蛹は未だ花に至らず

蛹は未だ花に至らず


 歌が響いている。彼女の、世界を救う歌が。

 途切れなく、途切れなく。永遠に流れ続けている。

 ふと、隣を見たら太陽のような笑みで彼女を見守る彼がいた。


 ニカッ笑みを浮かべながらと駆け寄る彼を見て、歌姫はこそばゆ気にはにかんだ。

 ぼくたちはそんな二人を見て囃し立てるのだ。


「……ん」


 二人が導いた新時代。

 あらゆる悲しみの連鎖は、ぼくたちの時代で断たれた。


「……さん」


 ああ、この人たちについてきてよかった。

 心の底からそう思い、ぼくたちは二人に駆け寄——


「お客さん!」

「……へ? あ、あれ?」


 肩を揺すられ突然制服を着た男が視界に割り込んだ。

 いきなり何をするんだろう。ぼくは二人の所にいかなきゃいけないのに。


「目的の場所ですよ! 70番です!」

「も、目的……?」

「ほら、周り見てください! 70番のマングローブが見えるでしょう?」


 男が指さすのは巨大な気に書かれた番号。

 ヤルキマングローブ。シャボンディ諸島を構成する樹木の塊がここだ。


「あ……っ」


 だけどぼくが意識を覚醒させたのは、70番の文字ではなかった。

 そのマングローブの奥に見える他のマングローブ。

 60から69までの海軍駐屯地。その中の一つに書かれた落書きだ。


『Justice IS Dead!!!!』

「ああ……」


 正義は死んだ。簡潔な文章がぼくを現実に引き戻す。

 烏滸がましい、夢を見てしまった。




 ここはシャボンディ諸島。

 海軍本部がすぐそばにあるこの場所は、大海賊時代にあって世界一の安全地帯だ。

 なのに、道往く人々の顔は暗い。


 ペラッ、と新聞が風に吹かれて飛んできた。

 拾ってみると大分前の新聞だ。日付を見なくても分かる。

 だって、絶望の始まりがそこに掲載されていたのだから。


『世界貴族暴行の逆賊ルフィ元大佐・ウタ元准将。シャボンディ諸島にて誅殺!』


 ルフィさんとウタさんを失ったあの日の凶報。

 あれから世界は闇に閉ざされてしまった。


 思い出してしまう。

 つい先日、海賊に襲われて全てを失った少年との会話を。


『……ごめん。ぼくたちが遅かったばっかりに』


 彼の村は非道な海賊によって焼き払われていた。

 結果、多くの人が死に、海軍が到着して頃には手遅れだったのだ。

 実家の牧草地を焼き払われた少年は羊飼いだったらしい。

 ヒューマンショップに売り飛ばされそうなところを保護できたが、彼の家族は海賊に戯れで殺された後だった。


『いいよ。気にしないで、コビー曹長』


 痛ましい事件であったが、それだけならば特筆に値しない。

 この程度の悲劇はありふれているのだ。あの日から、ありふれるようになってしまったのだ。

 そうではなく、少年との会話が記憶に焼き付いている理由は彼の言葉だ。


『仕方のないことだったんだ。貴方が気に病むことじゃない』


 彼は本気でそう言っていた。

 恨み言を覚悟していた。何故もっと早く来てくれなかったのかと怒鳴られるとおもって……もっというなら、ぼくはサンドバッグになるつもりで話しかけた。


 全てを奪われた少年に、それしかできることがなかったのだ。

 だが、彼の言葉は透明だった。

 理解する。もう、民衆はぼくたちに……海軍に期待などしていないのだと。


 仕方のないことだ。

 それだけのことをしてしまった。


「コビーさん! お待ちしていました」


 目的の場所につくと、ぼくはお土産を女性に渡す。

 皆さんで食べてくださいというと喜んだ。


「今、フロアにいらっしゃいますよ! こちらです」


 彼女に案内してもらい、目的の人物に会いに行く。

 ヘルメッポさんも誘ったんだけど、どんな顔で会えばいいんだと断られてしまった。


「中将! ガープ中将! コビー曹長がお見えになりましたよ!」

「おう! コビー! よく来た!」


 ガープ中将はぼくを見るとばんと机を叩いた。

 その音で周りの人たちが驚いている。仕方ないなぁ、もう。


「お久しぶりです。お加減はいかがですか?」

「ぶわっはっはっは! わしが病人に出も見えるか? この間も山8つをサンドバックにしたわ!」


 豪快に笑うガープ中将は外の陰気を吹き飛ばす勢いだ。


「ん? ヘルメッポの奴はどうした?」

「えーと、どうも予定が合わなかったみたいで……その、ほら! お父さんに面会を……」

「あ~そうだったかの~」


 普通に来るのを拒否したことは言わない。

 怒りそうだから。


「お前は最近どうじゃ? 鍛錬をサボっとったりせんだろうな?」

「はい。この前も、海賊を討伐しました」

「懸賞金は? 最初の頃のエースよりも高いんじゃろーなぁ?」

「えー……と、2000万ベリーでした」

「やっす!? 鼻水噴き出たわ! ぶわっはっはっは!」


 バンバンと机を叩く。

 隣の人が迷惑そうだ。すいません。


「いかんぞぉ? 海軍大将になろうというならばその程度で満足していては!」

「はい……もっと、強くなりたいです」

「励め励め! ぶわっはっはっは!」


 この人はぼくを育ててくれた人だ。

 アルビダの海賊船で扱き使われるしかなかったぼくを、紛いなりにも海兵にしてくれた。


 その恩は返しきれない。

 ……だから、辛い。どうしてこんなにこの人は苦しまなきゃいけなかったのか。


「……それにしても、遅いのぉ」

「はい? なにがですか?」

「今日は特訓をする予定だったんじゃが……さては逃げたな、あの三人は!」

(これは……っ)


