薄暗い海軍と世界政府の未来の話
設定自体は好きだから反応あったら嬉しい※ウン十年後の話
※海軍側のいろんな人が死んでる
※殺害の示唆がある
※くらーーーーい話
愚かなる神の盃
木の板にグラスを置いた音のような、酷く小さく戸惑ったノックに、老兵は目尻の皺を深めた。
「入れ」
自分に割り当てられた執務室の、自分のために誂えられた特製の椅子に腰掛け、英雄の威風を損なうこと無く、薄暗い部屋に招かれざる客を招く。
すでにとっぷりと夜の帳は降り、海の見える窓には港町の灯火が暖かな星空となって広がり、見慣れた灯台は蝋燭のように導の火を燃やしていた。
「どうした?入らんか」
ノックの音の後、動かないドアを訝しんで声をかける。
執務室は暗く、デスクの上の素っ気ないシェードランプばかりが部屋を頼りなく照らしていた。
シェードランプの照らすドアは、髪の毛一筋程の隙間を空けただけで静止している。
三たび呼ばう。
いつまで経っても油をささないせいで軋む、分厚い木の板が戸惑うような音。隙間からのっそりと顔を覗かせたのは見知った顔だった。
それが二つだったことにほんの少しばかり驚きながらも二人を迎え入れる。
「サカズキだけかと思っとったわい。わざわざお前も来たんかボルサリーノ」
「わっしがきたら、邪魔でしたかねェガープさん」
「ぶわっはっは、そんな事言っとらんじゃろう。元帥と大将にお茶汲みの真似事させて贅沢じゃと思っただけじゃ」
ガープは磊落に笑い飛ばし、二人を歓迎する。二人の背の後ろで、耳障りな音を立てて扉がきっちりと閉じた。
「わしだけでここに来るんを、なんでかあんなぁも聞きつけとって、一緒に来ることになったんですわ。勘弁してつかぁさい」
サカズキが淡々とした口調で弁明する。
「そーかそーか、わしゃ構わんぞ」
立っとらんで座ったらどうじゃ、と勧められ、ボルサリーノは部屋の中の長椅子に座る。サカズキは首を振ってガープの机の向かいに立ったままだった。
「サカズキィ、座らないのかィ〜。そんなに仕事熱心にしなくてもいいんじゃあーないかい?」
「そーじゃそーじゃ、薄情なこと言うんじゃないわいサカズキ」
二人して咎められ、サカズキはぐ、と元より険しい眉間の谷を更に深めた。
暫く戸惑った後、根負けして一歩退く。ボルサリーノの向かいにある椅子に向かおうと踵を返したとき、異様に冷静な声がそれを留めた。
「持ってるモンは置いて座らんかサカズキ」
ガープはきっぱりとそう命じる。
サカズキの足は釘付けられたように動かなくなった。
入った瞬間から、とっくに目に入っていた小さくも美しい細工の銀盃は、サカズキの左手に収まったまま、透明な水面に灯を反射して揺らめいている。嘲笑うかのように美しい白銀色だと、怖気が振るう。
気が付いていたのか、と老兵の鋭さにも辟易とした。
「わしに持ってきてくれたんじゃろうが」
「そうじゃが」
「ならお前さんが持っとらんでええわい」
からからと笑う強さに圧されたか、サカズキは妙にゆっくりとした動きで、その小さな銀盃をガープの机に置いた。
銀盃は、先ほどのノックよりも微かな音を立てて机に鎮座する。ゆらりと透明の液体が揺らめき、水面を乱した。サカズキは無言で椅子に腰掛け、眉間を押さえて疲れ切ったような細い息を吐いた。暗い室内よりも深く、その横顔には影がかかっていた。
ガープはその銀盃の底を覗き込む。美しい細工で彫り込まれた、世界政府の紋章が沈んでいる。
「どうせなら、カモメが良かったわい」
「……二三個、溶かしてしもうた。その中にもカモメは居らんかったけん、居らんのじゃろう」
「ぶわっははは、溶かしたか!」
