薄氷の向こう側
おやつおいしい(14)真っ昼間に夢を見た。
誰かがテンガン山の山道を歩いている。金髪に赤い瞳。あれは俺だ。
誰かが俺に話しかけている。紺色の衣装に紫色の長い髪。俺の知らない人だ。
俺が被っているのろいぎつねの面。俺がカミサマにもらったものは白い毛並みに赤い差し色のはず。あれは紫色だ。何故?
俺が時の神と空間の神に戦いを挑んでいる。あれはフキナちゃんの立ち位置のはずだ。
あれは誰だ?あれは俺?俺じゃない俺?
俺が困ったように微笑む。一目でわかる、その命は今にも消えそうだ。
次々に伸ばされる手をするりとかわして駆けてゆくその背中に問いかけるが返事はない。
俺じゃない、君は誰だ?
君は俺か?じゃあ俺は誰だ?
俺はーーー
「ーーーアシタバ!!」
名前を呼ばれて一気に覚醒した。
ひんやりとした硬いものに包まれている感触。反面、頭はぐつぐつと煮えたぎっているかのように熱く、額から汗が次々に流れていくのがわかる。張り付く前髪が鬱陶しい。重たい瞼を開くと、こちらを覗き込んでいたのは見慣れた顔。
『なあ、××××。オレたち決めたんだ。お前を笑顔で送り出してやるって』
『だからそんな顔すんなよ。オレの、オレたちのーーー』
こ れ は 俺 の 記 憶 じ ゃ な い !!
頭を乱暴にかき混ぜられるような感覚に堪えかねて悶え暴れる。そんな俺の身体を落とすまいとがっちりホールドしたのは、大きな爪を持つ青紫色の腕だった。
『アギャ!アギャス!!』
「…はっ、あ…、コラ…いや、ミライくん…?」
『ギャオォン…』
いつかのようにバトルフォルムになって俺を抱えていた鉄のドラゴンは、その勇ましい姿に似つかわしくない情けない声で鳴いた。その脇から燃え盛るワニポケモンが顔を出す。
『ラウワー…』
「ワニくん…俺の相棒…じゃあ俺は…」
「落ち着いたか?アシタバ」
相棒の逆側から覗き込んできた見慣れた顔に今度はおかしな幻覚は見なかったが、反射的にその両頬を軽くつねる。
「にゃにすんだよっ!」
「触れる…?先輩?俺、生きてます?」
怒った表情から一転、不意をつかれたニャースのような間抜け面をした先輩になんだか妙に安心して、強張った口許が緩むのを感じた。
3ヶ月ほど前にシンオウ地方に旅行に来た俺は、過去へ飛ばされるというトラブルを経た後にオモダカさんから旅行記の書籍化を持ちかけられていた。
手始めに縁の深いシンオウ地方編を出すこととなり、準備のためにそのまま滞在している。先んじてこの地で料理人修行をしていた先輩とは(主に金銭面で)利害が一致し、俺が転がり込む形で一時的にルームシェアしていた。
霊峰、テンガン山へ向かったのはつい昨日のことだ。書籍のためにもう少し話の種と写真が欲しかったし、以前キャンプした時は先のトラブルに巻き込まれてしまい満足に楽しむことができなかったのでそのリベンジもしたかった。
何事もなく一泊を終え、下山する前に槍の柱に立ち寄って…突然時空の揺れを感じると共に白昼夢を見てからの記憶がない。気がつけばミライくんに抱えられて先輩の家へと戻っていた。どうやら異常事態に気づいた彼が自己判断でバトルフォルムに変化し、前後不覚になった俺を運んでくれたようだ。
「じゃあ、別の世界のお前の記憶を見たってことか?」
「恐らくは。原因まではわかりませんけど…たぶんまた時空の乱れに引っ掛かったんじゃないですかねー…」
「相変わらずお前の周りの話ってスケールでかいちゃんだよな。わけわかんねー…」
……と、ここまでの流れをスマホの写真データを見ながら先輩と一緒に整理して今に至る。
なにせ突然脳に自分のものではない記憶をぶちこまれたのだ。ごくわずかな断片的なものとはいえぐちゃぐちゃに混乱した頭を鎮めるのには少々時間がかかった。
「すみませんね、せっかくの休日なのに」
「気にすんなって。ミライドンが半泣きですっ飛んで帰って来た時は何事かと思ったけど、命に別状はなくてよかったぜ」
先輩が冷やした濡れタオルを額に乗せてくれる。オーバーヒートを起こした脳にはちょうどいい冷たさだ。
「混乱して大変かもしんねーけどさ、今みたいにちょっとずつ整理していこうぜ」
「…………」
「アシタバ?」
「それなんですけど」
熱に持っていかれそうになる思考をなんとかかき集めて言葉を練る。
「俺…もう一回テンガン山に行ってみようかと思うんです」
「は!?」
俺じゃない俺の記憶。あれは本当に俺の妄想ではなく、別の世界の実在する人物のものだったのか?実在したならば彼はどのように生きてどのように死んだのか?
