。そうだな!そう。それに、つなッ、繋がってて。人間、の、構造的なキャパシティ?いれておける水嵩、抜けない鍋の底。から、明らかにあふれてしてい、いて、ッ?その、わからなかったすべて、すべてが、零れて。グエル・ジェタークという存在を人から遠ざけ、目の前のこれにちかづけている。壊れる。こわれる、きがふれる!たすけて、たすけてだれか、スレッタ、ケレスさん、シャディク、オルコット、父さん、ふぇるしー、ぺとら、かみる、らうだ、あるいは__

「うん」

ぱち、と視界が明瞭になる。

目の前で穏やかな表情をした〝男〟が微笑んでいた。……、男?そう、そうなんだっけ?嗚呼いや、そうなんだった。ずろ、と口から触手が抜かれる。ずっと溺れるくらいに注ぎ込まれていた謎の体液らしき粘液がどぼりと逆流した。事に、今気が付いた。

「これでよし」

おなじになれたね。

と、いうか。それどころじゃなかった。俺にとっての五行全て。三千世界から次の世まで踏み荒らされた。もはやかつて人間としての体を構築していたルールを全て破られ、めちゃくちゃにされて、もう二度と修復すら叶わない、のに、不快感の一切をきれいに排除されてしまって、痛くも苦しくも無い。何をされた。今何をされたんだ、俺は、

「わかっているくせに?」

「……」

「限りなく同一的な存在になったんだ」

「……こわ……ぃ、」

「大丈夫、怖くない。そばにいる」

ぎゅ、と体を壊さない力で抱き締められる。脳を“縲瑚ヲ悶?”られたから彼が俺の知っていることで知らないことは既に無い。何もかもを覚えられた。逆も然りだ、何もかもを覚えた。そして俺はそれを完全に理解している。から、だから、何されたかなんてわからないはずもない。流し込まれた液体は俺を人から遠ざけたし、彼に近付けた。愛しているから。いっしょにいてほしかったから。彼はグエルという存在を、人ではない、彼の同族に変えた。表情という概念を覚えた顔が表情筋のありもしない面皮を適切に歪めて花の開くような笑顔を作る。その笑い方はまるで、今まで好意を持ったすべての平均値をとったようで、それが何を意図しているかなんて、嫌という程流し込まれたから、ただひとつだとわかる。

「んと。こういう時、人間は何と言うんだったか?」

それは一瞬あどけなくいってのけたあと、ぱっと歓喜したみせた。

「グエル・ジェターク、俺と結婚してくれ!」

ああ。自分は人間として死んだんだ、と。

気づいて、何かが折れる音がした。

Report Page