蛮族長コハク終

蛮族長コハク終

隠密虐待の翁

 マヌルが目覚めた場所は、倒れた集落の正門付近ではなく普段の寝床だった。

 クオンツ族の誰かが運んでくれたのだろうが、周辺には誰もいない。日は既に高く昇り、燦燦と寝ぼけ眼に降り注いでいた。


「……」


 最後の餞別だろうか、簡単だが食事まで置かれている。そう認識した瞬間、腹の虫が鳴った。

 そう言えば、昨日の夕方から何も口にしていない。


「いただきます」


 椀に山盛りのそぼろをスプーンで掬い、一口食べる。甘みの強い煮汁がしっかりひき肉に染みており、白米のすすむ出来だった。


「これは、ルリさんかな。煮物が得意だったし」


 コッコを愛でる姿の裏に、強い闘争心を隠した女性だった。その芯の強さが災いしてか、コッコは人畜無害なマヌルの方によく懐いてしまったが。


「汁物は……ジルコさんっぽいなあ。塩が薄いや」


 無口だが、任された仕事は確実にこなす男性。料理は薄味を好み、彼が当番の日はジャスパーがよく文句を垂れていた。


「……っ。ぅくっ……!」


 料理をじっくり味わいながら、マヌルは静かに泣いた。どんなに飲み下そうとも、体の奥から溢れる熱いものは止まらなかった。

 やがて器が空になっても、マヌルはしばらくの間手を合わせることなく座っていた。この場所で過ごした思い出を、噛みしめながら。


「……。ごちそうさまでした」


 どのくらい時間が経っただろうか。空にした器に水が溜まるのではないかというほどの涙を流し切ったマヌル。馳走に感謝し、部屋の片隅に置いてあった背負い袋を確認する。

 そこには握り飯と幻影蝶の鱗粉、そして一足先に新天地を目指して旅立った者達の書き置きが残されていた。


『お別れにはなってしまうけど、俺はマヌルのことを仲間だと思ってる。旅の無事を祈るぜ! ジャスパーより』

『急にいなくなってすまない。新しく良い場所を見つけたら、マヌルにも来て欲しいと思う。 ジルコより』

『幻影蝶の鱗粉、咎人の烙印を隠すのに役立ててくれ。人間は嫌いだが、お前は死ぬな。 オニキス』

『コッコのことは私がしっかり世話をします。また会った時、たくさん増えてて驚かせられるように。 byルリ』

『お主に教わった握り飯を、私達も繋がった空の先で食べておる。お主のことは決して忘れぬ。 コハクより』


「本当、本当にっ。ありがとうございました……!!」


 マヌルは書き置きに向けて正座し、深々と頭を下げる。

 乾ききったはずの瞳から、まだ涙が溢れた。


「……へ?」


否。


「これ、は」


 それは、涙ではなかった。

 もっと生臭く、ぬるりとした液体が彼の忌む眼から流れ落ち、畳を汚した。


「血……!? な、何で」


 顔を手で覆い、これ以上思い出の場所を汚すまいとするマヌル。が、指の隙間から血涙は容赦なく溢れ床を真っ赤に染めていく。


「嫌だっ! やめろ、やめ……止まって、止まれよォ!!」


 半狂乱で窓の外へと半身を突き出したマヌルの脳内に、誰のものとも知れぬ声が響いた。


『帝国だ』

「!?」

『賢者の石は、帝国だ。賢者の石は、帝国だ』

「な、何だこの声……誰?」

『──貴様の望みを叶える者』


 名乗らぬまま、再び謎の声は先ほどの文言を繰り返し始める。


『賢者の石は、帝国だ。賢者の石は、帝国だ』

「賢者の石は」


 マヌルは、縋るようにその声を復唱し始めていた。そうすれば、少しは流れ出る血が減るような気がしたから。

 もしこの場に鏡があれば、彼は己の目を針で突いていたかもしれない。


「帝国だ。賢者の石は、帝国だ。賢者の石は──」


 その忌む眼の文様は、過去にない毒々しい赤色に輝きながら脈打っていた。





 同時刻、魔王城。

 魔王の腹心たるベリアルは、小さな違和感を覚え人間の連邦領の方角を睨む。


「この感触は……」


 魔族の冥力でも、人間の操る魔力でもない、微弱な波動。


「どぅしたの? ベリアル」

「アドラメルクか。何やら、妙な力を感じてな」

「妙? ……あー確かに、変なのが混じってるね」


 同じく魔王軍の幹部、アドラメルクも彼と同様の感触を得たようだ。ベリアルは腕を組み、違和感の正体を推察する。


「人でも魔族でもない……堕天使族か?」

「あぃつら? 魔王様にも人間にも散々やられたじゃん。また来るの?」

「分からん。とりあえず、波動の出所を調べるぞ」

「はぃはぃ調査隊ね。テキトーに下っ端選んどくよ」


 去って行くアドラメルクを見送ったベリアルは、心底からのため息を吐く。


「ようやく協同戦線の一角……王国を崩せそうだというのに。ままならんものだ」





 数日後。

 クオンツの獣道を歩きながら、マヌルは自分の目をこする。


「……よし。何ともないぞ」


 あの日以来マヌルは、目の状態により気を配るようになった。

 これまで忌む眼とはいっても別段何もなかったのだが、大量の血涙という異常現象が起こった以上は対策せねば。


「賢者の石は、帝国だ」


 謎の声に言われた通り、マヌルは再び帝国を目指すことにした。元々行くアテもなかったのと、何よりマヌルの最終目標である賢者の石があるという。

 得体のしれない声に従うのは少々怖い部分もあったが、わざわざ逆らう理由はもっとなかった。


「大丈夫。僕は、やっていける。コハクさんにも太鼓判を押してもらったんだから」


 クオンツの里で得た物を胸に、マヌルは進む。

 たとえその先で、再び血の涙を流すことになろうとも。




──「僕の武器は攻撃力1の針しかない」 第一部完──

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