「溶かさなくても、五回ぐらい蒸発させちゃったんだよねェ、わっしが持っていこうかとよほど思ったよォ」
ボルサリーノは薄っすらと口元に笑みを上らせて告げ口を嘯く。
「お前なら溶かしはせんだろうが、穴が空いたかもしれんのォ」
「そうですねェー」
ボルサリーノは笑う。指先に眩い光を点して銀盃を指す。闇夜の螢火のようだ、とガープは目を細める。
「今からでも穴は開けられますよォ?」
「ボルサリーノ」
サカズキの諌めに、ボルサリーノの指の光は霧散する。
しん、と暗い部屋に降りた居心地の悪い静寂に、ガープは尻の座りが悪くなって眉を寄せる。
遂に笑みを失ったボルサリーノは、感情の読めない顔で銀盃を見つめ、サカズキは険しい顔で親の仇か何かのように真正面の空間を睨んでいた。
「……そんなに怖ェ顔をせんでもよかろうよ。もうちょっと楽しげにしてくれんか。尻の座りが悪い」
「あんたは笑ってこがぁなこと出来るんか」
ぎろり、と並みの海賊なら腰を抜かして命乞いをするような顔で、サカズキはガープを睨み上げる。ボルサリーノも同意見なのだろう、困ったような飄々としたような顔でガープを見る。
ガープは二人分の視線に肩をすくめる。
「笑えと言われりゃ笑ってやったわい。しけたツラで送る心算かと叱られてからはのう」
その言葉に、二人は薄暗いシェードランプの灯りですら分かるほどに顔を青ざめさせた。
「あんたァ……」
惑う声を上げたサカズキが言葉を途切れさせる。
「おお、お前らの想像通りじゃ」
にぃ、と底知れぬ笑みを浮かべてガープは銀盃を節くれだった指でくるくると弄んだ。
「これを運ぶ役目はな、わしも何度かやった。このくそったれの“礼讃の盃”をな」
その忌むべき呼称をさらりと口に出したガープに、サカズキは息を呑む。
「“礼讃の盃と、神不成の酒”」
「正式にゃそうじゃな。わしの初めは、コングさん。つぎはおつるちゃん。そしてセンゴク。今更戦場で死なすことも、これ以上の権力を持たせることもできん老兵を、伝説のまま葬るための、世界政府秘蔵の美酒じゃあ」
「あんたにこがぁなことがでけるたぁ思えん」
サカズキの絞り出したような言葉に、ガープは喉の奥で含み笑う。サカズキらしくもない、微かな懇願めいた言葉が可笑しかった。
その表情は、太陽の下で見る中将の顔とはかけ離れた暗い深淵を覗いた者の表情。背筋に氷塊が滑り込んだような顔をする二人にガープはその表情を解く。
「ボルサリーノ、始めはお前さんの動機と変わらん。センゴクに行きそうだった話を、無理やり代わらせたんじゃ。仲間殺しなんぞ、あのバカのつく生真面目な男にやらせるのは嫌じゃった。それに、コングさんはセンゴクがいっとう懐いとった相手じゃ」
「それはさァ、あんたもでしょうよォ」
ボルサリーノもサカズキも、先先代の海軍元帥のことはよく覚えている。最後は世界政府全軍統帥に昇りつめ、心臓発作で伝説を遺したまま逝去した。実際は、毒入りの酒を煽ったのだと、二人はここで初めて真実を知った。
「ガープさんも、コングさんを父親のように慕ってたんじゃあないのかい?」
彼の直下で、めきめきと腕を上げた才能剥き出しの海兵の一人は、他でもないガープその人だ。
「それでも、わしがイヤじゃったんじゃ」
いつもの“我儘”を通すように、ガープは頑是無い幼子のように言い放って胸を張った。
「おつるさんも、そんな訳で?」
「おつるちゃんはな、他の者にやらせるのがイヤじゃった。おつるちゃんには『馬鹿な子だ』なんて怒られたが、しかたないわい。他の誰にも、この役目を譲らんと決めた」
ガープはそう言うと一気にその杯を乾かした。