藤の徒花

藤の徒花


「はぁっ…はぁっ…!」


「いたぞ!絶対に逃がすな!」


柔らかな月明かりが差す夜。

一人の生徒は自らを追うマーケットガードから逃げる。

しかし、追われるその生徒の手の中には砂状の物体が入った瓶があった。


「あっやばっ…!」


生徒は追手を振り切る為に突如角を曲がる。

しかし、その先は行き止まりであった。

だが、よく見れば廃墟の様な建屋があり、扉も施錠されていない半開き状態ではないか。


「お邪魔しま~す…」


小声でそう呟き、扉を開けて中に入る。

丁度いい所に木の板があり、扉の取手に開けない様に差し込んだ。

これで追手もそう易々とは入ってこれまいと、漸く胸を撫で下ろす。


「ふぅー…危なかった…」


だがそれも束の間だった。


「頭の治療は、ご入用ですか?」


「ッ!?」


突如投げかけられた言葉に肩が跳ね上がる。

咄嗟に振り返った先には暗がりで全貌は見えないが、白衣を着た女がいた。

その女はカツカツとヒールの音を響かせながらその生徒に歩み寄る。


「アポイントも無しに私を訪ねたのですから、覚悟は出来てるんでしょうね?」


「えっ!?あ、あの違って…!」


女から放たれる怒気に慌てて弁解をしようと立ち上がった。

立ち上がったことで生徒の顔が月明かりに照らされて明瞭になる。

すると途端に女の歩みは止まり、様子が変わった。


「は………?うぶっ…!?」


「だ、大丈夫ですか…?っひゃあ!?」


嘔吐しそうになる声が聞こえ、生徒は相手を気遣う。

だが、返って来たのは投擲されたメスだった。

メスは咄嗟にしゃがんだ生徒の頭上を通り越し、木の柱に突き立つ。


「ヴァルキューレじゃない…まさか、トリニティ…!?」

「どこの誰の差し金ですか!?答えなさいっ!!!」


「な、何のことですか!?」


「ふざけるな!その顔はまさしく、私への当て付けだろうが!?」


白衣の女は激昂し、生徒に向かって早足で寄りながら怒鳴る。


「私はたまたまここに来てしまっただけです!」

「少し隠れさせて貰えれば、すぐに出ていきますから…!」


対する少女も誤解を解こうと応える。

月光に照らされた女の顔は闇市の住民に相応しいものだった。

瞳は酷く澱んでおり、目の下にはあまりにも濃すぎる隈がある。

そして、相手をそれだけで殺せる様な非常に険しい目つきで生徒を睨んでいた。


「…私への刺客にしては弱すぎます。その言葉を信じましょう。」

「こちらの非礼もあったので、不法侵入は不問とします…ですが───」


女は自分の早とちりだったと気づいた様だった。

だが、その怒りは未だに収まっていない。


「その手の中の物は何ですか?」


「こ、これは…」


生徒が握り締めていたもの。

それはキヴォトス全土で禁止された砂漠の砂糖だった。

アビドスの消滅後、連邦生徒会はアビドス砂漠を立ち入り禁止区域に指定した。

そして砂漠の砂糖の使用は勿論、所持も矯正局送りと定めたのだ。

にも関わらず、その生徒はそれを持っていた。


「見たところ服用はしていない。売るつもりですね?」

「全て渡しなさい。さもなくば切り刻みます。」


「ダメ、です…これは…」

「これは、妹の治療費を稼ぐために必要なんです…渡せません…!」


より強い怒り、いや、最早憎悪とも呼べる感情が生徒に向けられる。

しかし生徒は引き下がらない。その目には強い意志が宿っていた。


「かつて私は、妹に先進医療を受けさせる為にミレニアムに行きました…」

「ですが、着いて早々にミレニアムは崩壊し、私達も戦火に巻き込まれてしまいました。」

「焼き出されて今は貧民窟に身を寄せていますが、環境も悪くて妹の病状は悪化する一方なんです…!」

「私は妹に適切な治療を受けさせたい…だから…!」


女の目は依然として厳しいものだが、話は静かに聞いていた。

要するに、彼女は短期で高額の医療費を稼ぐために危ない橋を渡ろうとしているのだ。


「そのために、他の誰かを犠牲にしてもいいと?」


「できればそんなことはしたくありません…でも、何も解決しないじゃないですか!」


女の厳しい問いかけに、生徒は涙ながらに訴える。


「後払いで治療をしてくれないかと頼んでも、金が無い私達を皆見捨てた!」

「自分の食事を限界まで削って市販薬を買っても、症状は一時的にしか緩和できない!」

「その上、日に日に弱る妹を見ていて今でも気が狂いそうなのに、見殺しにしろと!?」

「そうなるくらいなら、私は誰かを殺してでも妹を救います…!!!」


「……はぁ…もういいです、大体わかりましたから。」


生徒が発する悲痛な叫びが室内に響き渡る。

一方で女には全く動じる様子が無い。さながら意にも介していない様だった。

だがそれはあくまで表面上の話だった。


「…条件が三つあります。」


「…はい?」


セリナは指を順に立て、その条件を述べる。


「一つ、所持している砂糖を全て私に渡す事。」

「二つ、今後砂糖には一切関わらない事。」

「三つ、私に関する事は誰にも話さない事。」

「以上を守れば、その妹さんを治療してあげましょう。」


「貴女は…お医者さんなんですか…?」


啞然とする生徒に対し、セリナは淡々と続ける。


「闇…あるいはヤブと頭に付くかもしれませんね。」

「それで、どうするのですか?」


「はい…必ず守ります…!何でもします!ですから妹を…妹を助けてください!」