  慌ててぼくは時計を確認した。


「あっ! ガープ中将! そろそろおやつの時間ですよ!」

「なにぃ! 本当かっ!」

「三人のことは後にして、先にぼくたちで食べちゃいましょう」

「ぶわっはっはっは! ナイスアイデアじゃ! お前も中々悪いのぉ! 後でルフィたちが悔しがる顔が目に浮かぶわい!」

「ははは……」


 ぼくは今、笑えているだろうか。

 ガープ中将の邪魔はしていないだろうか。


「ウタちゃんのお陰でルフィは海兵になるというようになったが……エースはまだ意地を張っておるからな! 愛ある特訓で思い直させてくれるわ!」


 ぎゅっと拳を握る。

 世界が色褪せていった。


「ガープ中将、おやつをお持ちしました」

「おう! 腹が空いて仕方ないわ! 煎餅か!?」

「いえ、今日は……」


 若い男性が持ってきたおやつを見た時。

 ぼくは血の気が引いていくのが分かった。


「……………………パンケーキ?」


 それまで陽気だったガープ中将から表情が抜け落ちる。

 豹変と言っていい落差に、若い男性は戸惑っている。


「あ……ぁ、ぁ……」


 他の肩の相手をしていた別の男性がガープ中将の声に気が付いた。

 そして、血相を変えて駆け寄る。


「何をやってるんだ馬鹿!?」

「えっ、え?」

「ガープさんにパンケーキは厳禁なんだぞ!? くそ、厨房もなにやってるんだ!?」


 若い男性からおやつを取り上げる。

 それと同時だった。金切り声が響いたのは。


「……ぁぁぁあああああ゛ああああ゛あああああああ゛ああああ゛ああ゛っっ!!!!」


 手足をばたつかせて暴れ出すガープ中将。

 今の彼は戻ってしまっている。辛い現実に、戻ってしまっている。


 ガープ中将はウタさんのことをとても気に入っていた。

 ルフィさんを海軍に導いてくれて、いつかはルフィさんと結ばれるであろう彼女を、既に家族の一員と思い、孫のルフィさんと同じくらい溺愛していた。

 そんなガープ中将をウタさんも受け入れ、よくお茶に誘っていたらしい。


 あの日も、二人は喫茶店でお茶を飲んで、たわいない雑談をしていたらしい。

 ウタさんは大好きだったホイップましましのパンケーキを食べていたんだとか。

 二人が別れたすぐ後だ。天竜人に目を付けられてしまったのは……


「くっ!? ガープさん! ガープさん落ち着いて!」

「反対を抑えてくれ、部屋まで連れ戻す!」


 職員たちがガープ中将を取り押さえる。

 ガープ中将などと呼んでいたが、彼らは軍人ではない。ただ、そう呼ぶと彼の機嫌がよくなるから、そう呼んでいただけだ。


 彼らは心に傷を負った人たちを世話する介護職員。つまり、一般人。

 でもぼくは動くことはなかった。その必要がないから。


「ああああああ……あああああああ~~~~~~………………」


 振りほどけない。

 海軍の中将が、単なる一般人を。

 かつて丸太のようだったその腕は、今は骨と皮しか残っていない。


 もう、あの日の英雄はどこにもいないのだ。

 いるのは全てを失った哀れな老人だけ。


 目を背ける。

 瞼の下が熱くなり、嗚咽が手で覆った口から零れた。


「申し訳ありません、コビーさん……今日はもう」

「……はい。これで失礼します。これからもご迷惑をかけてしまうでしょうが、どうか、中将をお願いします」


 頭を下げてその場を後にする。

 逃げるように、ぼくは建物から出ていった。




 ルフィさんとウタさんを失ってすぐ後に。

 白髭海賊団二番隊隊長【火拳のエース】の処刑が行われた。

 当然、船員を家族と称する【白髭】、エドワード・ニューゲートはエース奪還のため、海軍の本拠地であるマリンフォードに襲来。


 頂上戦争と呼ばれる戦いが勃発した。

