荒天の霹靂

荒天の霹靂


「さあ皆さん、此度も美食を探しに参りましょう!」


私は座右の銘に”EAT OR DIE”を掲げる美食研究会の面々に意気揚々と告げました。

これから美食を求める波乱万丈な旅路を楽しむのです、高揚しないはずがありません。

食とはその文字の通り人を良くするもの。なればこそ、より良いものを求めることは当然の事です。

美食無き生に何の意味があるのか、心からそう思います。

ですが、私の高揚は一瞬にして冷めることとなってしまいました。


「…ハルナさん、何で貴女がここにいるんですか?」


「ぇ…?」


アカリさんが、冷ややかな目で私を見ていました。

彼女がこの様な目を私に向けることなどこれまでに一度もありません。

驚愕と困惑の中、私は平静を装って答えます。


「…何故…?もちろん、美食を探求す…」


「えぇ…もしかして、まだ会長気分なの…?」


イズミさんが、哀れなものを見る目で私を見ていました。

彼女もアカリさんと同様です。

いつも明るく前向きな彼女が私に向けたことの無い目でした。

私は直近の自分の行いを必死に記憶を辿ります。

何か彼女らの顰蹙を買うような事をしたのか、嫌われる様なことがあったのかと。

しかし、記憶には何かモヤがかかっているようで何も思い出せません。

皆さんとの食事もまた美食の一つ。

それを失う様な事は絶対に避けたいと焦る感情は、私から冷静さを奪っていました。

だからこそ、取り繕う様にまた声を発します。


「す、すみません…私、何かしてしまったのでしょうか…?」

「私に非があれば謝ります…ですから、そう邪険に扱わないで…」


縋る様に声を振り絞りました。

自分でも分かるほど声は震え、私の声は悲しみに満ちています。


「ふざけるのも大概にしなさいよハルナッ!!!」


しかし、それを全て撥ね退ける声がビリビリと響き渡りました。

声はずっとこちらを無表情で見ていたジュンコさんのもの。

再度見遣るとその表情は殺意すら感じる怒りに満ちていました。


「アタシの忠告を無視したアンタは、美食研究会失格…いや…」

「アンタ風に言うなら、美食を穢す痴れ者よ!二度とその顔を見せないで!!!」


「そ、んな…!?一体、どういう…!?」


狼狽し、酷く衝撃を受けた私は身体の震えを感じます。

まるで、これまで築いてきたもの全てが崩れ去るかの様な喪失感。

恐ろしいその感覚に慄いていると、物理的な衝撃が私の胴体に複数起きました。

見えたのはジュンコさんが怒りの形相のままにその銃を放っている光景。

私は蜂の巣にされ、後方に吹き飛ばされました。

しかし飛ばされた先に地面は無く、私は下に落ちていきます。


「かはっ…!?う…ぐ、ぅ…」


漸く底に背中から落ちて、肺の中の空気を全て吐き出しました。

痛みに堪えながら上を見ると三人がこちらを覗き込んでいます。

私が落ちた場所は砂で出来た縦穴でした。

壁も、底も、全て砂。よじ登ろうものならば、即座に崩れて生き埋めとなるでしょう。

そんな私を皆さんは一瞥すると、一様に背を向けます。


「待ってください皆さんっ!!話を…!!」


必死に呼び止めますが誰も見向きもしません。

すると更に私を覗き込む二つの影がありました。


「先生に…フウカさん…!?」


私が信頼するお二方。

ですがその様子もまた、いつもとは異なるものでした。


“あんなことをするなんて、ハルナには失望したよ。”


「ぁ…」


先生のその言葉を聞いた瞬間、私は全身に力が入らなくなりました。

愛しい方から見放された。その事実が重く、深く、私の胸を貫いたのです。

そして何かが身体から抜け、抜けた部分に冷たい水が伝っていく様な感覚を覚えます。

これはまさしく、”絶望”というものでした。


「アンタはそこでずっと、砂糖でも食べてなさい。」


「砂、糖…?」


“砂糖”という言葉を聞くと、何か頭の中で引っ掛かりを覚えました。

何かとても忌むべきものであり、同時に欲しくて堪らない。

相反する二つの要素を持つ何かが、私の頭を埋め尽くしていきます。

ああ、だめだ。このままでは、私はまた何も考えられなくなってしまいます。

…”また”…?”また”とは何でしょう?

私は一度、何かをしてそうなったのでしょうか?

