菊池寛と芥川龍之介について
「君の力を、貸してはくれないだろうか?」
その人は真っ直ぐな目を向けて手を差し出した。
少年は過去のことなど何ひとつとして覚えていない。
よくよく考えればそんな少年に力を借りようなどという大人はきっとろくでもない人間なのだろう、と普通は判断する。
ただ、この少年は普通ではなかった。
この手を取れば、何が起こるのだろうか。
そのムクムクと湧き上がる好奇心は誰も止めることができない。
少年は、彼の手を取った。
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「暇だ」
好奇心の塊、菊池寛は病室で暇を持て余していた。
数年前から心臓病を患い、入退院を繰り返す彼は現在、ヨコハマのとある病院に入院していた。
暇だ、と言っても菊池が所属する与太者衆のメンバーは毎日この病室に来れる訳では無い。
本来なら菊池も与太者衆の一員として仕事をこなすのだが、病に伏せてからはこのざまである。
暇ついでに会社を興してみたが、最初はなかなかに会社を運営することが面白くのめり込んでいたのだが、あまりにもスムーズにいきすぎてしまい、今では菊池が居らずとも優秀すぎる部下達が全ての業務を難なく行っていた。
「……はぁ…」
暇だ。
暇だ暇だと言ってみても、看護師は「菊池さん、大人しくしていてくださいね〜」と言うし、医者は「菊池さん、突然の思いつきを相談無しで実行しないでくださいね〜」と言うし、棟梁・榮は「菊池、病院に迷惑をかけるな」と言われているので暇つぶしに思いついたことができない。
「ドカンと病院で打ち上げ花火も却下されたしなぁ…面白いし、子供達も喜ぶと思ったのによォ……」
なんて愚痴っていると、扉が開く。
突然の事だったので、しばらくポカンと口を開けて驚いていたが…すぐにやって来た人物を見てフッと微笑む。
「……よう、芥川。
そんなところに突っ立ってねぇで、こっちに来いよ」
そこに居たのは…いつもの仏頂面を引っさげた芥川龍之介だった。
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「ほれ、これ食うか?」
と、芥川に饅頭を勧めると同時に芥川は持っていた花束を差し出す。
「ははっ、似合わねぇなぁアンタ!」
「五月蝿い。これは…銀に持って行けと持たされた……」
「いやいや、有難いよ。
実は暇でねぇ……アンタ、将棋は打てるかい?」
芥川は菊池に誘いに首を横に振る。
「あれま…なら教えようか?」
「………」
「はははっ!そんな顔すんなって!」
菊池はとにかく今、暇なのだ。
その暇を紛らわせるためにも何かをしていないと気が済まない。
「なら…外、連れてってくれねぇか?
俺ぁ今誰かと一緒じゃないと外に行けねぇのよ」
断られるだろうな、と思いながらも駄目元で尋ねてみる。
すると芥川は立ち上がって病室に置いていた車椅子を取り出す。
「お、おい芥川?」
「夜には仕事がある。それに僕と一緒にいて楽しいかは分からないが……それでいいなら付き合おう」
それを聞いた菊池はこの日1番の笑顔を見せた。
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「心がない」
かつて仲間や大人達に言われた言葉だ。
「なぁに言ってんだか、龍之介は良い奴だよ、なぁ!」
そう言ってニッコリ笑って見せる、兄貴分を見て芥川は安心感を覚えていた。
貧民街で、自分と銀を仲間に入れてくれたのもこの兄貴分だ。いつも彼の背中は大きく、優しかった。
しかし、菊池はある日を境に姿を消した。
仲間が無惨に殺された日に、だ。
菊池は異能力者で、その能力はいろんな人間がその能力に群がるくらいに珍しく、使い勝手がいいものだった。
きっと菊池がいなくなったのは…そういう事なのだろう。
ポートマフィアを襲撃した日、菊池についていろんな人間に尋ねたが……結局消えた菊池がどこにいるかわからなかった。
だから、あの日芥川はインタビューを受ける彼が映ったテレビを引っ掴んだ。
ヨコハマでも大きい会社のひとつ、菊池コーポレーションの若社長。
顔も良く、話も上手い。自分と違い人に好かれる性格をしている彼を、人々は称賛していた。
死んだと思っていた。
生きているだなんて思ってもいなかった。
「えーと、悪ぃ、俺…昔のこと何一つ覚えてねぇんだわ」
絶望した。
何故?どうして?
考えれば考えるほど分からない。
「あー…俺は菊池寛ってんだ。
俺の昔の知り合いなら、コレ見覚えあるか?」
俯いていると、菊池が芥川にあるものを差し出した。
それは、たまたま菊池が仕事をこなした報酬で手に入った鉛筆と紙にかつての仲間達と一緒に書いた絵だった。
「この白髪、多分俺だろ?
名前まで書いてるから、そのまま貰っちまったんだ。あってるか?」
「……」
その微笑みは、あの日と全く変わっていなかった。
「ああ……あなたは、間違いなく、寛だ」
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「いやー、良いねぇ…やっぱり外は気持ちがいい」
背伸びをする菊池の車椅子を押す芥川は気分が良かった。
「寛の能力なら、外の様子くらいは見れるはずだ」
「と、思うだろ?
俺も心臓を患って直ぐにやってみたんだが…逆に寂しくなっちまってよ」
悲しそうに眉を顰める菊池を見て、芥川はしまったと焦る。
芥川は菊池が悲しむ姿を見るのが昔から苦手だった。
できれば菊池には昔のように笑っていて欲しい。