 あの【海賊王】と渡り合った大海賊が相手、激戦が予想されたが……

 結果だけ言えば、エース処刑は予定通り終わった。


 生きる伝説も老いたのだ、と新聞は語る。

 決戦時に乱入してきた百獣海賊団と、もう一人の四皇であるカイドウの乱入により、作戦を大いに乱された彼らは、仲間を奪還することはできなかったのだ。


 しかし、あの戦いを海軍の勝利と言っているのは政府だけだ。

 乱入してきたカイドウは海軍にも襲い掛かった。同盟など組んでいないのだから、当然ではあるが。


 結果、息子を奪われて激怒した白髭と、龍の姿で暴れまわったカイドウによってマリンフォードは海の藻屑と消え、海軍の大部分が跡形もなく消し飛んだ。


 その混戦の中、白髭は死亡。

 戦争の末に四皇の一角と世界政府が崩壊するという最悪の結末を迎えた。


 頂上戦争では勿論、海軍の英雄であるガープ中将も参加。

 孫とその婚約者を失った状態でありながら、責務を果たそうとする彼を人々は称えた。


『あれこそが真の海兵!』


 ……きっと、彼の心が限界を迎えていたことに気が付いていたのは、ガープ中将と親交の深いセンゴク元帥やつる中将のみだった。

 精彩を欠くガープ中将は四皇二人の暴威を前に敗北。


 海軍の道を進んだルフィさんとウタさんの死。

 海賊の道を進んだエースさんの処刑。

 そして、それらをもってしても何も守れなかったという結果。


『……わしが悪かったのかのぉ』


 沈みゆく海軍本部。世界政府の権威を軍艦から眺めながら。

 そう呟いた彼の姿が忘れられない。


 頂上戦争後、彼は幸せな過去の記憶に囚われていた。

 到底海軍の責務を果たせる状態ではなくなった彼は、そのまま海軍を除籍。

 同じく心を傷つけてしまった人々の施設に入所したのだ。


(海軍本部がなくなっても、駐屯所が機能していてよかった。おかげでシャボンディ諸島はまだ安全だ)


 しかし、それ以外の所は最悪だ。

 海軍の殆どが吹き飛んだことにより、これまでの防衛体制は完全に崩壊。

 唯でさえ海賊が飽和している状態でありながら、海兵が致命的に足りないという悪夢の時代に突入したのだ。


 ぼくがこうして休日を取れたのも、二カ月ぶりのこと。

 明日からはまた終わらない戦いが待っている。


「……うっ」


 トビウオライダーのタクシーに乗って、駐屯所を目指すコビーはまた眠気に襲われた。碌に眠れていないから、体が惰眠を欲しているのだ。


 最近になって分かった。

 苦しくて、悲しくて、クタクタに疲れると、人は夢の世界に逃げるのだと。


『幸せな世界を思い浮かべて歌うの、そうすれば頭の中にある夢の世界に……』

『あきた』

『あ、コラー‼ ルフィ! 最後まで話を聞きなよー!』


 いつだったか、ウタさんがウタウタの実で連れていけるウタワールドを説明していたのを思い出す。

 あの時は夢の世界に興味を持たず、超体験主義ともいえるルフィさんにぼくたち笑ったものだ。あの人らしいと。


 今も、同じ光景を見たら笑えるだろうか。

 夢の世界なら、こんな悲しみはないというのに。


 辛い現実で生きていけるのは強い人間だけで。

 その強さもきっと有限なのだ。


 悲しいことが積み重なって、心の容量を超えれば。

 どんなに強い人でも夢の世界に至る。


「……ぼくのつよさは、いつまで持つのかな」


 視界がぼやけていく。

 ここが現実なのか、夢なのか。

 まだ、ぼくには分かるけど。

 いつか、いつかは……


 蝶となって花から花へ飛び回る。その日まで。

 ぼくたちの戦いは終わらない。

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