それが何なのか、聞かなくては。お二人なら知っているはず。

そうなる前に。


「教えて、ください…!私は一体…何をしたのですか…!?」


しかし、私の問いに答える声はありませんでした。

代わりに降ってきたのは白くて、近くで見るとキラキラと輝く砂状のもの。

そう、“砂糖”でした。見た目はただの砂糖です。なのに、目が、離せない。


「ぁ…は………」


美味しそう。綺麗。食べてみたい。

こんなに美しいのだから、さぞ美味しいのでしょう。

手のひらの上のそれ。手を口元に、口は開きましょう。

ああ、なんと素敵な事でしょう。一口で食すなんて、とんでもない事です。

大事に、大事に、味わって食べてしまいましょう。

そうです、まずは舌先につけてみましょう。


「ぁー…」


何か、とても悲しい事があった様な気がします。

でも、今がこんなにしあわせなのですから、問だいないでしょう。

わたしはしたをめいっぱいにのばします。

そしてゆっくりとそれにちかづけます。

あとさんせんち、にせんち、いちせんち…


「…あ♡」


とうちゃく。

したさきからあたまにばちばちとしあわせがながれこんできました。

なぜわすれてたのでしょう、しあわせはこのかたちをしていることを。

たまらなくここちよいです。

そしてわたしはしっています、ここからなみのようにまたおおきなしあわせがくることを。

それをまちわびて、ああ、もうすぐきます。はやく、はやく。

あ、いま、き───


「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!?!?」


そこで、目が覚めました。

辺りを見回すと、そこは見慣れぬ白い部屋。

一体どうした事かと困惑していますと、看護師の方が私に気づいた様です。

お医者様が来るまで待つように言うとその方は去っていきました。

その時でした。十分覚醒した私はここに至るまでの経緯と夢を思い出しました。

あるスイーツ店に通い続けていたこと。

日に日に満足する為に必要な量が増えていたこと。

アカリさんが狂い始め、周りも、そして私自身も狂い始めていることに気づいたこと。

店を破壊したものの、怒り狂ったアカリさんと店に来ていた方々に襲われたこと。

そして───


「う”っ…!」


ジュンコさんに銃を向け、美食を冒涜したこと。

それら全てを思い出した瞬間、私は酷い吐き気を覚えました。

ですが同時に、またあの砂糖が欲しいという悍ましい衝動までもが蘇ったのです。


「私は…私はぁ…!!」


そのことに、私は自分に酷く失望しました。

そして、夢の内容も理解したのです。こんな私はまさしく、誰もが見放す下賤な賊に他ならないと。

夢で見た皆さんの侮蔑や怒りの目を思いながらも身体はあの甘味だけを求める。

私が見てきた人の中で最も美食を穢し、貶める者。

その卑しさ、見下げ果てた品性は、かつての私が見れば介錯すら申し出るものでした。


「…では黒舘さん、今後の治療方針ですが…」


茫然自失としていると、気が付けばお医者様が来ておられました。

私はそれをただただ聞いているフリをして、頷くことしか出来ませんでした。


────────────────────────


「黒舘さーん、お昼ご飯ですよ。食べられますかー?」


「あ…はい、頂きます…」


そうして茫然とし続けていると数時間が経っていました。

看護師さんが病院食を持って病室に入り、私が食べる支度をしてくれています。

しかし、気になる事がありました。


「病院食は…薄味と聞きましたがそうなのですか…?」


「そうですよ、味の濃いものは基本的に身体に悪いですから。」

「皆さんの健康のための食事ですので、味はあまり期待しないでくださいね?」


「なるほど…納得しましたわ…」


看護師さんの説明で、私は疑問を解消することができました。

先ほどから視界に入っていた湯気を立てる味噌汁。

そちらから一切の匂いも感じないのは、そういうことなのだと。


「頂きます…」


看護師さんが出て行った後、私は緩慢な動作でそれらを口に運びます。

まずは温かいお茶を一口。口の中に熱が広がります。ですが妙な感覚を覚えました。


「これは…白湯、ですか…?」


お茶の中を覗き込みます。そこには確かに細かい茶葉がありました。

なのに飲んだのは白湯であると私は感じています。

間違って出涸らしのものを使ってしまったのだろうかと自分を無理矢理納得させました。

気を取り直して焼鮭を少しほぐし、一口食べます。しかし───


「………!?」


慌てて他のドレッシングが付いている野菜や、お漬物を口にします。

しかし、感じるのは無味、無味、無味。

口の中では物が歯で砕かれ、唾液を含みながらぐちゃぐちゃになっていきます。