「…いいでしょう。」

「この私、鷲見セリナの名に懸けて、貴女の妹さんを治します。」

「全く気に入りませんが、”不死をも実現させ得る”とは呼ばれているんですよ?」


宣言するセリナの目には既に怒りは無く、慈愛があった。


────────────────────────


『ハナエちゃん、私がずっと付き添います…!』

『健康になって、団長に、ごめんなさいしましょう?』

『だから…!』


ああ、懐かしい光景だ。

そして、二度と見れなくなった光景だ。

この後の光景は必ずいつも見るが、ここを見れたのはあの生徒のお陰かもしれない。


『…はい…はいっ…!セリナ先輩…!』

『本当に、ごめんなさいでした…!』


『ハナエちゃん…!』

『ッ!?何、この光…!?』


束の間の喜ばしい光景はその終わりを告げる。

ここからの顛末は、全て知っている。

私が極力寝ない様にしている最大の理由。


『あ”あ”あ”あ”あ”あああああぁぁぁぁ!?!?!?』


『ハナエちゃん!?』


『痛い”ぃっ!痛い痛い痛い”い”いいいい!!!!!』

『助けでっ!セリナ先輩ぃ!!身体が、身体が壊れるっ!!!』

『う”っげぇっあ”あぇぇぇぇぇ!!!』


『ああ…あああ…!?』


身体中から血が噴き出し、ハナエは悶え苦しむ。

辺りにいたアビドス生も同様に、断末魔の叫びを上げていた。

血の泡を吹き、眼球は内圧が上がったのか弾け飛んだ。

あらゆる箇所から血が吹き出て止まらず、苦しいのか喉を搔きむしる。

ハナエの崩壊は末端から始まった。

搔きむしる指すら第一関節からぐずぐずになり、ボトボトと床に落ちる。

次に肘、膝、肩と崩れ、人の形を失っていった。

そして、成す術無く床に斃れ伏す。。


『…リナ…い…たす…』


ピクピクと動く肉塊が、茫然と立ち尽くす私の足元で呻いていた。


『何故…何故あんなものを…!!!おぇっ…!』


場面が変わり、トリニティの一室になった。

救護騎士団の制服を着た少女が、あの光景を作り出した連中に怒鳴る。

だが、その者達はどこ吹く風といった様子だった。


『何か問題が?魔女は魔女らしく血の海に沈み、アビドスという悪魔の巣窟が消えただけのこと。』


『それでも!ナギサ様とセイア様は最後まで反対していたじゃないですか!!』


『あの二人は弱腰で、何もしなかった。だから私達が代わりに行っただけ。』

『魔女と幼馴染の方は”そうなり”、もう一人は行方を晦ましたではありませんか。』

『戦後のゴタゴタも全て投げ捨てた無責任な二人の代わりに、私達がその尻拭いをしているのです。』

『それに、アレの責任を全てミレニアムに押し付け、トリニティを最大校にまで押し上げたのですよ?』

『讃えられることはあれど、誹られる謂れはありません。』


『よくも…よくも言いましたね、この悪魔が…!!!』


『おっと、反逆ですか?私達に牙を剥くというのであれば、退学も…』


『こんな所、こっちから願い下げです!!!』


勢いよく扉を閉めて少女は部屋を出る。

すると、また場面が変わった。


『セリナ!セリナ、待ってください!』


『お世話になりました、ミネ団長。』


『貴女にまで行かれたら、私は…』


『…もう会う事は無いでしょう。』

『お元気で。貴女は貴女の信じる道を、突き進んでください。』

『私にはもう…無理です。』


『セリ、ナ…』


少女はかつて信じ、付いていった尊敬する人に別れを告げる。

寂しそうで、悲しそうで、絶望したその表情は忘れることができない。

そして───


「………はぁ…クソッ…」


小さく毒づきながら、目が覚めた。

目の前の机には資料が散乱し、脇にはつい先日完治させた患者のカルテがあった。


「…」


カルテを手に取りながらすっかり冷めきったコーヒーを啜る。

何度見ても、似ている。他人とは思えないほどだった。


「…そろそろ団長が嗅ぎ付けてくる頃合い、ですね…行かなくちゃ…」


一人でそう呟きながら、殆ど無い荷物をまとめてスーツケースに詰める。

そして、セリナは自らの診療所を後にした。


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「次は百鬼夜行か…それとも、山海経か…」

「…?」


スーツケースを引きながら川の堤防を歩くセリナ。

その目に止まったのは、川辺に出来ている人だかりだった。

こんな場所に人が沢山いるというのは、とても珍しいことだった。

だが───


「ぁ………」


そこに横たえられていたのは、とても見覚えのある顔の二人だった。

セリナは震えそうな声を何とか抑えながら、一人に事情を尋ねる。


「あの…何があったんですか…?」


「ああ、この二人ね…」

「可哀想に、どうやら私刑で殺されちゃったらしいよ。」


「理由は知りませんか…?」


「噂だと、砂糖の売人に間違えられちゃったんだって。」

「以前に砂糖の仕入屋が逮捕されて、そいつと交渉してた事があったから疑われて…」

「妹さんは元気になったばかりなのに、姉を庇ったものだから一緒に…」


「そう…ですか…ありがとう、ございます…」


セリナはその場を静かに離れ、再び歩き出す。


「どうして…どうして私は…私は、誰も救えないの…!?」


その背中は酷く弱弱しく、小さく見えた。

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