それが妙に気になって、モヤモヤして仕方がなかった。
「テンガン山に行ってどうすんだよ!?また白昼夢を見るのか?」
「いや、あんな出来事はおそらくそうそう無い…狙って見れるものじゃないと、思います。でも、時空が不安定な場所ならもしかしたら…またあの掲示板にアクセスできるかも」
ヒスイに飛ばされた時にお世話になった、人の子が集まる匿名掲示板。
現代に戻ってきてからはアクセスしようとしてもエラーになってしまっていたが、今のテンガン山なら大きなカミサマの目を掻い潜れるかもしれない。そして、俺じゃない俺がフキナちゃんの立ち位置にいた人物なら…あの掲示板を利用していた可能性は高い。
先輩は俺の両肩を掴んで散々「もうあの山はやめとけ」「そこまでする必要はあるのか」と説得してきたが、俺が首を縦に振らないのを悟ると難しい顔で部屋から出ていってしまった。怒ったか、あるいは呆れて愛想もつきたか…一抹の寂しさを覚えながら再び山頂まで行く算段を考えていると、意外にも早く先輩は戻ってきた。出ていく前と同じ難しい表情で、その背には見覚えのある大きなバックパックを背負っている。出会ったばかりの頃、スパイス集めをしていた彼が使っていたもので…今は俺が譲り受けているものだ。
「先輩?その荷物は…」
「オレも行く」
「は?」
「どうせ言っても聞かねーんだろ。一人で黙って行かれるよりかはついていって目の届くところでやってもらった方がマシだ」
「え、いやだって…仕事は!?」
「休むって連絡したから問題ねえ!!3日もあれば片付くよな?」
「休むって…え、ちょっと、」
以前あの掲示板の住民から告げられた【一度時空のトラブルに関わった人は今後もトラブルに遭いやすい】という言葉が頭を過る。この人を巻き込みたくはない。テキパキと外出準備を始める先輩を止めようと手を伸ばしたが、横からぬっと顔を出したマフィティフに阻まれてベッドに逆戻りさせられてしまった。
「あ…」
「なあ、アシタバ。お前はオレのこと心配してくれてるんだろうけどさ。オレだってあの頃のままじゃないんだぜ」
無力にも床に落ちた濡れタオルを拾い上げた先輩はあの頃を思い出す姿で、あの頃より少し大人びた表情で笑った。
「親友が困ってんだ。力になってやらなきゃウソだろ!…で、行くのか?行かないのか?」
「…は、はははは」
熱でからからになった喉から抑えきれない笑いがこみ上げてきて漏れた。やはりこの人は面白い。
「俺は真実を確かめたい。力を貸してください、親友」
「よし来た!たまには頼りになるとこ見せてやるからな!」
しっかりと握手をして、どちらともなく笑い合う。
手から伝わる体温に言い知れぬ安心感を覚えて…もしかしたら俺はほんの少しだけ心細かったのかな、なんて。
決して口には出さないけれど、そう思った。