だというのに、一向に味は出てきません。


「嘘、です………こんなの……嘘です……!!!」


味のしない食事は、とても、とても虚しいものでした。

満腹感は得る事ができます。ですが、これでは顎を動かすだけの徒労を感じる行為です。

美食の前提にある食事が、あろうことか、無駄な行為にしか思えませんでした。


「違います…これは…味が薄いだけ…薄いだけです…!」


私はその僅かな希望に縋るしかありませんでした。


────────────────────────


「異常は、ありませんね…」


「ま、待ってください…!」


お医者様が様々な検査結果を見ながら私に診断結果を告げます。

ですが、出てきたのはいずれも異常無し。

私が味を”あまり”感じなくなっているにも関わらず、それはおかしくないと数値は語ります。


「味覚に関連する項目は全て検査しました。ですが、全て正常値の範囲内です。」

「あと考えられるのはストレスですが…入院する前までは普通だったのでしょう?」


「はい…」


「だとすれば、その線は無いでしょう。」

「最新のミレニアム製の薬を試しましょう。とても優秀な薬です。」

「味覚障害の方すら半日程で回復し、私も効かなかった事例は聞いたことがありません。」

「ですがこれでダメだめなら…味覚は諦めてください。」

「現時点でも原因不明なのです、これ以上は手の打ちようがありません…」


「そんな…!?」


私に言い渡されたのは、逃せば二度と元に戻らない一度きりのチャンス。

その後、私は色々なものを試しました。

お医者様や看護師さんに隠れて院内のコンビニで甘味、辛味、苦味、渋味といったものを買い、少しずつ口に入れます。

しかし、いずれも味が”少しも”感じませんでした。

ここに至って、私は目を反らしていた事実を漸く認識しました。

私は、”味覚を完全に喪失している”と。


「誰か…誰か、助けてください…!」

「私は、怖いです…!薬を飲んで、それでも味がしなかった時が…!」

「私の夢が死ぬ、その時が…!」


静かな部屋に私の情けない泣き言だけが木霊します。

応えてくれる方は当然誰もいません。ですが、何かが匂いました。


「甘い…匂い…?」


味もしない、匂いもしない今の私にその匂いはあまりに衝撃的でした。

匂いの発生源を目で追うと、そこには私のポーチがありました。


「これは…!?」


ポーチの底の黒い部分。そこにあるとても細かい、白い砂のようなもの。

私は一瞬で悟りました。これは、あの飴玉の欠片だと。

目覚めてからずっと私を苛み、飢餓感すら与えてくる諸悪の根源であるそれを。


「…ほんの少しの、欠片、です。一度だけ…これで最後にしますから…」


理性がダメだと叫んでいます。ですが、私の気持ちは都合のいい言い訳をします。

身体はポーチの底に指を這わせ、それを指の腹に集めました。

…理性がとてもうるさいです。何も考えずに勢いで食べてしまいましょう。


「ん…………!?」


甘い味が脳に染み渡り、私は気を失いました。


────────────────────────


「ぁ…」


目が覚めると、私は別の無機質な部屋で拘束されていました。

隣には同じく拘束されたアカリさんが寝ています。

あれから私が知らない間に、あの甘味を求めて盛大に暴れ続けていたらしいです。

食べたのは一週間前、暴れたのは計4回。

怒り心頭のお医者様と看護師の方々にそう聞きました。

ですが、何も覚えていませんでした。


「は、はは…は…………」


自分にほとほと呆れ、乾いた笑いが出ました。

怒りを那由多の彼方にするほど通り越してしまったのです。

何ですかちょっとだけとは、何ですか最後にするとは。

ジュンコさんに自分が何をしたのか、もう忘れたのですか。

自分を消せるボタンがあるのならば、私は躊躇いなく押すでしょう。

下げる頭を見せることすらも失礼だと、心からそう思いました。


────────────────────────


「うぅぅぅぅぅ………うぐあぁぁぁぁぁぁ………!」


アカリさんが暴れだす前兆の声を出しています。

私は未だに拘束されているのでどうすることもできません。

あれからまたしばらく経ちました。

私が暴れる頻度は減って落ち着いてきたため、もうすぐ拘束を解く予定だそうです。

しかし、私の胸中は恐怖で一杯でした。

今日は、味覚を回復させるあの薬を飲んだのです。

朝方に飲み、夕方頃には効いているとのことでした。

怖くて怖くて、昼食は食べれず、寝ることもできません。

できるのは、あの甘味を欲しがる衝動と飢餓感に天井を見つめてじっと耐える事だけ。

そんな時でした。


「…ハ、ハルナ!?ハルナ!!これは一体…!?どういうことなの!?」


フウカさんが、そこにいました。

Report Page